風に乗って楽しげなざわめきが聞こえてくる。第一高校の校内は喜びの声に満たされていた。
耳を澄ませばその中に混じる泣き声も聞き取ることが可能だったが、それは決して不幸な出来事の故ではない。
三月十五日。今日は魔法科高校の卒業式だ。
第一高校だけでなく、魔法科高校九校の卒業式が一斉に行われており、国内留学生の将輝と光宣も、今日ばかりは自校に戻り先輩らの卒業を祝っていた。
式自体は既に終わっている。卒業生たちは、式後に開かれる送別パーティのため、二つの小体育館へ向かっている最中だった。
こんな時まで一科生と二科生を分けるのは嫌らしい気もするが、多分その方が当人たちも気楽で良いのだろう。二つの会場で料理にも飲み物にもその他の面でも差は無いのだから、正しさに拘る必要がある場面ではないだろう。
ただ、会場を分けている所為で、しなくてもいい苦労をしている人間も確かにいる。パーティを主催している生徒会はその筆頭だろう。
そして、今年はその直前に対抗戦や交流促進会議があったため、その忙しさは例年以上だった。その遠因である達也は、去年とは違い卒業式やパーティの準備・運営に駆り出されていた。
「やっとか……」
「そうですね、ようやく一息つけます」
先ほどから達也と深雪は、引っ切り無しに来賓の大人たちに話しかけられていた。四葉という肩書きがあるため、そこまで強引な者はいなかったが、逆に媚を売ってくるような者もおり、二人としては必要以上に精神を削られていた。
卒業パーティの運営はまだ残っているが、来賓たちがいなくなったことで、二人にとってはようやくの休憩時間だった。
なお、二人がいるのは、一科生が属する小体育館。泉美も合わせた三人がこちらの担当だった。
対して二科生側の小体育館では、水波、船尾、ケントという二科生とも繋がりが多い三人が運営している。
業務にのみ向き合うこと暫く、もうすぐお開きという時間になった。卒業生たちも、しんみりとした空気を醸し出している。
「深雪」
「ええ、こちらはもう大丈夫ですし、行ってあげてください」
「ああ、いってくる」
深雪に許可を取った達也は、とある集団へ歩き出す。
「中条先輩」
「あ、司波くん。どうしたんですか?」
あずさは不思議そうに首を傾げた。
「少し、お時間を頂けますか」
「私は大丈夫ですけど」
あずさは周囲の友人たちに確認すると、彼女たちも問題ないと頷く。
服部や五十里など、集団の外からも興味深そうに視線を向けられるが、達也は特に気にした様子もなく、一枚の便箋を差し出した。
「これは?」
「ある人物から、中条先輩へ卒業祝いです」
あずさは戸惑いながら封を開く。中から現れたのは、一枚のカード。
FLT・CAD開発センター第三課。
その入館証だった。
「え……?」
あずさの目が見開かれる。周囲にいた卒業生たちも、あずさの手元を覗き込み、その文字列を見て息を呑んだ。
FLT開発第三課。
魔法工学を志す者なら、いや魔法工学に疎い者ですら、その名を知らない者はいない。
魔法工学の歴史を塗り替え続けている天才技術者・トーラス=シルバーが所属する、世界最先端の工房だ。
そして、あずさにとっては──
「まさか、これって……」
あずさの唇から、小さな呟きが漏れた。達也は静かに頷いた。
「トーラス=シルバーからの伝言です」
その場の空気が変わった。ざわめきが止み、全員の意識が達也へ集まる。
「去年、一昨年の九校戦を拝見しました。貴女の技術力と、その成長性を高く評価しています」
達也は感情を交えず、淡々と告げる。
「中条さんは魔法大学へ進学される予定だと伺っています」
達也の声が続く。
「その上で、まずはインターンという形で研究に参加してみないか──とのことです」
カードを握るあずさの指に、力が籠る。
言葉が出てこない。嬉しい。光栄だ。夢のような話だ。
だが同時に、自分などがその場に立っていいのかという戸惑いもあった。
「わ、私なんかで……」
思わず漏れた弱気な言葉に、達也は首を横に振った。
「だからこそ、だそうです」
