西暦二〇九七年現在、港湾諸施設は自動化が推し進められ、ほとんどが無人で運営されている。
人手を減らした分、密入国者対策のための規制や再開発が必要となり、採算の取れない港は廃港となっていった。
関東圏に残る港はわずか八つ。
そのうちの一つ、横須賀港に、一隻の小型貨物船が入港してきたのは、一月二十八日午前九時過ぎのことだった。
「あれだな」
年下の上司──千葉寿和警部がそう呟いたことを機に、稲垣警部補は張り詰めていた気を、さらに引き締めた。
彼らの視線の先にあるのは、甲板をすっぽり覆う太陽電池の屋根を備えた小型貨物船。太陽光由来のエネルギーでほぼ全ての動力を賄う、現在の海上輸送では定番の低コスト貨物船だ。
この場にいるのは、稲垣の他に三人。警察の実働部隊に所属する千葉道場の高弟が二人と、稲垣の上司である寿和だ。
彼らが港に出入りする船を監視しているのは、警察として正規の職務ではない。寿和が個人的に入手したタレコミにより、自主的に動いているに過ぎなかった。
だが、稲垣も高弟らも、それで気を抜くなんてことはしない。
タレコミの内容が、テロリストがUSNAから密入国してくるということ。
普段は勤労意欲に欠ける寿和が、いつに無く真剣に捜査に取り組んでいること。
寿和が集めた人員が、千葉道場出身の中でも精鋭ぞろいだということ。
横須賀だけでなく、他七つの港にも高弟らが派遣されていること。
そして、寿和の妹であるエリカが、正月に四葉家当主の甥と婚約したこと。
稲垣たちは、この情報をもたらしたのは四葉家であり、その信頼性は極めて高いと判断していた。張り込み開始から三日が経った早朝においても、緊張感を保っていたのはそういう理由だった。
「警部、反応ありですか?」
「ああ、爆薬が積まれている。テロリストの乗っている船はあれだろう」
稲垣の問いに、寿和が頷く。稲垣たち三人は、無意識に息を詰めた。
通常の爆発物であれば、港に設置されている探知機に引っ掛かるはず。しかし、該当の貨物船に対してそれらしきアクションはない。
つまり、あの船に積まれているのは、爆発物探知機に対するシールドを有した武器。軍隊に正式採用されるような代物だ。入船の度に探査を掛けていなければ、確実に見過ごされていた。
「どうしますか?」
「下手に手を出して爆発させられたら敵わん。こちらの戦力が揃うまで、このまま監視を続ける」
事前に決まっていた方針を、寿和は再度告げた。
とはいえ、数日ずっと張り詰め、得意分野ではない魔法探査を続けていたツケが回ったのか、寿和の表情は非常に険しい。
「警部、入管が終了するまでは俺たちが警戒するので、少し休んでいてください。それと、他の港にいる者もここに呼びましょう」
稲垣は、年下上司の稀に見る勤勉さを労い、そう提案した。
◆
十五時二十分、五限目の授業が終了した光宣は、隣の席の船尾からこう問い掛けられた。
「九島くん、今日の放課後はどうするの? 生徒会来る? それとも、対抗戦に向けてチーム毎にやってる練習に混ぜてもらう?」
その提案はどちらも魅力的なもので、普段であれば光宣も頷いていただろう。
「すみません、病み上がりなので今日は早く帰るように厳命されていて」
「あ、そうなんだ、ごめんね?」
「いえ、こちらこそすみません。明日体調が良ければ、どこかのチームに参加させてもらってもいいですか?」
「もちろん。演習林だと実践練習になるし、演習室割り当てのチームがいいかな。該当のチームは調べておくから、明日の放課後いけそうなら教えて」
「はい、ありがとうございます」
光宣は船尾へ感謝を告げると、クラスメイトたちと挨拶を交わして帰路に就く。現在住んでいる九島家の別邸にて着替えを済ませ、再度家を出る。
向かった先は、横須賀のとある喫茶店。周公瑾捕縛の打ち合わせをしたのと同じく、密談用に別室を用意している店だ。
出迎えたウエイトレスに待ち合わせだと伝えると、二階に行くよう指示された。
二階は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。四部屋の個室があるが、全ての扉が閉まっている。のぞき窓があるような造りではない。
どの部屋だ、と光宣が戸惑ったその時、右側奥のドアが開いた。
「光宣。入ってくれ」
出迎えた達也に続いて、光宣は個室に入った。中には四人がけのテーブルが一つ。
光宣は達也の隣、出入り口に一番近い下座に座った。そして、まずは達也の正面である上座、その位置に座る人物へ意識を向けた。
「はじめまして、九島家当主・九島真言の末子、九島光宣です。千葉寿和さん、お会いできて光栄です」
「司波くんが言っていたもう一人の協力者は君だったのか。千葉家総領、千葉寿和だ。よろしく頼む」
