妹に撃たれない方法   作:Brooks

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第89話 切り離し前

ドズルの怒鳴り声は、朝の工廠でもよく通った。

 

「その導線は塞ぐな! 試験区画へ入る車両を止める気か!」

 

溶接の火花、搬送レールの軋み、係留腕の駆動音。その全部を押しのけて響く声に、工員たちが一斉に向きを変える。

 

昨夜まで木星帰りの艦を受け入れていたア・バオア・クーの一角は、今朝にはもう別の顔をしていた。仮設の隔壁が立ち、警備線が二重三重に引かれ、許可証の色が違う者は、その先へ一歩も入れない。工員であっても、技師であっても、知らなくていい仕事は知らされない。

 

そういう朝だった。

 

「そこの固定具、もう一度見ろ。甘い」

 

ドズルが言うと、試験主任が顔色を変えた。

 

「確認済みです」

 

「その“確認済み”が信用できねえから言ってんだ」

 

ドズルは鼻を鳴らし、巨大な遮蔽板の向こうを睨んだ。

 

まだ全貌は見えていない。だが、輪郭だけでも十分に異様だった。中央の駆動・浮揚ブロック、その前方を覆う重い防護構造、左右へ張り出す支持アームと固定ラッチ。艦でもなく、モビルスーツでもなく、単なる輸送機とも見えない。

 

見た目だけで分かる。

 

まともなものではない。

 

「大袈裟に見えますか、少将」

 

横で試験主任が恐る恐る聞いた。

 

ドズルは振り返りもせずに答える。

 

「大袈裟なんじゃねえ。大袈裟に見せとかねえと、馬鹿が覗きに来る」

 

その少し後ろで、キシリアが立ち止まった。

 

いつものように無駄のない軍服姿で、今日は珍しく白い手袋をしていた。汚したくないからではない。触れるものを自分の皮膚から切り分ける時、彼女は時々そうする。

 

「覗くだけならまだいいわ」

 

キシリアは淡々と言った。

 

「見ただけで分かった気になる手合いが一番面倒なのよ」

 

「だから閉じてる」

 

ドズルが返す。

 

「閉じるだけじゃ足りないわ。試験が始まったら記録係の出入りも切って」

 

「セシリアがもうやってる」

 

キシリアの視線が動く。

 

少し離れた管制席では、セシリアが端末と紙束の両方を使って進行表を整理していた。彼女の声は大きくない。だが、今朝はその小ささがむしろ合っていた。大声で進む仕事ではない。

 

「試験開始まで二十五分」

 

「固定フレーム、最終照合中」

 

「補助遮蔽板、開放待機」

 

「ザンジバル改試験班は第二順へ移行」

 

「わかった」

 

ドズルが短く返した。

 

キシリアは試験区画の奥を眺めたまま、少しだけ目を細める。

 

あれを動かすのか、と。

 

昨夜、コンテナの外から輪郭を見ただけでも嫌な感じはした。今朝、固定アームと支持ラッチが見えたことで、その嫌な感じはさらに具体になった。

 

あれは単体で戦うための形ではない。

 

何かを抱え、守り、連れていく形だ。

 

そういう機械は、完成した瞬間より、使い道が分かった瞬間の方が厄介だった。

 

ギレンは試験区画の一段高い観測席にいた。

 

そこから見えるように設えられた場所で、だが本人は身を乗り出すこともせず、ただ立ったまま下を見ている。表情は相変わらず読みにくい。

 

ギニアス・サハリンは、その視線を真正面から受け止めていた。

 

昨夜、報告の席で言葉を交わしてはいる。だが今日は、紙の上ではなく現物の前だ。試されるのは機械だけではない。自分の持ち帰った思想が、本国の目の前でどこまで立つか。それもまた見られている。

 

「遅いな」

 

ギレンが言った。

 

「動かす機械なら、待たせるな」

 

ギニアスは一礼した。

 

「固定重量の再照合を入れました。昨日の計測で、ラッチ側の癖が一つ見えたものですから」

 

「癖、か」

 

ギレンはそれ以上は聞かなかった。

 

キシリアが横から言う。

 

「癖で済めばいいけれど」

 

ドズルはそのやり取りを聞きながら、不機嫌そうに腕を組み直した。

 

「先に言っとくぞ。今日ここで爆ぜたら、お前の言い訳は最後まで聞かねえ」

 

ギニアスは、わずかに口元を上げた。

 

「爆ぜるような作り方はしていません」

 

「してる顔だ」

 

ドズルの返しは即座だった。

 

そこへセシリアが歩み寄る。

 

「開始十分前です」

 

「試験説明を」

 

ギレンが言う。

 

ギニアスは観測席の前に立った。試験区画の向こうでは、遮蔽板が一枚ずつ引かれ、アプサラスⅠの輪郭が露わになっていく。

 

中央の巨大な浮揚・駆動ブロック。

 

その前方へ厚く張り出した、防護構造。

 

左右へ伸びる支持アーム。

 

下方へ折れ込む固定ラッチ。

 

見栄えは悪い。

 

整った兵器ではない。

 

だが、目的だけは一目で分かる形だった。

 

