昼休みになり、達也たちは生徒会室へ向かった。いつもの食堂でないのは、好奇の目に曝されるのを避けるためだ。
集まったのは深雪、水波、ほのか、雫のA組四人。達也と美月のE組二人。エリカとレオのF組二人。計八人だ。
そのメンバーを見て、エリカが「意外」と呟いた。
「てっきり深雪にくっついてくると思ったのに……」
「いきなりそれじゃ、男子にも女子にも嫌われちゃうよ」
エリカの正直すぎる感想に、美月が苦笑いしながら反論した。
将輝は深雪と昼食を共にすることはなかった。彼は食堂にて、森崎グループに混ざっている。
「それもそっか。初日から女の子のお尻を追っかけ回しているようじゃ、プリンスのイメージがた落ちだよね」
「エリカちゃん、お尻って……」
少々品がない表現で納得を示したエリカを、美月が恥ずかしそうにたしなめた。エリカがニヤリと笑う。
「何か変だった?」
「だからお尻……」
「お尻、ダメかな。じゃあおケツ」
「エリカちゃん……」
「達也さんの方はどうだったの?」
じゃれ合い始めたエリカと美月を横に置いて──エリカが美月を一方的にからかっているとも言う──雫が訊ねた。
唐突かつ諸々が省略された問いを、達也は正確に把握した。
「美月以外は話しかけてももらえなかったよ。将輝の件について聞き耳を立てられていたが、それだけだな」
「そう……」
「だが美月もいるし、エリカやレオが毎時間来てくれたお陰で、居心地の悪さも大分減っている。大丈夫だ」
「よかった」
雫の沈んだ表情を見て、達也がそうフォローする。雫だけでなく、他三人の表情も明るさを取り戻した。
「A組の方はどうだった?」
「多少の居心地の悪さはありましたが、それほどでもありませんでした」
「深雪様の仰る通り、皆さん普段通りとまではいきませんが、普段通りに接しようとしてくださっています」
「それはよかった」
達也は深雪の言葉を聞いて、水波にも確認の視線を向ける。二人から大丈夫だと告げられ、達也も安堵した。
「E組にも、船尾みたいな子がいればいいんだけどね」
「船尾?」「なんであの子が?」
達也とエリカが同時に聞き返す。
「あの子、朝一にクラスに来て、水波とイチャついていったの──」
雫が朝の出来事を説明する。
「船尾はブレないな」
「ほんと、水波大好きっ子よねぇ」
達也とエリカ、レオが呆れと感心が混ざった表情を浮かべた。
その後は世間話だけに花を咲かせて、昼食を終える。
誰も、この場にいない幹比古の名を口にすることはなかった。
放課後、達也は二年A組の教室を訪れていた。
「兄さん、何かありましたか?」
彼の接近を敏く感じ取った深雪が、廊下に出て達也を出迎える。兄さんという呼称に周囲がざわつくが、二人がそれに意識を向けることはない。
「ああ。将輝に話しておくことがあってな」
「一条さんですか? 分かりました。お呼びしますね」
深雪は笑顔で身を翻し、教室の中へ戻っていく。
「司波さん、ありがとうございます……達也、何の用だ?」
「用と言うほどでもないが、将輝は放課後の予定は決まっているのか?」
「いや、決まってないが……」
将輝としては森崎と行動を共にするか、或いは深雪とコンタクトを取るつもりだった。
「なら一度、生徒会室に来てもらえるか?」
「生徒会室に? 何故?」
「三か月丸々その場の思い付きで行動するわけにもいかない。自治会に参加するにしても、部活動を回るにしても、生徒会を通した方が色々とスムーズに進む」
「なるほど……」
将輝は少し考え込んでからチラリと深雪を見て、その後に教室内の森崎に視線を向けた。森崎が小さく頷くと、将輝も同じく頷きを返した。
「そういう事なら了解した。世話になるな」
「気にするな。それじゃあ行くか」
達也が踵を返すと、将輝も隣に並んで歩き出す。生徒会役員である深雪と水波もそれに続いた。
生徒会室へ向かう彼らを、クラスメイトたちはざわめきと共に見送った。
生徒会室に泉美と船尾の姿はなかった。将輝と話す事があったため、少し遅れて来るように伝えていた。
将輝も、先の理由だけでここに連れてこられたわけではないと推測していた。
「さて、時間もないし早速本題に入ろうか」
そして、この言葉でそれが確信に至った。
「達也」
「なんだ」
