妹に撃たれない方法   作:Brooks

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そして此方の兄妹はガンダム始まりの地に


第82話 始まりの地へ

三か月あれば、人は立ち直るには短く、失うには十分だった。

 

船はなくなった。 倉庫もなくなった。 帳簿の上にだけ残っていた信用も、今はもう数字にすらならない。

 

残ったのは、持ち出せた工具箱と、古い無線機と、数冊の帳簿、それから俺とセイラだけだった。

 

テキサス港の外れに借りた小さな部屋は、住まいというより、荷を仮置きする倉庫のようだった。鉄のベッドが二つ、折り畳みの机が一つ、壁際に積んだ紙箱が三つ。窓は狭く、開けても隣の棟の鈍い外壁しか見えない。

 

それでも、雨風をしのげるだけで、今の俺たちには贅沢だった。

 

箱の中には、差押え通知、契約解除、保険免責、債権照会の紙が詰まっている。捨ててしまえば少しは部屋が広くなるのに、捨てられない。捨てた瞬間、何がどう壊れたのかまで誰かに好きなように書き換えられる気がした。

 

テアボロさんがいなくなって、最初に困ったのは金ではなかった。

 

もちろん金は困った。困ったが、それより先に消えたのは、あの人が間に立って繋いでいたもの全部だった。港の連中、荷主、船員、事務、保険、工区。あの人がいたからまだ一本の縄に見えていたものが、いなくなった瞬間にばらばらになった。

 

その後始末を、俺とセイラで三か月やった。

 

結局、残らなかった。

 

セイラは机に向かっていた。紙を揃える指が細い。三か月前より痩せたのは、たぶん俺も同じだろうが、自分のことはよく分からない。ただ、セイラの頬の線と、夜になると机に伏しそうになる肩の方は嫌でも目についた。

 

それでも、あいつは紙を乱さない。

 

一度だけ、セイラがあの人をお父さんと呼んだことがあった。

 

その時だけ、テアボロさんの目元は少し柔らかくなった。

 

人は、そういうものを失ってから思い出す。

 

「兄さん」

 

セイラが封筒を差し出した。

 

上質な紙の感触だけで、こちらの生活とは別の場所から来たものだと分かる。表にはビストの名があった。

 

「さっき届いたの」

 

俺は受け取って封を切った。

 

内容は丁寧だった。住まいの手配、生活費の補助、教育や研修の斡旋、必要があれば後見の整理。俺たち兄妹が落ち着くために必要なものは、たぶん全部そこにあった。

 

「……悪くない条件ね」

 

セイラが静かに言った。

 

責める口調ではない。ただ事実として言っているだけだった。

 

俺も頷いた。

 

「悪くない」

 

悪くないどころか、今の俺たちには救いに近い。

 

それでも、その紙を持つ指先は冷えたままだった。

 

翌日の昼前、ビスト側の代理人が来た。

 

四十代の終わりか五十に届くかという男で、整った服、乱れのない髪、低すぎず高すぎない声をしていた。失礼はない。こちらを見下してもいない。だが、こちらの人生を棚へ上げて整理できる側の顔をしていた。

 

「この度のこと、心よりお悔やみ申し上げます」

 

そう言って頭を下げる。

 

丁寧だった。だが、その丁寧さは紙の上のものに近かった。

 

「財団として、お二人の今後について出来る支援があります」

 

男は書類を机に置いた。

 

「急いでお返事をいただく必要はありません。まずは生活基盤を整えていただき、その上で学び直しの機会を」

 

「住む場所は、どこになりますか」

 

セイラが訊いた。

 

男は少しだけ満足そうに頷いた。条件を聞く相手には慣れているのだろう。

 

「いくつか候補があります。まずは安全な居住区で落ち着いていただき、その後、適性に応じた研修先へ」

 

「私たちに求められることは何ですか」

 

「求める、というほどのことはありません。学び、身を立てていただければ」

 

