妹に撃たれない方法   作:Brooks

93 / 226
第93話 数字になる前の手

 

翌朝、戸口を叩く音はまだ控えめだった。

 

セイラが先に気づいて立ち上がると、外にはミライがいた。いつもの籠を両手で持っている。だが今日は、その布のかかり方が少し違っていた。少しだけ、厚みがある。

 

「おはようございます」

 

「おはよう、ミライさん」

 

ミライは少しだけ視線を泳がせ、それから籠を差し出した。

 

「今日は、少し多めにしてあります」

 

セイラが受け取る前に、エドワウも奥から顔を出した。

 

「詰所で食べるなら、足りないかもしれないと思って」

 

言い終えてから、言いすぎたと思ったのか、ミライはわずかに頬を赤くした。セイラがくすりとしそうになるのをこらえる。

 

エドワウはそのまま籠を受け取った。

 

「助かります」

 

その返し方に、妙な含みはなかった。ただ、本当に助かるときの声だった。

 

「今日は、何人かに話を聞くつもりなので」

 

ミライの目が少しだけ大きくなった。

 

「……そうですか」

 

短い返事だったが、それで十分だった。昨夜の食卓で出た話を、兄がただ受けただけではないことは、その一言で分かる。

 

セイラは籠の重みを確かめながら兄の横顔を見た。寝不足のはずなのに、顔つきが違う。押し流されるのではなく、自分から見に行く人の目をしていた。

 

出る支度をしながら、エドワウは卓の上の古いノートを開いた。ページの上に鉛筆を転がし、セイラへ向ける。

 

「止まった荷だけ書いても足りない」

 

「うん」

 

「どこで止まったかと、誰がいれば動いたか、そこまで要る」

 

セイラはすぐにノートを引き寄せた。

 

「人の方も書くの」

 

「書く」

 

エドワウは迷わなかった。

 

「荷物だけ見ても、また後で同じところで止まる」

 

セイラは前のページを破って、新しく欄を引き直した。工区、便の時刻、荷の種類、止まった場所、そこで待った時間、動かした人間、いなければ止まったままになった箇所。

 

それから、少し考えてもう一本線を足した。

 

「これも入れる」

 

「何だ」

 

「何を言われたか。上の人に」

 

エドワウはその欄を見て、うなずいた。

 

「それも要る」

 

詰所へ向かう途中、朝の通路はもう動き始めていた。建設途中の壁材を積んだ台車が通り、工具箱を抱えた若い工員が走り、朝一番の便を待つ者たちが顔をしかめている。人は多いのに、どこか足りていない。そんな空気がいつもよりよく見えた。

 

詰所に入ると、タツミが先にいた。帳場の男と話している。声は抑えているが、耳を澄ませば聞こえる程度の大きさだった。

 

「小さい荷物を、まとめて見られないかって話が上で出たんですがね」

 

帳場の男は眉をひそめた。

 

「まとめるって、誰がです」

 

「そこなんですよ」

 

「運ぶのは搬送班でしょう。荷札を書くのはうちでしょう。受け取りの帳面は向こうでしょう。危ない荷の固定なんて、その時呼べる奴を呼ぶしかない。いまさら箱だけまとめたって、手が一つになるわけじゃないですよ」

 

タツミは苦笑いで受けていたが、帳場の男は止まらなかった。

 

「それに、小さい荷をまとめて誰か一人に背負わせるくらいなら、その都度、手の空いたところを回した方が早いです。今までそうしてきたんだから」

 

「まあ、そういう返事になりますよねえ」

 

そこで話は終わった。タツミが振り向き、エドワウたちに気づく。

 

「おはようございます。早いですねえ」

 

「おはようございます」

 

エドワウはそれ以上その話に触れなかった。タツミも、今聞かれたくないものを聞かれた顔はしない。ただ、どこか腹の中で算盤を弾いている目だけが残った。

 

セイラが小さくノートに書く。

 

社内でまとめる話。朝の時点で持ち場ごとに止まる。

 

その日の午前便は、思った以上に細かかった。交換用の弁、補修用の配線束、小さなフィルターの箱、学区の厨房で使う細い管材。大きな資材の陰に隠れるような荷ばかりが、急ぎの印だけつけられて積まれている。

 

