ガーディアン解任   作:slo-pe

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四葉継承編
四葉継承編1


 

 

 西暦二〇九六年十一月四日。

 論文コンペ、もとい周公瑾の捕縛を終えた翌週の日曜日。達也の家は珍しい客を迎えた。

 彼は事前の連絡をせず不意に訪れたのだが、目的の人物たちがいることは、既に把握していた。迷いなく門柱の呼び鈴を押す。

 

『はい、どちら様でしょうか』

 

 返ってきたのは目的の人物たちとは違う声だったが、彼はその声の主を知っていた。

 

「黒羽貢だ。司波達也、ならびに千葉エリカとの面会を頼む」

 

 彼──黒羽貢は使用人へ告げる口調で、簡潔に用件を伝える。わずかな間が空く。達也の判断を仰いでいるのだろう。

 

『どうぞお入りください』

 

 門扉のロックが外れる微かなモーター音。貢は唐草模様の透かし彫が施された門を押した。

 貢が敷地内に足を踏み入れるより早く、玄関の扉が開く。中から現れた黒いワンピースに白いエプロン姿の少女が、深々と一礼した。

 

 

 

 水波から貢の来訪を知らされ、地下室で研究を進めていた達也は我知らず眉を顰めた。貢は四葉の諜報工作を担う黒羽家の当主であり、文弥と亜夜子の父だ。だが、彼は達也をひどく嫌悪しており、基本達也と接触することはなかった。

 それに加えて、隣の実験室にはエリカがいる。彼女もまた修練の最中だ。内々で婚約者とされているとは言え、現時点で四葉家でない者がいるタイミングで訪れる理由が分からなかった。

 

「お目に掛かる。リビングに通してくれ」

 

 貢の目的を推測するには材料が足りない。何が目的なのか、会って確かめる必要がある。そう判断した達也は、貢をリビングへ案内するよう指示した。

 達也はバックアップを取ってから電源を落とし、隣の実験室へ向かう。

 

「エリカ」

「あ、達也くん、どうしたの?」

「来客があった。すまないが鍛錬は中止だ」

「誰?」

「黒羽貢、文弥たちの父親だ」

「……あたしも出るの?」

「ああ。黒羽家当主が、今日エリカがここにいることを把握していないとは思えない。俺だけでなく、エリカにも用があるのだろう」

「そう。分かったわ」

 

 了承したエリカへ、達也が左手を向けて『再成』魔法を放つ。修練の結果を改変することなく、滲んでいた汗だけが消えた。

 

「ほんと便利ねこの魔法」

 

 エリカは呆れと感嘆が混ざった表情で呟くと、身支度を整えるべく急いで地上へ向かった。

 

 

 

 身支度を整え、エリカと共にリビングに入った達也を、強烈な違和感が襲った。

 

「急な来訪ですまないな、達也君」

 

 ソファの片側に座る貢が、敵意や憎悪を込めずに彼の名を呼んでいた。それを達也は、初めて聞いた。

 

「いえ、今日は予定もありませんでしたので。お久し振りですね、黒羽さん。夏以来でしょうか」

「ああ」

 

 貢が一瞬眉を顰めたのは、「夏以来」という言葉が周公瑾に深手を負わされた苦い記憶を呼び起こしたのだろう。

 

「座っても?」

「ああ。エリカ嬢も座ってくれ」

 

 達也とエリカが対面のソファに腰を下ろすと、水波がテーブルにお茶を並べた。

 達也はそれに手を付けることはせず、貢の顔を正面から見詰めた。貢はただそれを見詰め返すだけ。その内心は読み取れなかった。

 

「こちらに来られたのは、叔母上のご命令ですか?」

 

 来訪の理由を知るため、達也はそう切り出した。

 

「いや、今回の訪問に真夜さんは関係ない。君に訊きたいことがあって来た」

「自分に、ですか?」

「ああ、君にだ」

 

 貢は短く頷く。

 

「先日、四葉本家でとある会議が行われた。そこでは真夜さんが次期当主を発表すると同時に、もう一つ重要な案件について話し合いがあった」

「それは?」

「君の処遇だ」

 

 エリカのいる前でその話をするなと、達也は貢へ厳しい視線を向ける。貢はその視線に気づきながらも黙殺した。

 

