妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第53話 速さと盾

 

 ズムシティの軍務府会議棟は、外から見れば無駄のない灰色の箱にすぎない。だが、その最上階にある小会議室は、いつも少しだけ空気が違った。広すぎず、狭すぎず、壁面の半分を星図と航路図が占め、残る半分には投影板と書き込み用の黒板が並ぶ。中央の長机は艶を抑えた暗い木で、照明は白すぎず黄すぎず、紙の上の数字を疲れずに読めるよう整えられていた。

 

 窓はない。

 

 宇宙の首都で窓がないのも妙な話だが、ここで扱うのは景色ではなく数字と距離と死者の数だ。外を見ている暇があるなら、机を見るべき場所だった。

 

 その机の上に、私は三枚の紙を並べていた。

 

 一枚目はMS-01の標準機仕様。

 二枚目は推進器増設型の試算。

 三枚目は補給と整備の負担を見積もった一覧表。

 

 どれも見慣れた数字だ。だが並べ方を変えるだけで、人間は急に理解した気になる。

 

 部屋へ入ってきたのは、アサクラ、ドズル、技術局の推進主任、艦隊士官、兵站担当、それにセシリアだった。キシリアは少し遅れて来た。今日は前回のような大人数ではない。兵装も運用も、議論を広げすぎればまた夢見がちな言葉が増える。必要なのは、最後に決める人間と、決めたものを回す人間だけだった。

 

 ドズルは椅子に座る前に、机の上の紙を一瞥して鼻を鳴らした。

 

「また難しい顔した数字が並んでるな、兄貴」

 

「難しいのではない。見たくないだけだ」

 

「同じようなもんだ」

 

 そう言って椅子を引く。金属脚が床を擦る低い音がした。

 

 アサクラはすでに手帳を開き、セシリアは記録板を胸の前で抱えている。技術局の推進主任はまだ若いが、徹夜続きらしい目をしていた。艦隊士官は制服の襟元まできっちり整えている。兵站担当は入室した時から紙の並び方を見て、嫌な予感にでも襲われている顔だった。

 

 キシリアは最後に入ってくると、定位置のように壁際に立った。座らない。あれは話を聞き流しているように見えて、一番よく聞いている時の立ち方だ。

 

 全員が揃ったのを見て、私は言った。

 

「前回、モビルスーツの運用思想は決めた」

 

 誰も口を挟まない。

 

「機体は増やさぬ。兵装を替えて任務を変える。小隊で動かし、対艦、要塞、コロニー内の制圧まで視野に入れる。そこまではよい」

 

 私は二枚目の紙を指で押さえた。

 

「だが、それだけでは足りん」

 

 艦隊士官が応じる。

 

「戦場への到達速度、ですな」

 

「そうだ」

 

 私は頷いた。

 

「敵のいる宙域へ、どうやって間に合わせるか」

 

 推進主任がすぐに食いついた。

 

「そのために高機動化が必要です。主推進器の出力を上げ、補助噴射口を増設し、推進剤搭載量を」

 

「その先を読め」

 

 遮ると、若い主任は口を閉じた。

 

「出力を上げれば熱が増える。熱が増えれば冷却が増える。推進剤を増やせば積載が死ぬ。補助噴射口を増やせば整備が裂ける。さらに高くなり、さらに数が減る」

 

 兵站担当が小さく咳払いをした。

 

「その通りであります。高機動要求を本体に乗せると、補給も別物になります」

 

 ドズルが腕を組んだまま言う。

 

「だが速さは要るだろ。敵艦隊に喰らいつく前に終わっちまう」

 

「要る」

 

 私は即答した。

 

「高機動は必要だ」

 

 そこで少し間を置いた。

 

「だが、その代価をMS本体へ払わせるな」

 

 部屋が静まる。

 

 推進主任が眉を寄せた。

 

「本体に負わせない、とは」

 

「速い機体を作るな」

 

 私は三枚目の紙を裏返し、何も書いていない面を表にした。そこへペンで簡単な図を描く。ひとつは小さい人型の印。もうひとつは細長い矢印型の印。

 

「速い機械を別に作れ」

 

 艦隊士官が言う。

 

「輸送艇ですか」

 

「違う」

 

「追加推進器ですか」

 

「それでもない」

 

「使い捨ての推進体なら」

 

「駄目だ」

 

 私は首を振った。

 

「使い捨ては戦争が長引いた時に破綻する」

 

 兵站担当が露骨に安堵の息を吐いた。口には出さなかったが、言いたいことは顔に書いてある。やっと分かる人間がいたか、という顔だ。

 

 私は紙の上に一本の線を引いた。矢印型の後ろから、人型の印へ伸びる線だ。

 

「高速機動運用兵器を作る」

 

「それにモビルスーツを掴ませる。あるいは索で曳く」

 

 推進主任が思わず身を乗り出した。

 

「曳く?」

 

「MSが手で索を保持する」

 

「戦場直前で切り離す」

 

「高速機は帰還する」

 

 誰もすぐには喋らなかった。

 

