妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第34話 醜い巨人

 

軍務府の朝は、配膳車の音より先に怒鳴り声で始まる。

 

レオンがそれを知ったのは、従卒になって二日目のことだった。

 

支給された制服はまだ身体に馴染まない。肩は少し余り、袖はわずかに長い。革靴も硬い。歩くたびに、まだ自分の足ではなく、誰かの都合で前へ出されているような感覚があった。

 

そんな格好で廊下を急いでいたところへ、後ろから襟を摘まれた。

 

「走るな、坊主」

 

老軍曹だった。皺の深い顔に、朝の光が斜めにかかっている。

 

「従卒ってのはな、主人が急いでる時ほど、まわりには静かに見せる役だ。お前が慌てると、閣下まで慌てて見える」

 

「すみません」

 

「謝る前に覚えろ」 軍曹は二本指で襟元を整えた。 「今日は極秘区画だ。見たものを顔に出すな。口を開くのは、呼ばれた時と、どうしても開かなきゃならん時だけだ」

 

「はい」

 

「それと」 軍曹はレオンの胸元を一度叩いた。 「今日は荷物持ちだけじゃ済まんぞ」

 

「え」

 

「閣下が顎をしゃくった時に、次に何が要るか、先に動けってことだ」

 

「それ、かなり難しくないですか」

 

「だから従卒なんだ」

 

何一つ楽にはならない説明だった。

 

ドズルの執務室へ入ると、本人はすでに立っていた。机の上には厚手の手袋、工具箱、端末板、それから包み紙を開いたままの携帯食が並んでいる。今日は朝から現場らしい。

 

「来たか」とドズルが言った。 「腹には入れたな」

 

「はい」

 

「よし。じゃあ行くぞ」

 

「どちらへですか」

 

「見りゃわかる」

 

それで済ませるのがドズルだった。

 

車は軍務府の正門ではなく、横の搬入口から出た。ズムシティ中心部を抜けるまで、街にはまだ建国の旗が残っている。中央広場の上で赤が揺れ、告知板には新しい紋章が貼られていた。だが工業区画へ近づくほど、そういうものは急に役に立たない飾りに見えてくる。代わりに増えるのは、倉庫、搬送路、配管、古い隔壁の継ぎ目だ。ここでは旗より認証、演説より電源の方が重い。

 

「閣下」とレオンは思い切って訊いた。 「今日は本当に何を見に行くんですか」

 

ドズルは窓の外から目を離さずに答えた。 「でかくて、まだ出来損ないのやつだ」

 

「比喩ですか」

 

「本物だ」

 

その答えは、試験区画の巨大な扉が開いた瞬間に理解した。

 

そこに立っていたものは、人の形を借りた作業機械だった。

 

人型ではある。だが均整はない。胸は厚く、腕は長く、脚は重い。足裏は靴というより着陸具に近い。何より異様なのは背中だった。まだ小型炉が間に合わないせいで、後部に巨大な動力・推進ユニットが丸ごと張りついている。箱と管と噴射口の塊が、まるで倉庫をそのまま背負わせたように飛び出していた。

 

不格好だ、とレオンは思った。 だが同時に、そこから目を離しづらかった。

 

「何だこりゃ」

 

その声はレオンのものではなかった。

 

架台の前に立っていた浅黒い男――ランバ・ラルが、遠慮なくそう言ったのだ。長い手足、しなやかな立ち方、片目だけ細める癖。横には三人。体格も顔も違うのに、並ぶと妙にひとまとまりに見える。ガイア、オルテガ、マッシュ。まだ“英雄”より“腕の立つ荒くれ”の匂いが強い頃の黒い三連星だった。

 

「兵器というより、工廠の寝不足だな」とラルが言う。

 

「背中に荷物を積みすぎだ」とガイア。

 

「曲がるたびに後ろが怒りそうだ」とオルテガ。

 

「転んだら俺は起こさんぞ」とマッシュ。

 

