国防陸軍宇治第二補給基地、その少し上流にある高架専用大橋の東側にて、深雪と将輝はコミューターを降りた。東側、つまりは基地側である。
高架道路に徒歩では入れない、入れたとして目立ちすぎる。周公瑾がこの橋を使う場合、車なら橋の上側を、徒歩なら橋の
上流には宇治橋、下流には基地。そのどちらから周公瑾が来ても対応できるよう、二人は位置取りを決める。
「日没まであと少しですね」
「そうですね……」
深雪の短い呟きに将輝も短く答える。
いつもであれば会話を続けようと話題を探したり、それでも続かずに焦ったりするかもしれないが、今の将輝にはそんな余裕はなかった。
将輝は魂の抜かれたような顔で深雪を見詰めていた。日が落ちる直前の時間帯ということもあって、深雪はこの世のものならぬ幽玄美を漂わせていた。
(これは任務だ。十師族として日本に仇なす者を排除するため、そして横浜での失態を取り返すため……集中だ集中)
将輝はそう念じながら、深雪へ見惚れ続ける。
「一条さん」
「は、はいっ」
唐突に声を掛けられて、将輝は必要以上に動揺してしまった。その所為で、深雪の声がいつもより硬いことには気が付かなかった。
「一条さんは、私の事を好いているのですか?」
「は……?」
意識の外から放たれた深雪の強烈なストレートに、将輝はようやくその意味を理解した。
「いっ、一体何を……!?」
「私に惚れているのか、恋をしているのかとお聞きしています」
「そ、それは……、」
動揺で上手く回らなくなってしまった頭を懸命に動かして、将輝は考える。深雪を好きかどうかではなく、深雪が何故今このタイミングでこんな質問をしたのか。
思考を巡らせ、深雪のことを注意深く観察すると、その表情が少しだけ強張っている……ように見える。将輝はそれを、将輝の返答を前に緊張しているのだと解釈した。
「はい。俺は司波さんに惚れています。初めて九校戦の前夜祭で見掛けてからの、一目惚れです」
覚悟を決めさえすれば、将輝には自分の想いを後ろめたく感じる理由が何一つ無かった。
「そうですか」
深雪は彼の堂々たる告白に、何故か寂しそうに笑った。
「あの、司波さん」
「何でしょうか」
「何故このタイミングでそんな事を……?」
深雪はその問いには答えず、ただ寂しげな笑みを向けてくるだけ。
「今日の仕事が終わって、それでも同じ想いでいるのなら、その時はもう一度聞かせてください」
深雪はそう告げると、基地の方角へ視線を固定した。その横顔はそれ以上の追及を拒んでいた。
「始まりましたね」
遠くから聞こえる警報。この距離で届くということは、基地内ではさぞ派手に鳴り響いているのだろう。
「達也か」
「おそらくは。四葉の魔法師でしたら、こんな派手に騒ぎを起こすはずもありません」
「ということは、囮になるつもりか。騒ぎを起こすことで四葉の魔法師が動きやすくなり、宣言通り周公瑾を基地外へ追い立てる事ができる」
将輝は達也の実力を疑っていない。去年のモノリス・コードで達也の実力は身を以て知っている。当然深雪も将輝以上に達也の実力を理解している。
心配があるとすれば、戦闘以外の部分だ。
「……もし」
「?」
「もし、この事件で達也が重大犯罪に問われることがあれば、一条家として全力であいつを守ります」
「頼もしいですね……ですが、今私たちが達也さんの心遣いを無駄にしては、それこそ申し訳が立ちません。周公瑾がこちらに来た場合、何としても捕縛します」
「はい」
将輝には先ほどの深雪の意図は分からない。だが惚れた女にもう一度想いを伝えるため、将輝は目の前の任務へ意識を集中させた。
◆
基地に侵入した達也はバイク用のフルフェイスヘルメットを被ったままだが、念の為に監視カメラの位置を探り出して片っ端から分解していた。
達也がCADを向けた先で、武器が、兵器が、バラバラに分解されて地面に散らばる。
銃は各パーツに。車輌はまず車輪が外れ、ドアが外れ、中のプラグがことごとく抜けて部品ごとにばらけていく。燃料が漏れて引火したら面倒なため、エンジン系統には触れない。
そうやってが手当たり次第に兵器を壊していると、浴びせられる銃撃がいきなり激しさを増した。銃弾も無力化用のゴム弾ではなく、実弾に変わっている。
達也は領域設置型分解魔法で処理して、遮蔽物の後ろに飛び込んだ。
(おいおい、実弾まで……いや、これは)
自分のことを棚に上げてドン引きした達也だったが、どうやら彼らも操られているようだと気付く。
前の日曜日、嵐山で彼らを襲った自爆ならぬ自焼攻撃を仕掛けてきた狂気の魔法師たち。彼らも茂みに隠れていた大陸の方術士に操られていた。
操られている事実を加味しても、次なる一手には達也も呆れてしまった。
建物の陰から轟音と共に戦車が現れる。それも一両だけでなく、四両で戦列を組んでいる。市街戦用に分類される小型の車種だが、徒歩一人には過剰過ぎる戦力だ。
しかし考え方によっては、魔法師相手には不十分な戦力とも言える。そしてこの場合は、不十分過ぎると言えた。
砲塔が自分たちへ向くより速く、無限軌道と中の車輪が同時に外れる。砲身が落ち、砲塔がずれる。装甲板が一斉にはがれる。それが四両の戦車で同時に起こった。
一仕事終えて達也が周囲を「視」ていると、ガンメタのセダンタイプが南ゲートに向かうのが見えた。こんなけたたましく警報が鳴り響く中、逃げる軍人などいない。達也はあれが周公瑾だと確信した。
基地内各所に配置されたモニター機器に処分の模様が記録されないよう、基地から追い出すのは予定通りだ。
(……これは?)
