妹に撃たれない方法   作:Brooks

37 / 226
第37話 地の底の継ぎ目

 

軍務府で扱う地図は、大きくなるほど嘘くさく見える。

 

壁へ広げられた地球図を見上げながら、レオンはそう思った。海は青く、大陸は緑と茶で塗り分けられ、山脈も河川も、まるで最初からそこへ線を引くためにあったみたいに整っている。だが実際には、その上で人が汗を流し、機械が土を掘り、金が動き、書類が回り、何年もかけて一つの穴が都市になる。

 

今日は、そういう話だった。

 

レオンが記録箱を抱えて会議室へ入ると、ドズルはもう席についていた。机の向こうにいるのは兄貴――ではなく、いまの部屋では「首相閣下」と呼ばれる男だが、ドズルにとってはどう呼び名が増えても兄貴は兄貴のままだ。ギレンの前には、薄い灰色の書類束が三つ。どれも社名と契約番号ばかりで、ぱっと見では何の話かわからない。

 

老軍曹がレオンの耳元で小さく言った。 「今日は余計な顔をするなよ」

 

「大丈夫です」

 

「その返事をする日は、だいたい大丈夫じゃない」

 

レオンは言い返さなかった。言い返すとたいてい老軍曹の方が正しい。

 

ギレンが書類の一つを押し出した。 「工業区画の方から説明しろ」

 

向かいに座っていた工業局の担当官が一礼する。 「連邦地球軍系の大型地下基地建設案件について、サイド5資本の建設会社から宇宙作業用重機の導入打診が来ております」 咳払いをひとつ挟む。 「社名はテキサス建設。表向きは地下搬送、重量物吊り上げ、危険区画での遠隔作業補助。連邦側の下請けへ機材と技術者を入れたいとのことです」

 

ドズルが鼻を鳴らした。 「ようやく、機械の使い道らしい話が来たな」

 

ギレンは何も言わない。担当官が続ける。

 

「先方はサイド5資本です。契約交渉は中立圏の機械仲介商社と保険代理を通して行われます。表にサイド3の名は出ません」

 

そこでドズルが書類から顔を上げた。 「そこはいい。俺が知りたいのは別だ」 指で机を叩く。 「連邦の大型基地建設って、どの程度の規模だ」

 

担当官が一瞬だけ視線を泳がせた。そこでギレンが先に言った。 「地球側で進んでいる地下基地の拡張だ。かなり長い工事になる」 ない眉を寄せる。 「入口は深く、搬送は重く、危険区画も多い。作業機を売り込むには都合がいい」

 

ドズルはそれで十分だと思ったらしい。 「土木屋が欲しがるのもわかる」 書類をめくる。 「武装は外す。塗装も変える。作業機の顔で出す。整備と教育はこっちの指定人員だ。勝手な改造はさせん」

 

「当然だ」とギレン。

 

ドズルはさらに続ける。 「機体は二機。壊れても泣かないで済む程度には、まだ粗い方を持っていく。現場で使ってもらう以上、泥はかぶる。だが、泥で壊れるようじゃ困る」 そこで初めて少しだけ笑った。 「うちの出来損ないが、連邦の土木屋に働かされるのも悪くない」

 

レオンは横で聞いていて、半分しかわからなかった。だが、ドズルがこの話を嫌っていないことだけはわかった。機械が働く場所の話なら、あの人は真面目に聞く。

 

ギレンは静かに言った。 「お前が知るべきことはそれで足りる」

 

ドズルが兄を見た。 「また半分か」

 

「お前には半分で十分だ」 ギレンは紙を返しながら言う。 「残り半分は、喋らなくていい人間に持たせる」

 

「言うなあ」 ドズルは椅子へ深くもたれた。 「俺が喋るみたいじゃないか」

 

老軍曹が後ろで小さく言った。 「喋りますからな」

 

ドズルは振り向きもせず言う。 「聞こえてるぞ」

 

「聞こえるように申しました」

 

その一往復で、部屋の空気が少しだけ緩んだ。工業局の担当官は笑っていいのか迷っていたが、ギレンは構わず次の書類へ移った。

 

会議は短く終わった。表向きの話はそれだけで足りる。土木会社へ作業機を入れる。整備員と訓練担当をつける。契約線にサイド3の色を出さない。必要なのは、その程度の言葉だけだ。

 

だが本当に始まるのは、その後だった。

 

