全員が退出し、真夜に促され場所を変えるため席を立つ。着いたのは深夜の私室だ。
真夜と深夜、達也と深雪が向かい合うソファに座る。彼らの前には順番に、ストレート・ミルク入りの紅茶、ブラックコーヒー、ミルク入りのコーヒーが置かれている。使用人が、葉山を含めて退席した。
真夜がカップに口を付けて、にこやかな声で二人に話し掛けた。
「深雪さん、まずはおめでとう」
「ありがとうございます、叔母様」
「それと、周公瑾の無力化も助かったわ。あの男は色々と大陸の魔法知識を詰め込んでいたようだし、深雪さんが『止めて』くれたお陰で四葉の研究も捗っているわ」
「…お役に立てて何よりです」
真夜の瞳が妖しい光を帯びた、それはマッドサイエンティストの眼光だった。深雪は少し引き気味になりながら無難な返事をする。その隣では達也も呆れを見せていた。
甥姪からの視線を感知して、真夜は正気に戻った。
「それより二人とも」
彼女はいきなり、話題を変えた。
「封印はどうしましょうか? もう面倒だし、解呪してもいいのだけど」
「解呪、ですか? 解除ではなくて?」
深雪が訝しげに首を傾げる。自分の聞き間違いを疑っているような顔だ。
「ええ、解呪です」
真夜は鷹揚に頷いた。
『
そもそも達也に掛けられた封印は『質量爆散』の暴発を恐れてのものだが、その封印は完全なものではない。
四葉家は、ただ一人で世界に対抗し得る力を捨てなかった。その力を惜しんだ。一定の手続きを取れば、達也は自分の意志だけで『質量爆散』を放つことができる。
『誓約』の封印はあくまでも、達也が自分の理性的な意志によらず、衝動的に破滅の魔法を行使してしまうことを予防する為のものだ。
しかも『誓約』が魔法技能を縛ってしまうのは、達也一人ではない。達也を縛る術式は、深雪の魔法力で維持される仕組みだった。誓約は達也の力の一部を封じると同時に、深雪の力を大量に消費し続けていた。
達也が自分の魔法を意志の制御下に置いている限り、『誓約』は不要なもの。不要なだけでなく、達也と深雪、二人の強大な魔法師の力を殺ぎ、四葉家の戦力を低下させてしまう有害なものだと言える。
「つい先日行われた分家との会議で、達也さんが魔法を暴走させる恐れはないと結論が出ました」
「多少の反対意見はあったけど、今となっては二人の魔法力を削ぐデメリットの方が大きいのだし、結局は認めることになったわ」
真夜の言葉を深夜が補足する。おそらく反対したのは達也の処遇に消極的だった三家だろうと、達也は推測する。
「ということで、二人に問題がなければ姉さんに解呪してもらおうと思うのだけど、どうかしら?」
「四葉家としてそのように決まったのでしたら、私に否やはありません」
「俺も深雪と同じく、異論はありません」
二人はそう了承を返した。深夜の体調を懸念して解呪は慶春会の後となった。
「さて……。そろそろ本題に入りましょうか」
真夜が深雪へ視線を固定する。
「深雪さん、当主ともなれば、結婚相手も自分の一存というわけにはいきません。これはさっきもお話ししたことなのだけど」
「はい」
「とはいえ相手が一条家のプリンスであるなら何の問題もありません。問題は、深雪さんの方です」
「私が、ですか?」
「ええ。深雪さんは一条将輝のことを、異性としてそれほど好いているわけではないでしょう?」
「…はい」
深雪は悪い事をしたのがバレた子どものように頷いた。
以前、深雪は将輝へ「好ましく思っている」と告げたが、あれは異性として好いているのではなく、言葉通りの意味だった。
四葉当主の婿として迎えるに値する魔法師は、ほんの僅かしかいない。深雪の知る限りでは、将輝や克人、あとは文弥と勝成、光宣くらいしか候補はいなかった。その中で、誰と異性として結ばれたいかと考えたとき、将輝に軍配が上がった──それだけのことだった。
周公瑾捕縛の直後の告白で好感度は上がったものの、それでも異性として、恋をしているの域には達していない。
