十月二十七日、土曜日。
いよいよ論文コンペを明日に控え、一高代表と警備を含めたサポートチームは午後から京都へ向かった。
ホテルに着くと、生徒たちは水波と船尾から部屋の鍵を受け取り、各自部屋に散っていく。
達也は荷物を部屋に置いて、同部屋のレオと共にロビーへ下りた。少しも待たないうちに、エリカ、深雪と水波、そして幹比古がやってきた。
「吉田くん、こちらはお願いしますね」
「任せてください。一緒に行けないのが申し訳ないですけど」
「達也さんやエリカ、西城くんだけでなく、生徒会役員の私と水波ちゃんまで抜けるんです。風紀委員長まで抜けることはできないですよ」
「それに、深雪や水波は幹部というだけでなく、一高二年の最高戦力でもある。そこに幹比古もというのは望み過ぎだろう」
深雪と達也の言葉に、幹比古も申し訳なさそうな表情を引っ込めた。
「学校の皆を頼んだぞ。何も無いとは思うが、警戒は怠らない方が良い」
「うん、それは分かっているよ」
「もしかしたら遅くなるかもしれない。戻って来られないようなら連絡する」
「分かった。達也、気をつけて」
幹比古に見送られ、達也たちはホテルをあとにした。
まず向かったのは、一高生たちが泊まっているCRホテルから少し離れた古風な構えの喫茶店。出迎えたウエイトレスに待ち合わせだと伝えると、二階の部屋に案内される。
中には八人掛けのテーブルが一つ。
「達也くん、お疲れ様」
出入り口から一番離れた上座にて、真由美が手を挙げていた。その隣には将輝と光宣が順に座っており、年功序列なのか到着した順なのか、どちらもあり得そうだと達也は思った。
「七草先輩、お待たせしてすみません」
達也は軽く謝罪して、真由美の対面に座る。こちらは特に意味はなく入室した順にレオ、エリカ、深雪が座り、最後尾にいた水波は空いている光宣の隣へ座った。
「集まっていただきありがとうございます。あまり時間もないので、早速本題に入らせてもらいます──周公瑾が潜伏している思われる場所はこちらです」
そう言って達也は全員の端末に位置情報を送る。そこに示されているのは国防軍の基地だ。
皆その意味がすぐには理解できなかった。だが数秒経って理解が追いつき、彼らは大きく目を見張った。
「まさか、国防軍の基地内なのか!?」
「そうだ。国防陸軍宇治第二補給基地、そこに周公瑾が潜伏している可能性が高い」
「確かなのか」
「俺たちの捜索をもとに割り出した情報だ」
「……まさかとは思うが、踏み込む気か?」
口に出した将輝だけでなく、真由美もエリカもレオも「本気か、こいつ」を通り越して「正気か、こいつ」という顔をしている。
国防軍の基地に忍び込むのは明らかな犯罪行為、重罪も重罪なのだ。
「皆に国防軍と事構えろと言うつもりはありません」
達也はそれに答えず、次なる情報を明かした。
「周公瑾の捕縛には、ある魔法師集団が秘密裏に動員されています」
「憲兵隊とは別に、ということか?」
「そうだ」
つまり非合法な作戦であることが示唆されたと、将輝は正確に理解した。
「彼らは日没時刻の十七時十分に、各ゲートから基地内に侵入する」
「ゲートから? ……そうか、系統外魔法の使い手なんだな?」
将輝の問いに、達也が頷く。彼らはそれで「秘密裏に動員された魔法師集団」の正体に見当をつけた。
系統外魔法を得意とする、国防軍に対抗しうる魔法師の集団。そんなものは一つしか心当たりが見つからなかった。
「俺は彼らとは別口だ」
誰かがそれを口にする前に、達也はキッパリ否定した。
「憲兵の派遣は明日だが、おそらく周公瑾には筒抜けだろう。奴が逃げるなら今夜しかない。そこで、皆には奴が逃げるであろうルートで待ち伏せしてほしい」
待ち伏せ、つまりは基地の外での仕事。それを理解してほっと息をついた者が何人か。
「割り振りはこうだ」
達也は先ほどの地図をズームアウトし、三本のピンを打ったものを送る。
基地から逃げる選択肢は三つ。
平等院鳳凰堂のすぐ側に架かる宇治橋。
