ズムシティの軍工廠は、朝の空気まで規格で出来ているような場所だった。
廊下は磨かれ、壁際には同じ寸法の搬送箱が並び、箱の側面には黒い塗料で規格番号が打たれている。留め具の位置まで揃っていた。人間の歩幅より、箱の幅の方が先に決まっている。そういう景色だ。
マ・クベは、その廊下をウラガン中尉と並んで歩いていた。
靴音はよく響く。響くが、不快ではない。よく整えられた場所の音は、それだけで気分を害しにくい。
「各社、到着しております」
ウラガンが一歩後ろから言った。
「ザビ家の方々も、ほどなく」
「そうか」
マ・クベは短く返した。
廊下の角を曲がると、規格化された交換部材の棚が見える。腕部関節ユニット、脚部駆動系、視界センサー、操縦席ブロック。札の付け方まで揃っていた。
よろしい、とマ・クベは思った。
機体は一機でも作れる。器用な工場なら、気合と徹夜で立たせることも出来る。
だが、同じ工具で二機目、三機目を立たせられるかは別の話だ。
兵器は一機で脅威になるのではない。
列になった時に脅威になる。
「今日は“機体”を見に来たつもりの方が多いだろう」
歩きながら言う。
ウラガンは少し考えてから答えた。
「そのように見えます」
「結構」
結構なことだ。
見たいものだけを見に来る者は、見せたいもの以外を見落とす。案内役としては、この上なく扱いやすい。
格納庫前には、もう各社の人間が揃っていた。
ジオニックの重役が最初に目につく。軍に見せる機体が自社のものだと分かっている顔だ。胸を張り、口元にだけ慎みを貼りつけている。ああいう顔は分かりやすい。
勝ったと思っている。
結構。
勝ったと思っている者は、自分の椅子を失うのを一番恐れる。次の要求を呑ませるのに都合がいい。
ツィマッドの男は、逆に格納庫の中を見ていた。布のかかった機体ではなく、床に置かれた予備推進器や交換ラックの方を見ている。あちらは数字を勘定している顔だ。
不満はある。
だが、不満がある者は性能で見返そうとする。
それもまた、統制の下では上等の燃料になる。
MIPの主任は、露骨に退屈そうだった。人型機には最初から興味が薄い。大型特殊機の順番はまだ先だ、と顔に書いてある。
それでいい。
焦れた者は動く。動く者は、使いやすい。
「お待たせしました」
マ・クベが声をかけると、各社の人間が一斉にこちらを向いた。
礼はする。だが浅い。企業の人間らしい、値踏みの入った礼だ。
十分だった。へつらう者より、まだましだ。
「本日はご足労いただき感謝します」
柔らかく言う。
「統合整備計画の成果を、こうして形でお見せできるのは、諸君の尽力あってのことです」
ジオニックの重役が、少しだけ満足そうに顎を引いた。
褒め言葉は配るべき時に配る。安いもので機嫌が良くなる相手は、こちらの財布に優しい。
その時、格納庫の奥から怒鳴り声がした。
「違う! そっちじゃねえ!」
誰もがそちらを見た。
整備兵が二人、工具箱の前で固まっている。その前に立っているのが、ガデムだった。
背はそれほど高くない。だが、前へ出ると周囲が一歩引く体つきをしている。顔も声も、最初から謝るつもりのない男のそれだ。
「規格が同じだからって、何でも同じ手で締めるな!」
「そこは締める順番が先だ!」
整備兵が小さく返事をする。
ガデムはそれを聞き流し、今度は工具箱を指で叩いた。
「箱を混ぜるな! 次に手ぇ出す奴が迷うだろうが!」
いい怒鳴り方だ、とマ・クベは思った。
人前で格好をつける怒鳴り方ではない。本当に急いでいる者の声だ。
ウラガンが小さく言った。
「……始まる前から騒がしいですね」
「よろしい」
マ・クベは歩き出した。
「静かな格納庫など、墓と変わらん」
ガデムのところまで行くと、彼はようやくこちらに気づいて敬礼した。
