U.C.0072の初め、ズムシティの執務机には、見た目だけならひどく地味な表題の計画書が置かれていた。
外航貨客船建造計画に伴う設計・生産統一指針。
軍艦建造要綱でもなければ、艦隊整備計画でもない。造船局と重工各社へ回す、つまらぬ実務書類にしか見えぬ名だ。だが、その紙束の中身は、サイド3の今後十年の骨を決めるものだった。
私は表紙を指先で叩き、扉の向こうへ言った。
「入れ」
アサクラが一礼して入ってくる。机の上の紙を見た瞬間、目だけが少し細くなった。面倒な書類か、面白い書類か、そのどちらかだと読んだ時の顔だった。
「お呼びと聞きました」
「これを読め」
私は計画書を滑らせた。アサクラは受け取り、立ったまま最初の数枚をめくる。最初の温度を測る時の癖だ。
最初の数頁は平時の顔しかしていない。
移民増加に伴う貨客便不足の解消。 外周バンチとの定期輸送の安定。 工業資材と生活物資の複線化。 長距離貨客船の建造余力確保。
どれも自治政府として自然な文面だ。今のサイド3なら、むしろ当然必要とされる内容でしかない。
だが、頁が進むごとにアサクラの読む速さが落ちた。
「……随分と、交換整備の項目が多いですな」
「多くしている」
「貨客船の建造計画にしては、接続規格と補機規格の頁数が長すぎる。船体寸法、甲板固定具、荷役口、補助電源、冷却配管、制御盤の継手まで揃えるおつもりか」
「揃える」
アサクラはそこでようやく椅子へ腰を下ろした。紙を持つ手つきが変わる。これはもう、ただの民間船計画ではないと分かった時の読み方だ。
「民間運用なら、各社ごとに最適化させた方が早いでしょう」
「平時はな」
その一言で、アサクラは計画書から目を上げた。
「……戦時を見ておられる」
「見ているのは戦時そのものではない」
私は机上の別紙を一枚引き寄せた。
「戦時に入った瞬間、規格違いで止まることだ」
前の生では、止まった。艦そのものが沈んだのではない。もっと下らぬところで止まった。補機の継手が違う。配線の口径が違う。冷却ユニットの固定爪が違う。主機は生きているのに、周辺の規格差だけで船は港へ縫い止められた。補給は数字の上ではあるのに、現場では何ひとつ噛み合わず、整備員は他社製の部品を前に立ち尽くした。そういう惨めな止まり方を、私はよく知っている。だがそれを口には出来ない。
アサクラは次の頁をめくった。
「……船体接続リングの共通化」 「補助推進ユニットの互換化」 「艤装前提の余剰配線路と予備冷却線の標準化」 「上下反転運用時の重心計算を含めた固定骨格の統一」 「搭載甲板、荷役台、整備口の寸法統一」
そこで彼の眉がわずかに動いた。
「上下反転運用を、ここまで露骨に前提にしますか」
「図面では露骨にするな。現場では徹底させろ」
「貨客船としては上下をひっくり返して使う。戦時は艤装して正位置へ戻す。……そういう船を、最初から何十も通すおつもりですな」
私は答えなかった。 答えなくても分かる顔を、アサクラはしている。
アルカナ級。
表向きは民間宇宙貨客船。 移民輸送、外航定期便、工業資材搬送、急行医療搬送、そういう名目をいくらでもまとわせられる器だ。だが骨組みの段階から、戦時の顔へ反転できるよう作る。荷役甲板は艤装甲板へ、居住区画は簡易兵員区画へ、固定点は砲座と補助装甲の受けへ。上下反転することで平時と戦時の動線を切り替える。平時の顔しか見せぬまま、戦時の骨を育てるには最適だった。
アサクラは末尾近くで指を止めた。
「この“戦時艤装用余剰配線路”という項は、かなり危ういですな」
「読むな。分かればいい」
「分かってしまうから言っているのです」
「分かる者だけ分かればいい」
アサクラは小さく息を吐いた。
「メガ粒子砲を載せる気ですか」
「載せられるようにしておく」
「貨客船に」
「平時は貨客船だ」
「戦時は」
「艤装する」
それだけだった。
前の生では、戦争が始まってから船体へ無理をさせた。砲を載せ、冷却線を増やし、電力線を引き直し、慣れぬ骨格に兵器を噛ませた。間に合った船もあれば、無理が歪みになって残った船もある。最初から載せる気で作れば、あの無駄は減る。だが、そう言えば話が早すぎる。未来を知る者の喋り方になる。だから私は言わない。
アサクラはまた頁を戻し、今度は設計思想を最初から読み直し始めた。
「重工各社には反発されますぞ」
「させろ」
「各社とも独自設計を誇ります。特に補機と整備口の規格統一は、面子が絡む」
「外した会社から先に外す」
「そこまで厳しくやりますか」