「達也君、君は千葉エリカ嬢と正式に婚約し、その先に婚姻を結ぶつもりはあるのか?」

 

「いきなり何を」と思ったが、それを一旦棚上げして質問に答えた。

 

「はい、そのつもりです」

「では何故、彼女に君の秘密を明かしていない?」

 

 しかし、続く問いにはすぐに答えを返せなかった。

 

「これから先、君たちが婚約者となり、夫婦となったとして。それでも君は全てを秘密にしていくのか? 世界を破壊し得るその魔法を、彼女に伝えないつもりなのか?」

「……いずれ伝えるつもりではいました」

「いずれとはいつだ? 婚約が決まったのは、去年の横浜事変のすぐ後だと聞いた。それから一年の間に伝えずにいて、いずれはいつ訪れる?」

 

 達也が苦し紛れに出した答えに、貢はすぐさま切り返す。達也は今度こそ答えを返せなかった。

 

 四葉の直系という事実、男女としての交際。二つの意味で告白したあの時以来、達也は秘密を打ち明けることに対して臆病になっていた。

 告白すると決心した際も覚悟はしていた。だが以前の自分は本当の危機感を懐いていなかったと、達也は思い知らされた。

 婚約者という関係は、強いようでいてキッカケさえあれば容易に切れてしまう。秘密を告げたことで、エリカに嫌われ、離れられたら。またあの目で見られたら。その可能性を想像するだけで、足が竦む。

 だから。

 

「……身勝手だと分かっていますが、そんないずれなど来なければいいと思っています」

 

 達也は正直に、その気持ちを貢に伝えた。

 

「……そうか」

 

 貢は、深く納得したような口調で頷いた。達也には理解できなかったことを、貢は理解している。そんな風に、達也には感じられた。

 

「君には心が欠けていると、私は今まで思っていた。どうやらそれは、私の思い違いだったようだ」

 

 精神構造干渉の秘術によって、達也に感情が欠けているのは事実だ。だが貢が言っているのは、もっと違う意味だと達也は感じた。しかし、その意味までは理解できなかった。 

 

 ──心を持たぬ者に、迷いは無い。

 ──心を持たぬ兵器は、恐れなど持ち得ない。

 

 貢が口にしなかったセリフを聞き取るには、達也はまだまだ人生経験が足りなかった。

 

「達也君。私は、君が嫌いだ」

 

 口にしなかったセリフの代わりに、いきなり叩き付けられた、貢のむき出しの感情。

 

「存じております」

 

 達也に動揺は無かった。知っていたというのは、彼の強がりではなく事実だった。むしろ今日これまでの貢の態度こそが異常だったのだ。

 

「課せられた務め、背負わされた定めを力尽くで乗り越えていく、いや、蹴り倒していく君の生き方は、務めと定めに生きる我々のような人間にとっては『馬鹿にするな!』と言いたくなるものだ」

「……馬鹿にしているつもりは、ありませんが」

「分かっている。絶対的な破壊の力を持って生まれた君に、一人では世界に到底抗い得ないひ弱な凡人の心情は理解できまい。世界を思うがままに蹂躙できる力を持たされた君の心情を、私が理解できぬように」

 

 貢は憎々しげに吐き捨て。

 

「だが、それでいい」

 

 それを最後に負の感情を消し去った。

 

「話を戻そう。君の処遇について、椎葉、真柴、静の三家は、君を四葉家中枢から外すよう求めている。対して真夜さんや深夜さん、武倉、津久葉、新発田の三家は、司波家として新しい分家を作ることを提案している」

 

 新しい分家を作る、つまりは達也ないし深夜がその当主になるということ。また分家の存在は公表せずとも、達也とエリカの婚約は正式に発表するつもりなのだろう。

 

「黒羽家はどういう立場なので?」

「黒羽家は、元々椎葉ら三家と同じ考えだった」

 

 だった。敵対を示す言葉は過去形だ。

 

「勘違いするな。私は今でも心情的には君の敵、椎葉ら三家の説得をするのは子どもたちのためだ」

「ありがとうございます」

 

 達也は折り目正しく腰を折り、感謝の意を伝える。貢はそれを無言で受け取った。

 

 二人の対話が終了したことで、達也の隣から秘められていた気配が溢れ出した。

 

「達也くん」

 

