エリカたちのCADを調整した翌日の放課後。達也は二日連続で調整室を訪れていた。
「達也くん、紹介したかった吉田幹比古よ」
エリカは簡潔にそれだけ言う。幹比古は人見知りなのか、それとも人嫌いなのかは分からないが、口を開く気配がない。達也はため息を堪えるのに苦労した。
「エリカから聞いているかもしれないが、同じクラスの司波達也だ。きちんと話すのは初めてだがよろしく頼むな、吉田」
「あ、うん……僕の方こそよろしく。さっきエリカが紹介していたけど、僕は吉田幹比古。名字で呼ばれるのは好きじゃない、名前で呼んでくれると助かるよ」
「わかった。それなら幹比古も、俺のことは達也でいい」
「分かったよ、達也」
話してみると普通に会話ができることから、おそらくは人見知りなのだろう。だが、急に連れて来られたこともあり、自己紹介が終わると幹比古は再度口を閉ざしてしまった。
これ以上達也から言えることはないので、幹比古の後ろにいるエリカに目を向けた。
「それでエリカ、俺と幹比古を会わせた理由はなんだ。わざわざ調整室に来たんだ、何か相談があるんだろう?」
「それはあたしじゃなくてミキから聞いて」
「ミキ?」
「僕の名前は幹比古だ!」
エリカの謎の呼び方に首を傾げたのだが、それとほぼ同時に幹比古がエリカに勢いよく振り返った。
「はいはい、今はそんなことより用事を済ませなさい。達也くんも待ってるんだから」
だが、エリカは取り合うつもりは無いようだ。むしろ突き放しているようにも見える。幹比古はエリカに何か言おうとしたが、結局は諦めて達也に向き直った。
「ごめん、達也。それで、今日は僕の相談に乗ってほしいんだ」
かなり投げやりな様子だが、ここまで来た以上引くに引けないといった感じだ。
「それは構わないが、詳細を聞いてもいいか?」
「いいよ」
幹比古は自身のスランプについて話してくれた。だが、おそらく大して期待していないのだろう、どこか他人事のようだ。
「僕は一年前、ある喚起魔法に失敗してから、思うように魔法が使えなくなった。魔法の規模と強度は今までと変わらないんだけど、速度だけが思うようにいかない。それを埋めるために座学や武道と色々やってきたけど、未だに成果が出ていないんだ」
「そうか……」
正直これだけでは何も分からない。少し踏み込んでいく必要があるのだが、幹比古は古式の名門「吉田家」の次男だ。そのことが達也を躊躇わせる。
「幹比古、一つ聞きたいことがある」
「何だい」
「お前は俺に、どこまで許せる?」
達也の問いは酷く抽象的だったが、幹比古にもエリカにもそれは伝わったようだ。
「ここまで来たら全部任せるよ。家の事は言えないけど、僕にできることなら何でもするつもりさ」
達也の真剣さを感じ取ったのか、先ほど同様に投げやりではあるが、幹比古の答えにも真剣さが出てきた。
「わかった。それじゃあ、スランプの原因の喚起魔法についてだが、魔法を発動している間、幹比古はどんな感覚だったんだ?」
家のことが話せないということは、魔法を解析するのもNGということだ。達也の異能がある以上魔法を見せてもらうこともできないので、こういったアプローチをするしかない。
「あの時は、魔法が強制的に使わされる感覚、いや違うな……魔法が、強制的に吐き出させ続けていた感じだった」
「魔法が強制的に、ね……」
幹比古の言葉に、達也はここで一つの仮説を立てた。
「それは、喚起した精霊によってか」
「うん、少なくとも僕はそう感じた……まあ倒れちゃったからあんまり覚えていないんだけどね」
「倒れた? 魔法を使っているときにか?」
「そうだよ」
達也はこの時点で、幹比古のスランプの原因は二つのどちらかだろうと思った。まあ、魔法の規模と強度が今まで通りなことから、ほぼ決まっているのだが。
「幹比古、もう一度聞く。お前は俺を信じられるか」
それを解決するには幹比古を『視る』必要がある。幹比古がそれを承知しない限りできないことだ。
「……うん、僕は君を信じるよ」
幹比古も達也の様子から希望を見出したのだろう、少し怯んだのち力強く頷いた。
「わかった。それじゃあ、少しの間動かないでくれよ」
達也はそう言った瞬間、幹比古は体を強張らせた。
「幹比古、もういいぞ」
今度は一瞬で弛緩した。時間にしてみれば一秒にも満たないわずかな時間だが、幹比古の息は荒く、全身から冷や汗をかいており、手もわずかに震えている。
「すまんが、幹比古が使っているCADで俺が触っていいものはあるか?」
「……あるよ、これだ。こっちはうちの術式は入ってないから、好きにしていいよ」
