妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第50話 ギニアス苦悩

 ギレンがギニアス・サハリンを呼び出したのは、遠方採鉱基地の建設準備がようやく人の顔を持ち始めた頃だった。

 

 近場の鉱区には血を通す。

 

 遠方の小惑星には骨を埋める。

 

 その役割分担が定まると、次に必要になるのは、近場では試せぬ技術を誰に預けるかだった。

 

 ギニアスは、呼ばれた理由を測りかねている顔で執務室へ入ってきた。サハリン家の名に恥じぬ所作ではあったが、どこか肩の線が鋭い。礼の角度も、言葉の置き方も、綺麗に整っているくせに、心のどこかで他人を試している男の空気がある。

 

「お呼びと承りました、総帥」

 

「座れ」

 

 ギニアスは一礼し、勧められた椅子へ腰を下ろした。

 

 机の上には三冊の綴じが置いてある。外縁採鉱基地拡張計画、工業用高出力炉試験設備案、そして、表題だけ見れば何の変哲もない一冊。

 

 高密度粒子場利用による大型構造物浮揚補助機構研究。

 

 ギニアスの目が、その題の上で一瞬止まった。

 

「気になるか」

 

「少し」

 

「何が」

 

「ずいぶん遠回りな題です」

 

「中身を知っているような口だな」

 

「分かりやすい名を避けておられる時は、だいたい面白い話です」

 

 ギレンはその返しに、少しだけ口元を動かした。

 

「では面白がれ」

 

 資料を滑らせる。

 

 ギニアスは最初の数頁を読み、三頁目で姿勢を少し変えた。五頁目で視線が遅くなり、七頁目で完全に沈黙した。

 

 そこに書いてあるのは、単純な意味では浮揚機構だった。

 

 高密度ミノフスキー粒子場の局所形成。

 

 Iフィールドによる収束維持。

 

 大質量構造物の重量軽減、あるいは浮揚補助の可能性。

 

 まだ兵器とは書かれていない。艦とも書かれていない。輸送台とも書かれていない。だが、技術屋が読めば、その先に何を見ているかは分かる。

 

「……これを、誰にやらせるおつもりです」

 

「お前だ」

 

 ギニアスは資料から顔を上げた。驚きはあったが、怯みはしない。むしろ瞳の奥が少しだけ熱を持った。

 

「浮かせるだけなら、机の上で理屈を並べる者はいくらでもおります」

 

「そうだろう」

 

「実際にやるとなれば、話は別です」

 

「だからお前を呼んだ」

 

 ギニアスは、そこで口の端をほんの僅かに動かした。あれは喜んでいるのではない。値踏みを返している顔だ。

 

「何を浮かせたいのです」

 

「最初は小さいものでいい」

 

「最終的には」

 

「大きいものだ」

 

 そこでギレンは、言葉を切らずに続けた。

 

「大きく、重く、そして重いまま動かしたいものだ」

 

 ギニアスは沈黙した。

 

 それだけで分かる程度には、頭が回る。

 

「艦ですか」

 

「お前は先を急ぐな」

 

「技術は最初から終点を見ねば、途中の設計を誤ります」

 

「なら、見せてやる」

 

 ギレンは椅子にもたれず、指先で机の縁を軽く叩いた。

 

「大きいものを浮かせる技術は、いずれ必ず要る。地上でも、空中でも、宇宙でもだ。滑走路に縛られず、港に縛られず、地形に縛られぬ輸送は、戦争の形を変える。だが、浮くだけでは意味がない」

 

 ギニアスが何か言おうとしたのを、ギレンは手で止めた。

 

「よく聞け。私は見世物が欲しいのではない。奇術も要らん。欲しいのは、運べる浮揚だ。姿勢を保てる浮揚だ。荷を載せ、揺れを殺し、必要なら砲まで支えられる浮揚だ。兵器は止まっていては兵器にならん。輸送も、浮いただけでは輸送にならん。浮き、動き、止まり、向きを変え、重いものを落とさず、必要な時には支える。そこまで届いて初めて技術だ」

 

 部屋の空気が少しずつ変わっていくのを、ギニアスも感じたはずだった。

 

 最初はただの珍妙な新技術だったものが、いまや大きな兵器の一部になりつつある。

 

「……そこまで行けば、世界が変わりますな」

 

「変わる」

 

「それを私に」

 

「お前なら、途中で投げぬ」

 

 ギニアスはそこで、はっきり笑った。

 

「ずいぶんな買い方だ」

 

「安くはない」

 

