妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第33話 拾われた居場所

 

朝いちばんに軍務府へ呼ばれた時、レオンは自分が何を着ていけば正解なのか、最後までわからなかった。

 

第三ブロック復旧班の作業着ではおかしい。だからといって、昨日のままの普段着で行くのも違う気がする。結局、いちばん傷みの少ない上着を選んでズムシティの軍務府へ出向いたのだが、入口の衛兵に名を告げたところで、すぐ横から太い声が飛んだ。

 

「おい、そいつだ。通せ」

 

ドズル・ザビだった。

 

傷の残る顔に朝の光が斜めにかかっている。肩の包帯はまだ完全には取れていないが、立っているだけで周囲の空気が少し引き締まる。昨日、港湾区で暴れた本人とは思えないほど平然としていた。

 

「来たか、レオン」

 

「は、はい」

 

「その格好じゃ駄目だ」

 

レオンは思わず自分の上着を見た。 「やっぱり、そうですよね」

 

「いや、そういう意味じゃない」 ドズルは顎で奥を示した。 「そのままだと、お前が俺の従卒だと誰にもわからん」

 

わかったような、わからないような話だった。

 

軍務府の被服室で支給された制服は、レオンの身体に微妙に合っていなかった。肩が少し余り、袖がわずかに長い。鏡の前で袖を引っ張っていると、後ろで見ていたドズルが言った。

 

「まあいい。最初は皆そんなもんだ」

 

「皆、こんなに似合わないものなんですか」

 

「俺は似合ってた」

 

即答だった。

 

被服係の老軍曹が、堪えきれないように咳払いをした。 「閣下は最初から閣下でしたからな」

 

「おう」 ドズルは満足げに頷いた。 「聞いたか」

 

レオンは曖昧に頷いた。聞いたところで参考にはならない。

 

軍曹はレオンの襟元を直しながら、小さな声で言った。 「いいか、坊主。従卒は飾りじゃない。閣下の忘れ物を覚え、靴音を覚え、機嫌を覚える。いちばん近くにいて、いちばん余計なことを言わない役目だ」

 

「はい」

 

「それと、閣下は飯を抜く」 軍曹はさらに声を落とした。 「だから、お前が食わせろ」

 

レオンは思わず聞き返した。 「僕が、ですか」

 

「お前しかいないだろう」

 

その理屈はまだよくわからなかったが、老軍曹の顔は真剣だった。従卒という仕事が何かは曖昧でも、それが思ったよりもややこしいことだけはわかった。

 

軍務府の執務室へ入ると、ドズルは机の前に座るより先に、菓子を齧りながら書類を見ていた。朝からである。

 

「閣下、それ朝食ですか」と軍曹が呆れたように言う。

 

「朝食だ」

 

「菓子ではありませんか」

 

「腹に入れば同じだ」

 

そこへレオンが立ったままだと、ドズルは眉のない兄ではなく、ちゃんと眉のある弟らしい苛立ち方で言った。 「何突っ立ってる。座れ」

 

「従卒って、座っていいんですか」

 

「腹が減って倒れられる方が困る」 ドズルは向かいの椅子を足で引いた。 「軍曹、こいつにも何か食わせろ」

 

軍曹は苦笑して去っていった。

 

レオンはそっと座り、机の上の書類に目を落とさないようにした。見てはいけない気がしたからだ。だがドズルはそんなことを気にしない。

 

「見るなら見ろ。どうせお前にはまだ半分もわからん」

 

「はい」

 

「ただし、落とすな。飲み物をこぼすな。勝手に並べ替えるな」

 

「はい」

 

「呼ばれたら返事しろ」

 

「はい」

 

「それから」 ドズルは菓子を一つ口に放り込み、少し考えた。 「俺が“おい”と言ったら、お前のことだと思え」

 

レオンは一瞬だけ黙った。 「軍務府の中で、ですか」

 

「俺の前ではだいたいそうだ」

 

それは従卒の心得というより雑な省略だったが、ドズルらしいといえばらしかった。

 

やがて軍曹が食事盆を持って戻ってきた。スープ、パン、薄い卵料理。軍務府の朝食としては悪くない。ドズルの前にも同じ盆が置かれたが、本人は菓子の袋を離そうとしない。

 

軍曹が無言で袋を取り上げた。

 

「おい」

 

「閣下、まずこちらを」 軍曹は平然としている。 「従卒に教えるなら、ご自分が手本をお示しください」

 