達也はそこで僅かに間を置いた。
「──貴女だからこそ、その将来に期待しているそうです」
あずさが息を呑む。
その瞬間だった。堪え切れなくなったように、彼女の瞳から涙がとめどなく溢れ出した。
「……ありがとう、ございます」
震える声で、それだけを返す。両手で大切そうに入館証を抱き締める。そんな彼女を、周囲の友人たちが優しく声を掛け、労った。
「返事は急ぎません。もし善い返事をいただけるなら、俺に連絡してください。第三課の方にも、そのように伝えておきます」
「はい…はい……!」
あずさはグシャグシャになった顔で、何度も何度も頷いた。
達也は折り目正しく一礼すると、その場から離れ、深雪のもとに戻った。
「喜んでもらえて良かったですね、兄さん」
「ああ」
服部や五十里らが、あずさのもとへ次々とお祝いを告げに行く。感極まりが収まる気配のないあずさを眺めながら、二人は穏やかに笑った。
◆
三月十六日、土曜日。
あずさは東京都町田市に向かっていた。目的は当然、FLT開発第三課を訪れるためだ。
卒業式の翌日という急日程だが、月末には卒業旅行が控えており、何よりトーラス=シルバーたる達也には平日学校がある。今日明日しか纏った時間が取れなかったのだ。
「中条先輩、お待ちしてました」
「おはようございます、司波くん。今日はよろしくお願いします」
研究所に着くと、建物入り口の前には既に達也がいた。達也に先導され、あずさは夢の工房へ足を踏み入れた。
ここは技術力を売りにする企業の研究中枢であり、FLTの謂わば心臓部である。警備もそれに見合った厳重なものだ。機械による監視だけでなく、人手を使った警備も過剰なほどに配置されている。
だが、達也たちが呼び止められることは無い。
「あの、司波くん」
「何でしょう?」
「ここでは司波くんと呼ばない方がいいですか? 司波さんや、シルバー様といった呼び方のほうが……」
「シルバー様はやめていただきたいのは前提として……俺はFLTの従業員ではなく会社と契約している研究員ですので、大枠では中条先輩と変わりません。今まで通りで構いませんよ」
「そうですか……分かりました」
トーラス=シルバーと一介の魔法師の卵。
変わらないわけがないだろう、と思いながらも、あずさは了承した。
やがて二人は、壁一面がガラス張りとなった部屋に出た。
ガラスの向こうは半地下吹き抜けの広い、格納庫のような空間。対面には、この部屋と同じような観測室。
ここは、CADのテストが行われている区画だ。
部屋の中では十人以上の技術者や研究員が、忙しなく歩き回り、議論を交わし、計測器を動かしていた。
「あっ、御曹司!」
全員がそうして忙しく働いているにも拘わらず、観測室に入った達也はすぐに声を掛けられた。
御曹司という呼び方は、当初コネで出入りしている達也を揶揄するものだったが、今では次期リーダーに対する尊称として使用されている。
達也としては、シルバー様と同様にやめて欲しい呼称だったが、彼らが今では好意からそう呼んでいることも理解している。だから達也も「やめてくれ」とは言わないようにしていた。
「お邪魔します。牛山主任はどちらに?」
最初に話し掛けてきた白衣の研究員に訊ねる達也。その問い掛けに対する応えは、人垣の背後から生じた。
「お呼びですかい、ミスター?」
人の壁をかき分けて姿を見せたのは、ヒョロリと背の高い、ただしひ弱さは微塵も感じさせない、灰色の作業服に身を包んだ技術者だった。
「すみません、主任。お忙しい中お時間をいただいて」
「おっと、いけませんな、ミスター」
折り目正しく一礼した達也に向かって、牛山という名の技術者は、苦い顔で頭を振った。
「腰が低いのも結構ですが、ここにいるのはアンタの手下だ。今日は新しいお嬢さんもいるんですし、手下に謙り過ぎちゃあ、示しが付きません」
「いえ、皆さんは俺の部下という訳では……」
「何を仰いますやら。天下のミスター・シルバーともあろうお方が。俺たちゃあ皆、アンタの下で働けるのを光栄に思ってるんですぜ」