おそらく吉田家の術式が入ったCADもあるのだろうが、それには手を付けない。幹比古は震える手で手首につけたCADを外し、達也に渡した。
「ありがとう。一時間ほどかかるから、それまで待っていてくれ。外にいても構わない」
「……それじゃあ、外にいるよ」
幹比古はエリカに連れ添われながら、調整室を出た。
◆
エリカと幹比古は一高内のカフェテリアに来ていた。ここまで来る間に幹比古も落ち着いたようで、エリカは先ほどのことを質問した。
「ミキ、さっきは急にどうしたの」
「……分からない」
呼び方を訂正しないことにエリカは眉を顰めたが、幹比古はそれに気づく余裕がない。
「僕の全てを……『吉田幹比古』を構成している全要素を曝け出されたような、そんな感じがした……」
「……」
「筋肉、骨格、細胞、遺伝子、その全部を読み取られたような気がした……それに、心の奥底まで見られているような、そんな視線だった」
エリカには幹比古が何を言っているのか全く分からない。だが、達也があそこまで念を押したのだ。おそらくそれに近しいことを行ったのだろう。一体何をするつもりなのかは分からないが、達也なら……あの規格外で優しい友人ならきっと大丈夫だろうと思った。
「ミキ、あんたは達也くんを信じるって言ったんだから、最後まで信じてなさい。いつまでもそんな顔してたら達也くんに失礼よ」
無理を言っている自覚はある。ほとんど初対面の相手を完全に信じるなど無理に決まっている。だが、それを知っていても、エリカは信じろと言うしかない。
「……そうだね、僕は達也を信じるって決めたんだ」
幹比古もエリカの葛藤が分かったのか、先ほどまでの恐怖と、幾分かの迷いは消えたように見えた。
達也からのメールが来て、エリカと幹比古は調整室に戻ってきた。
「幹比古、これを使って魔法を発動してほしい」
入ってきて早々、達也は先ほど幹比古が渡したCADを返してきた。幹比古は戸惑いを覚えたが、それを押し殺してCADを手首に付けた。
「魔法は何でもいい、いつも通りの感覚でやればいいさ」
幹比古は達也の言葉に頷きを返して、魔法を発動させた。その瞬間、幹比古の表情が激変した。
「これは……」
幹比古は目を大きく見開いたまま、他の魔法も次々と発動させた。その間も驚きは消えない、むしろ増大しているように見える。
「うそだ……」「こんなの……」
ぶつぶつと呟きながらすべての魔法が使い終えて、幹比古は達也に向き直り問いかけた。
「ねえ達也、君は僕に何をしたんだい?」
随分と気持ちが逸っているようだが、それも仕方のないことだろう。
「今から俺が言うことを冷静に聞けるか?」
達也はそれに質問で返した。一体何を言われるのかと怖くて仕方がないのだが、幹比古は力強く頷いた。達也の声は調整室の沈黙に、不思議なほど響いた。
「幹比古のスランプの原因は、ただの勘違いだ」
「それは違っ」
「ミキ! ……黙って聞くんでしょ」
達也の発言に最初から幹比古が喰って掛かるが、エリカがそれを諫めた。
「…ごめん、達也。続けてもらっていい?」
「ああ。それでさっきの続きだが、正確には魔法演算領域の過剰行使による勘違いだ。幹比古は精霊によって魔法が吐き出させ続けたと言っていたが、外部から自分の実力以上の魔法を強制的に使わされたことで、正常な感覚が狂ったんだ。お前は今でも正常に魔法は使えるはずだが、感覚が戻らないせいで満足に使えていないだけだ」
「そんな……じゃあ、僕はずっとこのままなのかい?」
「いや、そんなことはない」
「え……?」
「魔法の感覚が狂ったなら、それを戻してやればいい。さっき幹比古が使った魔法は、スランプの原因の時と同じくらい速かったはずだ」
幹比古が無言で頷くのを確認して、達也は結論を述べた。
「あれはCADの性能によって、幹比古の魔法演算領域が余すことなく使われたからだ──自分の力で発動した感覚で、強制的に発動された感覚を打ち消す。自分の力の限界を把握する。これが、俺が言える解決策だ」
幹比古は小さく吹き出した。その笑いは自嘲の色が強く、目尻には光るものも見える。
「ハハッ、なるほど……僕がやってきたことは無駄だったんだね」
「それは違うぞ、幹比古」
「えっ?」
「魔法を発動するのに必要なのは才能もあるが、それと同等に知識も必要だ。この一年で座学もやっていたのだろう、それなら事故のときよりも上達しているはずだ」
「……それじゃあ、僕の一年は無駄じゃなかったのかい?」
「無駄なわけがない。座学であれ、武道であれ、幹比古が自分を磨いた一年が、無駄であるはずがないだろう」
「そうか……」