最初の一本を通しただけで、もう一時間近くが削られていた。

 

昼の休みは、座れば終わるほど短い。詰所の裏手の風の抜ける場所に腰を下ろし、セイラが弁当の包みを開く。いつもより一段多い。煮物が少し、卵焼きがひと切れ多い。ミライらしい、押しつけがましくない増やし方だった。

 

「本当に多いわね」

 

「助かる」

 

エドワウはそう言ってから、少し先で水筒を口につけているミナへ目を向けた。

 

「ミナさん」

 

呼ばれたミナは、すぐには来なかった。返事もせず、こちらを見ただけだ。だがエドワウが立ち上がらずに待っていると、やがて面倒そうに歩いてきて、少し離れた木箱へ腰を下ろした。

 

「何」

 

「前から気になっていたんですが」

 

「ろくな前置きじゃないわね」

 

「まだ決まった持ち場には上げてもらえないんですか」

 

ミナの顔が、わずかに固くなった。聞かれ慣れた嫌なことを聞かれたときの顔だった。

 

「ないわよ」

 

「どうしてです」

 

ミナは肩をすくめた。

 

「慎重すぎるって言われるもの」

 

セイラの箸が止まる。

 

「慎重だと、駄目なの」

 

「急げば雑だって言うし、慎重にやれば遅いって言う」

 

ミナは笑っていなかった。

 

「でも壊したら、今度は“だから駄目だ”になる」

 

エドワウは少しだけ目を伏せる。

 

「壊さなかった日は」

 

「何も残らない」

 

ミナは即答した。

 

「早かった日は、たまたま。遅れた日は、お前のせい。そういう日もあるってだけ」

 

セイラがノートに書き込む手に力を入れる。壊さない。遅いと言われる。早くても手柄にならない。

 

「それでも、呼ばれるんですね」

 

「他にやれるのがいない時はね」

 

「でも、持ち場は決まらない」

 

ミナはそこでようやく薄く笑った。

 

「そう。使う時だけ、使うの」

 

言ってから立ち上がる。呼び止める前に、もう背中を向けていた。

 

少し離れたところで、リョウが膝に帳票を広げていた。セイラがノートを持って近づくと、リョウはすぐに気づいて紙を押さえる。

 

「見せてもらってもいい?」

 

「……何をです」

 

「この書き方で足りるかどうか」

 

セイラがノートを見せると、リョウは戸惑いながらも目を落とした。欄を指で追い、少し考える。

 

「理由のところ、もう少し分けた方がいいです」

 

「どう分けるの」

 

「受け取りが遅れたのか、途中で待ったのか、人が足りなかったのか。そこが一緒だと後で分からなくなります」

 

「いつも、こういうの見てるのね」

 

「見てます」

 

短く答えた声には自慢も愚痴もなかった。

 

「じゃあ、直せそうなら直すんですか」

 

「直します」

 

「名前は残るの」

 

リョウはそこで少しだけ笑った。苦いとも違う、小さな空気の抜けるような笑いだ。

 

「直ってたら、それで終わりです」

 

エドワウが横から覗き込む。

 

「誰が最初に気づいたか、書いてなかったんですね」

 

「要りませんから」

 

「今日から要ります」

 

リョウが顔を上げた。

 

「……え」

 

「誰が先に見つけて、どこを直したか。後で見返せるようにしたい」

 

リョウは答えず、ノートとエドワウの顔を見比べた。しばらくしてから、静かにうなずく。

 

「じゃあ、欄をもう一つ増やしてください」

 

セイラがすぐに書き足した。

 

その日の午後、オーウェンはまた一つ、勝手としか言いようのない手を使って便を間に合わせた。工区の脇の狭い通路を抜け、通常なら回り込む小型搬送機を二分短く通したのだ。見ていた班長が終わった後で顔をしかめる。

 

「勝手に切るな」

 

それだけ言って去った。褒めも叱責も半端な言い方だった。

 

昼より少し遅い休みに、エドワウは壁に背を預けているオーウェンへ声をかけた。

 

「今のがなかったら、間に合わなかったですよね」

 

「そうかもな」

 

「それでも元の班へは戻れないんですか」

 

オーウェンは鼻で笑った。

 

「助かったのと、信用するのは別なんだってさ」

 

