ズムシティの軍務府会議棟は、外から見れば無駄のない灰色の箱にすぎない。だが、その最上階にある小会議室は、いつも少しだけ空気が違った。広すぎず、狭すぎず、壁面の半分を星図と航路図が占め、残る半分には投影板と書き込み用の黒板が並ぶ。中央の長机は艶を抑えた暗い木で、照明は白すぎず黄すぎず、紙の上の数字を疲れずに読めるよう整えられていた。
窓はない。
宇宙の首都で窓がないのも妙な話だが、ここで扱うのは景色ではなく数字と距離と死者の数だ。外を見ている暇があるなら、机を見るべき場所だった。
その机の上に、私は三枚の紙を並べていた。
一枚目はMS-01の標準機仕様。
二枚目は推進器増設型の試算。
三枚目は補給と整備の負担を見積もった一覧表。
どれも見慣れた数字だ。だが並べ方を変えるだけで、人間は急に理解した気になる。
部屋へ入ってきたのは、アサクラ、ドズル、技術局の推進主任、艦隊士官、兵站担当、それにセシリアだった。キシリアは少し遅れて来た。今日は前回のような大人数ではない。兵装も運用も、議論を広げすぎればまた夢見がちな言葉が増える。必要なのは、最後に決める人間と、決めたものを回す人間だけだった。
ドズルは椅子に座る前に、机の上の紙を一瞥して鼻を鳴らした。
「また難しい顔した数字が並んでるな、兄貴」
「難しいのではない。見たくないだけだ」
「同じようなもんだ」
そう言って椅子を引く。金属脚が床を擦る低い音がした。
アサクラはすでに手帳を開き、セシリアは記録板を胸の前で抱えている。技術局の推進主任はまだ若いが、徹夜続きらしい目をしていた。艦隊士官は制服の襟元まできっちり整えている。兵站担当は入室した時から紙の並び方を見て、嫌な予感にでも襲われている顔だった。
キシリアは最後に入ってくると、定位置のように壁際に立った。座らない。あれは話を聞き流しているように見えて、一番よく聞いている時の立ち方だ。
全員が揃ったのを見て、私は言った。
「前回、モビルスーツの運用思想は決めた」
誰も口を挟まない。
「機体は増やさぬ。兵装を替えて任務を変える。小隊で動かし、対艦、要塞、コロニー内の制圧まで視野に入れる。そこまではよい」
私は二枚目の紙を指で押さえた。
「だが、それだけでは足りん」
艦隊士官が応じる。
「戦場への到達速度、ですな」
「そうだ」
私は頷いた。
「敵のいる宙域へ、どうやって間に合わせるか」
推進主任がすぐに食いついた。
「そのために高機動化が必要です。主推進器の出力を上げ、補助噴射口を増設し、推進剤搭載量を」
「その先を読め」
遮ると、若い主任は口を閉じた。
「出力を上げれば熱が増える。熱が増えれば冷却が増える。推進剤を増やせば積載が死ぬ。補助噴射口を増やせば整備が裂ける。さらに高くなり、さらに数が減る」
兵站担当が小さく咳払いをした。
「その通りであります。高機動要求を本体に乗せると、補給も別物になります」
ドズルが腕を組んだまま言う。
「だが速さは要るだろ。敵艦隊に喰らいつく前に終わっちまう」
「要る」
私は即答した。
「高機動は必要だ」
そこで少し間を置いた。
「だが、その代価をMS本体へ払わせるな」
部屋が静まる。
推進主任が眉を寄せた。
「本体に負わせない、とは」
「速い機体を作るな」
私は三枚目の紙を裏返し、何も書いていない面を表にした。そこへペンで簡単な図を描く。ひとつは小さい人型の印。もうひとつは細長い矢印型の印。
「速い機械を別に作れ」
艦隊士官が言う。
「輸送艇ですか」
「違う」
「追加推進器ですか」
「それでもない」
「使い捨ての推進体なら」
「駄目だ」
私は首を振った。
「使い捨ては戦争が長引いた時に破綻する」
兵站担当が露骨に安堵の息を吐いた。口には出さなかったが、言いたいことは顔に書いてある。やっと分かる人間がいたか、という顔だ。
私は紙の上に一本の線を引いた。矢印型の後ろから、人型の印へ伸びる線だ。
「高速機動運用兵器を作る」
「それにモビルスーツを掴ませる。あるいは索で曳く」
推進主任が思わず身を乗り出した。
「曳く?」
「MSが手で索を保持する」
「戦場直前で切り離す」
「高速機は帰還する」
誰もすぐには喋らなかった。
