妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第56話 来訪と決断

 

サイド5、テキサス・コロニー。

 

キャスバルはテアボロ・マスの商会の倉庫区画の通路を歩きながら、積み上げられたコンテナの番号を目で追っていた。鉱石、機械部品、食料、生活用品。荷の種類も行き先も様々だが、どれも金の流れと人の流れに繋がっている。

 

戦争でも思想でもなく、まず世界を動かしているのは物流と資金だ。

 

それが、ここへ来てからキャスバルが最初に学んだことだった。

 

テアボロは彼に剣も銃も与えなかった。その代わりに帳簿を渡し、船の発着表を見せ、商人たちの会話を聞かせた。キャスバルは最初こそ退屈だと思ったが、すぐにそれが国家や軍よりも現実に近い力であることに気づいた。

 

アルテイシアはテキサスの生活に少しずつ馴染み始めていた。地球での逃亡生活の頃より表情が柔らかくなり、商会の人間とも普通に話すようになっていた。それでも、兄の顔色を窺う癖はまだ残っていた。

 

二人にとってここは安住の地ではない。だが、少なくとも追われる側ではない場所だった。

 

その日、屋敷の使用人が慌てた様子でキャスバルを呼びに来た。

 

「旦那様がお呼びです。お客様が……その……」

 

言葉を濁した時点で、ただの客ではないと分かる。

 

応接室へ入ると、テアボロ・マスの向かいに二人の客が座っていた。

 

一人は、紫の長い髪を背に流した女性。

もう一人は、まだ少年と呼んでいい年頃の少年。

 

キャスバルは足を止めた。

 

キシリア・ザビ。

そして、ガルマ・ザビ。

 

アルテイシアも後ろから入ってきて、その姿を見た瞬間に息を呑んだ。

 

部屋の空気が一瞬で張り詰める。

 

キシリアはゆっくりと立ち上がり、キャスバルとアルテイシアを順に見た。その視線には敵意も侮りもなかった。ただ、相手の成長を測るような冷静さだけがあった。

 

「久しいな」

 

それだけ言って、すぐに本題に入った。

 

「単刀直入に言う。アストライアの死期が近い」

 

アルテイシアが小さく声を漏らした。

 

キャスバルの表情は動かなかった。だが、握った拳に力が入る。

 

キシリアは続けた。

 

「来るなら今しかない。

 だが、ダイクン家の子として来いとは言わん。

 アストライアの子として来い」

 

そこで一度言葉を切る。

 

「その後どうするかは、お前たちの自由だ」

 

キャスバルは黙ったままキシリアを見つめた。

 

ザビ家の口から「自由」という言葉が出るとは思っていなかった。罠かもしれない。政治的な思惑がないはずもない。それでも、母の名を出された以上、無視することもできない。

 

沈黙が続いた。

 

その沈黙を破ったのはガルマだった。

 

「これ……母上から預かってきた」

 

彼が差し出したのは、小さな布袋だった。刺繍の入った、手作りの袋。アルテイシアはそれを見た瞬間、目を見開いた。

 

「……これ、母上が……」

 

袋の刺繍は、子供の頃に見たものと同じ模様だった。アストライアが夜、静かに針を動かしていた姿が脳裏に蘇る。

 

アルテイシアは袋を受け取ると、両手で抱えるようにして胸に当てた。

 

キャスバルもそれを見て、何も言えなくなった。政治でもザビ家でもない。そこにあったのは、ただ母の手の記憶だった。

 

テアボロが静かに口を開いた。

 

「今回は連れ戻しではない、という理解でいいのだな」

 

キシリアは頷いた。

 

「その通りだ。来るかどうかも、その後どうするかも、本人たちに決めさせる」

 

テアボロはキャスバルとアルテイシアを見た。

 

「私は止めない。だが勧めもしない。

 決めるのはお前たちだ」

 

しばらくして、キシリアが席を外し、テアボロも別室へ下がった。応接室にはキャスバルとガルマ、少し離れてアルテイシアだけが残った。

 

ガルマは少し迷ったようにしてから、キャスバルの方を向いた。

 

「サイド3、すごく変わったよ」

 

キャスバルは黙って聞いている。

 

「工場も増えたし、軍もどんどん大きくなってる。

 兄上……ギレン兄上が、全部動かしてる」

 

その言い方に、ガルマの尊敬が混じっているのが分かった。

 

「国が、前に進んでる感じなんだ。

 みんな、これから何かが起きるって顔してる」

 

少し間を置いて、ガルマは続けた。

 

「僕は、ドズル兄上みたいな軍人になるつもりだ。

 守る力が必要だと思うから」

 

そして、まっすぐキャスバルを見た。

 

「君はどうする?」

 

キャスバルは何も答えなかった。

 

ガルマはさらに言った。

 

「ダイクンのような政治家になるんだろう?」

 

その言葉に、キャスバルの表情がわずかに歪んだ。

 

父の名。

まだ、軽く口に出していい言葉ではない。

 

「……まだ決めていない」

 

それだけ答えるのがやっとだった。

 

ガルマはそれ以上は何も言わなかった。ただ、少しだけ寂しそうな顔をした。

 

その後、兄妹だけの部屋。

 

アルテイシアは布袋を握ったまま言った。

 

「……行きたい」

 

迷いのない声だった。

 

「母上に会いたい。

 行かないで、会えなかったら……きっと後悔する」

 

キャスバルは窓の外を見た。テキサス・コロニーの人工の夜景が広がっている。ここでの生活は静かで、少なくとも命の危険は少ない。

 

だが、母はサイド3にいる。

 

「兄さんは、どうなの」

 

アルテイシアにそう言われて、キャスバルはようやく自分の心を見た。

 

ザビ家は信用できない。

サイド3へ戻るのも嫌だ。

だが、母には会いたい。

 

その順番を、ようやく認めた。

 

「……行く」

 

小さく、しかしはっきりと言った。

 

「母上に会うためだけに行く。

 その後どうするかは、その時決める」

 

翌日、テアボロに二人は答えを告げた。

 

テアボロはしばらく二人を見てから、ゆっくり頷いた。

 

「行ってこい。

 だが忘れるな。お前たちはザビ家の臣下ではない。

 私の客人として行け。

 そして、帰る場所はここにもある」

 

その言葉に、アルテイシアは小さく頭を下げた。キャスバルも無言で頷いた。

 

出発前夜。

 

キャスバルはベッドに横になったまま、眠れずにいた。

 

キシリアの言葉。

ガルマの問い。

母の手芸品。

 

頭の中で何度も同じ言葉が巡る。

 

ダイクンのような政治家になるのか。

 

そんなもの、知らない。

父のようになりたいとも、なりたくないとも、まだ言えない。

 

だが、一つだけははっきりしている。

 

母には会わなければならない。

 

会って、そのあと、自分がどこへ立つのかを考えるしかない。

 

キャスバルは静かに目を閉じた。

 

テキサスの人工の夜は静かだった。

その静けさの中で、彼の人生はまた大きく動こうとしていた。

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