二人は立ち上がり、握手を交わす。席に戻った光宣は、次に自身の正面へ向き直った。
「十文字さん、初めてお会いするわけではありませんが、一応自己紹介させていただきます。九島光宣です」
「以前会った事は憶えている。今は一高に国内留学生として来ているのだったか」
「はい」
光宣は硬さを感じさせる声で返事をする。
光宣と克人は確かに初対面ではないが、言葉を交わすのは実に四年ぶりだ。しかもこうして直接会うこと自体がまだ二回目。下手な初対面より緊張を感じても不思議ではなかった。
「司波、今日はどういう事件なんだ。力を貸すと言ったが、俺は一切の事情を知らない」
克人が達也へ質問を投げつつ、自身の経緯を説明したのは、光宣への配慮も多分に含まれていた。
「では説明します。今朝この横須賀港に、一人のテロリストが密入国しました。名はジード・ヘイグ、中国名は顧傑。崑崙方院の生き残りと見られ、横浜事変を手引きした実行犯に裏で指示を出していた黒幕の魔法師です。そして、顧傑の標的だと考えられるのが、来月箱根で行われる師族会議です」
克人の眉がピクリと動いた。これだけの情報を受けて、それだけで済ませたのは、十九歳の少年としては破格の精神力と言えるだろう。
「当家では、顧傑が携行型ミサイルを手に北米を発った事実までしか追えず、俺から寿和さんに調査協力を依頼しました」
「そうか」
克人は重々しく頷いた。そして、隣の寿和へ視線を向ける。
「千葉寿和警部、密入国したテロリストの足取りを聞かせてもらえますか?」
「ああ。テロリスト当人は、現在小田原の一軒家にいる。爆薬の方は、司波くんの予想通り箱根に運ばれた」
「運ばれた、と言いますと……横須賀に協力者がいて、その者が運んだということでしょうか?」
「いや、違う」
光宣の質問に、寿和は首を横に振る。
彼が見せる非常に強い嫌悪に、光宣だけでなく克人も、寿和が何を言うのか意識を集中させていた。
「爆薬を運んだのは──死人だ。貨物車輌に載せられて箱根に向かった爆弾は、その後動く死体により運ばれて、今は山奥の小屋に詰められている」
光宣は驚きと嫌悪を露わにした。克人でさえ、眉間に深い皺を刻んでいる。
「死体を操る魔法、ですか……」
「ああ。しかも元になったのは、横須賀の市民だ。こちらは協力者に予め用意させていたようだ」
光宣の呟きに寿和はそう補足を入れる。そこに克人がこう問いかけた。
「その協力者については?」
「監視を付けている。元々警察でもマークしていた大陸系の魔法師だ、テロリストを片付けたらこちらも捕らえる」
「なるほど」
克人は寿和の説明に頷き、達也へ視線を戻した。
「箱根には、当家の魔法師が対処に当たり、千葉道場の方々にも周囲の警戒をお願いしています」
爆弾処理に関しては心配要らないと告げ、さらにこう続けた。
「こちらも日没と同時に、顧傑の捕縛に動きます。敵の手の内も殆ど分かっていませんが、このメンバーであれば無力化は可能です」
──テロリスト、しかも放置するには危険過ぎる魔法師
──圧倒的戦力を以て、確実に無力化する
──その生死は問わない
その強い宣言に、三人は頷いた。
◆
寿和が運転する車で、顧傑の潜伏する小田原まで向かう。
「それで司波くん、約束の件は守ってくれるんだよな?」
「ええ。事件が終わり次第、藤林さんに連絡してみます。光宣もいることですし、来てくれるでしょう」
運転席・助手席では、寿和と達也が今回の報酬について話していた。寿和がバックミラー越しに光宣を見る。
「そう言えば、九島くんは彼女の従弟だったか」
「はい、響子姉さんには昔からよく面倒をみてもらっていて。こちらに来てからも何度か会っていますね」
「羨ましい限りだ。俺なんて年明けに一度、昇任祝いってことで会っただけなのに」
「結局お祝いはしたんですね」
「そりゃあ時間と口実があれば会いもするさ」
「あの、千葉さんは」
「寿和でいいぞ。九島くんはエリカとも仲がいいんだろう?」
「そうですね。では寿和さん、響子姉さんとはどちらでお知り合いに?」
「横浜事変前の捜査で、偶々な」
寿和を中心に会話が弾む一方で、克人は腕を組み瞑目していた。元々寡黙な性格であり、気を遣って話を振られるのを避けるためだ。
三人の会話を聞き流しながら、克人はとある思考に沈む。
──三日前、一月二十五日。克人のもとに懐かしい人物から、一通のメールが届いた。
送信者は渡辺摩利。高校時代も私的なやり取りをする仲ではなかった同級生からの連絡に、克人は意外感を覚えながらもメールを開いた。
簡単な季節の挨拶から始まって、自分の近況、こちらの無事を訊ねる言葉。