「その事だが、俺に言わせてくれ」
「構わないぞ」
達也は軽い調子で了承した。将輝は声と表情に緊張を滲ませて、深雪へ話し掛ける。
「司波さん」
「なんでしょうか」
深雪も笑みを消し、真面目な顔で将輝を見つめ返した。
達也は二人の横顔をじっと見詰めている。水波も深雪の後ろから二人の様子を静観していた。
「二か月前のあの時伝えたように、俺は司波さんのことが好きです。コキュートスを見ても、四葉家次期当主だと発表されても、この想いは変わっていません」
将輝が堂々と想いを述べる。言い切った後も、将輝は視線を逸らさなかった。まるで自ら逃げ場を断つように、ただ真っ直ぐに深雪を見据えている。
深雪も目を逸らすことなく、それを受け止めた。
「一つ、伺ってもよろしいでしょうか?」
「なんでしょうか」
「私は、四葉家次期当主となった身。一条さんは一条家の──」
「──その件については問題ありません。当主である父も、俺が一条家を出ることは了承済みです」
深雪の言葉を遮って将輝が断言した。
「そうですか」
深雪は小さく頷いた。そして静かに目を閉じる。
生徒会室に、僅かな沈黙が落ちた。誰も口を開かない。物音一つしない。
やがて、ゆっくりと目を開いた深雪が「一条さん」と、目の前の男の名を呼ぶ。
「私は、一条さんのことを好ましく思っています。ですが、今はまだ、異性として好意があるわけではありません。私は一条さんのことを、その容姿以外ほとんど存じ上げませんので」
「外見に惹かれただけのお前とは違う」と言われた気がして将輝がたじろぐ。しかしそれを否定することはできなかったので、彼はただ続きを待った。
「ですので、この三か月、相手のことを知る機会としませんか? 同じ学校で過ごして、お互いの良いところ悪いところを見つけて。好きになる努力を重ねて、お互い好き同士になってから、婚約しませんか?」
深雪の言葉は、聞きようによっては無責任なもの。キープしている、そう受け取られても仕方のない言い方だ。
だが、将輝は深雪が婚約に前向きであり、これは深雪の誠実さ故の提案だと理解した。
「分かりました」
将輝が右手を差し出す。深雪も応じてその手を取る。
「これから三か月、よろしくお願いします」
「ええ。こちらこそ、よろしくお願いします」
将輝は遠慮がちに、意外にも深雪は力強く。三か月の猶予期間の始まりとして、二人は握手を交わした。
◇◇◇
新学期初日、幹比古は部活動に所属しておらず、風紀委員の当番もなかったため、授業が終わるとすぐに教室を出て帰路に就いた。
自室に着くと、真冬の寒気にも負けずに暖かな空気が出迎えた。帰宅に合わせて部屋を暖めておくよう、外からホームオートメーションに命じていた。
コートと制服を椅子に脱ぎ捨てる。几帳面な幹比古は、普段ならきっちりとハンガーに掛けるのだが、今日はそんなことも億劫だった。
部屋着に着替えた幹比古は、机の前に座った。手を伸ばし、携帯端末を開く。画面に表示される
『六日の午後と七日は空いている。それ以外は厳しいな』
『明日以降なら問題ないわ』
『深雪姉さまと同じく、問題ありません』
一月四日、エリカからの誘いに対する達也、深雪、水波からの返信。
『二日間で撮った写真をまとめました』
一月七日、焼き肉パーティー兼お泊り会を終えて、水波が作成したアルバム。
『今日のお昼、生徒会室で食べない? ダイニングサーバーもあるし』
今日の朝、雫が送った提案。
エリカはともかく、レオも、雫やほのかも、美月だって。友人たちは今までと変わらない。変わらないことを選んだ。
けれど、幹比古は選べていない。達也たちと話す勇気も無ければ、このグループを抜ける踏ん切りも付けられない。宙ぶらりんのまま、逃げ続けている。
幹比古は端末の電源を落とした。
──僕は、達也たちが四葉家だから避けているわけではない
──僕は、達也が何も打ち明けてくれなかったことに腹を立てているだけ
そんな言い訳は、この数日で何度も繰り返した。もう分かっている。幹比古が達也たちを避けているのは、単に四葉家の名を恐れているだけ。
先日の周公瑾捕縛任務然り、達也は可能な限り自分たちに打ち明けてくれていた。全てではないにせよ、必要かつ最低限の情報ではあるが、隠すことはしなかった。
