ドズルの怒鳴り声は、朝の工廠でもよく通った。
「その導線は塞ぐな! 試験区画へ入る車両を止める気か!」
溶接の火花、搬送レールの軋み、係留腕の駆動音。その全部を押しのけて響く声に、工員たちが一斉に向きを変える。
昨夜まで木星帰りの艦を受け入れていたア・バオア・クーの一角は、今朝にはもう別の顔をしていた。仮設の隔壁が立ち、警備線が二重三重に引かれ、許可証の色が違う者は、その先へ一歩も入れない。工員であっても、技師であっても、知らなくていい仕事は知らされない。
そういう朝だった。
「そこの固定具、もう一度見ろ。甘い」
ドズルが言うと、試験主任が顔色を変えた。
「確認済みです」
「その“確認済み”が信用できねえから言ってんだ」
ドズルは鼻を鳴らし、巨大な遮蔽板の向こうを睨んだ。
まだ全貌は見えていない。だが、輪郭だけでも十分に異様だった。中央の駆動・浮揚ブロック、その前方を覆う重い防護構造、左右へ張り出す支持アームと固定ラッチ。艦でもなく、モビルスーツでもなく、単なる輸送機とも見えない。
見た目だけで分かる。
まともなものではない。
「大袈裟に見えますか、少将」
横で試験主任が恐る恐る聞いた。
ドズルは振り返りもせずに答える。
「大袈裟なんじゃねえ。大袈裟に見せとかねえと、馬鹿が覗きに来る」
その少し後ろで、キシリアが立ち止まった。
いつものように無駄のない軍服姿で、今日は珍しく白い手袋をしていた。汚したくないからではない。触れるものを自分の皮膚から切り分ける時、彼女は時々そうする。
「覗くだけならまだいいわ」
キシリアは淡々と言った。
「見ただけで分かった気になる手合いが一番面倒なのよ」
「だから閉じてる」
ドズルが返す。
「閉じるだけじゃ足りないわ。試験が始まったら記録係の出入りも切って」
「セシリアがもうやってる」
キシリアの視線が動く。
少し離れた管制席では、セシリアが端末と紙束の両方を使って進行表を整理していた。彼女の声は大きくない。だが、今朝はその小ささがむしろ合っていた。大声で進む仕事ではない。
「試験開始まで二十五分」
「固定フレーム、最終照合中」
「補助遮蔽板、開放待機」
「ザンジバル改試験班は第二順へ移行」
「わかった」
ドズルが短く返した。
キシリアは試験区画の奥を眺めたまま、少しだけ目を細める。
あれを動かすのか、と。
昨夜、コンテナの外から輪郭を見ただけでも嫌な感じはした。今朝、固定アームと支持ラッチが見えたことで、その嫌な感じはさらに具体になった。
あれは単体で戦うための形ではない。
何かを抱え、守り、連れていく形だ。
そういう機械は、完成した瞬間より、使い道が分かった瞬間の方が厄介だった。
ギレンは試験区画の一段高い観測席にいた。
そこから見えるように設えられた場所で、だが本人は身を乗り出すこともせず、ただ立ったまま下を見ている。表情は相変わらず読みにくい。
ギニアス・サハリンは、その視線を真正面から受け止めていた。
昨夜、報告の席で言葉を交わしてはいる。だが今日は、紙の上ではなく現物の前だ。試されるのは機械だけではない。自分の持ち帰った思想が、本国の目の前でどこまで立つか。それもまた見られている。
「遅いな」
ギレンが言った。
「動かす機械なら、待たせるな」
ギニアスは一礼した。
「固定重量の再照合を入れました。昨日の計測で、ラッチ側の癖が一つ見えたものですから」
「癖、か」
ギレンはそれ以上は聞かなかった。
キシリアが横から言う。
「癖で済めばいいけれど」
ドズルはそのやり取りを聞きながら、不機嫌そうに腕を組み直した。
「先に言っとくぞ。今日ここで爆ぜたら、お前の言い訳は最後まで聞かねえ」
ギニアスは、わずかに口元を上げた。
「爆ぜるような作り方はしていません」
「してる顔だ」
ドズルの返しは即座だった。
そこへセシリアが歩み寄る。
「開始十分前です」
「試験説明を」
ギレンが言う。
ギニアスは観測席の前に立った。試験区画の向こうでは、遮蔽板が一枚ずつ引かれ、アプサラスⅠの輪郭が露わになっていく。
中央の巨大な浮揚・駆動ブロック。
その前方へ厚く張り出した、防護構造。
左右へ伸びる支持アーム。
下方へ折れ込む固定ラッチ。
見栄えは悪い。
整った兵器ではない。
だが、目的だけは一目で分かる形だった。