「では、条件を」

 

「言え」

 

「ミノフスキー師のところへ出入りを許してください」

 

 ギレンは頷いた。

 

「最初からそのつもりだ」

 

「理論の芯は、あの人の元にあります」

 

「知っている」

 

「理論を借りるだけでは足りません。手を汚して、測り、失敗し、場を歪ませてみないと、本当に浮くかどうかは分からない」

 

「それも許す」

 

「失敗しても」

 

「見せるな」

 

 その短い返答に、ギニアスの目がわずかに細くなった。

 

「なるほど」

 

「失敗の見える研究は、半分失敗だ」

 

「総帥らしい」

 

「褒め言葉か」

 

「技術屋には嫌われるでしょうが、私は嫌いではありません」

 

 ギレンは綴じの一番下を指した。

 

「場所は遠方採鉱基地の工業試験区でいい。名目は工業用大型荷役補助機構の試験だ」

 

「兵器の匂いを消すと」

 

「完成するまで兵器である必要はない」

 

 ギニアスは、その文句を二度ほど口の中で転がしたようだった。

 

「総帥」

 

「何だ」

 

「浮いたあと、どうするつもりでおられます」

 

 ギレンはすぐには答えなかった。

 

 前の生で見た。白い艦が、地を離れ、空を滑り、ただ浮いているだけではなく、運び、逃げ、撃ち、戦場の理屈を変えたのを。浮くことそれ自体は奇跡ではない。恐ろしいのは、その奇跡が兵站と砲撃と白兵の時間を一つにまとめてしまうことだ。

 

 だが、その名も、その形も、いまここで口に出すわけにはいかない。

 

「その先を考えるのは、浮かせてからだ」

 

 そう言うしかなかった。

 

 ギニアスは立ち上がり、深く一礼した。

 

「やってみましょう」

 

「やれ」

 

 ギニアス・サハリンは、その日からミノフスキー師の元へ通うようになった。

 

 師弟というには、両方とも棘がありすぎた。

 

 ミノフスキーは、理論については惜しまず語るが、弟子を甘やかす老人ではない。ギニアスも、頭を下げたまま学ぶような若者ではない。最初の三日で三度言い合いになり、五日目には研究員の方が近づくのを避けたほどだった。

 

 だが、相性が悪いのと、組み合わせが悪いのは別だ。

 

 ギニアスは理解が早い。しかも、理解したあと自分の手で壊してみる。そこが面倒で、そこが使える。

 

 ミノフスキーはその性質を見抜くと、急に突き放すのをやめた。

 

「理論を読むだけなら、お前でなくてもいい」

 

「では何が要ります」

 

「理論の嫌がることを、実際にやる手だ」

 

 研究棟は、遠方採鉱基地の工業試験区として整えられた区画の一角に置かれた。

 

 外から見れば大型荷役補助機構と工業精製設備の試験棟にすぎない。実際、まるきり嘘でもない。現地での掘削、製錬、搬送を考えれば、大質量を浮かせる補助技術は工業用途としても十分通る。

 

 最初の試験体は、机ほどの大きさの載台だった。

 

 小型炉から供給される出力を絞り、Iフィールド発生器で高密度粒子場を制御し、床との間に見えない支えを作る。理屈の上では単純だ。実際にやってみると、単純なのは最初の一瞬だけだった。

 

 載台は浮いた。

 

 ほんの数十センチ。

 

 だが確かに、浮いた。

 

 研究員の一人が声を上げ、別の一人が計器板を叩いて記録を確かめる。助手の顔色が上気し、誰かが「成功です」と言いかけたところで、載台がゆっくりと横へ滑った。

 

「止めろ」

 

 ギニアスの声が飛ぶ。

 

 制御員が出力を落とす。  載台は一度沈みかけ、今度は片側だけ持ち上がり、そして鈍い音を立てて床へ落ちた。

 

 静かになった試験室の中で、ミノフスキーだけが平然としていた。

 

「浮いたな」

 

 ギニアスは顔をしかめた。

 

「浮きました」

 

「喜ばぬのか」

 

「これでは見世物です」

 

 ミノフスキーの口元が、ほんの少しだけ動いた。

 

「若いな」

 

「どこがです」

 

「浮くだけで喜ばぬところだ」

 

「浮くだけなら、机の上でも出来る」

 

「そうだ。困るのは、浮いた後だ」

 

 それから試験は、毎日のように繰り返された。

 

 載台は浮く。

 