ドズルが立ち上がる。 「工業区画の連中には俺から話す。機体の選別もする」 兄を見て言う。 「ただし、連邦の穴掘りに貸してやる機械でも、うちの面子は潰させん」

 

「潰れんように作れ」

 

「最初からそう言ってる」

 

ドズルはそこで踵を返した。レオンは反射的について行こうとしたが、ギレンの声が止めた。

 

「レオン」

 

レオンは振り返る。 「はい」

 

「お前は残れ」

 

ドズルが一瞬だけ目を細めたが、何も言わなかった。兄貴がそう言う時の意味を、あの人もわかっている。知るべきでない話がここから始まる。従卒を一人残すのは、雑用のためでもあるし、残しても口を割らぬと判断したからでもある。

 

ドズルが出ていく。工業局の担当官も退室した。部屋に残ったのは、ギレン、キシリア、アサクラ、セシリア、そしてレオンだけだった。

 

窓の外ではズムシティの昼が明るい。だが机へ広げられた南米の地図だけは、昼間でもどこか暗く見える。

 

キシリアが先に口を開いた。 「兄上は、やっぱりそこへ手を入れるのね」

 

「入れるというほど派手な話じゃない」 ギレンは地図へ手を置いた。 「まだ土の上に指を置くだけだ」

 

アサクラが別の書類束を差し出す。 「テキサス建設の地球側下請け一覧です。地上輸送、水処理、換気設備、仮設搬入口、掘削補助、保守教育。このうち三本が、連邦の大型地下基地建設案件へ深く絡んでいます」

 

レオンは息を呑みそうになったが、老軍曹の「顔に出すな」を思い出して堪えた。大型地下基地。さっきの“半分”の続きが、ここにある。

 

ギレンが言う。 「ジャブローだ」

 

レオンはその名を初めて聞いた。地名なのか、施設名なのかもわからない。ただ、その一語だけで部屋の空気がさらに冷えた気がした。

 

キシリアが腕を組む。 「完成まで何年もかかる穴ね」

 

「だからいい」 ギレンは答える。 「一度で深く入る必要がない。工事会社、保守、補給、教育。年単位で染み込ませればいい」

 

アサクラが頷く。 「最初の浸透班は少数で構いません。機材と一緒に整備員、保守員、訓練担当を滑り込ませます。目立つ諜報員ではなく、職人にしか見えない者を」

 

「図面を盗むな」とギレン。 「図面のそばへ立て」

 

アサクラの目がわずかに細くなる。意味を理解した顔だった。

 

キシリアが地図上の南米へ爪先ほどの指を置く。 「水路、換気、電力、搬入口。完成した時には、どこが継ぎ目になるか知っていたいわ」

 

「城壁は怠けない」 ギレンは短く言う。 「だが工事責任者は怠ける。年単位の工事ほど仮設は恒久設備の顔をする。そこが裂け目だ」

 

レオンには全部はわからない。だが、“大型基地へ重機を売る話”が、今や“その基地の壊れ方を覚える話”へ変わっていることだけはわかった。

 

セシリアが口を開いた。 「通信はどうされますか」

 

アサクラがすぐ答える。 「長文は使いません。週一回、南米上空へデブリに擬態した小型通信衛星を流します」

 

キシリアが笑わずに言う。 「宇宙ゴミの顔をした郵便屋ね」

 

「普段は受動状態です」 アサクラは淡々と続ける。 「対象区域が無人になる短い時間だけ起動し、位置情報と更新座標を数秒間だけ通知します。搬入口の変更、水路位置の修正、仮設路の更新、責任者交代――内容は点で十分です」

 

ギレンが一度だけ頷く。 「長く喋るな。喋るほど尻尾になる」

 

「はい」 アサクラは書類を閉じた。 「傍受されても意味が取れぬよう、単独ではただの位置列に見えるよう処理します」

 

レオンは、その話があまりにも静かに進むことに背筋が冷えた。巨大な基地の建設へ何年もかけて染み込み、デブリの顔をした衛星が週に一度だけ数秒喋る。派手さはない。だが、派手でないことの方が余計に怖かった。

 

キシリアがふとレオンを見た。 「怯えているのかしら」

 

レオンは一瞬だけ言葉に迷った。 「……驚いています」

 

「正直ね」

 

「怯えるなとは言わない」 ギレンがレオンへ向けて言った。 「だが、聞いたことを重くしすぎるな。重くすると、人は持ち方を間違える」

 

