妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第31話 国の値段

 

国の値段は、だいたい翌朝の書類の厚みでわかる。

 

ズムシティの朝は、前日の旗をまだ空へ残していた。中央広場の縁には細い紙片が吹き寄せられ、祝賀の名残が夜明けとともに急に安っぽく見える。人は一晩で熱狂を畳む。畳んだあとに欲しがるのは、理念ではなく、今日の配給が遅れないことと、今日も停電しないことと、役所がきちんと返事を寄越すことだ。

 

私はそれが嫌いではない。

 

国号など、つまるところ生活の遅延なく言えるかどうかで価値が決まる。昨日、広場で「公国」と叫んだ口が、翌朝には食糧と治安と税率を気にし始める。その移り気こそが国家の本体だ。

 

首相府へ入った時点で、机の上には昨日より高い紙の山ができていた。

 

食糧プラント第三農業ブロックの復旧工程表。事故遺族補償の再計算。ズムシティ中央行政区の警備再配置。旧ムンゾ自治共和国議会記録の移管。各区長の差し替え候補。対連邦返答案。軍務府再編案。警察機構統合案。港湾区と工業区の輸送優先順位。建国二日目にして、国はもう紙の形をしていた。

 

一番上の封筒を切る。地球連邦政府中央行政局。長い。長い文はたいてい責任を薄めるために長い。

 

国号変更の正統性に重大な疑義あり。事故調査共同委員会の即時設置要求。軍務機構拡張に関する説明要求。文面のどこにも、二十人の死者に対する重みはない。人が死んだ翌朝でも、官僚の文章は驚くほど平常を装う。

 

「お水だけでよろしいですか」

 

セシリアの声がして、私は紙を置いた。

 

「それでいい」

 

彼女は杯を机の右へ置いた。動作に無駄がない。祝意も、昨夜のことを匂わせるものもない。外から見れば何も変わっていない。ただ、近づく時の足音が少しだけ軽い。そういうものは書類には残らないが、人間には残る。

 

「連邦からですか」とセシリアが訊いた。

 

「そうだ。事故の時だけこの速さがあればよかった」

 

「返答案を整えます」

 

「対外文は冷たく。だが怒るな」

 

「はい」

 

私は別の束へ手を伸ばした。 「ギリアムは」

 

「待機室です。旧関連会社群と旧自治共和国広報の承認経路を一本にした一覧を持っています」

 

「呼べ」

 

ベルナルド・ギリアムはすぐに入ってきた。整っているが、その整いそのものを商売にしていない人間の整い方だ。帳簿も印刷機も取引先も、同じ重さで見てきた顔をしている。

 

「首相閣下」

 

「その呼び方はやめろ」

 

「では、今まで通りに」

 

「それでいい」

 

彼は資料を広げた。 「旧自治共和国の公的広報線は事故対応の時点で半分こちらへ寄っていました。残りを今朝までに整理しています。住民向け、各区役所向け、軍務向け、企業向け、対連邦向け。文体と承認順を分離しました」

 

「理由を言え」

 

「同じ言葉を、全員が同じように信じることはありません。信じる顔だけ合わせます」

 

「嫌な言い方だな」

 

「褒め言葉と受け取ります」

 

私は机を指で叩いた。 「今日から、外へ出る公国の声はお前を通す」

 

ギリアムは一礼した。 「承知しました。では、外へ出す声と外へ出さない声を今までより厳密に分けます」

 

「当然だ」

 

「外へ出さない声の方が増えますが」

 

「それも当然だ」

 

彼はもう一枚を差し出した。朝刊用の見出し案だった。

 

ジオン公国、行政始動

ズムシティ首相府、復旧と治安を最優先

連邦の無効主張に冷静対応

 

「悪くない」

 

「勝った酔いを引きずらせると、空気が軽くなります。生活の方へ戻しておいた方が長持ちします」

 

「その通りだ」

 

ドアが二度、硬く鳴った。

 