牛山の声に、彼の声が届く範囲にいた技術者、研究者の全員、そしてあずさもが力強く頷いた。
フォア・リーブス・テクノロジーCAD開発第三課『シルバーモデル』の開発部署。
技術部のはみ出し者を集めて作られた、いわば厄介払いの部署であった開発第三課が、シルバーモデルを世に出したことでFLT社内で高い発言力を有するに至った。
故にここでは、シルバーモデル開発の中心人物であるトーラス=シルバーの片割れたる達也に対して、技術者や研究者が高い忠誠心を抱くのは無理のないことだった。
「それを言うなら、名実共に此処のヘッドはミスター・トーラス、貴方でしょう。管理職になりたくないって貴方が駄々をこねるから、いつまで経っても第三課は課長も係長も不在のままなんですよ」
「止して下さいよ。『ミスター』も『トーラス』も、柄じゃねえって。俺は、ただの技術屋でさぁ。アンタの天才的アイデアを少しでも使いやすくする為に、チョコチョコッと部品を弄っているだけの俺が共同開発者なんて、誰より俺自身が納得してねえ。俺はそんな恥知らずな人間じゃありませんぜ。御曹司が未成年の学生さんで、単独の開発権利者だとまずいってっから、仕方なく名前を連ねているだけです」
「牛山さんの技術力が無ければ、ループ・キャストも飛行魔法も、完全思考型補助デバイスも、何もかも実現できませんでしたよ。俺にはハードに関する知識も技能もノウハウも不足している。技術も理論も、ハードとして製品化して、初めて意味を持つものでしょう?」
「あ~っ、止めヤメ。やっぱ、理屈じゃ御曹司にゃ敵わねえや。それよか仕事の話をしましょうや。そのお嬢さんの案内も、必要でしょうし」
頭をガリガリかきながら、牛山が白旗を揚げる。
「オーケー、牛山さん」
達也も生真面目な表情を崩して人の悪い笑みを浮かべた。そしてその笑みを、驚きを浮かべて達也と牛山を交互に比べているあずさに向けた。
「と言う事で、彼が此処のヘッドであるミスター・トーラス。トーラス=シルバーのハードウェア開発を担当している、牛山欣治さんです」
「御曹司からご紹介がありました通り、牛山って言います。俺も、去年の九校戦は見させていただきやした。お嬢さん…中条と働けること、光栄に思ってますぜ」
「は、はいっ、中条あずさと申します! こちらこそ、ここで働かせていただけて光栄です!」
あずさのガチガチに緊張した様子と、その小動物のような容姿に、研究所の皆が温かい視線を向ける。
「ではこれから研究所の案内をしましょうか。皆さんも集まっていただきありがとうございます、業務に戻っていただいて結構です」
達也の声掛けに、研究員たちはそれぞれ持ち場に戻った。
一通り研究所の案内を終えて、達也と牛山は、あずさとの契約内容を詰めていた。
「──勤務形態と給与はこのように考えています。他に要望があれば、可能な限り考慮しますが」
「大丈夫です。気遣っていただき、ありがとうございます」
大学の授業やプライベートを考慮して柔軟な出勤日を提案され、給与も正社員ベースの時給が発生する。
あずさとしては、こんなにも高待遇でいいのかと問いたくなるほどだった。
その他にも通勤について。魔法大学は練馬、この研究所は町田と、大学帰りであれば少し時間はかかるが、神奈川方面の実家から通学する予定だったあずさからすれば帰り道。これも問題は無かった。
話が纏ったところで、契約書や今後のスケジュールの確認も済ませる。
「さて、もう一つの本題なのですが」
達也はそう言うと、用意していた電子黒板をあずさに手渡す。あずさは電子黒板に視線を落とし、その内容に驚愕した。
「あの、司波くん、これって……」
「加重系魔法三大難問の一つ、常駐型重力制御魔法式熱核融合炉。その工業化プラントの基本設計です」
あずさが弱々しい声で問い掛けると、達也はどこか自慢げに頷いた。
魔法の非軍事利用プロジェクト「恒星炉による太平洋沿海地域の海中資源抽出及び海中有害物質除去(Extract both useful and harmful Substances from the Coastal Area of the Pacific using Electricity generated by Stellar-generator)」プラント建設計画、「ESCAPES」。