レオンは思わず吹き出しそうになったが、慌てて堪えた。ドズルは不機嫌そうにスプーンを取った。だが本当に腹は減っていたのだろう。一口食べると、それ以上文句は言わなかった。

 

この軍務府では、ドズルに物を言える人間が少数だけいる。そのうちの一人が、たぶん今の老軍曹だった。

 

朝食のあと、レオンは従卒としての最初の仕事をいくつか教わった。とはいっても、教える側がドズルなので整然とはしていない。

 

「この箱は持てるか」 「持てます」 「じゃあ持て」

 

「この書類は誰に渡すんですか」 「俺が言う相手だ」

 

「順番は」 「急いでる方からだ」

 

何ひとつ教本になりそうもない。だが、そばで見ていた軍曹が合間にちゃんと補ってくれたので、なんとか形にはなった。

 

午前の終わり近く、一本の内線が入った。

 

セシリアだった。

 

ドズルが受話器を取る。 「何だ」

 

少しだけ間があったあと、あからさまに嫌そうな顔になる。 「今日か」

 

レオンはその横顔を見た。いまのは書類に向ける不機嫌さではない。相手に向ける不機嫌さだ。

 

「わかった。だが長くは貸さん」 そう言って受話器を置く。

 

「何かあったんですか」とレオンが訊くと、ドズルは椅子にもたれた。 「お前と妹の診断だ」

 

レオンは瞬きをした。 「今日、ですか」

 

「今日だ」

 

「でも、僕、従卒で……」

 

「だから嫌なんだ」 ドズルは露骨に顔をしかめる。 「せっかく拾ったばかりなのに、もう持っていこうとしやがる」

 

誰が、とは言わない。言わなくてもわかった。フラナガン機関だ。

 

レオンは喉の奥が少し乾いた。自分のことより、妹のことが気になった。昨日の港湾区で、あの男は当然のように妹の年を聞いた。あの澄んだ目が、妙に嫌だった。

 

「妹を呼びに行っていいですか」

 

「行け」 ドズルは即答した。 「車を出す。終わったらそのまま戻れ。今日からお前は俺のところの人間だ。そこは変わらん」

 

その言い方が、レオンには少しだけ救いになった。

 

妹の名は、リーゼ・マイヤールという。

 

四つ下で、兄より背が低く、髪はいつも一つに束ねている。目は兄よりきつい。怒っているわけではない。もともと、他人の言葉をそのまま信じない目をしている。黙っていると大人しい子に見えるが、わからないことをわからないままにしておく性格ではなかった。

 

ズムシティ南区の小さな居住区画で、リーゼは学校から戻ったばかりだった。レオンが軍務府の車で迎えに来たのを見るなり、玄関先で口を開く。

 

「似合ってない」

 

それが第一声だった。

 

レオンは眉を下げた。 「お前まで言うのか」

 

「だって、本当に似合ってないもの」 リーゼは兄の肩の余った制服を見て続ける。 「借り物みたい」

 

「借り物みたいじゃなくて、支給品だ」

 

「もっと悪い」

 

玄関の奥から母が心配そうに顔を出したが、リーゼはその前に靴を履き直していた。話が早い。

 

「本当に行かなきゃ駄目なの」とリーゼが訊く。

 

「診断だけだって」 レオンはそう答えたが、自分でもその言葉をあまり信じていなかった。

 

リーゼは兄の顔を見て、すぐにそれを読んだらしい。 「お兄ちゃんも信じてないね」

 

「……ちょっとはな」

 

「ちょっとだけ?」

 

レオンは返事に困った。

 

車の中で、リーゼは窓の外を見ていた。ズムシティの人工空の光が流れ、建国以来増えた旗が所々で揺れている。

 

「軍務府はどうだった」と彼女が急に訊いた。

 

「忙しかった」

 

「そうじゃなくて」 リーゼは肩をすくめる。 「怖かったか、怖くなかったか」

 

レオンは少し考えた。 「怖くはなかった」

 

「へえ」

 

「変だった」 レオンは正直に言う。 「でも、変なまま座ってていい場所だった」

 

リーゼは少し黙ったあと、兄の横顔を見た。 「それ、たぶん、居場所って言うんだよ」

 

レオンは何も返さなかった。返せなかった、という方が正しい。自分の中で、まだ言葉になっていなかったものを先に言われた気がした。

 