「今の道、前から知ってたんですか」

 

「知ってたよ。前にも使った」

 

「先に出したことは」

 

「あるわけないだろ」

 

オーウェンは缶を傾けながら言った。

 

「勝手にやるなって言われるのは同じでも、出す前なら笑われて終わりだ」

 

エドワウは少し考えてから言った。

 

「じゃあ、次は便が出る前に見せてください」

 

オーウェンが眉を上げる。

 

「誰に」

 

「僕にでも、タツミさんにでも。紙に描いて」

 

「……それで通るなら、最初からそうしてる」

 

「通るかどうかは、出してみないと分かりません」

 

オーウェンはしばらく黙っていたが、やがて肩をすくめた。

 

「変な坊ちゃんだな」

 

「よく言われます」

 

その返しに、オーウェンは小さく吹き出した。

 

午後便の前、別の持ち場へ荷を渡しに行くマテオを見つけて、エドワウは歩調を合わせた。

 

「そんなに通るなら、どこかの班にちゃんと入ればいいじゃないですか」

 

マテオは笑う。

 

「どこかに入ったら、こういうことは出来なくなるよ」

 

「どうしてです」

 

「どこかの班の人間になるだろ」

 

マテオは通路の先を顎で示した。

 

「こっちの人間って顔で向こうへ行って、向こうの人間って顔でまたこっちへ戻る。今はそれが出来る。どこか一つに決まったら、半分は通らなくなる」

 

「嫌がられるからですか」

 

「そりゃそうだよ。よその班の奴が、自分の持ち場に口を出してくるんだから」

 

「でも、今やってることは必要なんですよね」

 

マテオはそこで振り返らなかった。

 

「必要だから呼ばれるんだよ」

 

それだけ残して、向こうの通路へ消えた。

 

危ない荷の固定が出たのは、その次の便だった。締め具の位置が悪く、揺れたら箱ごと滑る。レイフが無言で呼ばれ、工具を持ってやって来る。余計な声もなく、手だけで直した。

 

終わったところで、エドワウが短く尋ねる。

 

「こういう時は、いつも呼ばれるんですか」

 

「そうだ」

 

「終わったら」

 

「戻る」

 

セイラが横から言う。

 

「危ない荷を見る役として、置くわけじゃないのね」

 

レイフの手が一瞬だけ止まった。だが顔は上げない。

 

「置かない」

 

それで話は終わった。

 

セイラはノートの端に書く。

 

止まらなかった便。帳面では見えにくい。

 

荷受け側でまた荷札がずれたのは、その翌日だった。箱の数と控えが合わない。カイロが前へ出て声を荒げる前に、アマニが紙を見ている。細い指が、抜けている欄を探すように上下した。

 

休みにセイラが二人へ声をかける。

 

「いつもこうなるの」

 

アマニは少し迷ってから答えた。

 

「毎回ではないです」

 

「でも、たまに最初から抜けてます」

 

「最初から」

 

「はい。書かれてないことがあります」

 

エドワウがすぐに聞く。

 

「入った数に入っていない」

 

アマニは小さくうなずく。

 

カイロが腕を組んだまま口を挟む。

 

「俺はいいんだ」

 

誰も何も言わないうちに、彼は続けた。

 

「俺はどうせ前に出るからな。けど、こいつまでなかったことにされるのは困る」

 

セイラがアマニを見る。

 

「だから前に出るのね」

 

カイロは肩で息をした。

 

「そうだよ。黙ってたら、そのまま終わる」

 

アマニは反論しない。ただ、控えの角をきちんと揃えていた。

 

四日目の午後、エドワウは一度だけ、聞いたことをそのまま便に入れた。

 

大きなことはしない。いつもの流れを少し前へずらすだけだ。

 

オーウェンには、先に通路の案を紙に描かせた。雑な線だったが、塞がりやすい角と避けるべき荷の位置が書いてある。それをタツミの前へ持っていき、便が出る前に一度だけ見せる。

 

リョウには、遅れの理由を先に分けさせた。まだ遅れていないものまで分類するのは妙な顔をされたが、紙が一枚あるだけで、後から揉める相手が減った。

 

レイフには、危ない荷だけ便の前に見せた。積み始める前に締め具を一つ変えただけで済んだ。

 

