妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第44話 引当

 

「足りないんじゃない。足りてることになってるのが一番まずいんだ」

 

工区主任は、朝から三度目の問い合わせ票を机へ叩きつけた。

 

高出力ケーブルが来ない。 遮蔽材が遅れる。 採掘区の保守部材が一日寝る。 外殻建設区画へ回るはずの接続材が、搬出済みの印だけ押されて、現場には何も届かない。

 

工区は物が足りぬことには慣れている。だが、帳面の上では揃っているのに、現場へだけ来ない時は話が違う。どこかで順番を曲げられている、ということだからだ。

 

ドズルは問い合わせ票を一瞥して鼻を鳴らした。

 

「保管区画で寝た資材は、現場じゃ事故になる」

 

主任は言い返さなかった。言い返すまでもない顔だった。

 

工区だけではない。 新移民住区の最低限設備も、また後ろへ回りかけていた。給水用の補助配管が遅れる。仮設暖房の補修部品がいつまでも優先外のまま残る。採掘区では交換周期が一つずれれば、それだけで整備班の顔色が変わる。

 

どこも同じだった。 全部が足りぬのではない。 全部が、足りていることになっている。

 

首相府へ上がった報告は、その日のうちに机の上で薄い山を作った。

 

ギレンは一枚だけ読んで、残りを伏せた。

 

「広がったな」

 

セシリアが答える。

 

「問い合わせではなく、実害の手前です」

 

「工区は」

 

「次段試験線が今日一度止まりかけました。住区側は給水補助材の引当がまた後ろへ回りかけています」

 

キシリアが椅子の背へもたれたまま言った。

 

「噂を締めても済まないところまで来たわね」

 

「そうだ」

 

ギレンは短く言った。

 

連邦が外から少し締める。 投資筋が寄ってくる。 現場は急ぐ。 急ぐ場所には、順番を売る人間が出る。

 

キシリアが言う。

 

「引当の乱れなら、マ・クベに見せればいいわ」

 

当然のような口調だった。自分の見立てが最初から外れていないことを、わざわざ誇りもしない言い方だ。

 

ギレンはセシリアへ目をやる。

 

「呼べ」

 

マ・クベが入ってきた時、執務室の空気はすでに定まっていた。

 

彼はいつもどおり、靴先まで整っている。派手ではない。だが、物の置き方にうるさい人間だけが持つ静かな鋭さがあった。

 

キシリアは説明を省いた。

 

「引当が濁っているわ」

 

マ・クベはわずかに目を細める。

 

「それは、よろしいですな」

 

ドズルが眉を上げる。

 

「何がだ」

 

「濁りは見えますから」

 

マ・クベはそう答えた。

 

ギレンはそこへ余計な言葉を足さない。

 

「止めるな」

 

資材管理区画の臨時執務室には、白磁の壺が一つ置かれていた。

 

大きくはない。釉の色は薄く、口縁にだけわずかな揺らぎがある。補給や引当の話をする部屋には、いかにも場違いだった。

 

保税区画の管理官は、その壺を見て最初に少しだけ軽んじた顔をした。 こんな時に置物か、と。

 

マ・クベは気づいていたが、知らぬふりをした。

 

「票を全部出しなさい」

 

最初に出されたのは、住区建設用の引当票。 次に、次段試験線用の仮引当。 さらに、採掘区保守用の搬出指示。 どれも一枚で見れば整っている。数字も合う。署名もある。だからこそ質が悪い。

 

マ・クベは票を重ねた。 二枚、三枚、四枚。

 

「こちらは住区建設用の高出力ケーブルですな」

 

「はい」

 

「こちらは次段試験線用の同型番」

 

「ええ」

 

「こちらは採掘区保守向けの予備引当」

 

「そうです」

 

「では、なぜ同じロットが三つに座るのでしょう」

 

そこで、三人の顔がわずかに動いた。

 

保税区画の管理官。 引当責任者。 商会側の窓口担当。

 

「転記の誤りでして」

 

引当責任者が言った。

 

「誤りですか」

 

マ・クベは薄く笑った。

 

「結構。では、誤りであると認めるのですね」

 

相手は口を噤む。

 

「誤りなら、直せば済む。ですが、こちらの票には外部商会の保留印もある。ずいぶん丁寧な誤記ですな」

 

商会担当が割って入る。

 

「搬出タイミングの調整です」

 

「誰のための」

 

「工区全体のためです」

 

「違う」

 

マ・クベの声がそこで少しだけ冷えた。

 

「工区全体のためなら、住区建設用と試験線用と採掘区保守用へ、同じ部材を三度売りません」

 