「『ESCAPES』……つまり、そういう事ですか?」
「ええ」
あずさの問いに、達也は短く応じる。
この計画が実現すれば、魔法師はエネルギーの生産という新たな役目を担うことができる。
もし今後、戦争が起こったとしても、戦力の供給とエネルギーの供給の間にはトレードオフの関係があるため、魔法師を兵器として利用したくともできない状況が作り出される。
それは、魔法師が社会の中で居場所を確立・拡大するのと同時に、兵器としての役目から『
あずさは再度電子黒板に視線を落とし、隅から隅まで資料を読み込む。
「しかも、取り出すことのできる単位時間当たりのエネルギーの量は、現代のどのエネルギーシステムと比べても桁違いに大きい……。司波くんの恒星炉が実現すれば、昼夜の区別無く、気象条件に影響を受けずエネルギーを供給することが可能となりますね。工場も電力供給に神経を使わず運転できるようになりますし、寒冷化の再来に怯えなくても済みます。魔法の平和利用を主張する、この上ないデモンストレーションになるでしょう」
独り言のような呟きが途切れ、あずさが達也へ顔を向けた。
「これが、司波くん本来の目的なんですか?」
「ええ。独自のアイデアというわけではありませんが、これが俺の目指しているものです。俺の高校卒業と同時に、このプロジェクトを公表・着手するつもりです」
「今すぐにではないのは、司波くんが高校生だからですか?」
「ええ。若過ぎて相手にされないようでは、意味がありませんから」
あずさは、トーラス=シルバーが達也だと公表すれば、決して相手にされないことはないだろうと思った。
けれど、何事も事前準備が大切だと理解しているあずさは、これほどのプロジェクトを急ぎで進める理由もないと納得した。
「現時点でこの計画を知っているのは、ここにいる牛山さん、四葉家当主である四葉真夜。深雪に水波、あとはエリカだけです。高校卒業までにも、北山家や一条家にも協力を要請し、プラントを建設する離島の選定など進めるつもりです」
達也はそこで一呼吸入れると、真っ直ぐにあずさを見据えた。
「中条先輩」
「…はい」
「これから一年後、トーラス=シルバーは解散し、俺はCADの開発をやめ、こちらの事業に移ることになります」
「はい」
「この研究所でインターンを続けるか、魔法大学での生活に専念するか。中条先輩の選択は自由ですが、俺はこのプロジェクトに先輩の力を借りたいと思っています」
あずさは自己評価が極端に低いが、魔法力・知識・技術力・実務能力、その全てが高レベルに秀でている者はそうはいない。
その上で信頼できるとなると、ほんの僅か。達也の知る限り、藤林や五十里くらいなものだ。だが、条件に当てはまるのと実際に勧誘できるかはまた別問題だった。
また、『恒星炉が実現した場合、既存の企業では扱いきれない』『達也なら会社の一つくらい作るだろう』。
そう考えた船尾から、それとなく「雇ってください」とアピールもされている。彼女なら達也を──水波を裏切ることはないだろうと、達也も前向きに考えているが、能力で言えばあずさの方がずっと上だ。
この勧誘は、偽りない本心からのものだった。
「返事は急ぎません。契約更新は一年後ですので、その際に聞かせていただければ──」
「──いえ、今返事をさせてください」
あずさが、彼女に似合わぬ力強さで、達也の言葉を遮った。
「わたしは、司波くんの計画に協力したいと思います。恒星炉の工業化プラント……魔法技術者を目指す者として、是非とも関わらせてください」
あずさの出した答えに、達也は頬を緩ませた。
◇◇◇
達也があずさと契約を結んでいる頃。
深雪は、水波と穂波を伴って北陸へ向かっていた。
リニア特急ではなくトレーラーを使っての移動だった。
