「ぅ……」
「……」
週末の土曜日、風紀委員会本部では二人の委員が机に突っ伏していた。
「北山さん、森崎くん、お疲れ様」
そこに、幹比古がウォーターサーバーから入れた水を差し出す。
「助かる……」
「ん……」
森崎と雫は、それをゆっくりと飲み干す。二人は今日風紀委員の当番ではないが、当番と偽ってここへ逃げ込んでいた。
「船尾さんが九島くんに勝ってから、二人とも大人気だね」
その理由はただ一つ。
先日の船尾対光宣の模擬戦、それによる後輩からの猛アタックだった。
元々船尾は校内のあちこちに顔を出し、上級生に頼み込んでいるため、模擬戦の数が非常に多い。その人気も高く、第一演習室を使い生徒たちに広く公開されている。
服部や沢木、深雪に達也の、最上位クラスは除くとして。魔法力や経験に勝る上級生たちと、船尾は互角以上に渡り合っている。
そして、その中で効果的に使われた技術や手法が、一年生の間で流行るのだ。
今回の模擬戦で言えば、『クイック・ドロウ』に『ドロウレス』、二つのCADの同時操作。
あの光宣にダメージを負わせたこれらの技術を使用する森崎と雫へ、後輩たちがコツや練習方法を聞きに押し掛けたのだ。
「まあでも、森崎くんにとっては、ある意味良かったんじゃないかな」
「何がだ?」
「正直に言って、一年生からの森崎くんの評価はあまり好ましくなかったし、これを機に改善してほしいと思ってるよ」
多くの下級生から見た森崎の評価は「肩書きに見合わない」というものだった。
魔法式の構築スピードはそれなりに速いものの、その規模も事象干渉力も、百家本流に比べて明らかに劣っている。何故この程度の実力で風紀委員に選ばれ、二年男子のリーダー格を務めているのかと、疑問に思う生徒も少なくなかった。
幹比古はこれを苦々しく思っていた。
先天的な魔法力の差を技術の向上によって補おうとする愚直な努力と勝負への執着心。それを余すことなく発揮し、九校戦や部活動でも結果を出している。
一年生で戦闘力トップの船尾が認められているなら、それと似た強さを持つ森崎も評価されるべきだと、幹比古は本気で考えていた。
「……そうか」
森崎は、幹比古からの意外な高評価に、照れ臭そうに身動ぎした。
「じゃあ私は?」
「北山さんは元々下級生から憧れの目で見られてるよね。だから船尾さんも昨日、迷惑料として風紀委員の事務作業を代わってくれたんだと思うよ」
「そうだね」
雫も言ってみただけで、現在の後輩ラッシュに関して船尾を責めるつもりはなかった。
絶妙な押し引きと言うべきか、船尾は細やかな気遣いが上手い。
例えば水波に対して。志望校変更、部活動被せ、九校戦同種目、生徒会選出と……普通ならドン引きレベルの執着だが、何故か『まあ船尾だし』と笑える範囲に収まっている。端的に言えば、可愛げがある。
「おはようございます」
風紀委員本部に、一人の女子生徒が入って来た。
「香澄さん、お疲れ様」
「吉田先輩、お疲れ様です。本日の巡回終了しました、逮捕者ありません」
「うん」
姿勢を正して敬礼で報告する香澄に、幹比古は穏やかに応じる。
報告を終えた香澄は、本来いるはずのない上級生が、何故か疲れた様子でいることに首を傾げた。
「えっと、北山先輩に森崎先輩、何かあったんですか?」
「ああ、まあな」
「一年生の突撃から逃げてきた」
「……あ、ああ、そういう事ですか」
曖昧に誤魔化した森崎と端的に述べた雫。二人の反応から香澄も理解を示した。
「なんかすみません。私のクラスメイトたちもご迷惑をお掛けしてますよね……」
「気にするな」
恐縮する香澄に、森崎は軽い口調で告げる。
「そういえば香澄、今日お泊り会なんでしょ。急がなくていいの?」
「はい。まだ泉美から仕事終わりの連絡も来てないので」
船尾のご褒美たるお泊り会。