「歩かせるから駄目なのです」

 

ギニアスが言った。

 

工廠の音が一瞬だけ遠のいたように感じた。

 

「着く前に息が上がる機械を、前線へ出す意味がない」

 

ドズルが鼻を鳴らす。

 

「連れていく、ってことか」

 

「そうです」

 

ギニアスの声には、昨夜よりわずかに熱があった。

 

「固定し、防ぎ、所定位置まで前へ出す」

 

「モビルスーツは戦うための機械です。そこへ着くまでに消耗させるための機械ではない」

 

キシリアが冷ややかに言う。

 

「輸送機の顔をしているくせに、ずいぶん物騒ね」

 

「輸送だけなら、ここまでの形にはしません」

 

ギニアスはアプサラスⅠを見上げた。

 

「着いた瞬間に切り離せて、その直後に戦える」

 

「そこまで含めて前線投入です」

 

ドズルが、ようやく少しだけ納得した顔になる。

 

「要するに、モビルスーツを抱えて前へ出る盾か」

 

「盾であり、足であり、時間を奪う器です」

 

ギレンが一言だけ挟んだ。

 

「いい」

 

それだけで十分だった。

 

「動かせ」

 

兵器そのものより、兵器を戦場へどう届かせるか。

 

そちらの方が、戦いの順番を変えることがある。

 

ギレンはもう、その種の機械だと見切っていた。

 

試験主任が合図を出す。

 

「第一段階、単体浮揚試験」

 

重い固定ロックが順に外れた。

 

アプサラスⅠの下部から、低く押し潰すような振動が広がる。音は思ったより小さい。巨大なものが動く時に期待する轟音がない分、むしろ気味が悪かった。

 

「出力上昇」

 

「安定」

 

「姿勢制御、保持」

 

観測員の声が続く。

 

そして、巨体がゆっくりと浮いた。

 

工廠全体が一瞬だけ息を止めたように感じられた。

 

「……静かすぎるな」

 

ドズルが言う。

 

キシリアも頷く。

 

「嫌な静かさね」

 

ギニアスは目を離さない。

 

「浮くべきものが浮いているだけです」

 

ドズルはその答えを聞いて、余計に機嫌が悪くなった。

 

巨体のわりに揺れが少ない。

 

それは成功の証だ。だが同時に、危険の証でもある。見た目の質量感と、動きの軽さが噛み合っていないものは、人の勘を狂わせる。

 

「第一段階、問題なし」

 

試験主任が告げる。

 

「第二段階へ移行。固定フレーム搬送試験」

 

遮蔽板の奥から、動力を落とした試験用フレームが引き出された。MS-01系の標準寸法を元にした、空の機体フレームだ。武装も装甲も簡略化されているが、骨格の重さと大きさだけは十分に伝わる。

 

支持アームが開く。

 

ラッチが下降する。

 

アプサラスⅠは、まるで最初からそのために作られていたような動きでフレームを抱え込んだ。

 

「固定完了」

 

「支持荷重、許容内」

 

「第二段階、開始」

 

ゆっくりと前へ出る。

 

それは“牽く”というより、“抱えたまま滑る”だった。

 

巨体がMSフレームを連れて動く。だが、抱えられている側にはほとんど無理な揺れが入っていない。通常ならモビルスーツ自身の脚で稼ぐべき移動を、まるごと別の機械が肩代わりしている。

 

「速い……」

 

観測員が思わず漏らした。

 

ドズルは目を細めた。

 

「なるほどな」

 

誰に聞かせるでもなく言う。

 

「戦う前の脚を、まとめて飛ばす気か」

 

ギニアスが返す。

 

「歩かせるより、ずっとましでしょう」

 

「ましどころか」

 

ドズルの声は低かった。

 

「前へ出る順番そのものが変わる」

 

その言い方に、ギレンがわずかに視線だけを向けた。

 

ドズルも理解したのだ、と。

 

便利な機械ではない。

 

戦場へ“着くまで”の概念を変える機械だと。

 

「第三段階へ移行」

 

試験主任が告げる。

 

「実機重量相当、固定荷重再照合」

 

今度は試験用フレームへ補助ウェイトが追加される。実際のMSに近い質量まで上げるためだ。支持アームの内側に赤い確認灯が走り、ラッチ部の再固定が行われる。

 

セシリアが端末を見ながら言う。

 

「荷重値、目標到達」

 

「出力バランス、再計算中」

 

「やれ」

 

ギニアスが言った。

 

アプサラスⅠがもう一度浮揚する。

 

保持は成立した。

 

前進に入る。

 

一瞬、うまくいったように見えた。

 

次の瞬間だった。

 

「補助ノズル偏差!」

 

技師が叫ぶ。

 

「支持側に荷重ずれ!」

 

別の声が重なる。

 

抱えられていたフレームが、ほんのわずかに左へ振れた。その揺れ自体は大きくない。だが、大きくないからこそ危ない。切り離し直前の実戦なら、そのわずかなずれが搭乗者ごと死を呼ぶ。

 

「固定入れろ、早く!」

 

係留班が走る。

 

警報が鳴り始める。

 

「待て、それを切り離す瞬間が一番危ねえ!」

 