トレーラーは簡単に言えば、一階に車やキャビネットを収納し、二階に乗客用のアメニティスペースがある二階建ての連結電車だ。
本来ならトレーラーに乗り込んですぐ、車を降りて二階のアメニティスペースへ向かうのだが、今日の深雪たちは狭い車内に残っていた。
三人の乗る車体のサイズに比してゆったりと作ってあるが、それでも寛ぐために作られたスペースよりは窮屈に感じる。だが、今の深雪を衆目に晒すことで起きる惨状を考えれば当然の結論だった。
金沢駅に到着し、穂波が運転する車がトレーラーを出る。駅前のロータリーで車を停めると、目的の人物はすぐに見つかった。
トレーラーから出てくる多くはキャビネットで、自走式の車は一台しか無かったため、彼もすぐにこちらに気付いた。
こちらへ歩いてくるのは、真紅の服装の貴公子──第三高校の制服に身を包んだ一条将輝だ。
彼は前日の卒業式のため、ここ金沢へ戻ってきていた。
彼の到着と同時に、穂波が後部座席のドアを開ける。
「すみません、お待たせしまし──」
ました、と将輝は最後まで口にできなかった。
後部座席に座るのは深雪。シンプルなワンピースに身を包んだ彼女は、穂波と水波によりぴかぴかに磨き上げられ、さらにその美貌に恥じぬよう化粧を施されていた。
いつもは爽やかで、むしろ無生物的な香りを漂わせている深雪が、今は蝶や蜂でもないのに思わず引き寄せられてしまいそうな、微かな花の香りを纏っている。
この状態で人混みに姿を見せようものなら、間違いなくパニック、大惨事が起こりそうだ。誇張抜きに将輝はそう思った。
「大丈夫ですよ、こちらこそ迎えに来てくださりありがとうございます」
深雪の言葉で硬直から解放された将輝は、ぎこちない様子で車内に入る。
駅から車で進むこと暫く、到着したのは十師族・一条家の本邸。
ゆっくりと停止した車を降りると、立派な門の前に三人の女性が並んで待っていた。
将輝の母である美登里、そして妹の茜と瑠璃だ。
「よくおいでくださいました、司波深雪さん、歓迎します」
美登里が上品な、しかしどこか弾んだ声で出迎える。
「は、初めまして、一条茜です……その、いつも兄さんがお世話になっています……」
「一条、瑠璃です……」
茜と瑠璃は、テレビや噂でしか聞いたことがなかった
「初めまして、司波深雪です。本日はお忙しい中お時間をいただき、ありがとうございます」
深雪はそれを笑うことなく、淑女そのものの挨拶を執り、微笑みを返す。その美しさと気品に、妹二人が小さくため息を漏らした。
「さあ、立ち話も何ですから中へどうぞ。夫も奥で待っております」
美登里の言葉に、将輝たちは屋敷へと足を進めた
◆
一条家の屋敷は家族用の区画が洋風、客を迎える為の区画が武家屋敷風の和風建築になっており、玄関から座敷には長い回り廊下を伝って行く構造になっている。
将輝は深雪を伴って、父親が待つ座敷の前にたどり着いた。板敷きの廊下に膝を突き、口を開く。
「将輝です。司波深雪さんをお連れしました」
「おう、入れ」
障子の向こう側から伝法な応えがあった。
「失礼します」
膝を突いたまま障子を開け、中に入り、膝を突いて障子を閉める。
親子の間で過剰とも思われる丁寧さだが、将輝にはそういう礼に適った仕草がよく似合っている。将輝と共に入室した深雪は言うまでもない。
室内にいた男は、紋付き羽織袴の礼装に身を包み、隙のない姿勢で正座して二人を待っていた。
深雪は彼のことを写真では知っていたが、こうして相対してもその印象に変化はなかった。
十師族・一条家当主、一条剛毅。
今年四十二歳になる剛毅の見て呉れは、「男臭い」の一言に尽きる。いっそ見事と言いたくなるほど全身隈無く日に焼けた肌。短く刈り込んだ髪も日差しにより色が抜けて焦げ茶色になっており、年齢相応に貫禄を感じさせる。
貴公子然とした将輝とは、あまり似ていない親子だった。
上座の剛毅、そして下座に対峙する形で深雪と将輝が並んで正座した。
「遠路はるばるよくおいでくださった、司波深雪嬢。一条家当主、一条剛毅です」
普段の剛毅であれば、年頃の若者には「まあ楽にしろ」と開口一番に言いそうなものだが、その言葉は出ない。
