妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第76話 将軍の沈黙

 連邦軍中枢の執務区画は、昼を過ぎても慌ただしかった。

 

 廊下の両脇には臨時の机が並び、参謀補や副官たちが書類の束を抱えて行き来している。壁際には新しい配線がまだ剥き出しのまま走り、工事用の養生板が一部に残っていた。軍の中枢といっても、完成された威容ではない。拡張と再編を続けながら、そのまま動いている場所だった。

 

 レビルはその廊下を、足を止めずに進んだ。

 

 窓のない通路の先、統合参謀本部議長室の扉の前で、衛兵が姿勢を正す。名乗るまでもなかった。扉が開く。

 

 中は広かったが、整然としているとは言い難い。大きな机の上には宇宙艦隊の再編案、各拠点の整備計画、月面関連施設の報告、補給計画、輸送量試算が積み上がっている。壁面の大きな表示板には、地球圏の主要拠点と艦隊配置がいくつも映されていた。

 

 ゴップは書類から目を上げなかった。

 

「来たか、レビル」

 

「邪魔をする」

 

「邪魔は朝から晩までされておる。君一人増えたところで、いまさら変わらんよ」

 

 ようやくゴップが顔を上げる。

 

 柔らかい顔つきではない。だが、目だけは冷たくよく働いていた。現場の将官ではない。数、期間、予算、輸送力、工業力、そういうものを秤にかけて戦争を見る男の目だった。

 

 レビルは帽子を脇へ置き、勧められる前に腰を下ろした。

 

「士官学校の式典だったな」

 

 ゴップが言う。

 

「ああ」

 

「どうだった。サイド3は」

 

 軽い口調だったが、問いは軽くない。

 

 レビルはすぐには答えなかった。机の脇に置かれていた資料の山をひとつ見た。地下施設整備、宇宙艦隊再編、拠点防護計画。連邦もまた、止まってはいない。むしろ、巨大な組織を動かし続けている。

 

 そのうえで、なお気になっていることがあった。

 

「整っていた」

 

 ゴップの手が止まる。

 

「整っていた?」

 

「ああ」

 

 レビルは短く息を吐いた。

 

「学校も、軍も、式典も、人の配置もだ。ばらばらではなかった」

 

 ゴップは椅子の背へ体を預けた。

 

「学校が立派だった、という話ではあるまいな」

 

「それだけなら、わざわざ来ない」

 

 レビルの声は平坦だった。

 

「若者の列は若者の列でした。未熟な顔もあった。緊張している者も、浮いている者もいた。だが、その列を囲む大人たちが、妙に噛み合っていた」

 

「どう噛み合っていた」

 

「ドズルは軍を語った」

 

 そこでレビルは、入学式の壇上を思い出す。傷のある顔、大きな体、短い言葉。虚勢ではなく、現場の重さをそのまま渡すような口調だった。

 

「生きて帰る士官を作る学校だ、と言った。部下を無駄に死なせるな、見栄で前へ出るな、と」

 

 ゴップは何も言わない。

 

 レビルは続ける。

 

「そのあとでギレンが立った。秩序は与えられるものではなく、支える意志で成り立つ、と。国家を支える士官を育てる場だ、と言った」

 

 机の上の紙へ視線を落とす。

 

「言葉だけを拾えば、大したことはない。だが、あの場では違った」

 

「違ったか」

 

「学校を見ているつもりで、制度の入口を見せられた気がした」

 

 そこでゴップは、ようやく真正面からレビルを見た。

 

「君らしい言い方だな」

 

 半分は軽口だった。半分は、本気で聞く合図だった。

 

 ゴップは手元の資料から一枚を抜いた。サイド3士官学校関連の予算推移表だった。すでに、最低限の資料は上がっているらしい。

 

「実際、数字は動いておる」

 

 紙を机へ置く。

 

「施設増設。教官増員。宇宙軍との接続科目の比重増。基礎工学と兵站科目の伸び。多少、露骨ではあるな」

 

 レビルは表を見る。

 

 予算の伸びは急激ではない。だが、鈍く長い。思いつきではなく、継続の匂いがした。

 

 ゴップが言う。

 

「だが、それでも工業力は連邦が上だ。資源、人口、生産、輸送、予算、どれを取っても勝負にはならん。サイド3がいくら国を気取ったところで、長く戦えば持たん」

 

 その言葉に虚勢はなかった。

 

 ゴップは戦争を、会戦の勝ち負けだけでは見ていない。鉄をどれだけ作れるか、補給をどこまで切らさず回せるか、損耗をどこまで埋められるか。国家としての体力で見ている。

 

 だから強い。

 

 レビルは、その見方を否定しなかった。

 

「戦争になれば、連邦が勝つでしょう」

 

 ゴップの眉が僅かに動く。

 

 そう答えると思っていなかったわけではない。ただ、そこまであっさり認めるとも思っていなかったのだろう。

 

「ならば、何が気になる」

 

 レビルは一拍置いてから答える。

 

「戦争になる前です」

 

 短い沈黙があった。

 

 室内の時計が小さく鳴る。外では副官が急ぎ足で通り過ぎ、誰かに書類の不足を告げていた。だが部屋の中だけ、音が遠い。

 

「君は、戦争になると思うか」

 

 ゴップが問う。

 

 レビルはすぐには答えない。

 

 式典で見た若者の顔を思い出す。ぎこちない敬礼。まだ硬い制服。だが、その列の前後に立つ大人たちの視線は、すでに未来の役割を決めているように見えた。

 

「……断定はできん」

 

 正直に言う。

 

「だが、嫌な匂いがする」

 

 そこでゴップの口元が少しだけ緩む。

 

「相変わらず勘が鋭いな、レビル」

 