管理官が硬い声を出す。

 

「売ったわけではない」

 

「では、何です」

 

「一時的な優先変更だ」

 

「誰の判断で」

 

「現場判断だ」

 

「君の現場は、どこです」

 

そこで初めて、管理官が言葉を探し始めた。

 

マ・クベは壺へ指先を軽く触れた。 澄んだ音が鳴る。

 

三人とも、その音に目を動かした。

 

「良い器は、叩くと澄みます」

 

マ・クベは票を見たまま言う。

 

「だが、混ぜ物があると濁る。君たちの帳面は、ひどく濁る」

 

「たかが順番でしょう」

 

最初に口を滑らせたのは、商会担当だった。

 

若い。 まだ、国の順番と自分の値札を同じものだと思っている顔だった。

 

「たかが」

 

マ・クベはそこで初めて視線を上げた。

 

「住区の水と、工区の保守と、小型炉の次段試験と、外殻建設の順番を売っておいて」

 

商会担当が何か言い返そうとした。 その前に、マ・クベが壺へ目をやって言う。

 

「君は器ではなく、値札を見た」

 

顔から血の気が引いた。

 

引当責任者が慌てて口を挟む。

 

「皆やっております!」

 

「そうでしょうな」

 

マ・クベはあっさり頷いた。

 

「だから君を切るのです」

 

「私だけでは――」

 

「皆がやることと、ここで許されることは違う」

 

保税区画の管理官が、そこでようやく椅子の肘掛けを強く握った。

 

「投資筋との関係を切れば、今度は資金が止まる」

 

「止まりません」

 

マ・クベは言う。

 

「止まるのは、君の保身でしょう」

 

「局の上も知っていた」

 

「結構」

 

「私だけではない!」

 

「それも結構」

 

マ・クベは票を一枚裏返した。

 

そこには監視記録の照合がついていた。搬出時刻。保管区画の入退記録。連邦系投資筋へ繋がる商会の保留要求。引当責任者が個別に回した優先変更票。全部が揃っている。

 

「君たちは物を動かしたのではありません」

 

マ・クベの声は細い。

 

「事故の順番を前へ出したのです」

 

保税区画の管理官は更迭。 引当責任者は拘束。 商会側は一時取引停止。 関連口座と保税搬出権は凍結。 投資筋に繋がる便宜の線は、キシリア側へ回された。

 

処分は内々では済まされなかった。資材管理系統の再編として、公表された。誰がどこで順番を曲げたかを全部晒す必要はない。だが、公国政府が自分で順番を握り直したことは見せておく必要がある。

 

工区では、それがすぐ効いた。

 

寝ていた高出力ケーブルが動く。 外殻建設の接続材が戻る。 新移民住区の給水補助材が、今度は本当に前へ出る。 採掘区の保守周期が一つ戻る。 次段試験の準備も止まらない。

 

ドズルは届いた資材の山を見て、ようやく不機嫌そうに満足した。

 

「だから言ったろ。保管区画で寝た物は、現場じゃ事故になる」

 

横のラルが低く言う。

 

「足りぬ物を争わせると、人は持ち場を忘れます」

 

「分かってる」

 

ドズルは腕を組む。

 

「だから順番が要るんだろうが」

 

「ええ。ただ、見せ方まで誤らぬ方がよい」

 

終わりに、マ・クベは首相府へ呼ばれた。

 

キシリアが先に座っている。 セシリアは少し離れて紙を整えていた。 ギレンは机上の報告を一通り読んでから、ようやく顔を上げる。

 

キシリアが言う。

 

「引当の乱れは、あれが早いわ」

 

当然のような口調だった。

 

ギレンはマ・クベを見た。

 

「見た」

 

長く褒めない。ただ、それで足りる。

 

「通常の系統とは別に立てる」

 

ギレンは短く言う。

 

「小型炉、工区増設、採掘区、外殻建設。ここへ直結する別枠だ」

 

キシリアが目を細める。

 

「特別引当系統ね」

 

「そうだ」

 

「人は」

 

ギレンの視線は動かない。

 

「そちらで選べ」

 

キシリアは小さく頷く。

 

「止めないでちょうだい」

 

「結果だけ合わせろ」

 

マ・クベの前へ、新しい引当印と最初の票が置かれる。

 

彼はそれを受け取り、机の端の白磁へほんの一瞬だけ目をやった。

 

「ようやく形になりますな」

 

外ではまだ工区の灯りが消えていない。 小型炉の次段試験も止まらない。 新移民住区の最低限設備も、今度は本当に前へ出る。

 

膨らみ始めた国に要るのは、勢いだけではない。 順番だった。

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