風紀委員長時代、事務作業が壊滅的だった摩利とは思えないほど、几帳面に形式を踏襲している。士官教育の賜だろうか。
肝心の用件は、簡単なもので。
明日の夜、達也と会ってくれないか、この内容は真由美に内密にしてほしい、という内容だった。
克人の脳裏には、「何故司波と」「何故渡辺を伝って」「何故七草に隠す」と、様々な疑問が浮かんだが、それらは会ってから聞けばいいと、了承の意を返した。
翌日、密談用の個室喫茶店にて、達也と顔を合わせる。軽い挨拶を終えて、当たり障りのない世間話で時間を潰す。
「今日来ていただいたのは」
達也がこう切り出したのは、カップに入ったコーヒーが半分以下になってからのことだった。
「とある魔法師の捕縛において、十文字先輩に協力を要請するためです」
「とある魔法師の捕縛?」
「はい。近く、テロを目論んでいる魔法師がいると情報を掴み、母上が極めて危険だと判断しました」
「深夜殿が? ……そのテロリストや計画の詳細は?」
「言えません」
端的な拒否に、克人は眉を顰めた。
「事の詳細も聞かずに、共闘しろと」
「家同士の共闘ではなく、個人間の協力です。今回要請するのは、十文字先輩個人の力であり、四葉家から十文字家に共闘を持ち掛けるものではありません」
十師族には、非常事態を除き、師族会議を通さず共謀、協調してはならないという決まりがある。
だが、達也はそんな空々しい規則のために、こんな言い回しをしているのではないと、克人は感じた。
「司波の要請は理解した。だがそれが何故、事前に情報を渡さないことに繋がる」
「情報を得れば、十文字家としてそれを調べなくてはならなくなる。今は師族会議前、他家から察知され、横槍を入れられる可能性があります」
「……七草か」
克人の呟きに、達也は何も答えない。態度で「ノーコメント」の意思表示をしていた。
四葉と七草、真夜と弘一の関係を思えば、四葉のすることに七草がちょっかいを掛けるのは不思議ではない。
だが、四葉深夜が警戒を促し、克人の手を借りるほど危険なテロリストの捕縛を邪魔するほど、七草も節操無しではない、と克人は考えていた。
そんな思いが顔に出ていたのだろう。達也が「詳細は割愛しますが」と説明を始めた。
「先日、横浜事変を起こした大亜連合軍破壊工作部隊、その手引きをした魔法師を当家が無力化しました。その調査の際、敵魔法師を匿う一派から襲撃を受け、警察に引き渡したところ、突如七草家の息が掛かった情報部の管轄となったそうです」
克人の眉が軽く動いた。達也はさらにこう続ける。
「また、七草家は過去にその魔法師と共謀関係にありました。これは状況証拠になりますが、配下の名倉三郎氏を使い、秘密裏に処分しようとした疑いもあります」
「……そうか」
克人は重く頷いた。克人でさえも、それ以上の反応ができなかった。
「……司波、一つ聞かせろ」
「なんでしょうか」
「この件は、四葉と七草の確執に関するものではなく、この国を揺るがすテロリストを捕縛するためのものなんだな?」
「はい、相違なく」
「そうか」
克人は小さく頷いた。そして静かに目を閉じる。
室内に、僅かな沈黙が落ちた。達也も口を開かず、物音一つしない。
やがて、ゆっくりと目を開いた克人が「いいだろう」と口を開く。
「十文字家としては、この一件に関与しない。これは、第一高校の卒業生として、俺が司波個人の要請を受けようと思う」
疑問も、疑念も、消えていない。けれど、今目の前の達也は嘘偽りを述べていない。そう克人は判断した。
「ありがとうございます」
克人の受諾の返事に、達也は感謝を述べた。
──そして、あれから三日後の今日。達也と寿和からもたらされた情報は、克人が想定していた事態を大きく上回っていた。
崑崙方院の生き残りと見られるテロリスト。入管の探査をすり抜ける爆薬を手に入れる手腕と、死体を操るという悪辣極まりない魔法の使い手。
四葉深夜が警戒を促すだけの危険事案。これが無警戒の中で師族会議を襲っていたら、そう考えるとぞっとする。
「着いたぞ」
寿和の声と共に、車が止まる。
「司波くん、君が考えた作戦だ。指示出しは頼んだよ」
寿和から委ねられた権限と責任に、達也は尻込みすることなく頷いた。
目的の家に向かって、達也は焦点の定まらない視線を向ける。十秒に満たない時間の後、こう切り出した。
「十文字先輩と光宣の二人で踏み込んで貰います。俺は逃げられた場合の始末を。寿和さんは周囲を包囲している方々との連携をお願いします」
「ああ」「わかりました」
寿和と光宣が頷いた。
「司波、確認だが、捕える必要はないんだな?」
「はい。敵の無力化を最優先してください」
「わかった」
最後に、克人もそう頷いた。