妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第74話 入学式

 士官学校へ向かう朝、ガルマは鏡の前で襟を直したまま、しばらく動かなかった。

 

 新しい制服は仕立てがよく、肩にかかる布は軽いのに、妙に重く感じる。胸元の徽章もまだ新しく、磨きすぎた金属のように落ち着かなかった。

 

 以前の自分なら、そこに映る姿を少し誇らしく思っただろう。ザビ家の末弟、士官学校入学。その響きだけで胸が高鳴ったはずだ。

 

 だが今は違う。

 

 立ち方ひとつ、肩の力の抜き方ひとつが、以前のままではどうにも落ち着かない。

 

 ラルの訓練場の赤土。

 

 シーマたちの乾いた笑い声。

 

 マ・クベの執務室の静けさと、綺麗すぎた帳簿。

 

 入学前にああいう場を回らされたのは、自分だけだった。兄たちは何も言わなかったが、その意味くらいはガルマにも分かる。ザビ家の名を背負って列に立つ以上、中身が空では困る。飾りだけの士官候補生など、家にも軍にもいらない。そういうことだった。

 

 そして、それを嫌だったと思うほど、自分ももう子供ではなかった。

 

 控室の外から、軍楽隊の調律する低い音が聞こえてきた。短く、よく響く金管の音。革靴の硬い足音。扉の向こうで、式典の空気が少しずつ固まり始めている。

 

 ガルマはもう一度だけ鏡を見た。

 

 映っているのはザビ家の息子だった。けれど、それだけではない気もした。まだ名前のつかない、何か別のものが、背筋のあたりへ静かに入っている。

 

 控室を出ると、人工の朝の光が広い廊下へ均一に落ちていた。士官学校の建物は白く新しく、どこもよく磨かれている。だが学園の白さとは違う。こちらには若い汗と金属と乾いた布の匂いがある。未来の軍人を詰め込むための建物の匂いだった。

 

 正面広場へ出た瞬間、ガルマは思わず息を飲んだ。

 

 高く掲げられた旗。

 

 整列する新入生の列。

 

 来賓席を囲む濃色の幕。

 

 軍楽隊、記録係、報道関係者。

 

 士官学校の入学式というより、小さな国家儀式のようだった。

 

 ここまで大きな場になるとは思っていなかった。

 

 新入生たちはすでに列へ並び始めている。誰もが真新しい制服にまだ少し着られている。緊張を隠そうとして余計に固くなっている者、家族へ最後まで手を振っている者、逆に平静を装っている者。若い顔ばかりだ。だが、その若さの上から、もう公国の色が薄く塗られ始めている。

 

 ガルマが自分の位置へ入ると、周囲の空気が少しだけ変わった。

 

「あれがガルマ・ザビか」

 

「校長閣下の弟だろ」

 

「本当に新入生なのか」

 

 小声は思った以上によく届く。

 

 以前の自分なら、少し得意になったかもしれない。だが今は、その視線があまり嬉しくなかった。見られることは、前へ出されることだ。前へ出れば、それだけ余計なものまで見られる。土の上でも、海兵隊の雑な寝床でも、マ・クベの静かな部屋でも、それは同じだった。

 

 ラルなら言うだろう。見られて浮つくな、と。

 

 シーマなら笑うだろう。目立つのは前で十分だよ、坊や、と。

 

 ガルマは前を向いたまま、靴先の位置だけを少し直した。

 

 その時、少し離れた列の中に、一人だけ妙に目を引く新入生がいた。

 

 姿勢がいい。制服の着こなしも整っている。だが、どこか見せるために整えているようにも見えた。緊張しているはずなのに、それを少しでも格好よく見せようとしているのが分かる。

 

 見栄っ張りだな、とガルマは思う。

 

 だが、ザビ家の空気でも軍人家系の匂いでもない。もっと街の明るさが残っている。人前で喋るのが苦にならず、たぶん女性にももてるだろう。そんな種類の若者だった。

 

 相手もこちらを一瞬だけ見た気がしたが、すぐ正面へ戻った。

 

 やがて来賓が到着する。

 

 最初に前へ出たのは、校長としてのドズル兄上だった。

 

 軍楽隊の一節が止み、広場の空気が一段重くなる。大きな体。顔の傷。重い軍靴。教官たちが一斉に敬礼し、新入生たちも慌ててそれに倣う。

 

 兄上はいつも大きかった。

 

 だが今日の兄上は、家の中で見上げた時より、ずっと遠く大きく見えた。

 

 校長として前へ立つ兄の姿に、ガルマは自分でも意外なほど緊張した。兄弟であることと、校長であることは別なのだと、体が先に教えられる。

 

 ドズルは壇上へ立つと、無駄な前置きを一切しなかった。

 