「一隻ごとに部品が違う船団は、船団ではない。寄せ集めだ」
前の生では、寄せ集めだった。平時の試験成績が優れた機関ほど、戦時に補給線が細ると途端にわがままを始めた。性能は高い。だが替えが利かぬ。癖が強い。整備が限定される。凡庸な共通部品に助けられた艦の方が、結局は長く走った。その順番を、私は覚えている。だが「前の生ではな」とは言えない。
アサクラはそこでようやく、下に綴じられた別紙へ手を伸ばした。
「こちらは……」
「統一規格一覧だ」
「細かいですな」
「細かくしなければ現場が死ぬ」
別紙には項目が並んでいる。
補助電源ユニットの固定寸法。 冷却配管の継手径。 荷役口と整備口の標準サイズ。 居住区画・貨物区画の交換モジュール寸法。 上下反転時の固定具と安全ロックの共通規格。 艤装時に砲座と冷却線を差し込めるようにした予備孔の位置。 機関区画へ届く予備電力路の標準経路。 整備兵教育を共通化するための、脱着手順番号の統一。
船を作るのではなく、船団全体を一つの機械へ寄せていく考え方だった。
アサクラが紙を置いた。
「船を作っているのではなく、船団ごと一つの機械にするつもりですな」
「そうだ」
「民間向けにここまでやれば、逆に怪しまれる」
「怪しませるな」
「だから難しいと」
私は最後の一枚を彼の方へ押した。
「そのために、お前を呼んだ」
そこには各重工への通達案があった。 文面は柔らかい。
外航貨客船の保守合理化のため、 各重工は補機・接続規格・交換整備規格の統一に協力すること。 各社独自の工夫は尊重する。 ただし互換性を損なう設計は採用対象外とする。
アサクラは鼻で笑った。
「柔らかい文面です」
「通達は柔らかくていい」
「中身は柔らかくない」
「柔らかくする必要がない」
そこでようやく、彼は少しだけ楽しそうな顔になった。こういう面倒は、面倒だからこそ整理しがいがある。
「会議を組みます」
「今日中に」
「急ぎますな」
「急がねば意味がない」
アサクラが立ち上がる寸前、末尾の数行へもう一度目を落とした。
「……大質量浮揚機構の基礎検討」
私は黙っていた。
アサクラは顔を上げる。
「これは貨客船計画の付録には見えません」
「付録ではない」
「地上で使うおつもりですか」
「使えるならだ」
「艦艇級を」
「まずは重輸送台だ。無理なら切る。だが、調べもせずに捨てるな」
今はまだ、末尾に押し込まれた小さな項目でしかない。だが前の生では、この発想へ辿り着くまでに無駄な遠回りをした。宇宙の艦は宇宙でしか使えぬものだと、皆が当然のように考えていたからだ。その当然を疑うのが遅かった。遅れたせいで失った手も、景色もある。連邦が後に、強襲揚陸艦ホワイトベース――木馬と渾名されたあの艦へ至る構想を形にしたことも、結局はその「宇宙の艦を地上へ降ろして使う」という発想を先に掴んだ側が、戦の形を一段先へ進めたという話に過ぎない。ならば、今度はこちらが先に噛んでおく。笑われるなら、まだ図面のうちに笑わせておけばいい。
もっとも、それをそのまま口には出来ない。 出来るはずもない。 だから私は、検討だけを命じる。
アサクラはそれ以上は踏み込まなかった。
「分かりました。まずは船の顔で通す。その骨の中に、あとで反転できる規格を仕込む。加えて、将来の地上浮揚は別系統で噛ませる」
「そうだ」
「嫌な計画書ですな」
「褒め言葉だな」
その日の午後、造船・機関・電装の重工各社代表が、軍務府の会議室へ集められた。
ズムシティの役人は、部屋へ人を詰める時にだいたい二種類いる。最初から偉そうに座る者と、後から来た本命のために席の空気を暖める者だ。今日の部屋には、その両方がいた。
アサクラは予定時刻ぴったりに入った。 私は少し遅れて入る。会議というものは、最初の空気を読ませてから本題を投げた方が早い。
各社代表の前には同じ資料が置かれていた。 表題は民間色を崩していない。だが頁を開けば、誰でもすぐ気づく。 これは「好きに作れ」という計画書ではない。 「好きに作ってよい範囲はここまでだ」と線を引く書類だ。
最初に口を開いたのはアサクラだった。
「各社の独自工夫は結構です」
そこで一拍置く。
「だが、接続規格、補機規格、交換整備規格を外したものは採用しません」
造船会社の代表がすぐ眉をひそめた。
「それでは各社の強みが出せません」
「強みは出していただいて結構」
アサクラは穏やかに答える。
「ただし、壊れた時に他社の部品が入らぬ強みは不要です」
機関部門の男が資料を叩いた。
「主機まで揃えろと?」
「主機は無理でも補機は揃えていただきたい」