 机の上に置かれた簡単な図が、言葉より先に絵を伝えたのだろう。戦う機械と、運ぶ機械を分ける。標準機のまま、必要な時だけ速さを与える。理屈は単純だ。だが、兵器を見慣れた人間ほど、その発想へたどり着くのに時間がかかる。

 

 ドズルが最初に笑った。

 

「馬だな」

 

「何だと」

 

 艦隊士官が眉を動かすが、ドズルは構わず続けた。

 

「歩兵に脚の速さを求めても限界がある。だから馬に乗せるんだろ」

 

 私は頷いた。

 

「そうだ」

 

「兵士に脚の速さを求めるな。馬を用意しろ」

 

 アサクラがそこで初めて表情を動かした。

 

「戦う機械と、運ぶ機械の分業ですな」

 

「その通りだ」

 

「そうすればMS本体は標準機のままで済む」

 

「速さのために肥らせずに済む」

 

 私は図の人型の印を指で叩いた。

 

「MSは戦う機械だ。移動のための機能を背負わせすぎるな」

 

 艦隊士官はまだ渋い顔をしていた。

 

「しかし、敵艦隊近傍まで出るのなら、牽引する側が先に撃たれます。見つかれば終わりだ」

 

「そのとおりだ」

 

 私はそう言って、今度は矢印型の印を囲むように円を描いた。

 

「だから速いだけでは足りん」

 

 推進主任が小さく呟く。

 

「防御……」

 

「全面防御が要る」

 

 私ははっきり言った。

 

「前からだけではない。宇宙では上下も左右も後ろも関係ない。敵艦の射線へ出る以上、どの方向から来るメガ粒子砲にも耐えねばならん」

 

 兵站担当が思わず口を開いた。

 

「装甲でそれをやるのは無理です」

 

「知っている」

 

「大型化しすぎます」

 

「知っている」

 

「では――」

 

 私はそこで答えを出さなかった。

 

 それがまだ、この場の中にはないからだ。

 

「だから新しい推進が要る」

 

 会議室の空気がわずかに変わる。

 

 推進主任は考え込み、艦隊士官は腕を組み直し、アサクラは手帳へ何かを書き込んだ。ドズルだけが分かりやすく嫌そうな顔をした。

 

「また面倒な話になってきたな」

 

「簡単な話だ」

 

「どこがだ」

 

「速さと盾を同時に持て、と言っているだけだ」

 

 ドズルは鼻を鳴らした。

 

「それを面倒と言うんだよ」

 

 小さな笑いが部屋をわずかに緩めたが、議題の重さは変わらない。通常推進で高機動。さらに全面防御。装甲ではなく、別の何か。ここで机上の理屈だけを重ねても先へ進まない。

 

 私は会議をいったん切り上げた。

 

「この件は私が別口で当たる」

 

 アサクラが顔を上げる。

 

「心当たりが?」

 

「ある」

 

 キシリアが壁際から一歩だけ前へ出た。口元に笑みはない。

 

「遠いところに、変なことばかり考えている男がいたわね」

 

「いる」

 

「厄介そうね」

 

「だから使える」

 

 それだけ言って席を立った。

 

 会議室を出ると廊下は静かだった。灰色の壁、足音を吸う床材、一定の間隔で並ぶ照明。軍務府の廊下には、いつも人間の温度が薄い。考える場所ではあるが、熱を表に出す場所ではない。

 

 私はそのまま私用通信室へ向かった。

 

 厚い扉の向こうはさらに狭く、無駄がなかった。半円形の操作卓、暗く落とした照明、投影板が一面。通信主任が私の入室に合わせて立ち上がる。

 

「回線を秘匿級へ。宛先は外縁開発拠点」

 

「了解しました」

 

 短い確認の後、投影板にざらついた映像が浮かんだ。最初は雑音混じりの粒が揺れるだけだったが、やがて人影が形を結ぶ。

 

 ギニアス・サハリンだった。

 

 照明の足りない研究室にいるらしく、顔の半分が薄暗い。背後には円筒形の装置と、壁面いっぱいの数式。散らばった工具、床へ直置きされた部材。整頓されているとは言い難いが、本人は気にもしていないのだろう。目だけが妙に冴えていた。

 

「総帥閣下」

 

「ギニアス」

 

「まさか直接お声がかかるとは思いませんでした」

 

「研究はどうなっている」

 

 挨拶はそれだけで十分だった。ギニアスも慣れている。

 

「どちらの、です」

 

「浮揚研究だ」

 

「浮揚だけなら、もう意味がありません」

 

 私は少し眉を上げた。

 

「ほう」

 

「浮かせるだけなら荷役機で足ります。戦争に使うには、進まねばならない」

 

 その言い方に、私は少しだけ口元を動かした。こいつはやはり、使える。

 

「続けろ」

 

 ギニアスは後ろを振り返り、何枚かの図面を手に取った。投影板の映像が揺れ、手書きの模式図が映し出される。円形の機体断面、その周囲を囲む線、内側にいくつも書き込まれた矢印。

