連邦軍中枢の執務区画は、昼を過ぎても慌ただしかった。
廊下の両脇には臨時の机が並び、参謀補や副官たちが書類の束を抱えて行き来している。壁際には新しい配線がまだ剥き出しのまま走り、工事用の養生板が一部に残っていた。軍の中枢といっても、完成された威容ではない。拡張と再編を続けながら、そのまま動いている場所だった。
レビルはその廊下を、足を止めずに進んだ。
窓のない通路の先、統合参謀本部議長室の扉の前で、衛兵が姿勢を正す。名乗るまでもなかった。扉が開く。
中は広かったが、整然としているとは言い難い。大きな机の上には宇宙艦隊の再編案、各拠点の整備計画、月面関連施設の報告、補給計画、輸送量試算が積み上がっている。壁面の大きな表示板には、地球圏の主要拠点と艦隊配置がいくつも映されていた。
ゴップは書類から目を上げなかった。
「来たか、レビル」
「邪魔をする」
「邪魔は朝から晩までされておる。君一人増えたところで、いまさら変わらんよ」
ようやくゴップが顔を上げる。
柔らかい顔つきではない。だが、目だけは冷たくよく働いていた。現場の将官ではない。数、期間、予算、輸送力、工業力、そういうものを秤にかけて戦争を見る男の目だった。
レビルは帽子を脇へ置き、勧められる前に腰を下ろした。
「士官学校の式典だったな」
ゴップが言う。
「ああ」
「どうだった。サイド3は」
軽い口調だったが、問いは軽くない。
レビルはすぐには答えなかった。机の脇に置かれていた資料の山をひとつ見た。地下施設整備、宇宙艦隊再編、拠点防護計画。連邦もまた、止まってはいない。むしろ、巨大な組織を動かし続けている。
そのうえで、なお気になっていることがあった。
「整っていた」
ゴップの手が止まる。
「整っていた?」
「ああ」
レビルは短く息を吐いた。
「学校も、軍も、式典も、人の配置もだ。ばらばらではなかった」
ゴップは椅子の背へ体を預けた。
「学校が立派だった、という話ではあるまいな」
「それだけなら、わざわざ来ない」
レビルの声は平坦だった。
「若者の列は若者の列でした。未熟な顔もあった。緊張している者も、浮いている者もいた。だが、その列を囲む大人たちが、妙に噛み合っていた」
「どう噛み合っていた」
「ドズルは軍を語った」
そこでレビルは、入学式の壇上を思い出す。傷のある顔、大きな体、短い言葉。虚勢ではなく、現場の重さをそのまま渡すような口調だった。
「生きて帰る士官を作る学校だ、と言った。部下を無駄に死なせるな、見栄で前へ出るな、と」
ゴップは何も言わない。
レビルは続ける。
「そのあとでギレンが立った。秩序は与えられるものではなく、支える意志で成り立つ、と。国家を支える士官を育てる場だ、と言った」
机の上の紙へ視線を落とす。
「言葉だけを拾えば、大したことはない。だが、あの場では違った」
「違ったか」
「学校を見ているつもりで、制度の入口を見せられた気がした」
そこでゴップは、ようやく真正面からレビルを見た。
「君らしい言い方だな」
半分は軽口だった。半分は、本気で聞く合図だった。
ゴップは手元の資料から一枚を抜いた。サイド3士官学校関連の予算推移表だった。すでに、最低限の資料は上がっているらしい。
「実際、数字は動いておる」
紙を机へ置く。
「施設増設。教官増員。宇宙軍との接続科目の比重増。基礎工学と兵站科目の伸び。多少、露骨ではあるな」
レビルは表を見る。
予算の伸びは急激ではない。だが、鈍く長い。思いつきではなく、継続の匂いがした。
ゴップが言う。
「だが、それでも工業力は連邦が上だ。資源、人口、生産、輸送、予算、どれを取っても勝負にはならん。サイド3がいくら国を気取ったところで、長く戦えば持たん」
その言葉に虚勢はなかった。
ゴップは戦争を、会戦の勝ち負けだけでは見ていない。鉄をどれだけ作れるか、補給をどこまで切らさず回せるか、損耗をどこまで埋められるか。国家としての体力で見ている。
だから強い。
レビルは、その見方を否定しなかった。
「戦争になれば、連邦が勝つでしょう」
ゴップの眉が僅かに動く。
そう答えると思っていなかったわけではない。ただ、そこまであっさり認めるとも思っていなかったのだろう。
「ならば、何が気になる」
レビルは一拍置いてから答える。
「戦争になる前です」
短い沈黙があった。
室内の時計が小さく鳴る。外では副官が急ぎ足で通り過ぎ、誰かに書類の不足を告げていた。だが部屋の中だけ、音が遠い。
「君は、戦争になると思うか」
ゴップが問う。
レビルはすぐには答えない。
式典で見た若者の顔を思い出す。ぎこちない敬礼。まだ硬い制服。だが、その列の前後に立つ大人たちの視線は、すでに未来の役割を決めているように見えた。
「……断定はできん」
正直に言う。
「だが、嫌な匂いがする」
そこでゴップの口元が少しだけ緩む。
「相変わらず勘が鋭いな、レビル」
