「足りないんじゃない。足りてることになってるのが一番まずいんだ」
工区主任は、朝から三度目の問い合わせ票を机へ叩きつけた。
高出力ケーブルが来ない。 遮蔽材が遅れる。 採掘区の保守部材が一日寝る。 外殻建設区画へ回るはずの接続材が、搬出済みの印だけ押されて、現場には何も届かない。
工区は物が足りぬことには慣れている。だが、帳面の上では揃っているのに、現場へだけ来ない時は話が違う。どこかで順番を曲げられている、ということだからだ。
ドズルは問い合わせ票を一瞥して鼻を鳴らした。
「保管区画で寝た資材は、現場じゃ事故になる」
主任は言い返さなかった。言い返すまでもない顔だった。
工区だけではない。 新移民住区の最低限設備も、また後ろへ回りかけていた。給水用の補助配管が遅れる。仮設暖房の補修部品がいつまでも優先外のまま残る。採掘区では交換周期が一つずれれば、それだけで整備班の顔色が変わる。
どこも同じだった。 全部が足りぬのではない。 全部が、足りていることになっている。
首相府へ上がった報告は、その日のうちに机の上で薄い山を作った。
ギレンは一枚だけ読んで、残りを伏せた。
「広がったな」
セシリアが答える。
「問い合わせではなく、実害の手前です」
「工区は」
「次段試験線が今日一度止まりかけました。住区側は給水補助材の引当がまた後ろへ回りかけています」
キシリアが椅子の背へもたれたまま言った。
「噂を締めても済まないところまで来たわね」
「そうだ」
ギレンは短く言った。
連邦が外から少し締める。 投資筋が寄ってくる。 現場は急ぐ。 急ぐ場所には、順番を売る人間が出る。
キシリアが言う。
「引当の乱れなら、マ・クベに見せればいいわ」
当然のような口調だった。自分の見立てが最初から外れていないことを、わざわざ誇りもしない言い方だ。
ギレンはセシリアへ目をやる。
「呼べ」
マ・クベが入ってきた時、執務室の空気はすでに定まっていた。
彼はいつもどおり、靴先まで整っている。派手ではない。だが、物の置き方にうるさい人間だけが持つ静かな鋭さがあった。
キシリアは説明を省いた。
「引当が濁っているわ」
マ・クベはわずかに目を細める。
「それは、よろしいですな」
ドズルが眉を上げる。
「何がだ」
「濁りは見えますから」
マ・クベはそう答えた。
ギレンはそこへ余計な言葉を足さない。
「止めるな」
資材管理区画の臨時執務室には、白磁の壺が一つ置かれていた。
大きくはない。釉の色は薄く、口縁にだけわずかな揺らぎがある。補給や引当の話をする部屋には、いかにも場違いだった。
保税区画の管理官は、その壺を見て最初に少しだけ軽んじた顔をした。 こんな時に置物か、と。
マ・クベは気づいていたが、知らぬふりをした。
「票を全部出しなさい」
最初に出されたのは、住区建設用の引当票。 次に、次段試験線用の仮引当。 さらに、採掘区保守用の搬出指示。 どれも一枚で見れば整っている。数字も合う。署名もある。だからこそ質が悪い。
マ・クベは票を重ねた。 二枚、三枚、四枚。
「こちらは住区建設用の高出力ケーブルですな」
「はい」
「こちらは次段試験線用の同型番」
「ええ」
「こちらは採掘区保守向けの予備引当」
「そうです」
「では、なぜ同じロットが三つに座るのでしょう」
そこで、三人の顔がわずかに動いた。
保税区画の管理官。 引当責任者。 商会側の窓口担当。
「転記の誤りでして」
引当責任者が言った。
「誤りですか」
マ・クベは薄く笑った。
「結構。では、誤りであると認めるのですね」
相手は口を噤む。
「誤りなら、直せば済む。ですが、こちらの票には外部商会の保留印もある。ずいぶん丁寧な誤記ですな」
商会担当が割って入る。
「搬出タイミングの調整です」
「誰のための」
「工区全体のためです」
「違う」
マ・クベの声がそこで少しだけ冷えた。
「工区全体のためなら、住区建設用と試験線用と採掘区保守用へ、同じ部材を三度売りません」