机の上に置かれた簡単な図が、言葉より先に絵を伝えたのだろう。戦う機械と、運ぶ機械を分ける。標準機のまま、必要な時だけ速さを与える。理屈は単純だ。だが、兵器を見慣れた人間ほど、その発想へたどり着くのに時間がかかる。
ドズルが最初に笑った。
「馬だな」
「何だと」
艦隊士官が眉を動かすが、ドズルは構わず続けた。
「歩兵に脚の速さを求めても限界がある。だから馬に乗せるんだろ」
私は頷いた。
「そうだ」
「兵士に脚の速さを求めるな。馬を用意しろ」
アサクラがそこで初めて表情を動かした。
「戦う機械と、運ぶ機械の分業ですな」
「その通りだ」
「そうすればMS本体は標準機のままで済む」
「速さのために肥らせずに済む」
私は図の人型の印を指で叩いた。
「MSは戦う機械だ。移動のための機能を背負わせすぎるな」
艦隊士官はまだ渋い顔をしていた。
「しかし、敵艦隊近傍まで出るのなら、牽引する側が先に撃たれます。見つかれば終わりだ」
「そのとおりだ」
私はそう言って、今度は矢印型の印を囲むように円を描いた。
「だから速いだけでは足りん」
推進主任が小さく呟く。
「防御……」
「全面防御が要る」
私ははっきり言った。
「前からだけではない。宇宙では上下も左右も後ろも関係ない。敵艦の射線へ出る以上、どの方向から来るメガ粒子砲にも耐えねばならん」
兵站担当が思わず口を開いた。
「装甲でそれをやるのは無理です」
「知っている」
「大型化しすぎます」
「知っている」
「では――」
私はそこで答えを出さなかった。
それがまだ、この場の中にはないからだ。
「だから新しい推進が要る」
会議室の空気がわずかに変わる。
推進主任は考え込み、艦隊士官は腕を組み直し、アサクラは手帳へ何かを書き込んだ。ドズルだけが分かりやすく嫌そうな顔をした。
「また面倒な話になってきたな」
「簡単な話だ」
「どこがだ」
「速さと盾を同時に持て、と言っているだけだ」
ドズルは鼻を鳴らした。
「それを面倒と言うんだよ」
小さな笑いが部屋をわずかに緩めたが、議題の重さは変わらない。通常推進で高機動。さらに全面防御。装甲ではなく、別の何か。ここで机上の理屈だけを重ねても先へ進まない。
私は会議をいったん切り上げた。
「この件は私が別口で当たる」
アサクラが顔を上げる。
「心当たりが?」
「ある」
キシリアが壁際から一歩だけ前へ出た。口元に笑みはない。
「遠いところに、変なことばかり考えている男がいたわね」
「いる」
「厄介そうね」
「だから使える」
それだけ言って席を立った。
会議室を出ると廊下は静かだった。灰色の壁、足音を吸う床材、一定の間隔で並ぶ照明。軍務府の廊下には、いつも人間の温度が薄い。考える場所ではあるが、熱を表に出す場所ではない。
私はそのまま私用通信室へ向かった。
厚い扉の向こうはさらに狭く、無駄がなかった。半円形の操作卓、暗く落とした照明、投影板が一面。通信主任が私の入室に合わせて立ち上がる。
「回線を秘匿級へ。宛先は外縁開発拠点」
「了解しました」
短い確認の後、投影板にざらついた映像が浮かんだ。最初は雑音混じりの粒が揺れるだけだったが、やがて人影が形を結ぶ。
ギニアス・サハリンだった。
照明の足りない研究室にいるらしく、顔の半分が薄暗い。背後には円筒形の装置と、壁面いっぱいの数式。散らばった工具、床へ直置きされた部材。整頓されているとは言い難いが、本人は気にもしていないのだろう。目だけが妙に冴えていた。
「総帥閣下」
「ギニアス」
「まさか直接お声がかかるとは思いませんでした」
「研究はどうなっている」
挨拶はそれだけで十分だった。ギニアスも慣れている。
「どちらの、です」
「浮揚研究だ」
「浮揚だけなら、もう意味がありません」
私は少し眉を上げた。
「ほう」
「浮かせるだけなら荷役機で足ります。戦争に使うには、進まねばならない」
その言い方に、私は少しだけ口元を動かした。こいつはやはり、使える。
「続けろ」
ギニアスは後ろを振り返り、何枚かの図面を手に取った。投影板の映像が揺れ、手書きの模式図が映し出される。円形の機体断面、その周囲を囲む線、内側にいくつも書き込まれた矢印。