礼はする。だが、遅い。そこも悪くない。
「ガデム軍曹」
「はっ」
「機嫌がよろしいようだ」
ガデムは眉を寄せた。
「機嫌がいいんじゃありません」
「ほう」
「遅ぇんです」
その返しに、後ろの企業重役たちの顔が少しだけ動く。
マ・クベは笑わない。
「何が」
「歩くのは当たり前です」
「そうだろうな」
「立つのも当たり前です」
「もっともだ」
「転んでから起きるか」
「止まってから、どれだけ早く戻せるか」
「そこからです」
いい。
実にいい。
こういう男が一人いるだけで、兵器は展示物でなくなる。軍の現場は礼儀で回るのではない。工具で回る。
「あとで、その“そこから”も見せてもらおう」
「願ったりです」
ガデムは本気でそう思っている顔だった。
ジオニックの重役は、少し嫌そうにした。
結構。
開発屋は披露会を好む。現場は故障を好む。兵器は後者で育つ。
ほどなくして、ザビ家の人間が到着した。
先頭はギレンだった。歩調が乱れない。視線も忙しくない。だが、最初に見たのは布のかかった機体ではなく、その奥の棚だった。並ぶ部材、交換ラック、搬送具。機体より先に、続くものを見る目だ。
やはりそう来るか、とマ・クベは思う。
総帥は兵器を見ているのではない。兵器を生む速度を見ている。
その後ろにキシリア。機体の輪郭より、立っている技術者の顔を見ている。誰が怯えていて、誰が隠していて、誰が自分の手柄だと思っているか。そういう目だ。
そしてドズルは、布の向こうの大きさを素直に見ていた。期待がある。兵器を兵器らしく喜べる者は、率直で助かる。
マ・クベとウラガンは揃って一礼した。
「お運びいただき感謝します」
マ・クベが言う。
「統合整備計画に基づく初の主力量産機試作兵器、そのお披露目です」
ドズルが鼻を鳴らした。
「ずいぶん勿体ぶるじゃねえか」
「見せる前に名を言っても、喜びは増えませんので」
少しだけ笑って返す。
ドズル公は率直で助かる。だが率直な者には、少しだけ待たせた方が場が締まる。
ギレンは機体を見ず、先に聞いた。
「整備交換時間は」
やはり、そこか。
見栄えでも、火力でもない。回転数だ。兵器を作る者ではなく、兵器を増やす者の問いだ。
「右腕交換、規定手順で十一分」
「脚部ユニット交換、同規格工具で十七分」
「操縦席ブロック単位の引き抜きも可能です」
ギレンは短く頷いた。
ドズルは不満そうに言う。
「先に見せろよ」
「もちろん」
マ・クベは布の前へ立った。
「では」
合図とともに、整備兵がシートを引いた。
姿が現れた瞬間、格納庫の空気が少しだけ変わった。
ザクI。
まだ無骨だった。洗練とは程遠い。胸は厚く、肩は大きく、脚は重そうに見える。だが、その不格好さが逆に兵器らしい。人に似せたのではない。戦場に必要な形を人型に押し込んだ顔だ。
単眼が、薄い光を返している。
ドズルが最初に口を開いた。
「ほう……」
その一音に、素直な満足が乗っていた。
「ようやく兵器らしい顔になったな」
キシリアは周囲を見ながら言う。
「視界は」
「頭部単眼に加え、胸部の補助映像を」
「可動域は」
「この後の演示で」
ギレンは何も言わず、機体の奥を見ていた。背後に並ぶ、同規格の交換パーツと未完成のフレームを。
よろしい。
お見せしたいのは、まさにそちらなのだ。完成した一機より、続いていく列の方がよほど恐ろしい。
「では、基本動作を」
マ・クベが言うと、操縦席に入っていたパイロットが応答した。
ザクIが、一歩踏み出す。
足音は重い。だが鈍くはない。床の振動が規則正しく返ってくる。二歩、三歩。停止。旋回。しゃがみ。起立。武器保持。
どれも派手ではない。
だが、だからこそよい。
兵器は、格好よく動く必要はない。迷わず同じ動きを繰り返せることの方がはるかに価値がある。
ドズルが頷いた。
「いいじゃねえか」