管理官が硬い声を出す。
「売ったわけではない」
「では、何です」
「一時的な優先変更だ」
「誰の判断で」
「現場判断だ」
「君の現場は、どこです」
そこで初めて、管理官が言葉を探し始めた。
マ・クベは壺へ指先を軽く触れた。 澄んだ音が鳴る。
三人とも、その音に目を動かした。
「良い器は、叩くと澄みます」
マ・クベは票を見たまま言う。
「だが、混ぜ物があると濁る。君たちの帳面は、ひどく濁る」
「たかが順番でしょう」
最初に口を滑らせたのは、商会担当だった。
若い。 まだ、国の順番と自分の値札を同じものだと思っている顔だった。
「たかが」
マ・クベはそこで初めて視線を上げた。
「住区の水と、工区の保守と、小型炉の次段試験と、外殻建設の順番を売っておいて」
商会担当が何か言い返そうとした。 その前に、マ・クベが壺へ目をやって言う。
「君は器ではなく、値札を見た」
顔から血の気が引いた。
引当責任者が慌てて口を挟む。
「皆やっております!」
「そうでしょうな」
マ・クベはあっさり頷いた。
「だから君を切るのです」
「私だけでは――」
「皆がやることと、ここで許されることは違う」
保税区画の管理官が、そこでようやく椅子の肘掛けを強く握った。
「投資筋との関係を切れば、今度は資金が止まる」
「止まりません」
マ・クベは言う。
「止まるのは、君の保身でしょう」
「局の上も知っていた」
「結構」
「私だけではない!」
「それも結構」
マ・クベは票を一枚裏返した。
そこには監視記録の照合がついていた。搬出時刻。保管区画の入退記録。連邦系投資筋へ繋がる商会の保留要求。引当責任者が個別に回した優先変更票。全部が揃っている。
「君たちは物を動かしたのではありません」
マ・クベの声は細い。
「事故の順番を前へ出したのです」
保税区画の管理官は更迭。 引当責任者は拘束。 商会側は一時取引停止。 関連口座と保税搬出権は凍結。 投資筋に繋がる便宜の線は、キシリア側へ回された。
処分は内々では済まされなかった。資材管理系統の再編として、公表された。誰がどこで順番を曲げたかを全部晒す必要はない。だが、公国政府が自分で順番を握り直したことは見せておく必要がある。
工区では、それがすぐ効いた。
寝ていた高出力ケーブルが動く。 外殻建設の接続材が戻る。 新移民住区の給水補助材が、今度は本当に前へ出る。 採掘区の保守周期が一つ戻る。 次段試験の準備も止まらない。
ドズルは届いた資材の山を見て、ようやく不機嫌そうに満足した。
「だから言ったろ。保管区画で寝た物は、現場じゃ事故になる」
横のラルが低く言う。
「足りぬ物を争わせると、人は持ち場を忘れます」
「分かってる」
ドズルは腕を組む。
「だから順番が要るんだろうが」
「ええ。ただ、見せ方まで誤らぬ方がよい」
終わりに、マ・クベは首相府へ呼ばれた。
キシリアが先に座っている。 セシリアは少し離れて紙を整えていた。 ギレンは机上の報告を一通り読んでから、ようやく顔を上げる。
キシリアが言う。
「引当の乱れは、あれが早いわ」
当然のような口調だった。
ギレンはマ・クベを見た。
「見た」
長く褒めない。ただ、それで足りる。
「通常の系統とは別に立てる」
ギレンは短く言う。
「小型炉、工区増設、採掘区、外殻建設。ここへ直結する別枠だ」
キシリアが目を細める。
「特別引当系統ね」
「そうだ」
「人は」
ギレンの視線は動かない。
「そちらで選べ」
キシリアは小さく頷く。
「止めないでちょうだい」
「結果だけ合わせろ」
マ・クベの前へ、新しい引当印と最初の票が置かれる。
彼はそれを受け取り、机の端の白磁へほんの一瞬だけ目をやった。
「ようやく形になりますな」
外ではまだ工区の灯りが消えていない。 小型炉の次段試験も止まらない。 新移民住区の最低限設備も、今度は本当に前へ出る。
膨らみ始めた国に要るのは、勢いだけではない。 順番だった。