その報が届いてから、ア・バオア・クーは眠る暇を失った。
木星船団本隊の一部、アクシズ寄港を終え、帰還。 同伴艦あり。 特殊貨物あり。
文字にすればそれだけの報だったが、その中身を知る者ほど、短い報が重くなった。
軍港区画では、まだ増設の終わっていない桟橋の先で溶接の火花が散っていた。係留腕は足りず、搬送レールは昼夜の区別なく動き続け、仮設兵舎はもう仮設と呼ぶには広がりすぎている。
完成した要塞ではない。
だが、未完成であることそのものが、この場所の役目を示していた。
「そのバースは空けろ」
朝からドズルの声が響く。
「木星帰りを補給艦の横へ並べる気か。資材船は後ろだ。今日入るのは荷じゃねえ」
工廠主任が食い下がる。
「ですが、修繕待ちの艦が――」
「後ろへ回せ」
ドズルは一歩も退かない。
「木星帰りを待たせるな。外から戻るものの順を間違えるな」
その少し上、管制区画に近い観測席では、キシリアが別の種類の整理を進めていた。
「記録係は三班に分けなさい。外向け、軍内部向け、封鎖記録用」
「見学許可証は色だけでは足りないわ。腕章も変えて。遠目に見て、誰がどこまで入っていいのか分かるようにしなさい」
セシリアはその横で、端末と紙束の両方を使って到着予定を整理していた。
「本隊先頭、予測修正プラス四分。アクシズ製艦艇群、隊列維持。最後尾に木星帰還型ザンジバル改、および特殊貨物搭載艦」
ギレンは短く頷いた。
「特殊貨物は最後まで閉じたままにしろ」
「はい」
彼は朝からほとんど動いていない。
動く必要がないからだった。
どこへ何を置くかを決める者が、現場の足音まで重ねる必要はない。
その時、背後で遠慮がちな足音が止まった。
振り返ると、士官学校の制服を着たガルマが立っていた。
まだ若い。 だが、ただ兄たちのそばへ来た顔ではない。自分で見ておくべきだと考えて、ここへ立っている顔だった。
「兄上」
ガルマはまずギレンへ、それからドズルへ頭を下げた。
「木星船団の帰還を、見ておきたいのです」
ドズルが顔をしかめる。
「見世物じゃねえぞ」
「承知しております」
ガルマは引かなかった。
「それでも、見ておくべきだと思いました」
ドズルは鼻を鳴らす。
「士官学校の坊主が背伸びして来る場所じゃねえ」
そこでギレンが言った。
「見せておけ」
ドズルが兄を見る。
「兄貴」
「図上で知るのと、現物を見るのは違う」
それだけだった。
ガルマは背を伸ばして答える。
「はい、兄上」
ドズルはなおも渋い顔をしていたが、最後には吐き捨てるように言った。
「口外はなしだ。歩き回るな。見るだけにしろ」
「はい、兄上」
それで許可は下りた。
ガルマは観測デッキの一角へ立ち、眼下の軍港を見下ろした。
巨大な桟橋。 資材の山。 係留腕。 警備兵。 走る作業員。
どれも士官学校の教材にある図とは違った。 図は整っている。 現実は、むき出しだった。
「本隊視認」
観測士の声が響いた時、空気が一段沈んだ。
「木星船団、ア・バオア・クー進路へ固定」
スクリーンへ浮かび上がった艦列に、ガルマは思わず一歩前へ出た。
きれいな艦は一隻もない。
焼けた外装。 色の違う補修板。 継ぎ足したような接合部。 木星まで行って帰る距離そのものが、艦の表面へ刻まれている。
帰ってきた、というより、生きて戻った艦列に見えた。
その後ろで、新しい艦影が現れる。
「アクシズ製大型艦一、続いて同系艦複数」
観測士の声に、ドズルが低く言った。
「……本当に連れて帰ってきやがった」
先頭の一隻は、明らかにグワジン型の系譜だった。
だが本国製の艦と比べると、どこか外縁圏育ちの無骨さがある。外板の継ぎ方、補助ブロックの付き方、推進部まわりの囲い。洗練より先に、生き残るための工夫が前へ出ていた。
その後ろにも、同系統の艦影が続く。
アクシズは補給地ではない。 もう、艦を育てる場所になり始めている。
「補給地のする仕事じゃないわね」
キシリアが言う。
ギレンは目を離さないまま返した。