キシリアだった。建国の翌朝だというのに、祝意の欠片も顔にない。そういうところは好きだ。あの女が笑っている時は、たいてい別の誰かが困っている時だ。

 

「朝から地味ね」とキシリアは言った。 「建国二日目くらい、もう少し浮かれていてもいいんじゃないの」

 

「お前が言うと気味が悪い」

 

「そう」

 

彼女は数枚の紙を机へ放った。旧議会系。連邦への色気がまだ抜けない官僚。事故後にザビ家批判を引っ込めたが腹の中で別の計算をしている者。ドズル人気が面白くない内部。旧自治共和国時代の癖が抜けず、今も連邦を上位の裁定者だと思っている者。

 

「切るか」と私は訊いた。

 

「まだ」とキシリアは言った。 「今は泳がせる。建国直後は、自分で口を滑らせる馬鹿の方が役に立つ」

 

「妥当だ」

 

「でしょ」 キシリアは一枚を指で叩いた。 「この辺は連邦が好きなんじゃないのよ。ドズルが信頼され始めたのが嫌なだけ」

 

「わかりやすい」

 

「嫉妬はだいたい自滅するもの」

 

私は紙を流し見たあと、別の封筒を開いた。フラナガン研究所からの中間報告だ。事故当時の現場記録から抜き出された、レオン・マイヤールの挙動が簡潔にまとめられている。

 

危機察知に異常な偏りあり。

局所異常表示前に不穏を訴えた可能性。

継続観察を要す。

 

私は紙を机へ戻した。キシリアもそれを見ていた。

 

「食いついたわね」と彼女が言った。

 

「案の定だ」

 

「どうするの」

 

「まだ公には出すな。先に博士だ」

 

キシリアは少しだけ笑った。 「忙しい首相閣下」

 

「国家は暇ではない」

 

「知ってる」

 

午前の決裁を半分ほど片づけたところで、私は首相府を出た。行き先は工業区画の研究棟。ようやく公国という器を持った。ならば次は、その器の中へ何を守り、何を入れるかを決めなければならない。

 

トレノフ・Y・ミノフスキー博士は、前と同じように窓際に立っていた。白い壁、乾いた空気、数式の匂いしかしない部屋。祝賀の熱が少しも届いていない。ありがたいことだ。

 

「ギレン・ザビ首相閣下」と博士は言った。

 

「肩書きが増えた」

 

「増えたのは肩書きです。信頼ではありません」

 

「だから紙を持ってきた」

 

私は条件書を机に置いた。独立研究区画。予算保護。軍務からの早期介入制限。報告系統の限定。首相府直轄の研究保護線。公国になったからこそ、ようやく条件の形で差し出せるものだった。

 

博士は黙って読んだ。指先の動きだけが紙の上を進む。

 

「よくここまで書きましたね」と博士が言った。

 

「お前が嫌うものは知っている」

 

博士はそこでようやく目を上げた。 「危うい言い方です」

 

「危うくても事実だ」

 

「国家が研究を守ると言う時、たいていその次に国家が研究を食う」

 

「だから、食えない形にして持ってきた」

 

博士はもう一度紙を見下ろした。 「まだ穴があります」

 

「言え」

 

「研究者人事です。制度を作っても、周囲に軍の息が強い人間を置かれれば意味がない」 「候補を出せ」

 

「もう一つ。予算保護は年単位では遅い。四半期単位にしろ」

 

「検討する」

 

博士は首を振った。 「検討ではなく、再提出を」

 

私は少しだけ笑った。 「相変わらずだな」

 

「相手が国家になったのなら、こちらも少しは強く出ます」

 

懐いてはいない。だが、値踏みする相手としては認め始めている。それで十分だった。

 

「再提出する」と私は言った。

 

博士は紙を閉じた。 「口約束よりは、はるかにましです」

 

その一言で足りた。

 

研究棟を出る時、私は一度だけ窓の外を見た。遠くにズムシティの塔群が見える。名はできた。だが、その名の中へ未来を組み込めなければ、ただの看板だ。

 