アマニには、受け取る数と荷札を便の前に照らしてもらった。そこで一箱、行き先欄が空欄のまま積まれかけていたのが見つかった。

 

カイロには、荷受け側の通路を先に空けてもらうよう頼んだ。彼は文句を言いながらも、最後には木箱を二つどかした。

 

マテオには、向こうの持ち場へ一つだけ先に声を通してもらった。あらかじめ一声あるだけで、返事が違う。

 

そしてミナには、その前提で荷を崩さず運んでもらう。

 

セイラは詰所の柱の脇で時計を見ながら、時刻を書き留めた。

 

便は滑るようには進まなかった。途中で一度、荷受け側の手前で台車が詰まりかける。別の便の空箱が通路の真ん中に残っていたからだ。

 

「あっ」

 

セイラが思わず声を出した時、カイロが舌打ちしながら前へ出て、その箱を蹴るように端へ寄せた。

 

「だから先に空けとけって言ったろ!」

 

怒鳴りながらも、その声は通路の向こうへ飛んでいく。受け側がようやく動いた。

 

その間にミナが荷を揺らさずに止め、レイフが一つだけ固定具を押し直す。オーウェンの描いた抜け道どおり、小型搬送機が角を一つ余計に回らずに済む。アマニが控えを見て、最後の箱の荷札を差し替える。

 

ほんの数分のことだった。だが、いつもならそこで二十分は溶けていた。

 

便が抜けたあと、セイラは時計を見た。

 

「早い」

 

自分でも驚くくらい小さな声だった。

 

エドワウは答えず、通っていく荷の背を見ていた。ミナは何も言わない。オーウェンだけが口の端を少し持ち上げる。リョウは紙の端を指で叩き、アマニはもう次の控えへ目を落としていた。

 

誰も大げさには喜ばなかった。ただ、さっきまで自分がやっていたことが、無駄ではなかったと分かる顔だけが残った。

 

その便のあとでタツミが来た。手元の紙を見て、時計を見て、通路の方を振り返る。

 

「いいですねえ」

 

口調はやわらかい。だが目は笑っていない。

 

「その形で回るなら、しばらく補助のままでお願いしますよ」

 

セイラが顔を上げる。

 

「元の持ち場に戻す話は」

 

タツミは困ったように笑った。

 

「今はこっちの方が役に立つでしょう」

 

「でも」

 

「必要なんですから」

 

エドワウがそこで口を開いた。

 

「必要なら、ちゃんと置いた方がいいんじゃないですか」

 

タツミは少しだけ首を傾げた。

 

「置く場所があればねえ」

 

「今の便で動いた人たちです。戻したら、また別々になります」

 

「それはそうです」

 

あっさり認めてから、タツミは肩をすくめる。

 

「でも会社ってのは、そういうものですから」

 

その言い方に悪びれはなかった。むしろ親切なくらいだった。だから余計に、ミナたちの顔が固くなる。少し離れたところで聞いていた彼らは、自分のことを言われていると分かっていた。

 

夜、仮住まいへ戻ると、二人はすぐに机へ向かった。まだ食事の前なのに、ノートを開く方が先だった。

 

セイラが一つずつ読み上げる。

 

「ミナさん。壊さなかった日は残らない」

 

「うん」

 

「オーウェンさん。助かったのと、信用するのは別」

 

「うん」

 

「リョウさん。直ってたら、それで終わり」

 

「……うん」

 

「マテオさん。どこか一つに決まったら、半分は通らなくなる」

 

「そうだな」

 

「レイフさん。終わったら戻る」

 

ページをめくる。紙の上には、荷の名と人の言葉が隣り合って並んでいた。

 

「こっちは荷」

 

セイラの声が少し低くなる。

 

「小さい箱。後回し。行き先の欄が空いてたのが一つ」

 

「別の持ち場へ渡す荷。先に声が通ってないと待つ」

 

「危ない荷。先に見ればすぐ済む」

 

「荷受け側の通路。空いていないとそこで詰まる」

 

エドワウは肘をついて聞いていたが、やがてノートを自分の方へ寄せた。鉛筆で人の欄と荷の欄を軽く結ぶ。

 

「これ、似てるな」

 

セイラが兄の手元を見る。

 

「どこが」

 

「先に名前があるかどうかだ」

 