 激情を押し殺した声で、エリカが静かに名を呼ぶ。

 

「なんだ」

 

 達也も感情を窺わせない声でそれに答えた。

 

「達也くんは、あたしのこと信じてないの?」

「…信じてはいるつもりだ」

「でも教えたくないんだよね。達也くんの秘密を知って、またあたしがビビっちゃうかもって思ってるんだよね」

「そうだ」

 

 情けなくとも、これが達也の本音である。

 

「……分かった」

 

 何がだと、浮かんだ疑問は、エリカが立ち上がったことで言葉になることはなかった。

 

「司波達也、あたしと立ち合いなさい。四葉家当主の甥として、その全部をあたしにぶつけなさい」

 

 達也の目が鋭く細められた。

 

「本気か?」

「本気よ」

 

 エリカは正面から達也の視線を迎え撃った。

 

「…分かった」

 

 先ほどエリカが口にした言葉を、今度は達也が口にした。

 

「着替えたら地下に来てくれ。俺は先に行っている」

 

 貢を迎えるため、達也はスーツに、エリカもオフィスカジュアルな服装に身を包んでいる。

 先に行っているというのは、エリカを相手に準備は要らないという意思表示だった。

 

「そう」

 

 エリカはそれを理解しながらも、ただ静かに頷いた。

 

 

 

 

 地下室にて達也とエリカが向かい合う。

 達也はスーツ姿のまま、CADすら持っていない。対するエリカはトレーニングウェアに愛用の警棒型CADという本気モードだ。

 少し離れた場所では水波と貢がそれを見守っていた。

 

 開始の合図は無かった。

 エリカが床を蹴り、達也へ向けて突進した。だが、それは一歩目で中断させられた。

 達也はその場から動かず、ただ右手を前に差し出しただけ。それだけでエリカの自己加速術式が消え去った。

 

「えっ」

 

 エリカは前につんのめりながら、体勢を整える。

 今、何をされた? 魔法が消された? 『術式解体(グラム・デモリッション)』じゃない。ならなに? 分からない。そもそも魔法発動の気配すら感じなかった。なんで? 

 そう考えていると、達也が右手の人差し指でエリカを指差した。

 

「──っ!」

 

 瞬間、エリカの意識を漂白するほどの激痛が襲った。場所は警棒を持つ右腕、その付け根に微小の穴が空いた。原理は分からないが、呂剛虎の時と同じ魔法だと直感した。

 なんとか意識を繋いで、達也を睨みつける。

 

「なに、今の……」

「『分解』。俺の魔法演算領域を占有している、『再成』ともう一つの魔法だ」

「ぶん、かい……?」

 

 痛みで回らない頭をどうにか回して、その意味を考える。

『術式解体』や『術式斬壊(グラム・スマッシュ)』は想子(サイオン)の砲弾や斬撃によって魔法式を破壊し、魔法を無効化する技術。だとしたら、さっきは魔法式をバラバラに分解されたことで魔法が消された? 

 じゃあエリカの右腕の付け根を貫いたのも分解? まさか、エリカの身体そのものを分解した? 魔法師の身体を何の抵抗もなく一瞬で? 

 

 エリカがまさかの想像に戦慄していると、達也が左手を前に差し出した。それだけでエリカを襲っていた痛みが消え去った。『再成』だ。

 

「右手が『分解』で、左手が『再成』ってことね」

「利き手はそうだな」

「あっそう」

 

 つまりはどっちでも撃てると。あの速さで『分解』を行使されたら、エリカは魔法を封じられたも同然。魔法を封じられては、達也の『分解』から逃れる術などない。

 エリカでは達也に絶対に敵わない。たった一度の攻防、いやあれは攻防ですらない。たった一度の忠告でそれを理解してしまった。

 

 ──兄さんが本気になれば私なんて一瞬で消されてしまう、強さの次元が違うもの

 

 初めて深雪と話した時に言っていた言葉。消されるというのは比喩でも何でもなく、言葉通りの意味だと理解してしまった。

 きっと達也が消せるのは腕の一部なんかに留まらない。その気になれば、次の瞬間エリカは塵も残さずこの世から消え去るだろう。

 

 怖い。確かに怖い。こんな魔法が存在することも、それを操るのが自身の婚約者なことも。本当に怖い。

 でも。

 エリカは先ほど落とした警棒はそのままに、達也へ向けて歩き出す。無防備に、無警戒に、ゆっくりと歩いていく。

 