場内に小さく笑いが走る。技術者たちは笑っていない。笑えないのだろう。

 

ドズルは胸を張った。 「口は動くようだな。だったら次は、こいつを動かしてみろ」

 

ラルが肩をすくめる。 「動くなら、いくらでも」

 

その時、別の靴音がした。

 

ギレンだった。護衛は最小限。セシリアがその後ろにいる。兄は入ってきてすぐ機体を見上げた。今日が初めての実見だ。記憶の中にある洗練された完成形とは似ても似つかない。だが粗いからこそ、ここから先に残すべきものと、切り落とすべき寄り道がはっきり見えた。

 

試験主任が近づき、端末板を差し出す。 「本日の試験項目です」

 

兄は受け取り、目を通した。歩行、把持、旋回、片脚荷重、高速姿勢転換、緊急後退噴射、簡易格闘動作。

 

読んだあと、無言で赤鉛筆を取った。

 

「何を」と主任が訊く間もなく、三項目に線が引かれる。

 

片脚荷重。 高速姿勢転換。 緊急後退噴射。

 

場内の空気がざわついた。ドズルが眉を上げる。

 

「待て、兄貴」 ドズルが端末を覗き込む。 「今日は全部やるつもりで組んだ」

 

「やるな」

 

「現物を見たばかりで削るのか」

 

「現物を見たから削る」 兄は端末を閉じた。 「今日取るべきなのは、人型で作業精度が出るかどうかだ。派手な失敗記録じゃない」

 

主任が反論する。 「しかし、限界値は早めに――」

 

「この背中で片脚荷重を取っても、得られるのは支持板の悲鳴だけだ」 兄の声は冷たい。 「高速姿勢転換は背部ユニットが本体と喧嘩する。緊急後退噴射は、うまくいっても次の改良に繋がる情報が薄い」 ない眉を寄せる。 「失敗にも値段がある。今日は高すぎる」

 

ドズルは黙って兄を見た。気に食わない。だが無視もしきれない顔だ。

 

「机の理屈だな」とドズルは言った。

 

「そうだ」 兄は一歩も引かない。 「だが当たれば、そっちは一年早くなる」

 

その“一年”という言い方が、現場の人間には妙に響いたらしい。技術者たちが黙る。ラルだけが面白そうに口角を上げた。

 

「嫌いじゃありませんな、その削り方」とラルが言う。 「当たるなら、ですが」

 

「当てるために来た」

 

それで決まった。今日は歩行、把持、低速旋回、姿勢維持、短距離移動だけを取る。派手な項目は次へ送られた。

 

レオンは少しだけ息をついた。半分も理解していない。だが、危ない寄り道を先に切ったのだということだけはわかった。

 

最初の搭乗はラルだった。

 

昇降機で胸部ハッチへ上がり、振り返りもせず中へ入る。整備員が外装を閉め、各部の表示灯が順に点く。背部ユニットから低い唸りが立ち、床まで微かに震えた。

 

「起動」

 

主任の声とともに、巨人の肩が持ち上がる。腕が動き、脚が立ち、上体がゆっくり前へ出る。鈍い。だが、確かに人型の順番で動いている。

 

スピーカーからラルの声が響いた。 「正面は思ったより素直ですな」

 

「正面は?」と主任が訊く。

 

「背中がまだ他人行儀だ」

 

短いが十分な表現だった。補助旋回へ入ると、たしかに背中の箱が半拍遅れて別の重さとしてついてくる。

 

歩行、停止、把持。巨大な手がコンテナ把持具を壊さずに持ち上げる。指の動きは予想以上に繊細だった。ドズルの顔が少しだけ明るくなる。

 

「悪くねえ」とドズルが低く言った。

 

兄はその横で、機体の腕を見ていた。速く動くことより先に、腕が命令どおり働くか。人型が人型である価値は、そこからしか始まらない。そこを外すと、あとで全部が遠回りになる。

 