「諸君。入学を祝う」

 

 短い一言が広場へ落ちる。

 

「ここは英雄を作る学校ではない」

 

 最初の一言から、兄上らしかった。

 

「ここは、生きて帰る士官を作る学校だ。部下を無駄に死なせるな。見栄で前へ出るな。逃げる時は最後まで残れ。食うのは最後でいい。寝るのも最後でいい」

 

 新入生の列に、わずかなざわめきが走る。ドズルは気にしない。

 

「死ぬなとは言わん。戦場では死ぬ時は死ぬ。だが、意味のない死に方だけはするな。自分一人が格好をつけて終わるような戦い方は、士官のやることではない」

 

 その言葉は、ガルマの耳で聞くより先に体へ入ってきた。

 

 ラルの訓練場で聞いた声に近かった。

 

 前へ出るのは簡単だ。連れて帰るのが難しい。

 

 兄上の言葉は荒い。けれど、その荒さの下にあるものは乱暴ではなかった。責任だ。背負うことだ。最後まで残ることだ。

 

 ガルマは少しだけ背筋を伸ばした。

 

 兄上は、戦場の側から語っている。

 

 そのあと、連邦側来賓が前へ出た。

 

 レビル将軍だった。

 

 濃い色の制服、硬い肩章、無駄のない歩幅。敵というより、大きな連邦そのものがここへ来たような圧がある。

 

 だが、その声は静かだった。

 

「本日ここに、サイド3士官学校の新入学生諸君を迎えることができることを、地球連邦軍を代表して喜ばしく思う」

 

 低く、よく通る声だった。穏やかだが、軽くはない。大きな軍を背負ってきた男の声だ。

 

「宇宙へ進出した人類は、新しい時代へ入った。だが新しい時代とは、過去を捨てることではない。地球に住む者も、コロニーに住む者も、同じ人類であり、同じ歴史の上に立っている」

 

 広場は静かだった。

 

「諸君らがこれから身につけるべきものは、単なる武勇ではない。力とは、秩序を守るためにこそ用いられるべきものだ。士官とは、己の誇りのために剣を振るう者ではなく、多くの民の平穏を乱さぬために最後まで責任を負う者である」

 

 責任。

 

 その言葉に、ガルマは少しだけ気を取られた。

 

 兄上も、今さっき似たことを言ったばかりだった。向く先は違う。だが、責任という芯だけは同じだった。

 

「地球と宇宙は対立するものではない。互いに支え合い、秩序の内で共に発展するべきものである。諸君ら若き士官候補生には、その架け橋となることを期待したい」

 

 架け橋。

 

 それは優しい言葉だった。

 

 だが優しいからこそ、何を秩序の内へ留めたいのかも透けて見える気がした。ガルマはそこまで明確に言葉にできない。けれど、連邦はサイド3をただ褒めに来たのではない、とは分かる。

 

「本日ここから始まる諸君らの歩みが、サイド3のみならず地球圏全体の安定と平和に資することを願っている。諸君らの前途に幸多からんことを」

 

 祝辞が終わり、広場には礼儀正しい拍手が広がった。

 

 ガルマは思う。

 

 穏やかな祝辞だった。

 

 だが穏やかなだけではない。

 

 秩序を守る者になれ、と。

 

 その言葉は、静かな檻にも似ていた。

 

 その直後に立ったのが、ギレン兄上だった。

 

 会場の空気が変わる。

 

 兄上の立ち方はいつ見ても無駄がない。会場全体が静まるのを待ってから、ほんの僅かに視線を巡らせる。その一瞬だけで人を黙らせる。

 

「地球連邦軍総司令官レビル将軍閣下より、諸君に対して秩序と平和への期待が述べられた」

 

 兄上の声はよく通る。だが、レビルのような穏やかな響きではなかった。もっと乾いていて、もっと骨に近い。

 

「その言葉に、私は一つ付け加えたい」

 

 ガルマは思わず背筋を伸ばした。何故だか分からない。だが、ここから先は自分にも直接関わると、体が先に悟った。

 

「秩序とは、ただ与えられるものではない。支える意志を持つ者がいて、初めて成り立つものだ」

 

 支える意志。

 

 その言葉が胸へ落ちる。

 

「ここは、ただ命令に従う兵を育てる場ではない。国家を支える士官を育てる場である」

 

 そこでガルマは気づく。

 

 兄上はレビルの言葉を否定していない。だが、意味を少しずつ塗り替えている。

 

 秩序。平和。士官。

 

 同じ言葉のはずなのに、兄上の口から出ると重みが違う。

 

「国家とは夢だけで立つものではない。人が働き、物が流れ、規律が保たれて、初めて国家である」

 