周のエイドスの中に、覚えの有る異物が混じっているのを達也は感知した。彼のものでなく、彼の中に食い込んでいるもの。
(蜂の一刺しか……貴方の死を、無駄にはしない)
達也は一度会っただけの他人でしかない故人に、都合の良い誓いを立てた。
◇◇◇
真由美は索敵用に発動していた『マルチ・スコープ』によって、周公瑾の接近を察知した。
「来たわ」
「……俺には全く見えないんですけど」
「まだ森の中よ。しかも鬼門遁甲を発動してない……来たわ」
エリカも想子の陰影を見る技術により、真由美の言葉が事実であると確認した。
橋の向こうから一台の車が向かってくるのを目視して、それぞれが戦闘準備を整える。今回はコンペの警護という名目があったため、得物を偽装する必要はない。
エリカは警棒を取り出し、その切っ先を下げたまま脱力する。
真由美はCADを操作して、周公瑾を捉えるべく下準備を進める。
そしてレオは、一年ぶりに手にする武装一体型CAD『村雨』を上段に構え──
「おらぁ!」
──それを勢いよく振り下ろした。
周の運転する車は正面に立つレオたちを認識したことで、衝突防止装置が作動を始め……その車体が左右真っ二つに割れた。
『一気通貫』
刀身に沿って硬化された領域を作り、斬撃として飛ばす魔法。
達也がレオのために作ったCADと魔法。一年ぶりにも拘わらず、レオは狙いを違えることなく魔法を行使した。
ボンネットの中で火花が散る。エンジンが爆発する直前、周は車の外に飛び出した。
その直後、真由美は躊躇わず魔法を放った。狙い撃たれたはずのドライアイスの弾丸は、周の右斜め前、五メートルは離れた路上に当たって消えた。『鬼門遁甲』が発動したため、照準がズラされたのだ。
真由美の『マルチ・スコープ』では『鬼門遁甲』は破れない。その事実を、一度の攻防だけで理解させられた。
「通用しないのは分かっていたわ。だから、対策もした」
真由美は自身を鼓舞させるように呟くと、待機させていたもう一つの魔法を放った。
真由美はコミューターを降りてから、じわじわと自分の制御下にある二酸化炭素の量を増やし、それを固体化せずに圧縮していた。二十メートル四方の気体が、直径一メートルの球体に押し込められている。真由美はその球体を、周が乗っていた車に向かって投げつけた。
路面に激突した直径一メートルの球体は、長さ四十メートル・幅八メートル・高さ二メートルの直方体が橋の曲面に合わせて吸着した形に広がった。
それ以上は拡散しない。自分たちを圏外に置くという当たり前を、真由美は忘れていなかった。それに、宇治橋は人の行き来のみを前提とした橋で全長はおよそ百メートルあるものの、幅はたったの八メートル。橋全体の四割をカバーできれば十分だった。
この空間の二酸化炭素濃度は、中毒を起こすレベルを軽く突破している。この気体の中でそのまま呼吸するのを、周は避けるはずだ。
真由美は直方体内に、緩やかな気体の流れを作り出した。微風と呼べる程の強さも無い。方向も一定しない。ランダムに見えて、複雑な規則性を持つ微弱な気流。
その流れが、ある地点で遮られた。高さは百七十センチから百八十センチの間。幅五十センチ前後。成人男性の体格にプラスアルファしたサイズ。
真由美は領域内に『魔弾の射手』の銃座を造り──周公瑾へ意識は向けず、自身が作り出した気流への感覚を頼りに──その一点に向かって集中砲火を浴びせた。
直撃はしていないが、遮られる気配は前後左右に動き回る。
(当たりね……!)