「だからここで受ける」
ガルマはその横顔を見て、またスクリーンへ戻る。
「あれが、アクシズで……」
言葉が途切れた。
ギレンは短く返す。
「見たままの意味だ」
最後に、一隻だけ異質な影が入った。
ザンジバル級の輪郭を持ちながら、腹部と後部に余計な補助構造を抱えた艦。 通常の姿を知っている者ほど、その違和感が分かる。
「木星帰還型ザンジバル改、一隻確認」
観測士が読み上げる。
ドズルは腕を組んだまま、唸るように言った。
「一隻だけ、か」
「だからこそ本気よ」
キシリアの声は冷たい。
「全部を変えていない。変えるべき一隻だけを選んだ」
ガルマは、次々と現れる艦影を見ながら胸の奥がざわつくのを感じた。
艦が増えたからではない。
国の外側にあったものが、そのまま形を持って戻ってくる。 その意味が、頭より先に身体へ来ていた。
最初の旗艦から搭乗ブリッジが伸びた。
先に降りてきた男を見た時、ガルマは思っていたのと違う、と感じた。
もっと威圧的な人物を想像していたのだ。 木星船団を率いて戻るのだから、それだけで大きな声と大きな身振りを持つ男を。
実際に降りてきたシャリア・ブルは、静かだった。
長身でもない。 派手でもない。 だが歩き方に無駄がなく、長い時間を外で過ごした者の静けさがあった。出航した頃より少し痩せたようにも見える。だが弱くなった痩せ方ではない。余計なものだけが削れ落ちた顔だった。
シャリアはギレンたちの前で足を止め、敬礼した。
「木星船団第一便、帰還いたしました」
ギレンがわずかに頷く。
「よく戻った」
「任を果たしたにすぎません」
その返答は、誇りでも卑下でもなかった。 ただ事実だけを置く声だった。
ドズルが横から言う。
「その任がまず重すぎるんだよ」
そこで初めて、シャリアの目元がほんのわずかに緩んだ。
「軽い任なら、木星までは参りません」
キシリアが問う。
「損耗は」
「軽くはありません」
シャリアは答えた。
「ですが、折れてはおりません」
その一言だけで、ガルマは木星までの距離を感じた。
艦の傷より、その言葉の方が重かった。
セシリアは横で名簿と実数を照らし合わせている。 失われた名も、帰ってきた名も、紙の上でしか確かめられない。 だが今は、誰もそれを口にしなかった。
シャリアの下艦が終わり、少し間を置いて別の導線が開いた。
今度は、艦を率いて帰った者ではない。
だが、その場にいる者たちの視線の質が変わる。
ギニアス・サハリン。
木星船団の実務指揮官ではない。 しかし第53話でギレンが求めた「速さと盾」の発想を、外縁圏とアクシズ側の工廠で具体化するために出されていた男だ。大型機動兵器、推進補助、護衛兵器。外でしか煮詰められなかった系譜を抱えたまま、本国へ戻ってくる。
ギレンはシャリアへ向けたものより、半歩だけ冷たい声で言った。
「少将」
ギニアスは礼を返す。
「閣下」
それだけで、二人の距離が分かる。
その背後で、特殊貨物区画の開放が始まった。
セシリアが即座に声を飛ばす。
「特殊貨物区画、開放開始。立入は許可者のみに限定します」
重いロックが外れ、通常の兵装コンテナとは比べものにならない大型コンテナが、複数の荷役ワイヤーと補助支持ごと、ゆっくりと搬出される。
ドズルが思わず言う。
「でけえな……」
キシリアは横目でそれを見る。
「見せたくないものほど、運ぶ箱は大きいものよ」
ギニアスは気にした様子もなく告げた。
「試作一号機です」
淡々とした口調だった。
「まだ完成ではありませんが、持ち帰る価値はあります」
ギレンが問う。
「完成してから持ち帰るつもりはなかったのか」
ギニアスはコンテナを見たまま答える。
「完成させるには、本国の側で見るべきものがある」
ドズルが顔をしかめる。
「外でそんなものを育ててたのか」
「外でしか育たないものもあります」
ギニアスの返しは短かった。
シャリアはそのやり取りに口を挟まない。 自分の役目が「運んだ」ことまでであり、「試す」のはこの場の別の人間だと分かっているからだ。