 いつもの軽口に聞こえる。だが、ゴップが本気で評価している時ほど、この男は軽く言う。

 

 レビルは笑わなかった。

 

「勘で済めばいいのですがな」

 

 その返しのあとで、自分の中に残っている違和感をもう少し言葉にする。

 

「危険なのは、過激な演説ではありません」

 

 ゴップは黙っている。

 

「若者を戦わせようとしていることでもない。そういうものなら、こちらも見慣れている」

 

 レビルは式次第の控えへ視線を落とした。

 

「ギレン・ザビは、若者に栄光を渡していなかった」

 

「ほう」

 

「責任を渡していた」

 

 ゴップはそれを聞いても、すぐには頷かなかった。

 

 その代わり、指で机を軽く叩く。考えている時の癖だった。

 

「扇動家は熱を使う」

 

 レビルが続ける。

 

「だが、あの男は熱を使わん。冷えたまま、人を置いていた」

 

 言い終えてから、レビルは自分の言葉が少し先走っていることに気づいた。だが引っ込めはしなかった。

 

 ゴップが問う。

 

「政治家として優秀だ、と言いたいのか」

 

「それならまだ楽でした」

 

 レビルは首を振る。

 

「優秀な政治家は、いくらでもいる。だが、軍と教育と政治と産業を、一つの方向へ並べ始めた人間はそう多くない」

 

 それが本当に不快だった。

 

 学校ひとつ、式典ひとつ、祝辞ひとつだけなら、何でもない。だが、それらが同じ方向を向き始めた時、組織は急に強くなる。

 

「地方勢力なら、あそこまで綺麗には繋がりません」

 

 レビルはそう言った。

 

「まだ形にはなっておらん。だが、形にしようという意志は見えました」

 

 ゴップはその言葉をすぐには受けなかった。

 

 彼の目は再び机上の資料へ落ちる。艦艇再編表、拠点整備計画、兵器生産見通し。現実の数字は、なお連邦優位を示している。

 

「意思だけで国家は動かん」

 

 ゆっくりと、ゴップが言う。

 

「鉄、燃料、食糧、工場、輸送が要る。そこでは連邦が負けることはない」

 

 レビルは頷く。

 

「はい」

 

 少し間を置く。

 

「だからこそ、始まる前に止めねばならんのです」

 

 会話がそこで一度止まった。

 

 ゴップは沈黙したまま、しばらくレビルを見ていた。軽口を返すでもなく、反論を重ねるでもなく、ただ相手の顔を見ている。

 

 その沈黙で、レビルは分かった。

 この男は、話の重さを量っている。賛成するかではない。どの範囲まで動かす価値があるかを測っている。

 

 やがてゴップが、机上の資料を二つ選び出した。

 

「学校だけ追っても意味はないな」

 

 独り言のように言う。

 

 レビルは黙って待った。

 

「士官学校の予算推移、教官人事、卒業後の配属先」

 

 一つずつ指で叩く。

 

「それから、軍需教育との接続、技術者養成との関係、民間工業との結び付き。まずそこを洗わせる」

 

 ここで初めて、レビルは小さく息を抜いた。

 

 ゴップは続ける。

 

「学校を見るな。流れを見ろ」

 

 視線を上げる。

 

「若い人材が、どこから入り、どこへ抜けるか。それが見えれば、あれがただの学校かどうかくらいは分かる」

 

 それで十分だった。

 

 ゴップは全面的に同意したわけではない。

 だが、レビルの違和感を“気のせい”として捨てもしなかった。

 

 それが、この男の重さだった。

 

「ありがとうございます」

 

 レビルがそう言うと、ゴップは鼻を鳴らした。

 

「礼を言うには早い。調べてみて、何も出んかもしれん」

 

「その時は、その方が良い」

 

 レビルの返答に、ゴップの口元がほんの少しだけ動く。

 

「君は戦術家だな」

 

「あなたほど、工場を信じてはおりません」

 

「工場は裏切らんよ」

 

 ゴップは即答した。

 

「人間よりはな」

 

 それを聞いて、レビルはほんの少しだけ笑った。

 

 だがその笑いは長く続かなかった。

 

「それでも、戦争を始めるのは人間です」

 

 その一言のあと、また短い沈黙が落ちる。

 

 ゴップは指先で書類を揃えた。

 

「君が嫌な匂いを嗅いだ時、それを私は軽く見ん」

 

 顔を上げずに言う。

 

「その代わり、私が重いと見た数字を、君も軽く見るな」

 

「承知しております」

 

 レビルは立ち上がり、敬礼した。

 

 部屋を出る。

 

 廊下へ戻ると、さっきと同じように人が行き交っていた。書類の束、早口の連絡、工事の音、再編の慌ただしさ。連邦もまた、動いている。

 

 だがその動きの中心にいる者たちが、相手をどう見ているかはまだ揃っていない。

 

 そこが一番の遅れかもしれない、とレビルは思う。

 

 角を曲がり、人気の少ない通路に入ったところで、ようやく歩みを少し緩めた。

 

 サイド3で見た光景が頭に残っている。

 

 整列した若者たち。

 

 ドズルの短い訓示。

 

 ギレンの静かな祝辞。

 

 そして、場の中にいた誰もが、自分の役目を知っていたようなあの空気。

 

 大した証拠ではない。

 報告書にすれば数行で済む。

 だが、ああいうものが後で戦争になることを、レビルは知っていた。

 

 窓のない壁の前で、彼はほんの一瞬だけ足を止めた。

 

「遅れておるのは軍備ではない」

 

 声は小さい。

 

 誰にも聞かせるつもりのない独り言だった。

 

「我々の認識の方だ」

 

 そう言って、また歩き出す。

 

 将軍の足音は、すぐに廊下の慌ただしい音へ紛れた。

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