真由美は銃撃の威力と密度を上げた。先日のような手加減などない、完全に殺すつもりの威力だった。
弾丸を作り出す為の二酸化炭素は豊富に準備してある。放たれた銃弾は昇華して気体に戻り、再び弾丸の材料になる。真由美の魔法力が続く限り、この射撃は止まらない。
不意に真由美の魔法的感覚が、周の手元から何かが飛び出してきたのを捉えた。化成体か、幻獣か、はたまた別の何かか。
真っ直ぐ自身へ向かってくるそれを、真由美は意識から追い出した。
黒い一角獣が、目にも留まらぬ速度で突進してくる。その黒い角が真由美の身体を貫くことはなかった。
「──しっ!」
エリカが『サイオン・ブレード』でそれを一刀両断する。
周がありったけの影獣を令牌から吐き出させた。
同時に黒いハンカチを取り出して、目の前に大きく広げる。
「おらぁ!」
「──しぃ!」
真由美を襲う影獣は、エリカとレオによりことごとく消し去られた。
黒いハンカチが道路に落ちる。周の姿は見えなくなっていた。
「……逃げたわね。橋を引き返していったわ」
落ち着いたのを確認した真由美が呟く。その身体がふらっと揺れた。
「っと、大丈夫ですか?」
「ええ、なんとかね」
エリカに受け止められた真由美は、そのまま体重を預けながら返事をする。
真由美が今回使った、二酸化炭素の気流により相手の位置を把握する魔法。
領域内の情報を一斉に処理しなければならないこの魔法は、彼女の精神に大きな負荷を掛けた。習得して間もないこともあり、わずか数分の使用でも意識に霞が掛かってきていた。
だが、無理を承知で全力フルスロットルした甲斐あって、周公瑾を追い返すことに成功した。
「あとは深雪さんと一条くん、それと達也くんに任せましょう」
◆
周公瑾は、時速四十キロから五十キロの速さで宇治川沿いに下流へと逃げていた。
基地の方へ逆戻りしている格好だが、途中、高架道路の橋が架かっている。その橋の下側を伝って、対岸へ渡るつもりだった。
しかし、視線の先に二人の魔法師を捉え、その足を止めざるを得なかった。
この世のものとも思えぬ白皙の美貌を持つ少女と、凛々しい顔立ちの少年。
「司波深雪、一条将輝……!」
「久し振りだな、周公瑾。あの時は随分と虚仮にしてくれた」
将輝が怒りを露わに赤い拳銃形態のCADを構える。一方で深雪は鋭い視線で周を見据えながら、さっと手を振るう。
周囲がダイヤモンドダストに満たされる。周はこれを、先ほど自身を捉えた真由美と同種の魔法だと直感した。同種であり、格が違う。『鬼門遁甲』は役に立たないと覚った。
周は宇治川に飛び込もうとした。だがそれを制するように、川面が爆発して水飛沫が舞う。
「一条家の『爆裂』を前にして水の中に入るのは、爆弾の山に突っ込むのと同じだ」
背後からの声に、周が振り向く。
「司波達也……」
周は全力で鬼門遁甲を行使した。深雪とは逆方向、達也の横をすり抜けようとする。
だが彼の眼前に、達也の手刀が迫った。それが鋼をも断ち切る妖刀の切れ味を持っているのを知っている周は、バックステップで元の位置まで戻らざるを得なかった。
「何故私の遁甲術が通用しないのです? 貴方に七草真由美や司波深雪のような知覚は無いと思っていましたが」
この期に及んでなお、周は笑みを浮かべている。
余裕か、はったりか。将輝にはその真意が分からなかった。達也にはその真意などどうでも良いことだった。
「『鬼門遁甲』。見事なものだ、至近距離では効力を失うと聞いていたんだが……お前の術は、確かに通じていた。俺にはお前が横をすり抜けようとしたのが分からなかった」
「……理解できませんね。では、先ほどの攻撃はまぐれだったとでも?」
「お前の居場所は分からなかった。だが、お前の中にある名倉三郎の血の動きは分かった」
周が目を見張った。将輝は初めて、この年齢不詳な道士の生の感情を見たと思った。
「名倉三郎の血……あの時の」
「血で作った針を撃ち込まれでもしたか? 二週間も経てば、体内に入った異物は消えるものなのだがな。余程強い念が込められていたらしい」
「念、ですか。現代魔法理論では切り捨てたファクターだと思っていましたが」
「どんな理屈をつけようと、あるものはある。無いものは無い」
