妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第88話 ア・バオア・クーへ

 

その報が届いてから、ア・バオア・クーは眠る暇を失った。

 

木星船団本隊の一部、アクシズ寄港を終え、帰還。 同伴艦あり。 特殊貨物あり。

 

文字にすればそれだけの報だったが、その中身を知る者ほど、短い報が重くなった。

 

軍港区画では、まだ増設の終わっていない桟橋の先で溶接の火花が散っていた。係留腕は足りず、搬送レールは昼夜の区別なく動き続け、仮設兵舎はもう仮設と呼ぶには広がりすぎている。

 

完成した要塞ではない。

 

だが、未完成であることそのものが、この場所の役目を示していた。

 

「そのバースは空けろ」

 

朝からドズルの声が響く。

 

「木星帰りを補給艦の横へ並べる気か。資材船は後ろだ。今日入るのは荷じゃねえ」

 

工廠主任が食い下がる。

 

「ですが、修繕待ちの艦が――」

 

「後ろへ回せ」

 

ドズルは一歩も退かない。

 

「木星帰りを待たせるな。外から戻るものの順を間違えるな」

 

その少し上、管制区画に近い観測席では、キシリアが別の種類の整理を進めていた。

 

「記録係は三班に分けなさい。外向け、軍内部向け、封鎖記録用」

 

「見学許可証は色だけでは足りないわ。腕章も変えて。遠目に見て、誰がどこまで入っていいのか分かるようにしなさい」

 

セシリアはその横で、端末と紙束の両方を使って到着予定を整理していた。

 

「本隊先頭、予測修正プラス四分。アクシズ製艦艇群、隊列維持。最後尾に木星帰還型ザンジバル改、および特殊貨物搭載艦」

 

ギレンは短く頷いた。

 

「特殊貨物は最後まで閉じたままにしろ」

 

「はい」

 

彼は朝からほとんど動いていない。

 

動く必要がないからだった。

 

どこへ何を置くかを決める者が、現場の足音まで重ねる必要はない。

 

その時、背後で遠慮がちな足音が止まった。

 

振り返ると、士官学校の制服を着たガルマが立っていた。

 

まだ若い。 だが、ただ兄たちのそばへ来た顔ではない。自分で見ておくべきだと考えて、ここへ立っている顔だった。

 

「兄上」

 

ガルマはまずギレンへ、それからドズルへ頭を下げた。

 

「木星船団の帰還を、見ておきたいのです」

 

ドズルが顔をしかめる。

 

「見世物じゃねえぞ」

 

「承知しております」

 

ガルマは引かなかった。

 

「それでも、見ておくべきだと思いました」

 

ドズルは鼻を鳴らす。

 

「士官学校の坊主が背伸びして来る場所じゃねえ」

 

そこでギレンが言った。

 

「見せておけ」

 

ドズルが兄を見る。

 

「兄貴」

 

「図上で知るのと、現物を見るのは違う」

 

それだけだった。

 

ガルマは背を伸ばして答える。

 

「はい、兄上」

 

ドズルはなおも渋い顔をしていたが、最後には吐き捨てるように言った。

 

「口外はなしだ。歩き回るな。見るだけにしろ」

 

「はい、兄上」

 

それで許可は下りた。

 

ガルマは観測デッキの一角へ立ち、眼下の軍港を見下ろした。

 

巨大な桟橋。 資材の山。 係留腕。 警備兵。 走る作業員。

 

どれも士官学校の教材にある図とは違った。 図は整っている。 現実は、むき出しだった。

 

「本隊視認」

 

観測士の声が響いた時、空気が一段沈んだ。

 

「木星船団、ア・バオア・クー進路へ固定」

 

スクリーンへ浮かび上がった艦列に、ガルマは思わず一歩前へ出た。

 

きれいな艦は一隻もない。

 

焼けた外装。 色の違う補修板。 継ぎ足したような接合部。 木星まで行って帰る距離そのものが、艦の表面へ刻まれている。

 

帰ってきた、というより、生きて戻った艦列に見えた。

 

その後ろで、新しい艦影が現れる。

 

「アクシズ製大型艦一、続いて同系艦複数」

 

観測士の声に、ドズルが低く言った。

 

「……本当に連れて帰ってきやがった」

 

先頭の一隻は、明らかにグワジン型の系譜だった。

 

だが本国製の艦と比べると、どこか外縁圏育ちの無骨さがある。外板の継ぎ方、補助ブロックの付き方、推進部まわりの囲い。洗練より先に、生き残るための工夫が前へ出ていた。

 

その後ろにも、同系統の艦影が続く。

 

アクシズは補給地ではない。 もう、艦を育てる場所になり始めている。

 