 その言葉に、ラルの訓練場の赤土が不意に蘇る。

 

 遅れた水袋。

 

 足りない燃料筒。

 

 シーマたちの笑い声。

 

 マ・クベの綺麗すぎた帳簿。

 

 ばらばらだったものが、そこで一本に繋がった気がした。

 

 前だけ見ていてはいけない。

 

 後ろが崩れれば全部が死ぬ。

 

 綺麗な帳簿ほど臭いことがある。

 

 軍は前だけでは回らない。

 

 全部、同じところへ向いていたのか。

 

「諸君は、その骨となる」

 

 兄上の声は高くならない。若い胸を熱くさせるより先に、肩へ重みを置いてくる声だった。

 

「若い諸君に、私は軽々しく栄光を約束しない。諸君に先に渡されるのは、栄光ではなく責任である」

 

 そこで広場の空気が変わる。興奮した者もいるだろう。だがそれより先に、肩へ何かを置かれたような感覚があった。

 

「誇る前に負え。名乗る前に支えよ。先に受け、最後まで残れ」

 

 その言葉は、兄上から叱られているようにも聞こえた。

 

 同時に、ここへ来る前の自分では、その重さが分からなかっただろうとも思う。

 

 今なら、少しだけ分かる。

 

 完全ではない。だが少しだけなら。

 

 来賓席へ目をやると、父は動かずに聞いていた。キシリア姉上も微動だにしない。だが連邦側の席にいるレビルの視線だけが、ほんの少し鋭くなったように見えた。

 

 気のせいかもしれない。

 

 だが、こういう場での気のせいが、気のせいだけで終わることは少ない。

 

 ギレンの祝辞が終わると、広場に短い静寂が落ちた。

 

 そして新入生たちが動き出す。

 

 式が終わり、緊張が解けた空気の中で、あちこちから声が上がった。

 

「校長、怖かったな」

 

「レビル将軍って、思ったより静かな人だな」

 

「ギレン閣下の祝辞、重かった」

 

「国家の骨って何だよ……」

 

 ざわめきは若い。重い言葉を受け取っても、すぐに自分たちの言葉へ崩してしまう。

 

 その途中で、さっきから目を引いていた新入生がガルマの横へ並んだ。

 

「君がガルマ・ザビか」

 

 まるで前から知っていたような言い方だった。

 

「そうだが」

 

「シャア・アズナブルだ」

 

 名乗り方に迷いがない。

 

 聞き慣れない名前だったが、本人は少しも気後れしていない。

 

「よろしく」

 

「ああ」

 

 少し沈黙があった。

 

 シャアは周囲を見回してから、小さく笑った。

 

「思ったより、大げさな入学式だったな」

 

「国家の学校だからな」

 

「なるほど。学校というより、軍の入口というわけか」

 

 妙に納得したように頷く。

 

 やはり少し格好をつける癖がある。だが嫌味ではない。むしろ、自分をどう見せるかをよく分かっているような態度だった。

 

「君は落ち着いているな」

 

 シャアが言う。

 

「ザビ家だから緊張しないのか?」

 

「逆だ。ザビ家だから緊張する」

 

 シャアは少し目を細めた。

 

「なるほど。面白いな」

 

 面白い、という言い方が自然だった。

 

 この男は人を上下ではなく、興味で見ている。ガルマはそう感じた。

 

「君はどこから来た?」

 

「テキサス・コロニーだ」

 

 シャアはあっさり答えた。

 

「家では、移住者相手の案内みたいなことをやっている。母は食堂を切り回してる。軍人の家じゃない」

 

 その明るさが、先ほどの印象とぴたりと重なった。

 

 なるほど、とガルマは思う。

 

 街の明るさが残っているのは、そのせいか。

 

「なのに士官学校か」

 

「だから来た」

 

 シャアは笑う。

 

「ギレン閣下の演説を聞いたことがある。ああいう言葉を聞くと、自分も前へ出てみたくなる」

 

 流行に熱しやすいのだろう、とガルマは思った。

 

 だが、その軽さだけでここへ来たわけでもない顔をしている。

 

「校長殿に似ている」

 

 シャアが言った。

 

 ガルマは少しだけ困る。

 

「そう言われるのは、少し複雑だ」

 

「私なら少し誇らしいが」

 

 やはり見栄っ張りだ。だが不快ではなかった。

 

「そのうち、そう思えるようになるかもしれない」

 

 そう返したところで、背後から女の声がした。

 

「ガルマ」

 

 振り向く。

 

「……姉上?」

 

 キシリアだった。

 

 式典の場だからか、口元には笑みがある。だがその笑みは、柔らかさよりも観察の色が強い。ガルマはそれを知っている。

 

 キシリアはガルマではなく、その横に立つシャアをゆっくり見た。

 