「歩かせるから駄目なのです」
ギニアスが言った。
工廠の音が一瞬だけ遠のいたように感じた。
「着く前に息が上がる機械を、前線へ出す意味がない」
ドズルが鼻を鳴らす。
「連れていく、ってことか」
「そうです」
ギニアスの声には、昨夜よりわずかに熱があった。
「固定し、防ぎ、所定位置まで前へ出す」
「モビルスーツは戦うための機械です。そこへ着くまでに消耗させるための機械ではない」
キシリアが冷ややかに言う。
「輸送機の顔をしているくせに、ずいぶん物騒ね」
「輸送だけなら、ここまでの形にはしません」
ギニアスはアプサラスⅠを見上げた。
「着いた瞬間に切り離せて、その直後に戦える」
「そこまで含めて前線投入です」
ドズルが、ようやく少しだけ納得した顔になる。
「要するに、モビルスーツを抱えて前へ出る盾か」
「盾であり、足であり、時間を奪う器です」
ギレンが一言だけ挟んだ。
「いい」
それだけで十分だった。
「動かせ」
兵器そのものより、兵器を戦場へどう届かせるか。
そちらの方が、戦いの順番を変えることがある。
ギレンはもう、その種の機械だと見切っていた。
試験主任が合図を出す。
「第一段階、単体浮揚試験」
重い固定ロックが順に外れた。
アプサラスⅠの下部から、低く押し潰すような振動が広がる。音は思ったより小さい。巨大なものが動く時に期待する轟音がない分、むしろ気味が悪かった。
「出力上昇」
「安定」
「姿勢制御、保持」
観測員の声が続く。
そして、巨体がゆっくりと浮いた。
工廠全体が一瞬だけ息を止めたように感じられた。
「……静かすぎるな」
ドズルが言う。
キシリアも頷く。
「嫌な静かさね」
ギニアスは目を離さない。
「浮くべきものが浮いているだけです」
ドズルはその答えを聞いて、余計に機嫌が悪くなった。
巨体のわりに揺れが少ない。
それは成功の証だ。だが同時に、危険の証でもある。見た目の質量感と、動きの軽さが噛み合っていないものは、人の勘を狂わせる。
「第一段階、問題なし」
試験主任が告げる。
「第二段階へ移行。固定フレーム搬送試験」
遮蔽板の奥から、動力を落とした試験用フレームが引き出された。MS-01系の標準寸法を元にした、空の機体フレームだ。武装も装甲も簡略化されているが、骨格の重さと大きさだけは十分に伝わる。
支持アームが開く。
ラッチが下降する。
アプサラスⅠは、まるで最初からそのために作られていたような動きでフレームを抱え込んだ。
「固定完了」
「支持荷重、許容内」
「第二段階、開始」
ゆっくりと前へ出る。
それは“牽く”というより、“抱えたまま滑る”だった。
巨体がMSフレームを連れて動く。だが、抱えられている側にはほとんど無理な揺れが入っていない。通常ならモビルスーツ自身の脚で稼ぐべき移動を、まるごと別の機械が肩代わりしている。
「速い……」
観測員が思わず漏らした。
ドズルは目を細めた。
「なるほどな」
誰に聞かせるでもなく言う。
「戦う前の脚を、まとめて飛ばす気か」
ギニアスが返す。
「歩かせるより、ずっとましでしょう」
「ましどころか」
ドズルの声は低かった。
「前へ出る順番そのものが変わる」
その言い方に、ギレンがわずかに視線だけを向けた。
ドズルも理解したのだ、と。
便利な機械ではない。
戦場へ“着くまで”の概念を変える機械だと。
「第三段階へ移行」
試験主任が告げる。
「実機重量相当、固定荷重再照合」
今度は試験用フレームへ補助ウェイトが追加される。実際のMSに近い質量まで上げるためだ。支持アームの内側に赤い確認灯が走り、ラッチ部の再固定が行われる。
セシリアが端末を見ながら言う。
「荷重値、目標到達」
「出力バランス、再計算中」
「やれ」
ギニアスが言った。
アプサラスⅠがもう一度浮揚する。
保持は成立した。
前進に入る。
一瞬、うまくいったように見えた。
次の瞬間だった。
「補助ノズル偏差!」
技師が叫ぶ。
「支持側に荷重ずれ!」
別の声が重なる。
抱えられていたフレームが、ほんのわずかに左へ振れた。その揺れ自体は大きくない。だが、大きくないからこそ危ない。切り離し直前の実戦なら、そのわずかなずれが搭乗者ごと死を呼ぶ。
「固定入れろ、早く!」
係留班が走る。
警報が鳴り始める。