「ありながら無いもの、無でありながら有であるものもあるのですが」
達也が周公瑾に銀色のCADを向けた。
「講釈はあの世でしてくれ」
「私を捕まえるのではないので?」
「死体があれば十分だ」
「つまり、命乞いは無意味ということですか」
達也はそれ以上答えを返さなかった。
「深雪がいる限り、この領域では隠れられない。将輝がいる限り、水中にも逃れられない。名倉三郎の血が残っている限り、お前は俺から逃げられない」
それが達也の最後通牒だった。
「これまでですか……」
周公瑾は大きくため息を吐いた。
「ですが、貴方たちに私を捕まえることはできない」
周がニイッと笑った。仮面のような笑顔だった。
「私は、滅びない。たとえ死すとも、私は在り続け──」
「──コキュートス」
狂気を孕んだ周公瑾のセリフは、冷ややかな声によって遮られた。
その瞬間、将輝は白く煌めく氷原を幻視した。
命の気配が無い、絶対的な静寂に包まれた氷の世界。それは心臓が止まりそうな圧迫感をもたらす幻影だった。
そして、気付いた。周公瑾が止まっている。狂気に満ちた笑みを湛えたまま、微動だにしない。物理的に硬直しているだけでは、決してない。生命活動が停止している。
「今のは……精神干渉魔法……?」
将輝が喘ぐように問う。いや、それは口から溢れただけで意図した問いではなかった。
将輝は精神に干渉する魔法を使えないが、引き起こされた結果から使われた魔法を推測する事も、将輝の魔法感受性を以てすれば可能だ。
それ故に、初見のコキュートスをそのメカニズムは理解できずとも、精神に直接、致命的なダメージを与える魔法だと正しく推測した。
「精神凍結魔法・コキュートス。わたしの切り札です」
深雪は感情を排した冷たい声で、先の問いに答えた。
「精神凍結魔法……?」
呆然と、将輝が呟く。
「コキュートスは精神を止めてしまう魔法です。物理学では、絶対零度でも原子の振動は止まらないことが分かっています。ですがコキュートスを浴びた精神は、完全に停止し、二度と動き出すことはありません」
「精神的な、絶対零度……?」
「そうです」
将輝は深雪の説明を半分以上聞いていなかった。耳には届いていたが、それとは別の事に意識が向かっていた。
「こんな強力な系統外魔法……司波さん、貴女は……まさか」
将輝は『コキュートス』を向けられたわけではない。だが、目の前に氷原を幻視して、精神を失う恐怖を覚えていた。
そんな事ができるのは、そんな強力な系統外魔法を使えるのは、将輝の知る限り一つの家しかない。
深雪はそれを見て、俯き、寂しげな微笑みを浮かべた。だがすぐに顔を上げて、達也へ視線を向けた。
「兄さん、帰りましょう」
「ああ。これは彼らに引き取ってもらうか」
「ええ」
突如現れた黒服に黒メガネの集団が、彫像と化した周公瑾を持ち去っていく。将輝はそれを呆然と見つめていた、「兄さん」というセリフに違和感を覚えることすらできなかった。
だが、二人が歩き出したのを見て将輝は咄嗟に叫んだ。ここで深雪を行かせてしまえば、想いを伝える機会を永遠に失うと直感した。
「司波さん!」
二人が足を止める。振り返りはしない。
「俺は、俺はまだ司波さんの事が好きです! 事件が終わって、あの魔法、コキュートスを見ても、司波さんのことが好きなのは変わっていません!」
将輝からは見えていないが、深雪は目を見開いていた。そして湧き上がる喜びを収めてから、ゆっくりと振り返る。
「一条さん」
「…はい」
「ありがとうございます。その気持ち、嬉しく思います……私も、一条さんのことは、好ましく思っています」
将輝は深雪が自分に好意を持っているという事実に喜色を浮かべたが、深雪の感情のない表情にそれはすぐに引っ込んだ。
「二か月後、来年の正月にとある発表が為されるでしょう。その時に、一条家の跡取りである一条将輝として、答えを聞かせてください」
「それは、まさか、司波さんが……」
四葉家の、と言い掛けて、将輝はハッと口を噤んだ。今はまだ、口にすべきではないと思ったからだ。
「二人とも戻るぞ。周公瑾は無力化した、あとは明日に備えてゆっくり休むとしよう」
達也の提案に、深雪も将輝も素直に従った。