求めることはない。

 

その言葉を、俺は信じなくなっていた。

 

何も求めない手などない。求めるものが忠誠か、沈黙か、置き場の自由か、その違いがあるだけだ。

 

俺は紙の上に並んだ言葉を見た。保護、安定、整理、再出発。全部正しい。だから余計に嫌だった。

 

テアボロさんなら、もっと上手く断ったかもしれない。もっと波を立てず、損を少なく、こちらの意地だけ残す断り方をしただろう。

 

だが今の俺には、そういう手つきはない。

 

だから、まっすぐ断るしかなかった。

 

「ありがたい話です」

 

男が顔を上げた。

 

「ですが、それは受けられません」

 

言った瞬間、部屋の空気が少しだけ冷えたのが分かった。

 

セイラは俺を見たが、口を挟まなかった。

 

男もすぐには言葉を返さない。

 

「理由を伺っても」

 

「今の自分たちに保護が必要だというのは分かっています」

 

自分の声が思ったより落ち着いていることに、俺自身が驚いた。

 

「分かった上で、それでは駄目だと思うんです」

 

「それは、なぜでしょう」

 

なぜ。

 

綺麗な答えはなかった。ただ、自分たちの置き場まで誰かに決められるのが嫌だった。全部を失った後に、それだけはまだ手放したくなかった。意地だと言われれば、その通りだった。

 

「……そこに入った瞬間、自分たちがどこへ置かれるかまで向こうに決められる気がするからです」

 

男は俺を見た。諭しも、怒りも見せない。そういう反応には慣れているのだろう。

 

「残念です」

 

そう言って立ち上がり、最後まで丁寧に頭を下げて帰っていった。

 

扉が閉まると、部屋には紙の匂いだけが残った。

 

セイラはしばらく黙っていたが、やがて封筒を折って箱の脇へ寄せた。

 

「……楽にはなったでしょうね」

 

「そうだな」

 

「でも、楽になるのと、生き直すのは違うのかもしれない」

 

俺は少しだけ息を吐いた。

 

「テアボロさんがいたら、もっと別の断り方があったのかもしれない」

 

「そんなこと」

 

「今の俺は、断ることしか出来てない気がする」

 

セイラはすぐには答えなかった。それから、机の上の紙を揃えながら言う。

 

「兄さんは、ちゃんと選んだわ」

 

短い言葉だった。

 

だが、それで少しだけ肩の力が抜けた。

 

その日はそれ以上、大きな話はしなかった。

 

夜になっても部屋は狭いままで、机の上の紙が減るわけでもなかった。だが、少なくともビストの封筒だけは箱の底に押し込んだ。明日の朝もそこにあるのだろうが、今は見たくなかった。

 

翌日の午後、来客があった。

 

ノックの音が昨日とは違った。妙に几帳面で、それでいて固くなりすぎない打ち方だった。

 

セイラが立ち、俺も自然に姿勢を正した。

 

扉を開けた先に立っていたのは、シュウ・ヤシマさんと、その娘のミライさんだった。

 

シュウさんは濃紺の背広を着ていた。年齢にふさわしい落ち着きがあり、だが会社の重役にありがちな見せつけるような圧はない。目の下には少しだけ疲れが見えた。わざわざここまで来るために、それなりの手間をかけているのだと分かる顔だった。

 

ミライさんは淡い色の服を着て、小さな花束を抱えていた。派手ではないのに、部屋の薄暗さの中では妙に目を引いた。

 

シュウさんはまず、その場で深く頭を下げた。

 

「まず、お悔やみを申し上げます」

 

その声に、俺は昨日の代理人の言葉を思い出した。

 

同じ文句のはずなのに、重さが違った。

 

「……テアボロ君には、何度も助けられました」

 

シュウさんは顔を上げた。

 

「地球を離れてテキサスへ移る時も、背を押した一人は私です。ですから今日は、仕事の顔だけで来たつもりはありません」

 