「待て、それを切り離す瞬間が一番危ねえ!」
ドズルが一歩前へ出た。
ギニアスは逆に乗り出す。
「まだだ、切るな!」
キシリアの声が、そこで鋭く飛ぶ。
「止めなさい!」
試験主任が一瞬だけ迷い、それから停止命令を入れた。
出力低下。
保持解除。
補助固定再投入。
警報はすぐには止まらない。金属の軋みと、圧を逃がすような低い唸りだけが、試験区画全体へ残った。
ようやく動きが止まった時、誰もすぐには声を出さなかった。
失敗ではない。
成立はしている。
そこが、なおさら嫌だった。
ドズルはその光景を見ながら、ようやく自分が何を嫌っていたのかをはっきり言葉に出来た。
そういうことか、と思った。
便利なんじゃない。
戦わせる順番そのものを変える気だ。
だからこそ、切り離す一瞬の間違いが、そのまま棺桶になる。
「次」
ギレンの一言で、空気が切り替わった。
アプサラスⅠの周囲はそのまま封鎖され、別区画へ視線が移る。
木星帰還型ザンジバル改。
こちらの試験はずっと地味だった。
補助推進の立ち上げ。 短時間保持。 推力安定確認。
アプサラスⅠのような“見た瞬間に分かる異様さ”はない。だが、その分だけ試験は繰り返しの匂いを持っている。
「補助駆動、起動」
技師が読み上げる。
「保持、安定」
観測員が続ける。
「推力変動、許容内です」
ドズルが小さく息を吐く。
「……こっちの方が腹には落ちるな」
ギニアスはわずかに眉を動かした。
「兵器としては地味すぎます」
ギレンが答える。
「繰り返せる地味さは、しばしば派手さより上だ」
キシリアが横から言う。
「少なくとも、今日の時点ではね」
ドズルは、ザンジバル改の推力保持を見ながら続けた。
「これなら壊れても、次に直す話ができる」
「あっちは一歩間違えりゃ、中身ごと終わりだ」
その違いが、この二つの位置を決めていた。
片方は地味だが積み上がる。
片方は危ういが、積み上がった時に戦場の順番を変える。
どちらも捨てられない。
だから厄介だった。
試験が終わり、人が少しずつ引いた後、試験場の端に残ったのはギレン、キシリア、ドズル、ギニアス、セシリアだけだった。
誰もすぐには座ろうとしない。
立ったままの方が、今見たものをまだ“試験”として扱える気がした。
ドズルが最初に言う。
「ろくでもねえな」
ギニアスが返す。
「役に立つろくでもないものです」
「兵器ってのは大抵そうだ」
ドズルはアプサラスⅠの方を顎で示した。
「だが、降ろす場所を間違えたら中身ごと棺桶だ」
ギニアスは黙っていた。
反論はしない。
出来ないのではない。あれを見た以上、その危険は否定しようがないからだ。
キシリアが言う。
「補助の話をするなら、機関の名はまだ出さないで」
ギニアスが視線を向ける。
「今日の段階で混ぜる話じゃないわ」
「補助なしでは先へ進めません」
ギニアスの声は、先ほどより少し低かった。
「だからといって、次の餌場にする話ではないの」
キシリアの返しは冷たい。
その言葉に、ギレンが割って入る。
「アプサラスⅠは試験継続」
全員が黙る。
「ただし、搭乗者を削る方向で進めるな」
「ザンジバル改は別系統で評価を続ける」
「片方の失敗を、もう片方で埋めるな」
ギニアスは唇を引き結んだ。
ギレンは構わず続ける。
「アプサラスは投入手段だ」
「ザンジバル改は艦だ」
「役目を混ぜるな」
「焦って答えを一つに寄せるな」
ドズルは、そこでようやく肩の力を少しだけ抜いた。
兄貴は、こういう時にいちばん冷たい。
そして、その冷たさが必要なのだとも分かっていた。
ギニアスが一礼する。
「承知しました」
キシリアはそれを見て、まだ不満げに目を細めたままだったが、何も言わなかった。
試験灯の白い光の下で、アプサラスⅠはまだ兵器の顔をしきっていなかった。
不格好な搬送機械。
そう言ってしまうことも出来る。
だが、ドズルにはもう分かっている。
速さが欲しいのは分かる。
盾が要るのも分かる。
だが、あれは便利な機械じゃない。
戦場へ着く順番そのものを変えたがる機械だ。
だからギレンは手元に置き、キシリアは嫌な顔をし、ギニアスは目を離さないのだろう。
試験灯の白さの中で、アプサラスⅠはまだ兵器の顔をしきっていなかった。
そのくせ、戦場の順番だけは先に変えてしまいそうだった。