ジオニックの重役は、そこでようやく本気で胸を張った。
まだ早い、とマ・クベは思う。
披露会で褒められるのは始まりでしかない。ここから先に、現場と量産と整備が待っている。
その時、ガデムが不意に言った。
「転ばせろ」
場が一瞬、止まった。
ジオニックの重役がすぐに振り向く。
「何だと」
「歩くのは見た」
ガデムは平然としている。
「転んで起きるか見ねえと意味がねえ」
ジオニックの男が苛立った声を出す。
「お披露目の場だぞ」
「だからだ」
ガデムは一歩も引かなかった。
「戦場じゃ、もっと悪い転び方する」
沈黙。
いい空気だ、とマ・クベは思う。
化粧を剥がすには、こういう一言が要る。
「やってみなさい」
マ・クベが言った。
企業側がざわつく。
展示会ではない。軍の兵器は、恥をかいてからが本番だ。綺麗に歩くだけの機械なら、工場の門に立たせておけばいい。
パイロットへ指示が飛ぶ。
ザクIが姿勢を崩し、片膝をついた。そのまま鈍く横へ倒れる。金属が床を打つ音が、格納庫の高い天井へ響いた。
空気が張る。
ジオニックの重役は、口を結んだまま動かない。逃げたい顔をしている。だが逃げられない。結構。
床に倒れたザクIが、一拍置いて腕を動かした。支えを取り、脚を引き、重い身体を起こしていく。滑らかではない。だが確実だ。
立った。
ガデムが鼻を鳴らす。
「遅ぇが、起きるな」
その評価が、今日いちばん価値のある褒め言葉だと分かる者は少ない。分からない者は、いずれ現場に嫌われる。
さらに、起立後の右脚動作にわずかな引っかかりが出た。
整備兵が走る。
工具箱が開く。
交換部材が出る。
同じ規格のレンチ、同じ位置にある固定部、同じ手順での仮交換。
時間を計る。
ウラガンがすぐ横で数字を拾っている。
よい。
壊れぬ兵器などない。壊れた時、黙って列へ戻せる兵器だけが戦争を変える。
復旧後、短い射撃試験に移る。
実弾が標的の装甲板へ叩き込まれ、鋼板が大きく歪む。音が格納庫に響いた。
ドズルが笑う。
「いい音だ!」
実にドズル公らしい。音と衝撃に喜べる者は、兵を率いる時に強い。だが国家を回すには、それだけでは足りない。
キシリアは照準の戻りと反応時間を見ている。
ギレンは射撃後の弾薬交換動作を見ていた。
「交換時間は」
「規定手順で三分四十」
「補給箱は共通か」
「共通です」
やはりそう来る。
総帥は兵器に感動しない。感動した兵器を、何機並べられるかを見る。国家を動かす者の目だ。
射撃が終わり、ザクIが停止すると、格納庫にようやく息が戻った。
誰もが一度は機体を見た。
だが、ギレンだけは奥を見ていた。
その視線をマ・クベも追う。
格納庫の奥。
そこには同じ規格のフレーム、まだ頭のない胴体、脚部ユニット、梱包された装甲板が並んでいた。未完成の機体群。つまり「次」がもう待っている。
そう。
お披露目したいのは一号機ではない。
その後ろに並ぶ二号機三号機四号機だ。
兵器の恐ろしさは、一機の出来ではない。同じ顔が、同じ工具で、同じ手順で、何度でも立ち上がることにある。
見学の終わり際、誰かが言った。
「これが新型機ですか」
問いは誰へ向けたものでもなかった。だが、答えたのはギレンだった。
総帥は機体ではなく、その奥のラインを見たまま言う。
「違う」
短い沈黙。
「これは始まりだ」
それだけだった。
だが十分だった。
始まり。
まったくその通りだ、とマ・クベは思う。
今日お披露目されたのは兵器ではない。量産の始まりであり、国家が工場を手に入れた証だ。国家が工場を手に入れた時、戦争は半分終わっている。
ザクIは立った。
歩いた。
転び、起きた。
撃った。
それで終わりではない。
これから同じ顔が列になる。
その列こそが、今日の主役だった。
前話から1年経っております。