「別に深雪を責めているわけじゃないのよ。次期当主としての考えもあるし、何より関わりが薄い男性を好きになるのも難しいもの」
深夜は一旦慰めを口にして、さらにこう続けた。
「だからこそ、好きになる努力をしてみなさい」
「好きになる努力を」
「ええ。色々理由を付けて止まったままでいるより、一歩踏み出して分かる事もあるものよ」
「…分かりました。ですが一高と三高では物理的に距離もありますし、どうすればよろしい、でしょうか……」
深雪の言葉が尻すぼみになる。正面の真夜と深夜がにやりと笑みを浮かべていたからだ。
「そんな深雪さんに朗報です。新学期から一条将輝が、国内留学生として一高に来るそうですよ」
予想外の報せに目を見開く深雪へ、真夜たちは「深雪さん愛されてるわね」「私の娘だもの、当然でしょう」とご機嫌だ。
「三か月という時間が長いのか短いのかは人によりますが。深雪さん、その期間で一条将輝と本当に婚約するのか決めていらっしゃい」
「畏まりました」
深雪が深く一礼する。真夜と深夜はそれを笑顔で受け取った。
「さて、次は達也さんですが……。実はもう一人、二高からも国内留学生が来ます」
「光宣ですか?」
「ええ。これに合わせて、九島閣下からは周公瑾捕縛の感謝と九島光宣の治療要請が来ています。今回の国内留学は九島光宣が四葉にとって、それと日本魔法師界にとって有用だと示すためなのでしょう──達也さん」
「はい」
「九島光宣の治療はどのようなものなのですか?」
「光宣の
「原理自体は、ねえ……想子体は肉体と同じ形をした膨大な情報の塊。それを全て視ることができて、なおかつそれに見合う繊細な想子操作技術が無ければ成立しないのでしょう?」
「はい」
「他の方法があるのかもしれないけれど、その方法で治療ができるのは世界中を探しても達也さんだけでしょうね」
この手法は、平たく言えば車のフィルムラッピングのような単純な作業だ。だが、「言うは易く行うは難し」を地で行くものである。
想子体とは、無数に分岐した細いパイプを束ね、折り曲げ、肉体と同じ情報の形を作り上げた膨大な情報の塊。その施術を、先ほどの車で例えるならば、外側のボディだけでなく、内部の部品一つ一つに至るまで、その機能を損なわない形でラッピングすることに等しい。
それは、情報次元そのものを認識できる『眼』と、世界最高峰の魔法制御力──その両方を兼ね備えた達也にしか成し得ない技術だった。
自分の口調に嫉妬が混じっていることに気づいたのか、真夜が気まずげな笑みを浮かべた。
「九島光宣の治療に関して、達也さんのリソースを継続的に割く必要は?」
「ありません。一度の施術でおそらく一か月は保つでしょう。週に一度様子を見る必要はありますが、それは遠隔でも可能です」
魔法の効果は永続しない。その基本原則からすれば、一か月という期間は破格のものだ。一般に知られている治癒魔法が、一日に何度も掛け直すことでようやく世界を騙すことができるという性能を考えればその異常さが分かる。
実を言うと、以前藤林から相談を受けた際の達也では、治療自体はできてもそれ以降一定のリソースを割き続けなければならなかったし、これほど長く効果を維持することはできなかった。
周公瑾捕縛の際、達也はその前に周と対決して敗れた名倉によって打ち込まれていた血液、正確には血に宿っていた名倉の「念」を視た。
達也はこれを応用して、高密度で耐久性の高い想子の膜に「維持」の念を込めることで、治療を約一か月にわたり維持できるよう発展させたのだ。
「そうですか」
真夜は甥の魔法技術に嫉妬と興味を煽られつつも、今度はそれを表に出さなかった。
「達也さんは実際に見ているから言うまでもないでしょうけど、あれは調整体の失敗作とはいえ才能だけなら深雪さんにも匹敵します。九島光宣が信用に足ると判断したらこちらから指示を出しますので、それまでは治療行為は禁止とします」
「承知致しました」