ドズルが一歩前へ出た。

 

ギニアスは逆に乗り出す。

 

「まだだ、切るな!」

 

キシリアの声が、そこで鋭く飛ぶ。

 

「止めなさい!」

 

試験主任が一瞬だけ迷い、それから停止命令を入れた。

 

出力低下。

 

保持解除。

 

補助固定再投入。

 

警報はすぐには止まらない。金属の軋みと、圧を逃がすような低い唸りだけが、試験区画全体へ残った。

 

ようやく動きが止まった時、誰もすぐには声を出さなかった。

 

失敗ではない。

 

成立はしている。

 

そこが、なおさら嫌だった。

 

ドズルはその光景を見ながら、ようやく自分が何を嫌っていたのかをはっきり言葉に出来た。

 

そういうことか、と思った。

 

便利なんじゃない。

 

戦わせる順番そのものを変える気だ。

 

だからこそ、切り離す一瞬の間違いが、そのまま棺桶になる。

 

「次」

 

ギレンの一言で、空気が切り替わった。

 

アプサラスⅠの周囲はそのまま封鎖され、別区画へ視線が移る。

 

木星帰還型ザンジバル改。

 

こちらの試験はずっと地味だった。

 

補助推進の立ち上げ。 短時間保持。 推力安定確認。

 

アプサラスⅠのような“見た瞬間に分かる異様さ”はない。だが、その分だけ試験は繰り返しの匂いを持っている。

 

「補助駆動、起動」

 

技師が読み上げる。

 

「保持、安定」

 

観測員が続ける。

 

「推力変動、許容内です」

 

ドズルが小さく息を吐く。

 

「……こっちの方が腹には落ちるな」

 

ギニアスはわずかに眉を動かした。

 

「兵器としては地味すぎます」

 

ギレンが答える。

 

「繰り返せる地味さは、しばしば派手さより上だ」

 

キシリアが横から言う。

 

「少なくとも、今日の時点ではね」

 

ドズルは、ザンジバル改の推力保持を見ながら続けた。

 

「これなら壊れても、次に直す話ができる」

 

「あっちは一歩間違えりゃ、中身ごと終わりだ」

 

その違いが、この二つの位置を決めていた。

 

片方は地味だが積み上がる。

 

片方は危ういが、積み上がった時に戦場の順番を変える。

 

どちらも捨てられない。

 

だから厄介だった。

 

試験が終わり、人が少しずつ引いた後、試験場の端に残ったのはギレン、キシリア、ドズル、ギニアス、セシリアだけだった。

 

誰もすぐには座ろうとしない。

 

立ったままの方が、今見たものをまだ“試験”として扱える気がした。

 

ドズルが最初に言う。

 

「ろくでもねえな」

 

ギニアスが返す。

 

「役に立つろくでもないものです」

 

「兵器ってのは大抵そうだ」

 

ドズルはアプサラスⅠの方を顎で示した。

 

「だが、降ろす場所を間違えたら中身ごと棺桶だ」

 

ギニアスは黙っていた。

 

反論はしない。

 

出来ないのではない。あれを見た以上、その危険は否定しようがないからだ。

 

キシリアが言う。

 

「補助の話をするなら、機関の名はまだ出さないで」

 

ギニアスが視線を向ける。

 

「今日の段階で混ぜる話じゃないわ」

 

「補助なしでは先へ進めません」

 

ギニアスの声は、先ほどより少し低かった。

 

「だからといって、次の餌場にする話ではないの」

 

キシリアの返しは冷たい。

 

その言葉に、ギレンが割って入る。

 

「アプサラスⅠは試験継続」

 

全員が黙る。

 

「ただし、搭乗者を削る方向で進めるな」

 

「ザンジバル改は別系統で評価を続ける」

 

「片方の失敗を、もう片方で埋めるな」

 

ギニアスは唇を引き結んだ。

 

ギレンは構わず続ける。

 

「アプサラスは投入手段だ」

 

「ザンジバル改は艦だ」

 

「役目を混ぜるな」

 

「焦って答えを一つに寄せるな」

 

ドズルは、そこでようやく肩の力を少しだけ抜いた。

 

兄貴は、こういう時にいちばん冷たい。

 

そして、その冷たさが必要なのだとも分かっていた。

 

ギニアスが一礼する。

 

「承知しました」

 

キシリアはそれを見て、まだ不満げに目を細めたままだったが、何も言わなかった。

 

試験灯の白い光の下で、アプサラスⅠはまだ兵器の顔をしきっていなかった。

 

不格好な搬送機械。

 

そう言ってしまうことも出来る。

 

だが、ドズルにはもう分かっている。

 

速さが欲しいのは分かる。

 

盾が要るのも分かる。

 

だが、あれは便利な機械じゃない。

 

戦場へ着く順番そのものを変えたがる機械だ。

 

だからギレンは手元に置き、キシリアは嫌な顔をし、ギニアスは目を離さないのだろう。

 

試験灯の白さの中で、アプサラスⅠはまだ兵器の顔をしきっていなかった。

 

そのくせ、戦場の順番だけは先に変えてしまいそうだった。

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