工廠の朝は、妙に音が澄んでいた。
天井の高い試験棟の中には、胸部だけを切り出した試験用ブロックが幾つも吊られている。鋼材の匂い、油の匂い、研磨粉の匂い。人の背丈ほどもあるその塊は、まだ兵器というより、巨大な失敗作のように見えた。
床の上にはひしゃげた外部装甲が転がっている。開くはずだった装甲板は半端な角度で噛み、爆薬ボルトの破断面は白く荒れていた。射出されるはずだった脱出ポッドは途中で引っかかり、無理に押し出された結果、軸を乱して壁へ叩きつけられた。その記録映像が、試験棟の隅で無音のまま繰り返されている。
技師たちは朝一番から、その映像を睨んでいた。
「抜けるようにはできます」
若い構造主任が、図面の上へ手を置いたまま言った。
「ですが、抜けるように作ると、今度はそこから壊れます」
誰も顔を上げない。
同じ話を、もう何日も続けているからだ。
胸部は、単に操縦席を納める箱ではない。今の試作機では、胸部周辺の外部装甲そのものが荷重を受け持ち、内部機器を抱え込み、機体の捻れにも耐えている。そこへ「ここだけ抜けます」という線を引けば、戦闘中にそこから歪む。逆に歪まぬよう固めれば、非常時にポッドが抜けなくなる。
「箱を守れば胴が裂ける」
別の技師が、壊れた試験片を裏返しながら言った。
「胴を守れば箱が抜けない」
簡潔で、ひどく嫌な言い方だった。だが、嘘ではない。
人型機動兵器は、結局のところ人を入れる兵器だ。なのに、その人を生かして出す構造が一番難しい。
その時、試験棟の奥の扉が開いた。
誰も呼吸を乱さなかったが、空気が一段重くなった。
ドズルだ。
大きな体が、白く乾いた試験棟の中では余計に大きく見える。軍靴が床を鳴らし、傷のある顔が吊られた胸部ブロックを順に見ていく。その視線には怒気も焦りもない。ただ、見逃さないだけだ。
壊れた装甲板の前で立ち止まり、ドズルは片手でその切断面を軽く叩いた。鈍い音がした。
「今朝の分か」
「はっ」
主任が前に出て、結果を短く説明する。
前面装甲の開放角不足。内部支持材の残留応力。射出開始の瞬間にポッド中心線がずれ、姿勢制御噴射が間に合わずに回転。要するに、抜けないか、抜けても危ないか、そのどちらかだ。
ドズルは黙って最後まで聞いた。
それから、歪んだ胸部ブロックを見上げたまま言う。
「強い機体を作るのはいい」
低い声が、がらんとした試験棟の天井へ上がった。
「だが、中の奴ごと棺桶にするな」
言い方は乱暴だが、乱暴に済ませる話ではない。ここにいる全員が分かっていた。
撃墜より厄介なのは、中途半端に壊れた機体だ。帰れぬのに死ねもしない。装甲の内側で生命維持が尽きる。熟練の操縦者候補をそういう形で失うのが、今のジオンには一番痛い。
ドズルは周囲の顔を見回した。
「兵は生きて帰してこそ次がある。死んで覚えることは少ない」
そこで視線が、一人の年配技師に止まる。
その男はサイド3の人間ではない。連邦管理下のグラナダから、表向きは“安全機構に詳しい外部技師”として呼ばれてきたクレメンスだ。背は高くなく、髪もだいぶ薄くなっているが、図面の整理だけは美しい。物腰も柔らかい。だが一度線を引くと、その線が何を捨てる線なのかを本人が一番よく知っている種類の技師だった。
「外から来た目で見て、どうだ」
ドズルに問われ、クレメンスは少しだけ顎を引いた。
「胸で二つの役目を持たせすぎですな」
「二つ?」
「操縦者を守る箱であることと、機体そのものを支える構造であることです」
ドズルは短く鼻を鳴らした。
「なら、分けろ」
「分けられれば、皆こんな顔はしておりません」