いつもの軽口に聞こえる。だが、ゴップが本気で評価している時ほど、この男は軽く言う。
レビルは笑わなかった。
「勘で済めばいいのですがな」
その返しのあとで、自分の中に残っている違和感をもう少し言葉にする。
「危険なのは、過激な演説ではありません」
ゴップは黙っている。
「若者を戦わせようとしていることでもない。そういうものなら、こちらも見慣れている」
レビルは式次第の控えへ視線を落とした。
「ギレン・ザビは、若者に栄光を渡していなかった」
「ほう」
「責任を渡していた」
ゴップはそれを聞いても、すぐには頷かなかった。
その代わり、指で机を軽く叩く。考えている時の癖だった。
「扇動家は熱を使う」
レビルが続ける。
「だが、あの男は熱を使わん。冷えたまま、人を置いていた」
言い終えてから、レビルは自分の言葉が少し先走っていることに気づいた。だが引っ込めはしなかった。
ゴップが問う。
「政治家として優秀だ、と言いたいのか」
「それならまだ楽でした」
レビルは首を振る。
「優秀な政治家は、いくらでもいる。だが、軍と教育と政治と産業を、一つの方向へ並べ始めた人間はそう多くない」
それが本当に不快だった。
学校ひとつ、式典ひとつ、祝辞ひとつだけなら、何でもない。だが、それらが同じ方向を向き始めた時、組織は急に強くなる。
「地方勢力なら、あそこまで綺麗には繋がりません」
レビルはそう言った。
「まだ形にはなっておらん。だが、形にしようという意志は見えました」
ゴップはその言葉をすぐには受けなかった。
彼の目は再び机上の資料へ落ちる。艦艇再編表、拠点整備計画、兵器生産見通し。現実の数字は、なお連邦優位を示している。
「意思だけで国家は動かん」
ゆっくりと、ゴップが言う。
「鉄、燃料、食糧、工場、輸送が要る。そこでは連邦が負けることはない」
レビルは頷く。
「はい」
少し間を置く。
「だからこそ、始まる前に止めねばならんのです」
会話がそこで一度止まった。
ゴップは沈黙したまま、しばらくレビルを見ていた。軽口を返すでもなく、反論を重ねるでもなく、ただ相手の顔を見ている。
その沈黙で、レビルは分かった。
この男は、話の重さを量っている。賛成するかではない。どの範囲まで動かす価値があるかを測っている。
やがてゴップが、机上の資料を二つ選び出した。
「学校だけ追っても意味はないな」
独り言のように言う。
レビルは黙って待った。
「士官学校の予算推移、教官人事、卒業後の配属先」
一つずつ指で叩く。
「それから、軍需教育との接続、技術者養成との関係、民間工業との結び付き。まずそこを洗わせる」
ここで初めて、レビルは小さく息を抜いた。
ゴップは続ける。
「学校を見るな。流れを見ろ」
視線を上げる。
「若い人材が、どこから入り、どこへ抜けるか。それが見えれば、あれがただの学校かどうかくらいは分かる」
それで十分だった。
ゴップは全面的に同意したわけではない。
だが、レビルの違和感を“気のせい”として捨てもしなかった。
それが、この男の重さだった。
「ありがとうございます」
レビルがそう言うと、ゴップは鼻を鳴らした。
「礼を言うには早い。調べてみて、何も出んかもしれん」
「その時は、その方が良い」
レビルの返答に、ゴップの口元がほんの少しだけ動く。
「君は戦術家だな」
「あなたほど、工場を信じてはおりません」
「工場は裏切らんよ」
ゴップは即答した。
「人間よりはな」
それを聞いて、レビルはほんの少しだけ笑った。
だがその笑いは長く続かなかった。
「それでも、戦争を始めるのは人間です」
その一言のあと、また短い沈黙が落ちる。
ゴップは指先で書類を揃えた。
「君が嫌な匂いを嗅いだ時、それを私は軽く見ん」
顔を上げずに言う。
「その代わり、私が重いと見た数字を、君も軽く見るな」
「承知しております」
レビルは立ち上がり、敬礼した。
部屋を出る。
廊下へ戻ると、さっきと同じように人が行き交っていた。書類の束、早口の連絡、工事の音、再編の慌ただしさ。連邦もまた、動いている。
だがその動きの中心にいる者たちが、相手をどう見ているかはまだ揃っていない。
そこが一番の遅れかもしれない、とレビルは思う。
角を曲がり、人気の少ない通路に入ったところで、ようやく歩みを少し緩めた。
サイド3で見た光景が頭に残っている。
整列した若者たち。
ドズルの短い訓示。
ギレンの静かな祝辞。
そして、場の中にいた誰もが、自分の役目を知っていたようなあの空気。
大した証拠ではない。
報告書にすれば数行で済む。
だが、ああいうものが後で戦争になることを、レビルは知っていた。
窓のない壁の前で、彼はほんの一瞬だけ足を止めた。
「遅れておるのは軍備ではない」
声は小さい。
誰にも聞かせるつもりのない独り言だった。
「我々の認識の方だ」
そう言って、また歩き出す。
将軍の足音は、すぐに廊下の慌ただしい音へ紛れた。