 だが、少し荷を載せると収束が鈍る。  姿勢を保とうとすると出力が足りない。  出力を上げると今度は場が荒れる。  荒れた場は周辺計器へ悪さをし、制御は遅れ、遅れた制御は姿勢をさらに崩す。

 

 浮揚は出来る。

 

 だが、それだけだ。

 

 ギニアスは最初の一週間でそこへ行き着き、その後はずっとそこで詰まった。

 

 夜更け、試験棟の計算室に一人残り、彼は立ったまま記録紙を睨んでいた。

 

「浮く」

 

 誰に言うでもなく呟く。

 

「浮くには浮く。だが、それだけだ」

 

 机の上の試験図面には、赤い書き込みが増えすぎていた。重心補正、姿勢制御、場の偏り、荷重分散、出力応答。どれも理屈としては解けそうに見える。だが、一つを直せば一つが荒れる。

 

「それでは見世物だ」

 

 ギニアスは唇を噛んだ。

 

「輸送にもならん。兵器にもならん。浮いた木箱を眺めて喜ぶために、私はここへ来たのではない」

 

 背後で扉の開く音がした。

 

 振り返ると、ミノフスキーが立っている。白衣の上に外套を引っ掛けただけの、寝る気のない顔だった。

 

「悩んでいるな」

 

「見て分かることを仰る」

 

「分かるから言う」

 

 老人はゆっくりと記録板の一枚を手に取った。

 

「揚力は得た」

 

「得ただけです」

 

「それで十分だ」

 

「十分ではありません」

 

 ギニアスは苛立ちを隠さなかった。

 

「これでは何も運べません。姿勢は乱れる。横滑りする。少し荷重を変えただけで反応が遅れる。前へ出そうとすれば場が崩れる。結局、浮いているだけだ」

 

「そうだ」

 

 ミノフスキーは平然と頷く。

 

「次は、意思を与えろ」

 

 ギニアスは黙った。

 

 老人はそれ以上何も足さなかった。だが、その一言で十分だった。

 

 浮揚それ自体を一つの現象として扱っていたから、そこで止まる。

 

 だが本当に必要なのは、浮いた状態に意思を与えることだ。前進、停止、姿勢維持、荷重分散、着地。全部を一つの場でやろうとするから破綻する。浮揚と推力を別々に考え、さらに機体全体ではなく、各部位ごとの場として持たせる必要がある。

 

 ギニアスの目が、そこで初めて違う光を帯びた。

 

「単一の場では足りない……」

 

「ようやくそこまで来たか」

 

「浮かせる場と、押す場を分ける。しかも一箇所ではなく、複数で持つ」

 

「言うだけなら易しい」

 

「ええ」

 

 ギニアスは図面を引き寄せた。

 

「ですが、今ならようやく、次の失敗の仕方が分かります」

 

 ミノフスキーはそれを聞いて満足そうでもなかった。

 

「失敗の仕方が分かれば、半分は進んだ」

 

「半分ですか」

 

「研究とはそんなものだ」

 

 第一報がズムシティへ上がったのは、その数日後だった。

 

 浮揚試験そのものは成功。  ただし、輸送・兵装・艦艇への応用には未到達。  最大の課題は、浮揚後の姿勢制御、推力制御、荷重分散、反動吸収系の統合にあり。  単一場ではなく、多点制御場の導入を再設計案として検討中。

 

 アサクラはその報告を読んで、少し首を傾げた。

 

「成果か失敗か、実に分かりにくい報告ですな」

 

「失敗ではない」

 

 ギレンは短く言った。

 

 前の生でも、最初は皆、浮いたことに酔った。持ち上がる。離れる。そこで喜ぶ。だが本当に必要なのは、その次だった。浮いたまま、どこへでも行けること。浮いたまま、運べること。浮いたまま、戦えること。戦の形を変えるのは、奇跡ではなく制御だ。

 

 ギニアスは、ようやくそこへ気づいた。

 

 ならば、まだ捨てるには早い。

 

「続けさせますか」

 

「続けさせる」

 

「遠方で、ですか」

 

「遠方でだ」

 

 近場で浮かせてはならぬものがある。

 

 近場で失敗してはならぬものがある。

 

 大きすぎる艦。  危なすぎる炉。  浮いただけでは足りず、その先まで行かねば意味のない技術。

 

 そういうものは、やはり遠くで育てるしかない。

 

 ギレンは報告書を閉じた。

 

「浮くだけでは足りん」

 

 その一言は、ギニアスに向けたものでもあり、未来へ向けた確認でもあった。




アレ、この流れって⋯ Vガン?
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