その返事に、試験棟の空気がわずかに緩んだ。ドズルも怒らない。
「出来ぬと聞きに来たんじゃない。やれ」
それだけ言い残して、壊れた装甲の間を歩き去る。彼が試験棟を出るまで、誰一人として無駄口を叩かなかった。
扉が閉まったあとで、ようやく若い技師の一人が呟く。
「……無茶を言う」
「無茶を言うのがあの人の仕事だ」
クレメンスが答えた。
「こっちは、何とかするのが仕事です」
昼の食堂は、朝の試験棟とは別の意味でうるさかった。
配給の薄いスープ、固いパン、湯気の立つ煮込み。技師たちは作業着のまま長机へ散り、仕事の続きを口でやりながら飯を掻き込む。さっきまで人の生死を図面の上で語っていた連中が、今は塩の薄さに文句を言っている。その落差が、工廠という場所の日常だった。
クレメンスは端の席で、トレイの隅へパンを押し込みながらスープをすすっていた。
「まだ寮暮らしか」
向かいへ座ったフェルナーが言う。午前中、壊れた映像を食い入るように見ていた構造担当だった。
「ああ」
クレメンスは肩を鳴らした。
「こっちの部屋は寝るだけだ」
「戻れんのか、グラナダには」
「戻れんさ。今の仕事が終わるまではな」
そこで別の同僚が口を挟む。
「家族は向こうか」
クレメンスは少しだけパンを置いた。
「向こうだな」
苦笑した。
「もっとも、元の女房のところだが」
卓の端で誰かが気まずそうに笑う。こういう時、技師は気の利いたことを言えない。
「息子もグラナダか」
「ああ。大学院に残ってる」
「おやじと同じ機械屋か」
クレメンスは首を振った。
「機械は機械でも、妙なものばかりだ」
「妙なもの?」
「人の形をした模型だの、機巧細工だの。そういうものに凝っとる」
「役に立たんな」
若い技師が即座に言って、周囲が少し笑う。
クレメンスは怒らなかった。むしろ、少しだけ困ったような顔でポケットから一枚の写真を取り出した。
「私もそう思っていた」
卓の上へ置かれた写真を、何人かが覗き込む。
人型の模型だった。だが、ただの置物ではない。肩、肘、腰、膝の位置が妙に自然で、装飾的なくせに動きを感じさせる。外見は滑らかだが、構造はどこか普通の可動玩具と違う。
「何だこれ」
「可変域を広げるために、骨組みを別に作って、外装をそれに合わせて動けるようにしたそうだ」
クレメンスは、半分呆れた父親の顔でそう言った。
「私には人形遊びにしか見えんのだが、学内の造形競技会では賞を取ったらしい」
「骨組みを別に?」
フェルナーが写真を手に取った。
他の者はすぐに飯へ戻ったが、彼だけは黙って写真を見続ける。
「どうした」
「いや……」
フェルナーは答えず、肩関節のあたりを指先でなぞった。
「よく動くように見える」
「そうだな」
「外装はそのままなのに、中で逃がしているのか」
「そんなことを手紙に書いてきた」
クレメンスはスープを飲み干し、写真を受け取った。
「もっとましな研究をせんのかと返事を書いたら、怒った字で三枚も送り返してきた」
それには、さすがに皆笑った。
だがフェルナーだけは笑わなかった。
午後、映像がまた流された。
半開きになった前面装甲。
途中で噛んだ脱出ポッド。
わずかに歪んだ胸部構造。
設計陣はまた同じ議論を始める。
「開口を大きくするしかない」
「大きくしたら胸が死ぬ」
「支持材を増やせ」
「増やしたら抜けない」
同じ場所をぐるぐる回る。
その時、フェルナーが画面を睨んだまま言った。
「……外部装甲を先に開くから無理が出る」
誰かが顔を上げる。
「何だ」
「内部骨格を先に動かす」
卓の周りの空気が変わった。