戻ってきたものの質が違う。
シャリアは航路と艦隊を。 ギニアスは兵器思想と試作機を。 アクシズは艦を。 ザンジバル改は、まだ名の定まらぬ推進の可能性を。
その全部を受ける場所として、ギレンはア・バオア・クーを選んだのだと、ガルマにもようやく見え始めていた。
到着直後の簡易会議は、閉鎖区画で行われた。
本格報告は後に回す。 今必要なのは、誰をどこへ置き、何をどこまで見せるかの確認だった。
ギレン、キシリア、ドズル、シャリア、ギニアス、セシリア。
席へ着くなり、ドズルが言う。
「やっぱりズムシティで見せりゃ士気が上がったぞ」
キシリアがすぐに返す。
「その代わり、何人の目に入ると思うの」
「見せて困るもんでもねえだろうが」
「困るわよ。艦の傷み方も、改修の癖も、持ち込んだものの形も、全部に目がつく」
ギレンがそこで切った。
「歓声で艦は増えん」
静かな声だった。
「評価して、使い方を決めて、初めて戦力になる」
シャリアが頷く。
「本隊も、その判断を妥当と考えます」
ギニアスもそこは異論を唱えない。
「私としても、試作機を歓待の中へ入れられるのは困ります」
ドズルが舌打ちするように笑う。
「お前が言うと腹立つな」
一瞬だけ、室内の空気が緩む。
セシリアが資料をめくる。
「木星帰還型ザンジバル改は隔離区画へ移送済みです」
ギレンは短く言う。
「通常艦とは分けて扱え。実験艦は実験艦として見る」
シャリアが補う。
「一隻だけです。全体の系統に混ぜる段階ではありません」
「その判断は正しい」
ギニアスは特殊貨物について最低限だけ述べた。
「試作一号機は再試験が必要です」 「外縁圏の環境でしか詰められなかった部分と、本国の設備でなければ見られない部分がある」
ドズルが問う。
「で、使えるのか」
「まだ完成ではありません」
ギニアスは言い切る。
「ですが、完成の前に思想は使える」
その言葉に、ギレンだけが少し目を細めた。
会議の後、ガルマは一人で上層デッキへ出た。
下では係留作業が続き、補修だらけの本隊がゆっくりと腕へ抱え込まれていく。外縁育ちのグワジン型が続き、一隻だけ異質なザンジバル改が別区画へ切り離され、封印コンテナは厳重な警備の中で奥へ運ばれていく。
そこへ、ギレンが後ろから歩いてきた。
「どう見えた」
ガルマはすぐには答えなかった。
それから、ようやく言う。
「こんなに……」
自分でも少し子供じみた言い方だと思った。だが、それ以上うまい言葉が出なかった。
ギレンが横目で見る。
「多いか」
「いえ」
ガルマは首を振った。
「重い、と思いました」
ギレンはわずかに頷く。
「そうだ」
「国力は増える時、まず重くなる」
ガルマは下を見たまま言う。
「木星まで出て、艦まで連れて帰る」 「そこまで来ていたのですね、私たちは」
「来ていたのではない」
ギレンの声は変わらない。
「そうなるよう押してきた」
ガルマはなおも下を見続ける。
封印コンテナが、作業灯に白く照らされながら奥の区画へ運ばれていく。シャリア・ブルのような静かな男もいれば、ギニアス・サハリンのように危うい熱を抱えた男もいる。戻ってきたものは、どれも同じ色ではなかった。
「兄上」
「何だ」
「皆、同じ方向を見ているのでしょうか」
ギレンは少しだけ間を置いた。
下では係留アームが新たに接続され、艦腹の補修痕が白い光に照らし出されている。
「同じ方向を向かせるのが、これからの仕事だ」
そう言って、ギレンは手すりへ片手を置いた。
ガルマはその横顔を見て、また下を見る。
帰ってきたのは艦隊だけではなかった。
距離と時間と、外で育った考え方まで一緒に戻ってきた。
それを受け止める場所として、兄上はア・バオア・クーを選んだのだ。
ならここは、港ではなく、これからの国の秤なのかもしれなかった。
下では、封印されたコンテナが、まだ名の定まらぬ次の時代を載せたまま、静かに闇の方へ運ばれていった。