 

「当初はミノフスキー・クラフト寄りの発想でした。力場で支える。浮揚する。だが、それでは静的です」

 

「静的」

 

「はい。浮いているだけです」

 

 彼は指で図の一部をなぞった。

 

「そこでIフィールドによる粒子配列を変えました。ミノフスキー粒子を立方格子状に整列させ、機体全周に力場を形成する」

 

 私は黙って聞く。

 

「その場を、均一に閉じるのではなく、位相をずらして流す」

 

「流す?」

 

「はい。押し出すのです」

 

 ギニアスの目が熱を帯びてくる。

 

「力場の反動を利用する。浮揚ではなく、推進です」

 

 私はそこで、机に置いた指先を止めた。

 

「機体全周に形成する、と言ったな」

 

「ええ」

 

「前だけではないのか」

 

「全面です。むしろ局所的では安定しません。全周を包まなければ格子が崩れる」

 

 そこだ。

 

「その力場は、粒子砲の干渉を受けるか」

 

 ギニアスはすぐには答えなかった。視線がわずかに宙を泳ぐ。頭の中で計算しているのだろう。

 

「受けます」

 

「受けるが」

 

「通常装甲よりは、逸らせる可能性があります」

 

 私はさらに詰めた。

 

「前面だけではないな」

 

「全面です。機体を包む場ですから」

 

 通信室の空気が一段深くなった気がした。

 

 速さだけでは足りない。

 盾だけでも足りない。

 必要なのは、速さと盾を同時に持つ外部機体。

 

 ギニアスの言葉は、その二つを同時に差し出してきた。

 

「ギニアス」

 

「はい」

 

「それは量産機に載せるな」

 

 彼は一瞬だけ目を細めた。

 

「……MSそのものへ積む案を考えていましたが」

 

「やるな」

 

 私は言った。

 

「標準機を壊すな」

 

「では」

 

「別機体にしろ」

 

 私は低く、しかしはっきり続けた。

 

「高速機動運用兵器として組め」

 

「運ぶための兵器だ」

 

 ギニアスは数秒、黙っていた。沈黙の向こうで、背後の計器の灯りだけが小さく明滅する。

 

「戦うためではなく」

 

「戦わせるために運ぶ」

 

 私が言うと、彼はゆっくりと息を吐いた。

 

「面白い」

 

「感想はいらん」

 

「いえ、必要です。設計の方向が変わる」

 

 そう言うと、ギニアスは完全に研究者の顔になった。

 

「高速。長距離。再使用。自力帰還。全面力場維持」

 

「それにMSの牽引」

 

「索を用いるのですか」

 

「まずはそれでいい。MSに手で持たせろ」

 

「固定懸架は後だ」

 

「本体規格を崩すな」

 

 ギニアスは頷きながら、もう何かを書き始めている。

 

「牽引時の姿勢制御が難しい」

 

「難しくていい。出来るかどうかを見ろ」

 

「自衛火器は」

 

「持たせろ。だが主役にするな」

 

「主役はMS」

 

「そうだ」

 

 ギニアスはそこで初めて、こちらを真っ直ぐ見た。

 

「それはもう、護衛機でも輸送機でもありません」

 

「分かっている」

 

「新しい兵器体系です」

 

「そうだ」

 

 私は短く答えた。

 

「戦争は、どれだけ早く戦場へ戦力を送り込めるかで決まる」

 

 彼の顔に、ゆっくりと笑みが浮かんだ。気味の悪い笑いではない。自分だけが見ている景色に、ようやく別の人間が追いついてきた時の笑いだ。

 

「承知しました、総帥閣下」

 

「外へ漏らすな」

 

「この拠点でやれ」

 

「ええ」

 

 通信が切れる。

 

 投影板が暗くなり、私の顔だけがぼんやり映った。

 

 通信室には機械の低い唸りしか残らない。主任は視線を下げたまま、聞かなかったことに徹している。優秀だ。こういう時、余計な気配を消せる人間はそれだけで価値がある。

 

 私は扉を出る前に、一度だけ立ち止まった。

 

 前の生には、答えがあった。

 だが、それは私の知識ではない。

 私はその名も、その理屈も知らない。

 知っているのは、戦場に必要な形だけだ。

 

 速いだけでは足りない。

 撃たれて消えるなら意味がない。

 ならば、速さと盾を同時に持つ外部機体が要る。

 ギニアスの語った理屈がその両方を与えるのなら、それは使える。

 

 廊下へ戻ると、軍務府の空気は相変わらず乾いていた。だが私の頭の中では、もう一つ別の機械が形を持ち始めていた。モビルスーツではない。戦艦でもない。兵でもない。馬でもない。兵を運び、敵の射線を裂いて前へ出る、速さと盾のための兵器。

 

 まだ名はない。

 

 だが、それはやがて戦場の距離そのものを縮めることになる。

 

 そしてその後の歴史において、こうして本来、サナリィ(S.N.R.I.)がU.C.0130年代に開発するミノフスキー・ドライブが、70年代に開発されることとなった。

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