セイラはしばらく黙った。兄は続ける。

 

「箱も、人も、最初からそこに書いてあれば通る。書いてないと、途中で誰かが拾うまで残る」

 

それは大きな言葉ではなかった。ただ、その数日見てきたものを、そのまま机の上に置いた言い方だった。

 

セイラは自分のページを見た。

 

「アマニさん、最初から抜けてるって言ってた」

 

「うん」

 

「ミナさんも、壊さなかった日は残らないって」

 

「うん」

 

セイラは鉛筆を持ち直し、新しい欄に小さく書く。

 

最初に書かれていない。

 

それだけだった。だが、その一行は何よりも分かりやすかった。

 

週の終わり、二人はノートと紙束を持ってヤシマ会長の前へ座った。

 

前と同じ食卓ではない。仕事の机だった。広い天板の上に、余計なものは少ない。窓の外はもう夕方の色をしている。

 

「見せてみなさい」

 

会長はそう言って椅子に深く腰を下ろした。

 

エドワウは最初に数字から入った。便の本数、小さい荷の件数、止まった回数、止まっていた時間。理由の内訳。受け側で待ったもの、荷札の不備、危ない荷の再固定、向こうの持ち場へ先に声が必要だった便。

 

途中で一度も、格好のいいことは言わなかった。ただ紙をめくり、必要なところだけ指で示した。

 

「この日の午後便は、普段より二十三分早く抜けました」

 

「理由は」

 

「便の前に、荷札と数を照らしたこと。危ない荷を先に見たこと。通路を先に空けたこと。向こうへ先に一声通したことです」

 

会長は黙って聞いている。

 

エドワウは次の紙へ移った。

 

「ただ、同じことを社内でまとめて持とうとすると、また元へ戻ります」

 

「どう戻る」

 

「運ぶ人は元の班へ戻ります。荷札を書く人は帳場へ戻ります。受け取りの確認は向こう持ちです。危ない荷を見る人も、終われば元の持ち場へ返されます」

 

「その者たちは、今回同じ便を通したのだろう」

 

「はい」

 

「だが終われば散る」

 

「はい」

 

会長はそこで初めて、指を組んだ。

 

セイラが横から紙を一枚出す。人の名前は伏せてある。代わりに、その人が何をしたかと、そのあとどう扱われているかだけが書いてあった。

 

壊さなかったが、上げない。 直したが、名は残らない。 間に合わせたが、勝手だと言われる。 通せるが、どこか一つには置けない。 危ない荷を見られるが、終われば戻る。 数を見られるが、最初から抜けることがある。

 

会長はその紙を見たまま、しばらく何も言わなかった。

 

やがて低く息を吐く。

 

「社内で持つことも考えた」

 

エドワウもセイラも黙っていた。

 

「だが、それではまた散るな」

 

窓の外で、遠く別の便の搬送音がした。金属の車輪が継ぎ目を越える音だ。

 

会長は視線を上げた。

 

「なら、外で一つに受けた方が早い」

 

その言葉は、昨夜の思いつきではなかった。この一週間の紙の重みを通って、ようやく机の上へ出てきた声だった。

 

エドワウは小さくうなずいた。

 

「はい」

 

会長は紙束の端を揃える。

 

「急には大きく出来ん。だが、小さく始めるなら出来る」

 

「仕事を置く場所と、回し始める金が要る」

 

「それも出そう」

 

会長はそこで少しだけ目を細めた。

 

「お前たちは、一週間でよく見たな」

 

セイラは兄の横顔を見る。エドワウは照れたような顔はしなかった。ただ、正しく見なければならないものを見た人の顔だった。

 

帰り道、二人はほとんど喋らなかった。疲れていたし、ようやく形になり始めたものを、口にして崩したくなかった。

 

仮住まいへ戻ると、机の端にまた次の便の票が置かれていた。誰かが預けていったのだろう。端が少し折れている。

 

セイラはそれを見て、先に靴を脱いだ。

 

兄はまだ立ったまま、その票を見ている。

 

明日、誰の話を聞くか。もうそこではない。

 

誰に、どう声をかけるか。 どこへ行けば、あの人たちを先に書けるのか。

 

セイラはそれを、もう考えていた。




こうして運送屋を始めることになります。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。