「達也くん、まだ何か秘密あるよね」

 

 初手で明かしたのがこの魔法だ。こんな神か悪魔かのような魔法の他にも、まだ秘密はあるはず。

 

 エリカの問いに対する達也の答えは、右手を差し向けることだった。

 エリカの右腕付け根に穴が空く、痛みで足が止まるが、構わずもう一度踏み出す。

 エリカの左腕付け根に穴が空く、痛みで意識が飛びそうになるのを何とか繋ぎ止める。

 

 実力で勝負にならないなら、我慢比べで勝つしかない。

 達也は自分を殺さない。エリカの敗北条件は、意識を手放すことと心が折れてしまうことだけ。それさえ侵さなければ、エリカの歩みは必ず達也に届く。

 

「達也、くん」

 

 だらりと両腕を垂らしたまま睨むと、達也の表情に怯えが見えた。達也が左手を向ける、エリカの二つの傷が無かったことになった。

 エリカは感覚を確かめるように、両手をグーパーグーパーする。

 

「よし」

 

 エリカは歩みを再開する。

 直後、右腕付け根に穴が空く。歩みは止まらない。

 

 肉体が傷付いて、痛みを負っても構わない。だって、それで歩みが止まるわけではないから。

 エリカの心を折って、エリカ自身に歩みを止めさせる。そのために達也は歩行に支障をきたす部位は狙わない。

 それに、達也は今も躊躇している。歩行に支障をきたさない程度の攻撃なら、腕ごと消したり眼球を消してもいい。脚だって神経だけ避けて『分解』することも達也なら可能なはずだ。なのにさっきから腕の付け根の神経しか狙っていない。

 平たく言えば手を抜いている。この程度でエリカが諦めると思っているのだ。

 

 左腕付け根に穴が空く。痛みで一瞬歩みが止まるが、なんとか再開する。

 

 痛い。それはもう、どうしようもなく痛い。だけど、痛いだけだ。どうせ達也が治す。

 感じるだけの痛みなら我慢すればいい。そんなもの、達也は慣れっこのはずだ。

 達也の『再成』は、遡及する過程で対象が取得した情報を一瞬に凝縮して認識する。傷を治す場合は、傷を負ってから『再成』時点までに蓄積された痛みを一瞬に凝縮して追体験する。

 この魔法一つあるだけで、実質不死の軍勢が誕生するのだ。四葉や軍の任務で使ってこなかったわけがない。何百人もの痛みを、致命傷の激痛を、その何十倍、何百倍もの激しさで、自分自身のものとして体験してきたはずだ。

 エリカは、少なくとも今現在、達也の隣には立てない。足手まといも良いところだ。だから、せめて、この程度の痛みは耐えてみせる。

 達也がエリカを傷付け心を折るという覚悟以上に、エリカが達也を知る覚悟を証明する。

 

 簡単なことだ。

 

 エリカは痛みに意識を飛ばしそうになりながら歩みを進め、十メートル以上離れていた距離をあと二歩まで詰めた。

 達也が右手をかざす。霞む意識の中、エリカの脳がその意味を理解しようとする。

 

 ──あと少し、右手、来る

 

 来たる痛みに備えていたエリカに放たれたのは、『分解』とは真逆の魔法。『再成』だった。

 

「えっ……」

 

 予想と正反対の出来事が起きたことで呆けているエリカへ、達也の方から一歩詰め、最後の一歩も詰めた。そして優しく、けれども力強く抱きしめた。

 

「すまなかった」

 

 一言の謝罪と共に、ぎゅっと抱きしめる力が強くなった。

 

 ──本当だ。恋人、内々とはいえ婚約者の腕をぶち抜くとかありえない。『再成』で治せるとはいえ、あたしじゃなかったらとっくに心折れてるわよ。そもそも秘密多すぎんのよ四葉に軍にシルバーに、もうお腹いっぱいだっての。こんな地雷そのものな男、あたしじゃなかったら付き合いきれないわよ

 

 言いたいことは山程あるが、もう限界だった。

 

「ほんとよ、もう……」

 

 エリカはそう呟くと、達也の腕の中で意識を手放した。

 

 

 

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