メンバーは生徒会役員の四人と、双子繋がりで香澄、それならとエリカも誘い、合計六人だ。
「深雪たちのお泊り……あの二人が暴走しないように、しっかり手綱握った方がいいね」
「あはは……」
あの二人……言うまでもなく、泉美と船尾だ。
「でも、船尾は大丈夫だと思いますよ。何だかんだ泉美より理性的ですし」
「泉美は駄目なんだ」
「はい……泉美はその、熱しやすいと言いますか。スイッチが入ると中々戻ってこないので……」
香澄に言われちゃお終いだ、と雫を始めとする上級生三人は思った。
◆
夜、夕食を済ませた少女たちは、深雪の部屋にて女子会を開いていた。
その中で、親友から理性的と評された船尾春花は、満面の笑みで水波の膝を独占していた。
「えへへ、水波せんぱぁい……」
初の深雪(水波)宅訪問から、水波のメイド服姿を拝み、夕食の支度を手伝うことでそれを至近距離で堪能し、水波お手製の夕飯を食する。
そして本来負けた場合のご褒美だった膝枕まで達成した。
船尾は今、幸せの絶頂にいた。
「……船尾さん、貴女は模擬戦で勝ったんですから、膝枕は駄目ですよ」
泉美が羨ましさを隠しながら──なお周囲にはバレバレだった──船尾へ注意する。それを受けた船尾は、頭上へ問い掛けた。
「水波先輩、退かなくちゃダメですか?」
「…勝ちはしましたがボロボロになったのは事実ですし、少しだけならいいですよ」
「ありがとうございます」
船尾は再度ご褒美を堪能する。水波はその髪に指を絡めたり、むにむにと頬を弄ったりと遊んでいる。
深雪は微笑ましげにそれを眺め、エリカと香澄は半ば呆れたように苦笑する。泉美だけが、隠し切れない悔しさを滲ませていた。
「泉美ちゃん」
そんな彼女に手を差し伸べたのは、深雪だった。
深雪は無言で微笑み、ポンポンと膝を叩く。泉美は即座にその意味を理解した。
「……いいのですか?」
「対抗戦お疲れ様ってことで。今日だけね」
「〜〜っ、ありがとうございます!」
泉美は飛び込んだ。船尾への嫉妬など遥か彼方へ吹き飛ばし、その天国のような心地を堪能した。
「ああ……深雪先輩……」
「どうしたの?」
「……女神様のようです」
「大袈裟ね」
呆れた笑みを見せる深雪だが、流石にこの距離で、しかも真下から崇拝の念を送られるのは思うところがあったのか、掌で泉美の視界を覆った。
「ふふ、うふふ、」
より一層不気味な笑みを漏らす泉美に、深雪も「軽率だったかしら」と少し後悔し始めていた。
そんな親友と双子の妹の姿に呆れ返っていた香澄だったが……少し、ほんの少しの羨ましさから、チラリと、エリカへ視線を向けてしまった。
「香澄〜」
「な、なにさ」
そして、それを目敏く認めたのは船尾だ。
「羨ましいでしょ?」
「…別に、そんな事ないけど」
「ふーん」
船尾は、意地悪く香澄へ追求する事はなかった。代わりにエリカへ視線を向ける。
それを受けたエリカは、仕方ないわねと言わんばかりの苦笑を浮かべた。
「香澄」
「え、いや、その……いいんですか?」
「膝枕くらいなら、別にねえ」
「……じゃあ、失礼します」
二人とは対照的に、香澄はおずおずと膝に頭を載せた。
上級生三人に、下級生三人が膝枕をされている。
なんだこの状況と、香澄は頭の下の柔らかな感触と裏腹に思った。
泉美はダメだ。深雪からの膝枕と掌の接触で完全にトリップしている。
船尾もダメだ。彼女は理性こそ残っているものの、それをフル活用して欲望に忠実になっている。泉美よりタチが悪い。
(……ま、いっか)
香澄は開き直った。
憧れの先輩に膝枕されているのだ。多少の問題は誤差である。香澄は身体の力を抜いてエリカの太ももへ頭の重さを預けた。
この辺り、香澄が親友から──善か悪かは不明だが──大きく影響を受けているのは間違いなかった。
端から見れば異様な光景のまま、女子会は更けていった。