「ちっ……くそ……」
舌打ちも、それに続く乱雑な言葉も、幹比古らしくない。
感情の制御ができない。自分自身に苛つく。それでも最低限の理性がある分、自暴自棄にもなれない。
「仕方ないだろ……だってあの四葉家なんだ」
思わず漏れた一言をきっかけに、それは始まった。
「たった一つの一族が、一つの国家を滅ぼしたんだ。四千人の魔法師を殺し尽くして、大陸における現代魔法の研究成果の全てを破壊し尽くした……それが四葉だ」
抱えきれなくなった感情が、次々と唇からあふれ出す。
「たった一人の少女の未来を奪われた、その復讐のために……そんなこと、普通じゃない……そんなの、普通なはずがない」
一人きりの部屋の中で、幹比古は思いの丈を正直に告白した。誰も聞いていないからこそ、正直になることができた。
彼の言葉は、誰にも、何者にも、伝えるものではなかった。彼の言葉は、懺悔ではなかった。
「怖くて何が悪い。『
彼は自分の想いを罪だと思っていない。
「だけど、達也は……」
幹比古の告白が止まる。
視線が落ちる。机の上、その一点を見つめる。
握ったままの手は、わずかに震えている。
──分かっている
──自分は、どうすべきなのか
──自分は、どうしたいのか
それでも、その一歩が踏み出せずにいる。
沈黙の中、息を吸う。浅い。
吐けない。
もう一度、今度はゆっくりと確実に、息を吸う。
「……明日」
その一言だけを残して、幹比古はゆっくりと息を吐いた。
◆
新学期二日目になっても、達也と深雪に対する一高生の接し方に大きな変化はなかった。
深雪のいるA組の生徒たちは、気後れしながらもいつも通りを装う。E組での達也は、美月以外からは避けられ、会話すらない。
元々深雪は一高内で偶像視される傾向があった。容姿、実力、それだけで十分近寄り難かった。それに家柄が加わったのだ。同級生や下級生だけでなく、上級生まで気後れするのも無理はなかった。
一方達也に対しては、心の中に「おそれ」を秘めている生徒が少なくなかった。 恐れ。畏れ。虞。異質な強者に対する恐怖と畏怖。達也があの四葉家の直系と知らされて、その感情が膨れ上がっていた。近づくのは怖ろしいが、怖くて無視もできない。それが彼に対する余所余所しい態度となって表れていた。
変化が起きたのは放課後、とある男子生徒がE組を訪れた。
「…達也」
「幹比古」
教室に入った幹比古は、声と表情に緊張を滲ませながら達也へ話し掛ける。
「…明けましておめでとう。遅れて悪かったね」
「おめでとう。俺の方こそ、すまなかったな」
「ほんとだよ」
幹比古が漏らした本音に、達也が苦笑いする。多少のぎこちなさは残っているものの、二人の空気は決して険悪なものではない。
「司波」
そこに、別の男子生徒が声をかけた。
「桐生か、どうした?」
「お前に聞きたいことがある」
元一科生、現魔工科生の桐生は、九校戦のエンジニアにも選ばれており、このクラスでは達也との関わりも深かった生徒だ。
「お前が四葉家当主の甥というのは本当か?」
「事実だ」
「お前と司波さんが兄妹だというのは」
「それも事実だ」
「千葉さんと婚約したというのも」
「事実だ」
「……そうか」
放課後の教室に沈黙が流れる。この場にいる全員が、次に桐生が何を言うのか、ただじっと待っていた。
「つまりお前は、一高美少女ランキングNo.1の司波さんが妹で、No.2の千葉さんを婚約者にしていると。そういう事か」
「ん? ……そう、だな」
「そうか」
予想外の話題に達也だけでなく、クラス中が戸惑う。桐生は淡々と、けれども強い意志を以て告げる。
「司波、俺はお前が嫌いだ」
「…ああ」
「一科としてのプライドを圧し折られて、魔工師としてのプライドをズタズタにされて、あんな美人な妹と彼女がいて、噂じゃ桜井さんのメイド服を見たことあるそうじゃねえか。四葉とかどうでもいいくらい、俺はお前が嫌いだ」
「ああ」
「……だから、これでチャラだ」
桐生は大きく息を吐く。右手を握りしめ、はぁーっと息を吹きかける。
「司波……避けるなよ。あと歯ァ食いしばれ!」
桐生が達也へ殴りかかった。鳩尾に一発、鋭い一撃が突き刺さる。
だが、達也は軽く眉を顰めただけだった。
「……ほら」
桐生はそれに顔を引き攣らせながら、達也へ向けて胸を張る。