調整室内の沈黙に、嗚咽が混じり始める。
「この一年は……僕の一年は、無駄じゃなかったんだ……」
達也もエリカも声を掛けない。しばらくして、幹比古は涙を拭いてからフッと笑った。先ほどとは違い、自嘲の欠片も見られない。
「達也、本当にありがとう。今日、君に会えて良かったよ」
「どういたしまして、だな。それじゃあいきなりだが、練習を再開するか」
達也の言葉に幹比古は強く頷いた。
幹比古の後ろでエリカも控えめな笑みを浮かべていたが、それはどこか寂しげな雰囲気を纏っていた。
◇◇◇
それから三十分ほど魔法の練習は続き、幹比古は完全に速度感覚を取り戻したようだ。
「もう大丈夫。今まで通りの感覚で魔法を使えそうだ」
「良かったじゃない、ミキ!」
「僕の名前は幹比古だ!」
達也は二人の様子を見て、幹比古の愛想の悪さはスランプが原因だったのかと思ったが、口に出したのは別のことだ。
「幹比古、あと一つ良いか」
「何だい、達也」
水を差すようで申し訳ないが、これを伝えなくては終わったことにはならない。
「おそらくだが、吉田家の術式を使う際には今の感覚は得られないだろう」
「……何故だい?」
「今使っているのは幹比古用に調整したCADだ。そのため、魔法演算領域は自力で全力に近い働きをする。だが、幹比古が使う古式魔法は個人用に最適化はされていないだろう。その分の感覚はずれるはずだ」
「それはつまり……古式魔法が現代魔法に劣っているって言いたいのかい」
そう聞こえても仕方がない。達也もそれは分かっているのだ。
「それは違う、現代魔法と古式魔法に優劣はない。現代魔法は発動速度が圧倒的に速いだけで、威力や隠密性なら古式魔法に遠く及ばない。CADを使った魔法と、術具などを介する魔法ではそもそも用途が違う」
「なるほどね、確かにそれはそうだ」
幹比古自身にも古式魔法の速度が劣っている自覚はあるらしい。だが、それ以上に古式魔法の強みには自信があるのだろう、達也の言葉にすぐに納得顔になった。
「分かったよ。それなら僕はその両方の感覚を使いこなせるよう、練習すればいいだけさ」
「そうだな」
自力で結論にたどり着いた幹比古に、達也は満足げに頷くのだった。
幹比古はお礼を言って調整室を出ていった。達也は片付けがあるからなのだが、何故かエリカもこの場に残ったままだ。
「ねぇ、達也くん」
「なんだ?」
「あたしに聞きたいこととかないの」
なるほど、これが聞きたかったのかと納得した。確かに先ほどのエリカの態度はおかしかった。手助けするようで突き放す、いつものエリカらしさはどこにもなかった。
「疑問はあるが、聞いてもどうしようもないからな。必要ならエリカから言ってくれるだろう」
「そっか……優しいと思ってたけど、達也くんって意外に冷たいね」
言葉に反して、責めている口調ではなかった。
「いきなりだな」
「そうかもね。でも、その冷たさが今はありがたい、かな……ありがと」
最後の一言は、聞き取れるか聞き取れないかの、小さな声。
逃げるように扉に向かうエリカの後ろ姿を見て、達也は思っていたよりもエリカの悩みは深そうだと思うのであった。
◆
翌日、その日は朝からいつもと違うことが起こった。
「達也、エリカ。おはよう」
登校した幹比古がこちらに来て挨拶をしてきたのだ。
「おはよう、幹比古」
「ミキ、遅いわよ」
「僕の名前は幹比古だ!」
達也とエリカは挨拶を返すのだが、昨日のことを知らないレオと美月の二人は困惑している。
「あ、いきなりごめんね……僕は吉田幹比古。昨日達也に相談にのってもらっていたんだ」
幹比古もそれに気がついたようで、二人に向かって自己紹介した。どうやら幹比古は気配りもできる性格らしい。
「おう、そうなのか。俺は西城レオンハルト、レオでいいぜ。よろしくな、吉田」
「こちらこそよろしく、レオ。それと、下の名前で呼んでくれると助かるよ」
「おう、それじゃあ幹比古、改めてよろしくな」
レオの開けっ広げな態度に、幹比古は早くも打ち解けたようだ。だが、もう一人はそうもいかないらしい。
「あの、柴田美月です。よろしくお願いします」
「あ、はい、吉田幹比古です。こちらこそよろしくお願いします」
ぎこちないやり取りに達也たち三人は笑ってしまう。
「美月もミキも、お見合いじゃないんだから」
「え、エリカちゃん!?」
「だから僕の名前は幹比古だ!」
だが、そのおかげで雰囲気が和らいだので結果オーライということだろう。
また、その日の体育の球技では、レオと達也の組に幹比古が入ったことで、相手チームが同情されるほどの大差がついたそうだ。