それはたぶん、励ましではない。扱い方の話だ。だがレオンには、その方がかえって信じられた。

 

会議はそれで終わった。

 

表向きの契約線は中立商社と保険代理を介して進む。テキサス建設の名義で機材を入れる。整備と教育の名目で人を入れる。サイド3の色は消す。ドズルには“連邦の大型地下基地建設”までしか知らせない。ジャブローの名と、長期浸透の本命を知るのはこの部屋の人間だけだ。

 

レオンが記録箱を閉じると、セシリアが言った。 「今日はここまでです」

 

「これを……全部覚えておくべきですか」とレオンは思わず訊いた。

 

セシリアは少しだけ考えてから答えた。 「覚えるより、順番を崩さないことです」

 

「順番」

 

「はい。誰がどこまで知ってよくて、どこから先は知らない方がいいか」 彼女は淡々と言う。 「政治も諜報も、だいたいそれでできています」

 

その説明は、レオンにも少しだけわかりやすかった。

 

軍務府へ戻ると、ドズルは工業区画の技師たちを相手に声を張っていた。さっきまで自分だけが知らなかった話があったことなど、露ほども知らない顔だ。

 

「土木屋だからって甘く見るなよ!」 ドズルの声が廊下まで響く。 「掘る場所が違うだけで、機械を壊す奴はどこにでもいる!」

 

技師の一人が小声で言う。 「閣下、それは連邦の技術者が雑だという意味で」

 

「そうだ」 ドズルは即答した。 「雑でなくても壊すならなお悪い」

 

部屋の隅で老軍曹がレオンへ小さく言った。 「戻ったな、坊主」

 

「はい」

 

「顔が少し大人になった」

 

「嫌な言い方ですね」

 

「いい言い方をすると、お前らはすぐ油断する」

 

レオンは苦笑した。たしかにそうかもしれない。

 

その日の夕方、工業区画の試験棟では、土木仕様へ落とした初期型モビルワーカーの外装確認が進んでいた。武装は完全に外し、関節保護と積載用の補助治具を追加している。背中の大型動力ユニットは相変わらず不格好だったが、土木機械として見ると、むしろ正しい不格好さに見えた。

 

ドズルが機体を見上げる。 「泥にまみれて帰ってきたら、やっと本物だな」

 

レオンが横から言う。 「壊れて帰ってきたらどうするんですか」

 

「直す」 ドズルは当然のように答える。 「壊れ方がわかる機械は、まだ育てられる」

 

それを聞いて、レオンは昼の会議を少しだけ思い出した。ジャブローのことは口にできない。だが、壊れ方を覚えるという言い方だけは、どこかで繋がっていた。

 

その夜、首相府の机には二種類の書類が並んだ。

 

一つは、テキサス建設向け試験機導入の正式契約案。 もう一つは、南米地下基地建設案件への長期浸透計画。

 

前者は表の国家の文書だ。後者は、まだ国家の名でも呼ばれない影の束だった。

 

セシリアが水を置く。 「本日の残りは、この二件です」

 

「テキサス建設側の反応は」

 

「良好です。機体そのものより、保守と教育の契約を重く見ています」 セシリアは端末板へ目を落とした。 「その方が自然かと」

 

「そうだな」 ギレンは短く答える。 「機械だけ欲しがる土木屋は、長く使う気がない」

 

「浸透計画の方は」

 

「急がなくていい」 ギレンは影の束へ手を置いた。 「完成に何年もかかる穴だ。こちらも何年もかけて染み込めばいい」

 

セシリアは一瞬だけ黙ったあと、言った。 「静かな仕事ほど、長く残りますね」

 

「派手な仕事は派手に死ぬ」 ギレンは南米の地図へ指を置く。 「残るのは、名前のつかない継ぎ目だ」

 

窓の外では、ズムシティの人工夜が静かに回っていた。木星へ向かった船は、もう見えない。だが、その一方で、地球の地の底へ向かう細い糸が、いま静かに結ばれようとしていた。

 

遠いものを取りに行く船。 近いものの中へ入り込む機械。 どちらも、国家の手だった。

 

ギレンは最後に地図をもう一度広げた。

 

要塞は壁で守られているのではない。 土と鉄と水と、人間の手癖で守られている。

 

ならば、その手癖の中へこちらの癖を混ぜてやればいい。

 

まだ、壊すには早い。 だが、壊れ方を覚えるにはちょうどいい時期だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。