「補機こそ各社の思想が出る」
「思想が出るのは結構です。現場が死なぬ範囲で」
そこへ別の代表が口を挟む。
「性能が落ちますぞ」
私はそこで初めて口を開いた。
「一社で完結する高性能より、十社で支える凡庸の方が戦時には強い」
部屋が静まる。 民間船の会議にしては、その一言だけ妙に温度が低かったからだ。
前の生で見た。平時の試験成績が優れた機関ほど、戦時に補給線が細ると途端にわがままを始めた。性能は高い。だが替えが利かぬ。整備が限定される。凡庸な共通部品に助けられた艦の方が、結局は長く走った。その順番を知っているからこそ、私はいまここで切る。だが、それをそのまま言えば話が早すぎる。だから言わない。
電装代表が喉を鳴らした。
「戦時、と仰いましたか」
「聞き違いだ」
私は淡々と言う。
「大規模輸送時、と訂正しよう」
それで笑う者はいなかった。
アサクラが継いだ。
「よろしいですな。民間貨客船である以上、平時の整備合理化は大義になります。ならば、補助電源、冷却、配管継手、荷役口、交換モジュールは揃える。ここまでは飲んでいただきたい」
造船所側の一人がまだ食い下がる。
「上下反転運用をここまで前提にする必要があるのか」
「あります」
「貨客船として不自然になりますぞ」
「不自然にはしません」
アサクラが淡々と返す。
「重心と荷役動線を最初から二通りで計算しておけば済む話です」
「そんな船を大量に作れば、いずれ連邦に疑われる」
私はそこで言った。
「疑うのは勝手だ。貨客船を作ること自体を、向こうに止める口実はない」
前の生でもそうだった。露骨な軍艦は止めやすい。だが民間輸送の増強は、議会も商人も反発する。だから器は先に民間の顔で揃える。戦争が始まってから船をかき集めるのは遅い。始まる前から「どちらの顔にもなれる船」を作っておく方がよほど早い。だが、そこまで話す必要はない。
会議の空気がそこで一段変わった。 反発はまだ消えていない。だが「この計画は本気だ」という理解だけは、全員に入った。
その時、部屋の端からマ・クベが静かに口を開いた。
「加えて、補機規格が揃わねば、引当の意味が薄れます」
誰も彼の方を見ていなかったが、その一言で何人かが視線を向けた。
「資材を流す側として申し上げます。船体ごとに部品が違えば、在庫の置き方も別になります。別にするほど倉は太る。太るほど遅れる。遅れるほど、皆様が怒る」
言い方としては礼儀正しい。 だが中身は嫌味だった。
「ですので、皆様の設計上の誇りと、こちらの引当の都合を秤にかけた場合、後者を取っていただきたい」
電装代表がむっとした。
「ずいぶんな物言いですな」
「物言いではありません。順番です」
マ・クベはまるで悪びれない。
「怒っていただくのは結構ですが、規格が揃わぬ船に優先資材は出しにくい。それだけの話です」
アサクラが小さく咳払いした。
「補足しておきます。規格違反設計は、初回採用から外します」
その一言で、部屋にいる全員が本当に理解した。 これは協力要請ではない。命令だ。
それでもなお、一人が最後の抵抗を試みた。
「もし性能で大きく上回る案が出た場合は」
私はその男を見た。
「揃えた上で上回れ」
それだけで終わった。
会議はそこで崩れなかった。 崩れなかったというより、もう崩しようがないところまで持っていった。
規格一覧はその場で承認ではなく持ち帰り検討となった。 だが持ち帰ったところで、戻ってくる先は同じだ。各社は設計の顔を守ろうとする。アサクラはそれを切る。マ・クベは規格に合う資材だけを前へ出す。キシリアは連邦へ漏れてまずい筋だけを押さえる。私は全体の順番を見る。
会議が終わったあと、アサクラは誰もいなくなった机の上で計画書を閉じた。
「ここまで先に縛ってしまえば、あとで反転は楽ですな」
「そのための計画書だ」
「平時の顔で船を作り、戦時の顔で揃える」
私は窓の外を見た。 造船区画まではここから見えない。だが、図面の上で引いた線は、やがて船体の骨へ変わる。
「船ではない」
私は言った。
「器だ」
アサクラは少しだけ笑った。
「では、その器を嫌がる重工各社に、もう少し現実を教えてまいります」
「穏やかにな」
「善処します」
そう言って下がる彼の背を見送りながら、私は机上の別紙へもう一度目を落とした。
大質量浮揚機構の基礎検討。
今はまだ、末尾の小さな項目でしかない。だが、小さい項目ほど、後で戦の形を変えることがある。だからこそ、図面の片隅へでも、先に噛ませておく。書かずに通すのが、いまの私の仕事だった。