「腕は残せる」と兄が言った。 「今のうちに関節精度を詰めろ。余計な欲で荒らすな」

 

主任が急いでメモを取る。

 

二巡目はガイアだった。軽口の多い男だが、ハッチが閉まる頃には声の調子が変わる。

 

「おい木偶の坊」 通信越しに言う。 「俺に恥をかかせるなよ」

 

低速旋回、姿勢維持、左腕の把持、短距離移動。そこまでは予定通りだった。

 

レオンの喉が、そこで急に狭くなった。

 

港湾区で感じたのと同じだった。痛いわけではない。息が止まるのとも違う。ただ、空気がそこを通るのを嫌がるような感覚だけが来る。

 

「閣下」

 

自分でも驚くほど、小さい声だった。だがドズルは振り向いた。

 

「何だ」

 

レオンは機体の背中を見た。 「右、です」

 

「背中か」

 

「……たぶん」

 

兄の目が映像へ向く。 「右支持部を拡大しろ」

 

セシリアが即座に切り替える。映像の右背部支持フレームに、肉眼ではわからない程度の細い振れが出ている。振れ方が良くない。

 

「止める」と兄が言った。

 

主任が口を開きかける前に、ドズルが怒鳴った。 「試験中断!」

 

ガイアが操縦桿を戻す。だが一拍遅い。右支持部から高い金属音が鳴り、補助噴射が一瞬乱れた。巨人の上体が右へ振られる。けれど今日は、高速姿勢転換も片脚荷重もやっていない。だから崩れ方が浅い。左腕が試験架台へ軽く触れ、火花が散る程度で済んだ。

 

非常停止。唸りが落ちる。

 

場内が静まり返る。

 

ラルが先に息を吐いた。 「なるほど。切った三つの意味がよくわかる」

 

技術者たちは機体へ群がる。背部右側の支持板、接続フレーム、噴射ノズル、固定ボルト。すぐに整備兵が叫ぶ。

 

「右支持板に亀裂!」 別の声が重なる。 「固定ボルトの噛み込みが浅い! 振動でずれた!」

 

ドズルはそこでようやく兄へ顔を向けた。 「……当てたな」

 

「半分だ」 兄は機体の背中を見たまま言う。 「残り半分まで当てるには、次の順番も守れ」

 

「嫌な兄貴だ」

 

「知っている」

 

それで十分だった。

 

ラルが機体から降りてきて、煤を指先で払う。 「小僧」 彼はレオンを見た。 「また右だったな」

 

「見えたわけじゃありません」 レオンは困った。 「そこにいたくない感じがしただけで」

 

「それで止まるなら上等だ」 ラルはうなずいた。 「試験場じゃ、立派な説明はあとから来ることもある。先に来るのは、たいてい厄介な勘だ」

 

黒い三連星も寄ってきた。

 

「細い従卒」とガイアが言う。 「次も変だと思ったら、すぐ言え」

 

「黙ってると機械より人が壊れる」とオルテガ。

 

「機械は直せるが、人は面倒だ」とマッシュ。

 

勝手なことを言う。だが悪意はない。危ない現場をよく知る連中の喋り方だった。

 

ドズルはその輪を見てから、レオンへ向かって言った。 「お前の仕事は増えたな」

 

「仕事、ですか」

 

「俺の周りのもんを落とさないこと」 ドズルは指を一本立てる。 「それと、嫌な感じがしたら、変に遠慮せず口にすることだ」

 

「はい」

 

「それでいい」

 

今日のそれは、褒め言葉だとレオンにもわかった。

 

技術者たちが破損箇所を囲む中、兄はそこでようやく本題へ入った。

 

「支持板の材質だけ替えても無駄だ」 彼は主任へ向かって言う。 「補助噴射の応答だけ詰めても同じだ。この型で“速く動く”ことを先に追うな。まず、作業機として腕と胴の精度を完成させろ」

 

主任が息を飲む。 「しかし、兵装化を視野に入れるなら――」

 