その一言で、部屋の中の空気が変わった。

 

セイラが小さく頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

俺も続いた。

 

「わざわざ来ていただいて……ありがとうございます」

 

言いながら、自分の声が昨日よりずっと自然に出ているのに気づく。

 

ミライさんは花を部屋の隅へ静かに置いた。こちらの痩せ方も、部屋の寒々しさも、たぶん一目で分かっているはずなのに、そこへ安い同情を落としてこない。

 

「少し冷えますね」

 

そう言って、ミライさんはセイラへ向き直った。

 

「お茶、私もお手伝いしていいですか」

 

セイラは少し驚いた顔をして、それから小さく笑った。

 

「そんな、来ていただいたのに」

 

「座っていて下さいって言われる方が、落ち着かないんです」

 

その言い方が自然で、部屋の空気がほんの少しだけ和らいだ。

 

俺はその様子を見ながら、妙にまっすぐな人だと思った。よく人を見るくせに、見ていることを押しつけてこない。苦手なはずの種類の相手なのに、なぜか居心地は悪くなかった。

 

ひとしきり弔いの話が済んでから、ようやくシュウさんが姿勢を正した。

 

「今日は、もう一つ話を持ってきました」

 

俺は少し身構えた。たぶんセイラもそうだったと思う。

 

だが次の言葉は、昨日のそれとは違った。

 

「保護の話ではありません」

 

シュウさんは言った。

 

「働ける場所の話です」

 

その一言だけで、少し肩から力が抜けた。

 

「場所としては、サイド6でもいいでしょう。あちらは流通も落ち着いています。暮らすだけなら、まだ楽です」

 

セイラが静かに聞く。

 

「……だが、サイド7もあります」

 

その名に、俺は顔を上げた。

 

「まだ未完成です。危険も多い。ですが、そのぶん入り込む余地がある。私の方でも建設側に話は通せます。ヤシマの名でね」

 

その時、それまで静かにしていたミライさんが少し身を乗り出した。

 

「……サイド7がオススメだわ」

 

声が妙にはっきりしていた。

 

シュウさんが娘を横目で見る。

 

「ほう。カムラン君から、まだ熱烈な頼りでも来ているのかい」

 

「もう、パパったら」

 

ミライさんは少し頬を染めた。だがすぐにこちらへ向き直る。

 

「そういう意味じゃありません。ただ、出来上がった場所より、これから出来ていく場所の方が……お二人には合う気がするんです」

 

最後の言葉の時だけ、視線がほんの少しこちらへ残った。

 

俺は少し面食らった。

 

その様子に、セイラが気づいていないはずがなかった。あいつはカップを持つ手を止め、ほんの一瞬だけミライさんと俺の間へ視線を往復させた。嫌そうな顔ではない。むしろ、少しだけ安堵したような、それでいて何かを気にかけるような、妙に複雑な顔だった。

 

兄をそんな目で見る人がいることに、安心しているのかもしれない。 だが今の俺にそれを受け止める余裕がないことも、たぶんセイラは分かっている。

 

シュウさんは軽く咳払いをして話を戻した。

 

「サイド7で必要なのは、立派な肩書ではありません。危ない仕事でも、人が嫌がる仕事でも、きちんと回せる人間です」

 

「具体的には」

 

セイラが訊く。

 

「仮設区画間の資材搬送、危険物資の移送、建設支援、作業機械を使う補助業務。汚いし危ない。ですが、現場では絶対に要る」

 

俺はその言葉を聞きながら、頭の中でテキサス港の風景を思い出していた。荷役、無線、便組み、積み替え、条件の差し替え。全部失ったつもりでいたが、やってきたこと自体が消えたわけではない。

 

「保護するつもりで来たわけではありません」

 

シュウさんは、昨日の代理人なら絶対に言わなかったことを口にした。

 