その下流にある高架道路の大橋。
そして、東の高峰山。
達也が割り振ったメンバーは、上から順に。
真由美、エリカ、レオのトリオ。
深雪、将輝のコンビ。
そして光宣、水波のコンビだ。
「達也くん」「達也」「達也さん」
それを見て、対面にいた三人が声を上げた。彼らが目線で譲り合った結果、光宣が口を開いた。
「僕の予想では、周公瑾が逃げる可能性が一番高いのが宇治橋です」
「そうだな、俺もそう思う。鬼門遁甲が真価を発揮する為には八方向へ移動する自由が必要だし、これまでの逃走路から見て、周公瑾は山の中よりも街中を好む。おそらく鬼門遁甲はそういう技なんだろう」
「なら何故僕を高峰山に?」
光宣が無意識のうちに真由美たちを格下扱いした事には触れず、達也は質問にのみ答えた。
「もし周公瑾が高峰山に逃げた場合、鬼門遁甲を破れるのが光宣しかいないからだ」
「…それは、どういう?」
「七草先輩も深雪も将輝も、逃げてくる方向が分かっていて、その範囲も狭いとなれば面制圧攻撃が通るが、山の中ではそれが通用しない。その状況で鬼門遁甲を破れる可能性が一番高いのは、俺の見る限り光宣、お前だ」
達也の言葉は、多少言い回しの工夫が含まれているとはいえ本心である。
「分かりました、達也さんがそう言ってくださるなら……」
光宣は信頼への嬉しさと、今回は出番がなく役に立てないだろうという落胆が混じった様子で頷いた。
「それで、次は将輝か?」
「いや、俺はこの配置の意図を聞きたかっただけだ、今の説明で納得した。念のため確認だが、俺と司波さんが同じ場所なのは大橋の方が範囲が広いからだよな?」
「ああ」
この期に及んで俺に気を使ってるわけじゃないよなという視線に、達也は頷く。
この配置が一番合理的なのと同時に、将輝ではなく深雪に配慮したものだ。嘘はついていない。
「じゃあ最後は私ね。この配置に達也くんがいないのはどうして?」
「北から南へ追い立てるからです」
真由美の問いに達也は多くを省略して答えた。「基地に侵入して」その一言は聞かせられないと、そう主張する。
「…そう」
真由美は諦めたように短く呟くと、気持ちを切り替えた。
「作戦は分かったわ。時間もないし、早く現地に移動しましょうか」
真由美の言葉に、達也たちはすぐさま応じた。
◆
目的地に向かうコミューターの中で、真由美は斜向かいに座る達也を見た。
コミューターは基本的に四人乗りなので、同じ場所を担当するエリカとレオはもちろん、達也とも途中まで一緒に向かっているのだ。
達也はバイクに乗らないにも拘わらず、バイク用のフルフェイスヘルメットを抱えている。おそらくは監視カメラ対策だろう。
いくら国家に仇なす者を匿っているとはいえ、国防軍の基地に踏み込むなんて普通はしない。できない。
だが、この後輩が普通であることなんて、真由美が知る限り一度もなかった。
入学試験、新歓期間、定期テスト、九校戦、論文コンペ、恒星炉実験、二年目の九校戦。
そしてまた、今回も。
『鬼門遁甲』
方位を操り、術者の望む方向へ人々の認識を誘導する秘術。
今回達也と手を組むことが決まった際、真由美はこの魔法について細かく教えられた。おそらく真由美の『マルチ・スコープ』を持ってしても破るのは困難だろうとも言われた。
真由美の得意魔法は遠隔精密射撃、それも「世界屈指の遠隔精密射撃魔法の使い手」と評されるほどの名手だ。しかし、標的の位置が分からなければ、彼女の特技は活かせない。
達也と光宣は、宇治橋が最も周公瑾が逃げる可能性が高いルートだと言った。そしてそこに、達也は真由美を配置した。
光宣でない理由は分かった。だが、深雪でも将輝でもない、真由美を配置したのは何故なのか疑問に思った。実際にそれを問おうともした。
しかし。
──七草先輩も深雪も将輝も、逃げてくる方向が分かっていて、その範囲も狭いとなれば面制圧攻撃が通る
真由美の攻撃が「点」の攻撃だけでなく「面」でもあると達也は言った。