「当初はミノフスキー・クラフト寄りの発想でした。力場で支える。浮揚する。だが、それでは静的です」
「静的」
「はい。浮いているだけです」
彼は指で図の一部をなぞった。
「そこでIフィールドによる粒子配列を変えました。ミノフスキー粒子を立方格子状に整列させ、機体全周に力場を形成する」
私は黙って聞く。
「その場を、均一に閉じるのではなく、位相をずらして流す」
「流す?」
「はい。押し出すのです」
ギニアスの目が熱を帯びてくる。
「力場の反動を利用する。浮揚ではなく、推進です」
私はそこで、机に置いた指先を止めた。
「機体全周に形成する、と言ったな」
「ええ」
「前だけではないのか」
「全面です。むしろ局所的では安定しません。全周を包まなければ格子が崩れる」
そこだ。
「その力場は、粒子砲の干渉を受けるか」
ギニアスはすぐには答えなかった。視線がわずかに宙を泳ぐ。頭の中で計算しているのだろう。
「受けます」
「受けるが」
「通常装甲よりは、逸らせる可能性があります」
私はさらに詰めた。
「前面だけではないな」
「全面です。機体を包む場ですから」
通信室の空気が一段深くなった気がした。
速さだけでは足りない。
盾だけでも足りない。
必要なのは、速さと盾を同時に持つ外部機体。
ギニアスの言葉は、その二つを同時に差し出してきた。
「ギニアス」
「はい」
「それは量産機に載せるな」
彼は一瞬だけ目を細めた。
「……MSそのものへ積む案を考えていましたが」
「やるな」
私は言った。
「標準機を壊すな」
「では」
「別機体にしろ」
私は低く、しかしはっきり続けた。
「高速機動運用兵器として組め」
「運ぶための兵器だ」
ギニアスは数秒、黙っていた。沈黙の向こうで、背後の計器の灯りだけが小さく明滅する。
「戦うためではなく」
「戦わせるために運ぶ」
私が言うと、彼はゆっくりと息を吐いた。
「面白い」
「感想はいらん」
「いえ、必要です。設計の方向が変わる」
そう言うと、ギニアスは完全に研究者の顔になった。
「高速。長距離。再使用。自力帰還。全面力場維持」
「それにMSの牽引」
「索を用いるのですか」
「まずはそれでいい。MSに手で持たせろ」
「固定懸架は後だ」
「本体規格を崩すな」
ギニアスは頷きながら、もう何かを書き始めている。
「牽引時の姿勢制御が難しい」
「難しくていい。出来るかどうかを見ろ」
「自衛火器は」
「持たせろ。だが主役にするな」
「主役はMS」
「そうだ」
ギニアスはそこで初めて、こちらを真っ直ぐ見た。
「それはもう、護衛機でも輸送機でもありません」
「分かっている」
「新しい兵器体系です」
「そうだ」
私は短く答えた。
「戦争は、どれだけ早く戦場へ戦力を送り込めるかで決まる」
彼の顔に、ゆっくりと笑みが浮かんだ。気味の悪い笑いではない。自分だけが見ている景色に、ようやく別の人間が追いついてきた時の笑いだ。
「承知しました、総帥閣下」
「外へ漏らすな」
「この拠点でやれ」
「ええ」
通信が切れる。
投影板が暗くなり、私の顔だけがぼんやり映った。
通信室には機械の低い唸りしか残らない。主任は視線を下げたまま、聞かなかったことに徹している。優秀だ。こういう時、余計な気配を消せる人間はそれだけで価値がある。
私は扉を出る前に、一度だけ立ち止まった。
前の生には、答えがあった。
だが、それは私の知識ではない。
私はその名も、その理屈も知らない。
知っているのは、戦場に必要な形だけだ。
速いだけでは足りない。
撃たれて消えるなら意味がない。
ならば、速さと盾を同時に持つ外部機体が要る。
ギニアスの語った理屈がその両方を与えるのなら、それは使える。
廊下へ戻ると、軍務府の空気は相変わらず乾いていた。だが私の頭の中では、もう一つ別の機械が形を持ち始めていた。モビルスーツではない。戦艦でもない。兵でもない。馬でもない。兵を運び、敵の射線を裂いて前へ出る、速さと盾のための兵器。
まだ名はない。
だが、それはやがて戦場の距離そのものを縮めることになる。
そしてその後の歴史において、こうして本来、サナリィ(S.N.R.I.)がU.C.0130年代に開発するミノフスキー・ドライブが、70年代に開発されることとなった。