「視野には入れる」 兄は冷たく言った。 「だが今追うな。推進と格闘を同時に欲張るから三年遅れる。まず一つずつ取れ」 少し間を置く。 「ここから先は一社で抱えるな。ジオニック、素材屋、冷却屋、推進屋、全部へ割れ。最短で行くなら縄張り争いは捨てろ」

 

ドズルが腕を組む。 「外へ出すのか」

 

「最終形を見せるわけじゃない」 兄は答えた。 「捨てるべき失敗を共有するだけだ。同じ穴へ順番に落ちる趣味はない」

 

それは、かつて一度見た遠回りへの苛立ちそのものだった。

 

ドズルはしばらく黙っていたが、やがて止まった巨人を見上げて言った。 「今日立ったのは事実だ」

 

「認める」 兄も視線を上げる。 「だから次へ進める。立ちもしない機械なら切ればいい。だが、歪でも立った。なら残す価値はある」

 

ラルがそこで小さく笑った。 「兄弟で褒め方が違いますな」

 

「兄貴は値段で褒める」とドズル。

 

「お前は情で褒める」と兄。

 

「現場はそっちで動く」

 

「開発はこっちで進む」

 

短いやり取りだったが、技術者たちは皆聞いていた。どちらが正しいかではない。どちらも必要なのだとわかる会話だった。

 

皆が散り始める頃、レオンは試験架台の下からもう一度巨人を見上げた。さっきまで動いていたものが、今はまた黙っている。背中の箱のせいで、よけいに不格好だ。けれど、あれが一歩を踏み出したのを見てしまうと、ただの鉄屑には見えなかった。

 

帰りの車の中で、ドズルは珍しく少し黙っていた。怒っているのではない。頭の中で、まださっきの巨人を立たせ直している顔だ。

 

やがて不意に言った。 「腹は減ったか」

 

「はい」

 

「よし。戻ったら食え」 ドズルは前を向いたまま続ける。 「今日は立ってるだけじゃなかった」

 

それで十分だった。褒めているのだと、今回はわかった。

 

ズムシティへ戻る頃には、人工夜が上から降りてきていた。中央広場の旗は暗がりの中でも赤だけは見える。軍務府の窓にも明かりが残っている。公国はまだ生まれたばかりで、動くものは何もかも少しずつ形を探っていた。

 

首相府へ戻った兄の机には、試験報告がすでに並んでいた。

 

初期人型作業機試験一号。 歩行、把持、低速旋回、短距離移動は成功。 背部大型動力ユニット由来の重心遅れ、および右支持部の応答不良あり。 高速機動試験は未実施。 結論、現段階で兵装化を急ぐべからず。 小型炉実装と多社共同研究を優先。

 

兄は最後の行だけを長く見た。

 

優先。 その順番を知っているというだけで、削れる失敗がある。 かつては、その順番を見誤るたびに、余計な時間と意地を払わされた。 だが今は違う。 不格好だ。 不格好だが、もう立っている。

 

セシリアが静かに水を置いた。 「本日の決裁は、あと二件です」

 

「言え」

 

「一つは工業区画。もう一つは木星船団の積載変更です」

 

「試験結果は技術部へ回したか」

 

「はい。ジオニック社はあまり機嫌がよくありません」

 

「よろしい」 兄は紙を閉じた。 「機嫌のいい会社は、だいたい改良を急がん」

 

セシリアは紙を整え、次の束を差し出した。

 

窓の外では、ズムシティの人工夜が静かに回っていた。今日立ったのは、まだ兵器ではない。背に箱を背負った、粗い巨人にすぎない。だが、粗いまま立てるものは、そのうち別の顔になる。

 

兄は試験報告へもう一度目を落とした。

 

次は炉だ。 炉が入れば、あれはもう別の機械になる。 別の機械になれば、別の戦いが始まる。

 

そこへ至るまでに捨てるべき寄り道は、もう知っていた。

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