「補給地のする仕事じゃないわね」

 

キシリアが言う。

 

ギレンは目を離さないまま返した。

 

「だからここで受ける」

 

ガルマはその横顔を見て、またスクリーンへ戻る。

 

「あれが、アクシズで……」

 

言葉が途切れた。

 

ギレンは短く返す。

 

「見たままの意味だ」

 

最後に、一隻だけ異質な影が入った。

 

ザンジバル級の輪郭を持ちながら、腹部と後部に余計な補助構造を抱えた艦。 通常の姿を知っている者ほど、その違和感が分かる。

 

「木星帰還型ザンジバル改、一隻確認」

 

観測士が読み上げる。

 

ドズルは腕を組んだまま、唸るように言った。

 

「一隻だけ、か」

 

「だからこそ本気よ」

 

キシリアの声は冷たい。

 

「全部を変えていない。変えるべき一隻だけを選んだ」

 

ガルマは、次々と現れる艦影を見ながら胸の奥がざわつくのを感じた。

 

艦が増えたからではない。

 

国の外側にあったものが、そのまま形を持って戻ってくる。 その意味が、頭より先に身体へ来ていた。

 

最初の旗艦から搭乗ブリッジが伸びた。

 

先に降りてきた男を見た時、ガルマは思っていたのと違う、と感じた。

 

もっと威圧的な人物を想像していたのだ。 木星船団を率いて戻るのだから、それだけで大きな声と大きな身振りを持つ男を。

 

実際に降りてきたシャリア・ブルは、静かだった。

 

長身でもない。 派手でもない。 だが歩き方に無駄がなく、長い時間を外で過ごした者の静けさがあった。出航した頃より少し痩せたようにも見える。だが弱くなった痩せ方ではない。余計なものだけが削れ落ちた顔だった。

 

シャリアはギレンたちの前で足を止め、敬礼した。

 

「木星船団第一便、帰還いたしました」

 

ギレンがわずかに頷く。

 

「よく戻った」

 

「任を果たしたにすぎません」

 

その返答は、誇りでも卑下でもなかった。 ただ事実だけを置く声だった。

 

ドズルが横から言う。

 

「その任がまず重すぎるんだよ」

 

そこで初めて、シャリアの目元がほんのわずかに緩んだ。

 

「軽い任なら、木星までは参りません」

 

キシリアが問う。

 

「損耗は」

 

「軽くはありません」

 

シャリアは答えた。

 

「ですが、折れてはおりません」

 

その一言だけで、ガルマは木星までの距離を感じた。

 

艦の傷より、その言葉の方が重かった。

 

セシリアは横で名簿と実数を照らし合わせている。 失われた名も、帰ってきた名も、紙の上でしか確かめられない。 だが今は、誰もそれを口にしなかった。

 

シャリアの下艦が終わり、少し間を置いて別の導線が開いた。

 

今度は、艦を率いて帰った者ではない。

 

だが、その場にいる者たちの視線の質が変わる。

 

ギニアス・サハリン。

 

木星船団の実務指揮官ではない。 しかし第53話でギレンが求めた「速さと盾」の発想を、外縁圏とアクシズ側の工廠で具体化するために出されていた男だ。大型機動兵器、推進補助、護衛兵器。外でしか煮詰められなかった系譜を抱えたまま、本国へ戻ってくる。

 

ギレンはシャリアへ向けたものより、半歩だけ冷たい声で言った。

 

「少将」

 

ギニアスは礼を返す。

 

「閣下」

 

それだけで、二人の距離が分かる。

 

その背後で、特殊貨物区画の開放が始まった。

 

セシリアが即座に声を飛ばす。

 

「特殊貨物区画、開放開始。立入は許可者のみに限定します」

 

重いロックが外れ、通常の兵装コンテナとは比べものにならない大型コンテナが、複数の荷役ワイヤーと補助支持ごと、ゆっくりと搬出される。

 

ドズルが思わず言う。

 

「でけえな……」

 

キシリアは横目でそれを見る。

 

「見せたくないものほど、運ぶ箱は大きいものよ」

 

ギニアスは気にした様子もなく告げた。

 

「試作一号機です」

 

淡々とした口調だった。

 

「まだ完成ではありませんが、持ち帰る価値はあります」

 

ギレンが問う。

 

「完成してから持ち帰るつもりはなかったのか」

 

ギニアスはコンテナを見たまま答える。

 

「完成させるには、本国の側で見るべきものがある」

 

ドズルが顔をしかめる。

 

「外でそんなものを育ててたのか」

 

「外でしか育たないものもあります」

 

ギニアスの返しは短かった。

 

シャリアはそのやり取りに口を挟まない。 自分の役目が「運んだ」ことまでであり、「試す」のはこの場の別の人間だと分かっているからだ。

 