フラナガン機関は、表向きには事故後の診断や特殊適性の研究を扱う機関になっていた。名前だけ見れば地味だ。だが中へ入ると、地味な施設ほど嫌なものだとすぐにわかる。白い壁、静かな廊下、消毒の匂い、規則正しく並んだ機器。人のために作られているようで、人を現象に変えるための部屋ばかりだった。

 

受付の職員は親切だったが、その親切さが余計に嫌だった。

 

「こちらへどうぞ」

 

リーゼは兄の袖を少しだけ掴んだ。 「やっぱり嫌」

 

「診断だけだ」

 

「うん。わかってる」 わかっていると言う声が、全然納得していない時のそれだった。

 

フラナガンは最初、二人の前にすぐには現れなかった。先に基礎測定だけが行われた。脈拍、反応、視線、音刺激への反応。診断というより、じっと見られている感じが強い。

 

リーゼは三分で嫌気が差したらしい。

 

「これ、あとどれくらいですか」

 

若い研究員が困ったように笑う。 「もう少しです」

 

「“もう少し”って便利ですね」 リーゼは真顔で言った。 「大人が、終わりを言いたくない時に使う言葉です」

 

研究員は返答に困った。レオンも困ったが、少しだけ可笑しかった。

 

その時、外の廊下が急に騒がしくなった。重い足音が近づいてくる。研究所の静けさに似合わない足音だった。

 

ドズルだ、とわかった。

 

扉が開くなり、ドズルは部屋を見渡した。 「まだ終わらんのか」

 

研究員が慌てて立ち上がる。 「閣下、検査の途中でして」

 

「途中でも長い」 ドズルはレオンを見た。 「お前、飯は食ったか」

 

その質問がこの場にふさわしいかどうかは、たぶん本人には関係なかった。

 

「食べました」とレオンが答える。

 

「妹は」

 

リーゼが小さく手を挙げる。 「まだです」

 

ドズルはない眉をひそめるギレンと違って、きちんと眉を寄せた。 「何でだ」

 

「学校からそのままだったので」

 

「先に食わせろ」 ドズルは部屋の誰ともなく言った。 「子供を空腹のまま椅子に座らせるな」

 

たぶん研究所の手順には、そんなことは書かれていない。だからこそ、部屋の空気が少しだけおかしくなった。

 

リーゼはドズルの顔の傷をじっと見ていた。遠慮のない見方だったが、怯えてはいなかった。

 

「痛いですか」とは言わない。 代わりに彼女は言った。 「怒ってる顔でも、それで少し柔らかく見えますね」

 

部屋が静かになった。

 

レオンは息を呑んだ。研究員も固まった。

 

ドズルだけが、数秒遅れて「何だそりゃ」と言った。

 

リーゼは肩をすくめる。 「ほんとです」

 

「お前、変なこと言うな」

 

「よく言われます」

 

そこで初めて、ドズルが笑った。短く鼻で笑う程度だったが、この無菌じみた部屋にはそれで十分だった。

 

「悪くねえ」

 

その一言で、研究所の中の空気に、軍務府の雑な温度が少しだけ混じった。

 

しばらくして、ようやくフラナガンが現れた。白衣でも軍服でもない、あの男らしい曖昧な服だ。整っているが、安心感のない整い方をしている。

 

彼はまずレオンを見た。次にリーゼを見る。家族としてではなく、比較対象として見る目だった。

 

「待たせました」とフラナガンは言った。 「今日は診断までです。痛みはありません」

 

リーゼがすぐに返した。 「痛くないことと、嫌じゃないことは別です」

 

フラナガンは少しだけ黙った。 「その通りです」

 

この男は、子供相手でも慰めようとしない。そこが逆に不気味だった。

 

検査は続いた。兄の時と同じ問いが、妹には微妙に変わる。

 

「人混みは平気ですか」 「好きじゃないです」

 

「大きな音は」 「急なのは嫌いです」

 

「誰かが怒っていると、部屋に入る前にわかることがある?」 リーゼは少しだけ考えた。 「あります」

 

「どうやって?」

 

「わかりません」 彼女は率直に言った。 「でも、壁の向こうが少し重くなる感じがします」

 

フラナガンは何も言わず、数値だけを記録する。レオンはその横顔を見ていた。あの男が興味を持った時の静けさは、慣れない人間にとってはかなり怖い。

 

一通りが終わる頃には、レオンもリーゼもだいぶ疲れていた。研究所という場所は、何もされなくても疲れる。

 