首相府へ戻ると、ドズルが来ていた。医師の制止を半分だけ踏みにじって、包帯のまま立っている。左肩から上腕に巻かれた白。顔の左側に走る、前世と同じ傷。傷のある顔が、以前より少しだけ険しく見えるのは、本人のせいか、見る側のせいか。

 

「兄貴」とドズルが言った。 「もう戻れる」

 

「戻れても今すぐ前へ出るな」

 

「動けるって言ってんだ」

 

「聞いている。だが、聞いたからといって、その通りにするとは限らん」

 

ドズルは不満そうに鼻を鳴らした。 「嫌な言い方だな」

 

「正しい言い方だ」

 

「その正しさが嫌いだ」

 

私は椅子の背へ寄りかかった。 「現場の連中はどうだ」

 

ドズルは少し真顔になった。 「もう公国の軍として見てる。連邦の制服じゃなく、こっちの腕章を見て動いた」 そこで傷のある顔をわずかにしかめる。 「良いことばっかりかは知らん。だが、もう戻らんぞ、兄貴」

 

「戻す気はない」

 

「ならいい」

 

彼は部屋を見回し、広げられた報告書の山に気づいた。 「国ってのは、もう少し格好いいもんだと思ってた」

 

「格好いいのは宣言の日だけだ」

 

「残りは紙か」

 

「だいたいな」

 

ドズルは声を立てて笑った。笑うと顔の傷が少し引きつる。 「最悪だな」

 

「知っている」

 

「だが、その最悪さで回るなら、しばらくは我慢してやる」

 

それで会話は終わった。十分だった。ドズルは現場の顔になる。私は制度の顔になる。キシリアはその裏で刃の向きを選ぶ。役割として悪くない。

 

ドズルが去ったあと、今度はガルマが来た。丁寧に戸を叩き、きちんと背筋を伸ばして立っている。

 

「ギレン兄上」

 

「何だ」

 

「ズムシティの学校区から、許可へのお礼が届きました」 ガルマは薄い紙を差し出した。 「皆さま、旗を見て喜んでおられたそうです」

 

「そうか」

 

「それと……今日も、街では兄上方のお話をしておられました」

 

「どんな話だ」

 

ガルマは少し考えた。 「難しいことはわかりません。ですが、こわいお話ではなくて、守ったお話をしておられました」

 

私は弟を見た。 「そうか」

 

「はい」 ガルマはそれから少し迷い、 「本当に国になったのですね」 と言った。

 

「昨日もそのつもりで動いていた。名が追いついただけだ」

 

ガルマは完全には理解していない顔だった。それでいい。彼はズムシティの窓の外に新しい旗があることだけ知っていれば、今は十分だ。

 

日が傾く頃、フラナガン本人が来た。

 

招いたのではない。報告を出した以上、本人が出てくるのは予想していた。前世でもこの男は、欲しいものの匂いを嗅ぎつけると妙に足が速かった。

 

「首相閣下」とフラナガンは言った。 「事故時の少年ですが、一度、直接観察したい」

 

私は机上の報告書を閉じた。 「一度で済むか」

 

フラナガンは少しだけ笑った。 「済むなら、私の方が楽です」

 

キシリアは窓際にもたれたまま言った。 「その顔、嫌いだわ。面白い玩具を見つけた顔」

 

「玩具ではありません」とフラナガンは答えた。 「ただ、偏りがある。偏りのある人間は、時に世界の側の歪みを先に拾うことがあります」

 

「詩人だな」と私は言った。

 

「科学者です」

 

前世でこの男を使ったことがある。危険な相手だ。便利だが、便利さの分だけ人間の境目を薄くする。だからこそ、管理できるうちに首輪をつける必要がある。

 

「条件を出す」と私は言った。 「公にはするな。本人にも、家族にも、まだ特別扱いだと悟らせるな。観察は段階的に。報告は首相府とキシリア直通だ」

 

フラナガンは軽く顎を引いた。 「承知しました」

 

「承知だけで済ませるな」とキシリアが言う。 「その少年を壊したら、あなたから先に切るわよ」

 