フェルナーは自分でも半分夢中になった顔で、胸部断面図へ歩み寄る。
「外部装甲を扉にするんじゃない。非常時だけ、コクピット周辺の支持フレームを後退させる」
「後退?」
「数センチでいい。そうすれば装甲が開く余地が出来る。先に中の構造を逃がしてから、外部装甲を開放する」
主任が図面の上へ乗り出した。
「ポッドを無理に押し出すんじゃない」
「ああ」
フェルナーが頷く。
「先に通り道を作るんだ」
クレメンスはその言葉を聞き、昼の写真を思い出していた。だが、あえて口は挟まない。ここから先は、父親の雑談ではなく、設計者の言葉で組み上がるべきだと分かっていた。
若い技師が言う。
「全部を変える必要はないな」
「胸部だけでいい」
主任がすぐに続ける。
「胸部だけ、内部骨格と外部装甲を分ける」
そこから先は早かった。
操縦席周辺を支える支持リングの再配置。
非常時専用の短ストローク移動機構。
外部装甲のロック位置の変更。
爆薬ボルトの配置替え。
射出軸の見直し。
図面へ新しい線が引かれるたび、これまで“装甲そのものが構造だった”胸部に、初めて「中で動くもの」という発想が入り込んでいく。
夕方、簡易改修を終えた胸部ブロックが再び吊られた。
試験棟の照明は白く、影だけが濃い。
「第一段階」
内部支持フレーム後退。
胸の内側で、鈍い金属音がした。
「第二段階」
外部装甲ロック解除。
前面装甲に薄い隙間が走る。
「第三段階」
爆薬ボルト切断。
今度は、午前のような嫌な噛み音がしない。
左右の外部装甲が、花弁のように開いた。
「第四段階、射出」
白煙を引いて、小さな円筒形の脱出ポッドが滑り出す。わずかに傾く。だが回転は抑えられている。補助ノズルが短く噴き、姿勢を正した。
静かだった。
誰もすぐには喋らない。
やがて、誰かが小さく息を吐く。
「抜けた……」
その一言で、皆がようやく動いた。
拍手はない。歓声もない。ただ、肩へ乗っていた重みが少し落ちたような沈黙があった。
「いい」
低い声がした。
いつの間に戻ってきていたのか、ドズルが試験棟の入口に立っていた。
彼は宙にぶら下がるポッドの余韻を見ながら、もう一度言う。
「これなら、失う数を減らせる」
兵器として褒めたのではない。
そのことが、そこにいる技師たちにはよく分かった。
彼らが作ったのは、新しい玩具ではない。新しい兵器ですらない。死ぬはずだった操縦者を次へ持ち帰るための、小さな余白だった。
夕食前、食堂の隅でフェルナーがクレメンスに言った。
「昼の話、あれが元だ」
クレメンスはパンを千切る手を止め、照れくさそうに笑った。
「模型の話だぞ」
「役に立った」
「役に立つとは思わんかった」
フェルナーは少し黙ってから、何でもないように尋ねた。
「その息子さん、名前は?」
クレメンスの顔が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「母親の姓を使っていましてな」
そう言って、水をひと口飲んだ。
「マモル ナガノと言います」
それだけだった。
それ以上は誰も聞かなかった。
工廠の外では、サイド3の人工夜が静かに深まりつつある。別の棟では、また別の機体が分解され、また別の図面に赤線が引かれているはずだ。
その日、彼らが一歩進めたのは、ただの脱出機構ではなかった。
外部装甲と内部骨格を分けるという発想。
人を生きて帰すために、兵器の構造そのものを変えるという発想。
それはまだ胸部だけの、ほんの小さな工夫に過ぎなかった。
だが、その小さな移動が、やがて機体全体の思想を変えていくことになる。