 顔立ち。

 

 目元。

 

 立ち方。

 

 敬礼に入る直前の、ほんの僅かな癖。

 

 そういうものを、一息で測るような視線だった。

 

「ふふ……君、名前は?」

 

 シャアは一瞬だけ固まり、次の瞬間には反射的に背筋を伸ばして敬礼した。

 

「はっ、シャア・アズナブルであります!」

 

 周囲がざわつく。

 

 ザビ家のキシリアに直に声をかけられる新入生など、普通はいない。ましてや名前まで問われるなど。

 

 キシリアは笑みを崩さない。

 

「そう。励みなさいな。ガルマと同じ組なら、よく見ていてちょうだい」

 

 その言葉に、近くにいた新入生たちから妙な歓声が上がった。

 

「うぉー……」

 

「何だ今の」

 

「キシリア閣下に話しかけられたぞ」

 

「シャアってすげぇな」

 

 シャア自身もまだ少し固まっている。

 

「は、はっ!」

 

 声が半拍遅れた。

 

 キシリアは満足したように笑って、ガルマへ軽く視線を投げると、そのまま去っていく。

 

 その背中を見送りながら、ガルマは姉の表情の意味を少しだけ考えた。

 

 確認したのだ。

 

 何をかまでは分からない。だがキシリアは、あの青年を見て何かを確かめた。

 

 そして、それで良しとした。

 

 キシリアの胸中では、短い確認が終わっていた。

 

 顔立ちは似ている。

 

 だが違う。

 

 立ち方も、目の置き方も、あの気配も違う。

 

 少なくとも、自分が警戒していた“あの子”ではない。

 

 それだけ確かめられれば、今は十分だった。

 

 シャアはようやく敬礼を下ろし、小さく息を吐いた。

 

「……肝が冷えた」

 

「だろうな」

 

「今のは、名誉なのか」

 

「たぶん」

 

「たぶん、か」

 

 そこで二人とも少しだけ笑った。

 

 その笑いは軽い。けれど、さっきまでの緊張をほどくには十分だった。

 

 やがて新入生たちは、教官の指示で校舎の中へ導かれ始めた。石床の上に靴音が揃って響く。門をくぐり、白い廊下の奥へ消えていく若い背中の列。

 

 ガルマもその中にいた。

 

 振り返れば、来賓席にはまだ父や兄たち、連邦の将軍たちが残っている。

 

 だが今日の自分は、もうそちらへ戻るのではない。

 

 士官学校の中へ入っていく側だ。

 

 家族の背中を見送るのではなく、そこから離れて別の列へ入る。

 

 それが少し寂しく、少し誇らしかった。

 

 門をくぐる足取りはまだ軽くない。

 

 けれど、もう戻る前の自分でもなかった。

 

 そして今日、自分の隣に並んだのは、兄たちでも父でもない。見知らぬ同輩たちだった。

 

 その中には、テキサスから来た、少し気取ったシャア・アズナブルという青年もいる。

 

 士官学校の門をくぐったその日から、ガルマはザビ家の末弟である前に、サイド3の士官候補生となった。

 

 その日の式が終わったあと、来賓席の奥の控室で、ギレンとキシリアは短く言葉を交わした。

 

「どうだった」

 

 ギレンが問う。

 

 キシリアは肩を竦める。

 

「思ったより普通の子だったわ」

 

「普通、か」

 

「ええ。少し気取り屋で、少し目立ちたがりで、でも悪くない。テキサスの空気をそのまま連れてきたみたいな子」

 

 ギレンはそれだけで察したらしい。目を細める。

 

「違ったか」

 

「違うわ」

 

 キシリアは即答した。

 

「似てはいるけれど、別物ね。安心していいと思う」

 

 ギレンは短く息を吐いた。

 

「ならいい」

 

「ただ」

 

「何だ」

 

「ガルマは気に入るでしょうね、ああいう子」

 

 キシリアの口元に、わずかな笑みが浮かぶ。

 

「明るくて、前へ出たがって、でも根はそう悪くない。うまくやれば、いい友人になるわ」

 

 ギレンは少しだけ考えたあと、窓の外へ目を向けた。

 

「友人で済めばいいがな」

 

 その言い方に、キシリアはくすりと笑った。

 

「兄上は心配性ね」

 

「そうかもしれん」

 

 廊下の向こうでは、新入生たちの靴音がまだ続いていた。

 

 若者たちは校舎の中へ吸い込まれていく。国家の未来というには、まだあまりにも若く、軽く、脆い背中だった。

 

 だが、その軽さを抱えたまま、やがて彼らは軍服を本当の重さで着ることになる。

 

 ギレンはその音を聞きながら、しばらく黙っていた。

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