フラナガンは一度だけ彼女を見た。 「覚えておきます」

 

それで十分だった。国家はできた。次は、その国家の中へ危険な未来をどう飼うかだ。

 

夜に入ると、首相府はようやく人の波が薄くなった。紙の束は減らない。ただ、机の端から床へ崩れそうだった山が、山としての輪郭を保ち始めただけだ。

 

最後に残ったのは、博士の再提出要求と、フラナガンの観察申請だった。私はそれを並べて見た。国はできた。だがここから先は、その中へ未来そのものを組み込む作業になる。

 

「博士の条件は、人事と四半期予算ですね」とセシリアが言った。

 

「そうだ」

 

「連邦への返答は、朝一番でよろしいですか」

 

「ギリアムの紙面を見てからだ」

 

「ズムシティ学校区の行列は」

 

「役所の前を塞ぐな」

 

少しだけ間が空いた。

 

「閣下」とセシリアが言った。

 

「何だ」

 

「本日、建国式典のあと、私が最初に見たのは祝賀ではなく請求書でした」

 

「そうだろうな」

 

「その時、少し安心しました」

 

「なぜだ」

 

「この国は、夢だけで作られてはいないとわかったからです。閣下も、その方が本来のお顔です」

 

私は少しだけ笑った。 「褒めているのか」

 

「半分は」

 

「残り半分は」

 

「手がかかるという意味です」

 

私はない眉をひそめた。 「お前は時々、驚くほど容赦がないな」

 

「閣下ほどではありません」

 

その返しが妙に可笑しかった。いつもと同じ実務の言葉なのに、声だけが少し近い。

 

「セシリア」と私は言った。

 

「はい」

 

「まだ博士のことを考えているのか」

 

「閣下ほどではありません」

 

「少しは考えているわけだ」

 

「少しは」 彼女は小さく笑った。 「ですが、今はそれほどでもありません」

 

私は視線を落とした。セシリアは枕に半ば頬を埋めたままこちらを見ていた。解いた髪が肩へ落ち、夜着の襟は少しだけ乱れている。部屋の隅へ追いやられたままの書類だけが、やけに遠かった。

 

「なら、何を考えている」と私は訊いた。

 

「閣下が、まだこちらを見てくださらないことを」

 

先にそう言ったのは、セシリアの方だった。

 

それがあまりにも静かで、あまりにも正しくて、私は少し遅れて笑った。

 

「国家は人を眠らせない」と私は言った。

 

「今は国家ではなく、閣下が原因です」

 

その返しに、今度ははっきり笑った。

 

「では、議題を変えるか」

 

「やっとですか」

 

「遅いと言うな」

 

「少しだけ」

 

私は彼女の顎を指先で持ち上げた。 「もう一度だ」

 

セシリアはかすかに笑った。 「今度は決裁順を口にしないでくださいませ」

 

「善処する」

 

「それでは困ります」

 

「では、努力する」

 

「それも少し危ういですね」

 

そこで今度は、彼女の方から口づけてきた。短く、だがはっきりと。言葉よりずっとわかりやすい返答だった。

 

私は一度だけ、部屋の隅の卓を見た。博士の条件案も、フラナガンの報告書も、連邦への返答案も、そこにある。減っていない。だが逃げもしない。

 

今夜くらいは後回しでいい。

 

「閣下」とセシリアが小さく言った。

 

「何だ」

 

「二回目は、もう少しだけ首相府を休ませてください」

 

「努力する」

 

「信用しにくいお返事です」

 

「なら、行動で示す」

 

「はい」

 

その返事は、さっきより少し甘かった。

 

私は彼女の腰を引き寄せた。セシリアは一瞬だけ息をのみ、それから今度は逃げなかった。むしろ肩へ手を回し、さっきまでの事務的な声とは別の温度で、こちらへ寄った。

 

ズムシティの人工夜は静かに回っていた。新しい国旗はまだ高く、部屋の隅では紙の上の明日が待っている。それでも、その夜だけは、国家より先に、二人分の熱の方が正しかった。

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