達也が一礼する。顔を上げると、真夜たちの纏う空気が一気に弛緩した。
「達也、深雪、こちらへいらっしゃい」
真夜たちは三人掛けのソファの真ん中を空け、深夜がそこをポンポンと叩く。達也は諦めのため息を吐いてから移動し、深雪も戸惑いながらもそれに続いた。
華奢な女性三人がいるとはいえ、達也は大柄な男性であり、そもそも三人掛けのソファに四人座ればぎゅうぎゅう詰めになる。
真夜の側に達也が、深夜の側に深雪が座り、二人して撫で回されている。達也は久しぶりとはいえ、以前はよくされていたので慣れた様子で受け入れており、深雪は幼い頃以来のスキンシップに身を固くしながらもされるがままになっている。
「ふふ、達也さんも大きくなったわね。前にこうした時より身長も大分伸びたみたいだし」
「ええ。あの時より五センチは伸びてますから」
「そう、まだまだ伸びそうですし、楽しみね」
「深雪にこうするのは本当に久しぶりだけど、大きくなったわね」
「はい…あの、お母様、兄さんはいつもこうして……?」
「そうね。達也は小さい時から口が上手かったから、休ませるために無理やりにこうしてたのよ」
「それがいつの間にか、私や姉さんの方が楽しくなっちゃったのよね」
「なるほど……」
そんな経緯を聞いた深雪は、身体の力を抜いて深夜に身を預けた。
お喋りの傍ら撫で回され続け、達也と深雪が位置を交代してまた再開される。四人はしばらく家族団欒のひとときを楽しんだ。
その後、真夜と深夜は、達也の干渉力だけを取り出す手法を自らの目で確かめた。
『分解』と『再成』しか使えなかった達也が、一般の魔法師と同じように魔法を行使する。その光景に二人は感極まり、再び達也の身体を撫で回すようにして抱き寄せた。
ひとしきり感動を味わった後、今度は真夜の要望により、達也と真夜による『流星群』の力比べが行われることになった。
はしゃいでいた真夜たちだったが、翌日に慶春会を控えていることもあり、夜が更けないうちに達也と深雪を解放した。
「姉さん、言わないで正解だったわね」
「ええ。あの子たちが幸せなのだから、わざわざ言う必要もないもの」
二人が退室してから、真夜と深夜は言う。
達也の魔法特性が深夜ではなく、双子の妹である真夜の意志で形成されたこと。
深雪が達也を止めるために作られた調整体、それも完全魔法師とも呼ぶべき四葉の最高傑作であること。
二人はこの事実を、子どもたちへ告げなかった。
既に和解し、解決した事。
伝えることのメリットも無く、負担になるかもしれないというデメリットだけがある。
ならば告げる必要もない。二人はそう判断した。
「さて、明日も早いですし私たちも寝ましょうか」
「そうね。達也の初めての慶春会に、深雪の晴れ舞台だもの」
真夜が立ち上がって扉へ向かい、深夜も見送るためそれに続いた。
「それじゃあ姉さん、おやすみなさい」
「ええ、おやすみ」
明日を楽しみに、そんな想いを共有した姉妹は笑顔で就寝の挨拶を交わした。
◇◇◇
西暦二〇九七年一月一日。慶春会は恙無く進行した。
深雪の次期当主発表。新分家である司波家、その当主に達也が就任すること。勝成と琴鳴の結婚発表、達也とエリカの婚約発表。
そのどれもが盛大に祝われた。
そして翌日、西暦二〇九七年一月二日。四葉家から魔法協会を通じて十師族、師補十八家、百家数字付きなどの有力魔法師に対し通知が出された。
司波深雪を四葉家次期当主に指名したこと。
司波達也と司波深雪が兄妹であること。
司波達也と千葉エリカが婚約したこと。
有力魔法師各家の多くは、その日の内に魔法協会にある四葉家の私書箱宛に祝電を打った。
そして、祝辞に留まらない申し出をしてきた家が一つあった。
差出人は十師族・一条家。
その書状には、次期当主就任と婚約への祝辞と共に、一条将輝と司波深雪の婚約を申し込む旨が記されていた。
ようやくpixivに追いつきました。
次回からの師族会議編は、書き終わり次第の投稿となります。