「……いいのか?」
「よくない。だからさっさとやれ」
「分かった」
言葉短く頷くと、達也は桐生へ一発入れた。
「おぐ……ぅ……しば、おま、手加減しろよ……」
「したぞ。桐生がやったのと同じ威力だ」
「じゃあこの差はなんだよ……」
「そこが技だ」
片手で腹を押さえ、もう片手で机に手をつく桐生へ、達也は謙遜も外連味も無くそう告げる。
桐生は未だ痛みに顔を歪めているが、それでも身体を起こして達也を見据えた。
「まあ、いい……これでチャラだ、いいな?」
「ああ、これでチャラ。今まで通りだ」
達也の真面目腐った返事に、桐生が鼻を鳴らす。
「あ、あの、達也さん!」
その直後、美月が声を上げた。
「美月、どうかしたか?」
「達也さん、私、怒っています」
言葉の通り怒っていますと表現するためか、美月にしては鋭い目で達也を睨む。
「仕方ないことだと分かっていても、今まで秘密にされていたこと、すごく怒っています」
「ああ」
「だから、その……えいっ」
ペチッと、可愛らしい音が達也の頬から鳴った。運動部でもない美月のビンタでは、大した威力になり得ない。
「美月」
「は、はいっ」
「それ」
「あたっ……」
達也の仕返しはデコピンだった。美月が反射的に額を押さえるが、痛みはないためすぐに手を外した。
「これで、チャラにしてくれるか?」
「はい。これで本当にチャラです」
達也の問いに、美月は朗らかに笑って答えた。
桐生から始まり、美月がそれを繋げたことで、その後は幹比古や、十三束らクラスメイト十名ほどが達也に殴りかかり、殴り返された。
達也を前に蹲る同級生たち。事情を知らない者が見れば、とんでもない誤解をされかねない光景だが、達也も彼らの歩み寄りを無下にすることはできなかった。
「達也くん、よかったね」
「…そうだな」
一連の流れが済んだところで、教室の外で様子を窺っていたエリカがやって来た。
「それでさぁ達也くん」
そして、いたずらっ子のような笑みを達也へ向ける。
「なんだ」
「昨日雫がさ、『E組にも船尾みたいな子がいればいいのに』って言ってたじゃない?」
「そうだな」
「それ、あたしたちでやっちゃうのはどうかな?」
達也はその意味がすぐには理解できなかった。だが数秒経って理解が追いつき、大きく目を見張った。
「エリカ、まさか……」
「んふふ」
エリカは笑みを深め、元々近かった達也との距離を、さらに一歩詰める。
「エリカ、待て」
「んー、待たない」
語尾に音符でも付いてそうなほど上機嫌に、エリカは否を表明した。そのまま達也の首に両腕を回すと、背伸びをして、そして自身の唇を押し付けた。
達也の唇に、ではなく。首筋にだ。
軽く吸い付く。小さな音とともに、唇が離れた。
「首筋って、跡付けやすいのね」
周囲が唖然とする中、エリカは自身の成果を確認して満足そうに微笑む。
そして首を傾けて、自身の首筋を露わにする。
「はい、達也くんもどーぞ」
「……」
「どーぞ」
達也は諦めた。エリカを拒めなかった時点で今さらだ。
少し身を屈めて、エリカの首筋に吸い付く。柔肌を傷付けないように優しく、けれど所有の印を残すようしっかりと。
「んっ……」
艶めかしい声が漏れた。達也は湧き出てくる性欲を鎮めて、唇を離した。
「どう? ちゃんとついてる?」
「…ああ、くっきりと」
「よかったよかった」
二人に付いたお揃いの赤いキスマーク。エリカとしては、周囲への自慢と牽制を兼ねた意味合いが強く、噂になれば云々は建前でしかなかった。
「じゃ、あたしは部活行くから。達也くん、またあとでね〜」
エリカはそう言って、教室をあとにした。残された全員が呆然と立ち尽くす。
どう動くべきかと、達也が周囲を見渡す。その視線が、桐生のそれとガッチリぶつかった。達也は咄嗟に目を逸らした。
その一瞬で、全員が理解した。
「司波、てめぇえええええ!!!」
先ほど達也を殴ったクラスメイトが達也へ殴りかかる。CADはないため魔法は使っていないが、その顔は本気だった。
達也は反撃するわけにもいかず、とりあえず躱して、躱して、躱し続ける。
その結果、教室内での大乱闘に発展し、監視カメラにて事態を知らされた担任のジェニファー・スミスが来るまで、教室は荒らされ続けるのだった。