「生活を預かるのではなく、働ける場所の話を持ってきました。危ない仕事です。ですが、君たちが自分の手で立つには、その方がいいと思っている」

 

その言葉を聞いて、俺はようやく自分がずっと肩に力を入れていたことに気づいた。

 

この人は、俺たちを棚へ上げて整理しようとしていない。

 

危ない場所へ放り込む話だ。楽な道ではない。だがそれでも、そこには自分たちの足で立てる余地がある。

 

俺は珍しく、自分でも驚くほど率直に訊いていた。

 

「今の自分たちに、そこまで出来るでしょうか」

 

言ってから、しまったと思った。

 

そんな弱い言葉を、見知らぬ相手に向けるのは普段の俺ならあり得ない。だがシュウさんは、その一言に何の驚きも見せなかった。

 

「出来る者にしか、私はこういう話は持ってきません」

 

即答だった。

 

慰めでも、励ましでもない。評価だけがそこにあった。

 

だからこそ、妙に胸へ入った。

 

セイラは俺を見た。兄がそんな言葉を外へ出したことに少し驚いている顔だった。だが嫌そうではない。

 

ミライさんの視線が、そこでまたこちらへ残った。

 

その視線の意味を、その時の俺はまだ考えなかった。ただ、不思議と嫌ではなかった。

 

話は長くはなかった。

 

シュウさんは必要なことだけを言い、押しつけなかった。ヤシマ側で通せる便宜、住む場所の目処、最初に回せる仕事の種類、そういう現実の話を、無駄なく並べる。

 

その実務家らしさが、かえってありがたかった。

 

帰り際、セイラが玄関まで見送った。

 

「今日は、本当にありがとうございました」

 

形式だけの礼ではない声だった。

 

ミライさんはセイラの手を軽く握る。

 

「無理をしすぎないでくださいね」

 

セイラは小さく笑った。

 

「それは難しいかもしれません」

 

「じゃあ、少しだけでいいから」

 

その言い方に、セイラの表情がやわらいだ。

 

俺も頭を下げた。だが、それだけでは足りない気がした。

 

「……今日は来ていただいて、本当に良かったです」

 

自分でも少し間の抜けた言い方だと思った。もっと気の利いた言葉があったはずだ。だが、その時はそれしか出なかった。

 

「そう思える相手が、今はほとんどいなかったので」

 

言い終わると、シュウさんが静かに頷いた。

 

「そう言ってもらえるなら、来た甲斐がありました」

 

ミライさんは、ほんの少しだけ表情をやわらげた。シュウさんはそれに気づいているようだったが、何も言わなかった。

 

扉が閉まったあと、部屋の中はまた静かになった。

 

だが昨日の静けさとは違う。暗いままなのに、どこか地面のある静けさだった。

 

セイラが先に口を開いた。

 

「兄さん、サイド7なら……」

 

言い切らない。

 

俺もすぐには答えなかった。

 

窓の外にあるのは相変わらず隣の棟の壁だけだ。だが頭の中には、まだ見ぬサイド7の建設区画がぼんやり浮かんでいた。危ない場所。未完成の場所。だが、完成された場所ではないからこそ、自分たちの手を入れられる余地がある場所。

 

「あれは」

 

俺はゆっくり言った。

 

「救いの手っていうより、歩ける地面の話だった」

 

セイラは黙って聞いている。

 

「差し出されたのが庇護じゃなくて、働く場所だったから……俺は、あの人たちの言葉を受け取れたのかもしれない」

 

セイラは小さく頷いた。

 

「私もそう思う」

 

その一言で、もう十分だった。

 

何もなくなったと思っていた。

 

だが、失った場所の先に、まだ向かうべき場所があるのなら。

 

始まりとは、全部を失った後にだけ見えるものなのかもしれなかった。




多分ね〜ミライさんはちょいヤサグレた金髪男子に弱いハズなんよ
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