戻ってきたものの質が違う。

 

シャリアは航路と艦隊を。 ギニアスは兵器思想と試作機を。 アクシズは艦を。 ザンジバル改は、まだ名の定まらぬ推進の可能性を。

 

その全部を受ける場所として、ギレンはア・バオア・クーを選んだのだと、ガルマにもようやく見え始めていた。

 

到着直後の簡易会議は、閉鎖区画で行われた。

 

本格報告は後に回す。 今必要なのは、誰をどこへ置き、何をどこまで見せるかの確認だった。

 

ギレン、キシリア、ドズル、シャリア、ギニアス、セシリア。

 

席へ着くなり、ドズルが言う。

 

「やっぱりズムシティで見せりゃ士気が上がったぞ」

 

キシリアがすぐに返す。

 

「その代わり、何人の目に入ると思うの」

 

「見せて困るもんでもねえだろうが」

 

「困るわよ。艦の傷み方も、改修の癖も、持ち込んだものの形も、全部に目がつく」

 

ギレンがそこで切った。

 

「歓声で艦は増えん」

 

静かな声だった。

 

「評価して、使い方を決めて、初めて戦力になる」

 

シャリアが頷く。

 

「本隊も、その判断を妥当と考えます」

 

ギニアスもそこは異論を唱えない。

 

「私としても、試作機を歓待の中へ入れられるのは困ります」

 

ドズルが舌打ちするように笑う。

 

「お前が言うと腹立つな」

 

一瞬だけ、室内の空気が緩む。

 

セシリアが資料をめくる。

 

「木星帰還型ザンジバル改は隔離区画へ移送済みです」

 

ギレンは短く言う。

 

「通常艦とは分けて扱え。実験艦は実験艦として見る」

 

シャリアが補う。

 

「一隻だけです。全体の系統に混ぜる段階ではありません」

 

「その判断は正しい」

 

ギニアスは特殊貨物について最低限だけ述べた。

 

「試作一号機は再試験が必要です」 「外縁圏の環境でしか詰められなかった部分と、本国の設備でなければ見られない部分がある」

 

ドズルが問う。

 

「で、使えるのか」

 

「まだ完成ではありません」

 

ギニアスは言い切る。

 

「ですが、完成の前に思想は使える」

 

その言葉に、ギレンだけが少し目を細めた。

 

会議の後、ガルマは一人で上層デッキへ出た。

 

下では係留作業が続き、補修だらけの本隊がゆっくりと腕へ抱え込まれていく。外縁育ちのグワジン型が続き、一隻だけ異質なザンジバル改が別区画へ切り離され、封印コンテナは厳重な警備の中で奥へ運ばれていく。

 

そこへ、ギレンが後ろから歩いてきた。

 

「どう見えた」

 

ガルマはすぐには答えなかった。

 

それから、ようやく言う。

 

「こんなに……」

 

自分でも少し子供じみた言い方だと思った。だが、それ以上うまい言葉が出なかった。

 

ギレンが横目で見る。

 

「多いか」

 

「いえ」

 

ガルマは首を振った。

 

「重い、と思いました」

 

ギレンはわずかに頷く。

 

「そうだ」

 

「国力は増える時、まず重くなる」

 

ガルマは下を見たまま言う。

 

「木星まで出て、艦まで連れて帰る」 「そこまで来ていたのですね、私たちは」

 

「来ていたのではない」

 

ギレンの声は変わらない。

 

「そうなるよう押してきた」

 

ガルマはなおも下を見続ける。

 

封印コンテナが、作業灯に白く照らされながら奥の区画へ運ばれていく。シャリア・ブルのような静かな男もいれば、ギニアス・サハリンのように危うい熱を抱えた男もいる。戻ってきたものは、どれも同じ色ではなかった。

 

「兄上」

 

「何だ」

 

「皆、同じ方向を見ているのでしょうか」

 

ギレンは少しだけ間を置いた。

 

下では係留アームが新たに接続され、艦腹の補修痕が白い光に照らし出されている。

 

「同じ方向を向かせるのが、これからの仕事だ」

 

そう言って、ギレンは手すりへ片手を置いた。

 

ガルマはその横顔を見て、また下を見る。

 

帰ってきたのは艦隊だけではなかった。

 

距離と時間と、外で育った考え方まで一緒に戻ってきた。

 

それを受け止める場所として、兄上はア・バオア・クーを選んだのだ。

 

ならここは、港ではなく、これからの国の秤なのかもしれなかった。

 

下では、封印されたコンテナが、まだ名の定まらぬ次の時代を載せたまま、静かに闇の方へ運ばれていった。

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