彼女は「世界屈指の遠隔精密射撃魔法の使い手」であると同時に、「万能」の二つ名を持つ七草家の、長女にしておそらくは最強の魔法師だ。当然「面」の攻撃魔法も使える。
だがおそらく、達也の意図はそこじゃない。彼は、真由美が『鬼門遁甲』対策を考えていると見抜いていた。
遠隔系知覚魔法『マルチ・スコープ』。それ自体は魔法でも実現可能だが、真由美はそれを先天的特殊能力──かつては「超能力」と呼ばれていた──として自由に行使できる。
分類としては達也の『
だが今回の相手には『マルチ・スコープ』に頼らない知覚が必要であり、それの理想形が見えたのが前の土曜日。そこから一週間、真由美はその技術を猛特訓していた。
だが、実戦で試すのはこれが初めて。確実に相手を捕捉できる自信は、ない。
「ねえ達也くん」
「どうかしましたか?」
「本当に私が宇治橋でよかったの? やっぱり深雪さんの方が確実なんじゃ……」
『マルチ・スコープ』に頼らない知覚、その理想形を見せてくれた深雪の方が向いているのではないか。不安と共にそんな言葉が出てきた。
「大丈夫ですよ」
達也はそれをたった一言で笑い飛ばした。
「周公瑾と一対一で、化成体や幻獣に対処しなければならないなら話は別ですが、今回はエリカとレオが護衛に付きます。それに今日は風もありません。七草先輩なら必ず周公瑾を捕捉できます」
風がないという達也のセリフにエリカやレオは首を傾げたが、真由美はそれで達也が自身の努力を把握していると確信した。
──ああ、本当に余計な事をした。
ちょうど一年半前、真由美は達也の隠しているものを見るために、達也たちのイザコザを一度見逃した。その所為で摩利からは「随分と余計な事をしてくれたな」と文句を言われたし、しばらく達也たちグループからは嫌われていた。九校戦以降は友好関係を築けたが、先輩後輩の枠を出ておらず特別に親しい仲でもなかった。
本当に余計な事だった。
あれがなくとも、達也の実力はすぐに知れわたっていた。
あんな馬鹿な真似をしなければ、達也とはもっと友好的な関係を築けただろう。
もしかしたら、達也の隣にいたのは自分だったかもしれない……
そんな想いを飲み込んで、真由美は笑った。
「任せなさい。お姉さんがちゃんと周公瑾を追い返してあげる、なんならそのまま捕まえちゃうんだから」
「それができれば最善ですね。ぜひお願いします」
こうして真由美は、初恋の自覚と失恋を同時に経験した。
達也を目的地の近くまで送ってから、真由美たちは引き続きコミューターで宇治橋へ向かう。
「七草先輩」
「エリカちゃん、どうしたの?」
「いくら先輩でも、ダメですからね」
「分かっているわ。そんな事しないわよ」
まさかバレるとは思わなかった、女の勘と言うやつか、女って怖いと。真由美は自分も女である事を棚に上げて思う。
真由美は横恋慕するつもりなどない。達也が振り向く振り向かない以前に、できない。
恋人がいる異性を奪う事への是非はひとまず置くとして。達也の相手がなんの家柄も実績もない女なら、真由美も手を伸ばしたかもしれない。だが、達也の相手はエリカである。
横浜事変の際、機械化部隊を文字どおり叩き潰した武勇と千葉家の娘という看板が相俟って、エリカは国防関係者の幹部層から高い評価を受けている。今年の九校戦での活躍でさらにその評価は上がった。一部では「千葉家の秘密兵器」、「千葉の
さらに達也と千葉家の関係も密接だ。今年の九校戦でエリカが披露した『サイオン・ブレード』。あの魔法は九校戦後に千葉家に共有され、既に千葉道場の高弟らが実戦で成果を挙げているとのこと。
これだけのカップルを引き離すとなれば、いくら真由美が七草家の娘とは言え、魔法師界からの非難は避けられない。やるやらない以前に、できない。
真由美もそれを理解しているからこそ、初恋と失恋を同時に認識できたのだ。
「でも私もそろそろ家からせっつかれそうだし、新しい恋でも探そうかしら」
失恋の特効薬は新しい恋を探すことらしいしと、真由美は痛む心を慰めながら呟いた。