フラナガンは最後に紙を閉じた。 「本日はここまでです」

 

リーゼは即座に言う。 「もう来なくていいですか」

 

研究員たちが息を止めた気がした。

 

フラナガンは平坦に答える。 「必要があれば来てもらいます」

 

「必要って誰にですか」

 

「こちらに」

 

「それ、あまり好きじゃないです」

 

「でしょうね」

 

そこでようやく、ドズルが口を挟んだ。 「おい」

 

フラナガンが顔を向ける。

 

「こいつは今日から俺の従卒だ。勝手に呼ぶな。次に来させるなら、先に俺へ言え」

 

「承知しました」

 

「それと、妹まで勝手に広げるな」

 

フラナガンは一拍置いてから言った。 「記録と診断までです」

 

「その先は」

 

「まだ上げません」

 

そこで初めて、ドズルはわずかに満足した顔になった。 「ならいい」

 

“ならいい”で済ませるには十分に怪しい相手なのだが、ドズルの基準はそういうところで単純だった。

 

研究所を出たあと、ドズルは兄妹をそのまま軍務府の食堂へ連れて行った。レオンは従卒になった初日から振り回されっぱなしだが、リーゼはむしろ少し安心した顔になっていた。白い部屋より、騒がしい食堂の方が人間らしい。

 

「で」とドズルが汁物の器を置きながら言う。 「お前の妹は、口が達者だな」

 

「よく言われます」とリーゼが先に答えた。

 

「お兄ちゃんは、もう少し遅れて言います」

 

レオンは黙った。否定できない。

 

ドズルは笑う。 「似てねえな」

 

「似てるところもあります」 リーゼはパンをちぎりながら言う。 「嫌なものを嫌だと思うところ」

 

「なるほど」 ドズルは少しだけ感心したように頷いた。 「それは大事だ」

 

食堂の片隅でそんな会話をしている間、軍務府の兵たちはちらちらとこちらを見ていた。傷のあるドズル・ザビ、その新しい従卒、その妹。奇妙な取り合わせだ。だが、奇妙なまま同じ卓で飯を食うと、それだけで少しまとまりができる。

 

食事のあと、リーゼを家まで送る途中、レオンは研究所のことをどう言えばいいか迷った。妹の方が先に言った。

 

「変なところだったね」

 

「うん」

 

「白すぎる」

 

「それは思った」

 

「あと、あの博士」 リーゼは少しだけ眉を寄せる。 「静かすぎる。しゃべってるのに、しゃべってないみたいだった」

 

レオンには、その言い方が妙に腑に落ちた。 「わかる」

 

「でも」 リーゼは兄の制服の袖を少しだけつまむ。 「お兄ちゃんは、そっちじゃない方が似合うかも」

 

「そっちじゃない方って」

 

「軍務府の方」 彼女は当然のように言う。 「今日、あそこにいた時のお兄ちゃんは、昨日よりちゃんと立ってた」

 

レオンは何も言わなかった。言えなかった。自分の中でまだ形になっていないものを、また先に言われた気がした。

 

夜、首相府には二枚の報告が上がってきた。

 

一枚はフラナガン機関の基礎診断結果。レオンには危機察知型の高値。リーゼには別方向の受容傾向。兄妹で型が異なる。もう一枚は、ドズルの従卒任命書類だった。こちらの方がよほど人間的に見えた。

 

私は二枚を並べて見た。

 

セシリアが最後の決裁束を置く。 「本日の残りは、この三件です」

 

「そうか」

 

「妹の件は」

 

私は紙から目を上げた。 「先に記録を揃えろ。診断までは通す。だが、実験には上げるな。順番を間違えるな」

 

「承知しました」

 

「レオンは」

 

「軍務府に戻した方が安定するかと」

 

私はない眉をひそめた。 「お前もそう見るか」

 

「はい。研究所より、居場所のある方が壊れにくいと思います」

 

たしかにそうだった。従卒というのは雑な抜擢だ。だが雑な分だけ強い。肩書きより先に、少年一人へ居場所を与える。ドズルらしいやり方だった。

 

窓の外では、ズムシティの人工夜が静かに回っていた。国はできた。技術も、人も、拾い始めた。だが拾ったものは、どこへ置くかで先が変わる。

 

私は机の上の二枚をもう一度見た。

 

数字にされた兄妹と、居場所を与えられた少年。

まだどちらも途中だ。

途中であるうちは、こちらの手で順番を決められる。

それが国家というものだ。

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