深雪の来訪は事前に伝えられていた。将輝との婚約に善い返事をするのだろうと分かってはいるが、相手はあの四葉。
四葉と一条。当人たちの気持ちだけに収まらない、二つの巨大な血統が交わる婚約。
その美貌も相まって、剛毅は深雪との距離感を測りかねていた。
「初めまして、一条殿。四葉家次期当主、司波深雪にございます。此度は、正月に承っていた婚約のお返事、並びにそのご挨拶に伺いました」
対する深雪は淑やかな微笑みをたたえて、すらすらと述べる。
「四葉家当主・四葉真夜には既に了承を得ています。一条殿には、婚約を認めていただき、またこの場の立会人になっていただきたく」
「私の立ち会いなどなくとも、この婚約は二人の意思に任せています。喜んで、その証人になりましょう」
剛毅はそう言うと、チラリと、先ほどからそわそわしている将輝に目を向けた。
「ただ一つ……私ではなく息子へ、貴女の口から、伝えてやってほしい」
「はい」
深雪は身体をずらし、将輝へ向く。
「将輝さん」
「はい」
将輝も、深雪から名前で呼ばれ舞い上がった内心を隠して、神妙に答える。
「将輝さんからの婚約の申し出、ありがたく思います。私も将輝さんのことを、好きになることができたと、そう思っています」
膝の付く距離で向かい合い、微妙に恥ずかしそうに「好き」と口にした深雪に、将輝は失神しそうなほどの幸福感に襲われた。
「二ヶ月とお待たせしてしまいましたが、将輝さんの気持ちが変わっていなければ、交際・婚約を結んでいただきたく存じます」
「俺の気持ちが変わることはありません。俺はずっと、初めて会った時から貴女に一目惚れです──こちらこそ、よろしくお願いします」
将輝は込み上げる歓喜をどうにか押し留め、そう返事をした。
その言葉を聞いた深雪は、はにかむように笑みを深める。
剛毅は息子の青臭い告白を茶化したくなる気持ちはあったが、今日ばかりは飲み込む。代わりに「ふん」と、どこか誇らしげに鼻を鳴らした。
◇◇◇
三月二十三日、土曜日。
第一高校の終業式は滞りなく終了した。
卒業式ほどの華やかさは無い。それでも、一年間を終えた解放感からか、校内には明るい空気が満ちていた。
生徒たちは春休みの予定を語り合いながら、それぞれ帰路につく。
そんな中、東京駅では二人の国内留学生が別れの挨拶を交わしていた。
「三ヶ月、長かったようであっという間だったな」
「そうですね、本当にあっという間でした」
溢れんばかりの笑顔の将輝に、光宣は寂しげな笑みで頷いた。
第三高校へ戻る将輝。第二高校へ戻る光宣。同じ国内留学生でも、その心情は対照的だった。
将輝の顔は隠しようもなく緩んでいる。
婚約は成立した。しかも深雪とは既に、GWに改めて金沢でデートの約束まで取り付けている。達也とエリカも含めたダブルデート、しかもバイクによるツーリングだ。
第三高校へ戻れば友人たちから根掘り葉掘り聞かれるのは確実だったが、それすら今は心地良い。
「……随分と機嫌が良いですね」
「そう見えるか?」
「見えます」
光宣は即答した。
見えるどころではない。むしろ全身から幸福感が溢れている。
「まあ……そうだな」
将輝は照れたように頭を掻いた。
「色々、上手くいったからな」
「そうですか」
光宣は薄く微笑んだ。
将輝の幸せは純粋に喜ばしい。それでも、胸の奥に生まれる寂しさまでは消せない。
四月中旬には、再び達也と会う。だがそれは治療のため。春休みの間、達也と会う予定は無く、そしてそれは水波とも同様だった。
その事実を思い出すだけで、気持ちは少し沈んでしまう。
とはいえ、それを表に出して将輝を曇らせるほど、光宣は周りが見えないわけではない。
光宣はリニアに乗車する将輝を、手を振って見送る。
「それではまた、今度は夏、九校戦に」
「ああ。俺たち三高と光宣たち二高で、今年こそ一高に……達也たちに一泡吹かせてやろう」
将輝もそれに鷹揚と応え、車内へ乗り込んだ。
◆
一方その頃。
達也とエリカは既に羽田空港へ向かっていた。
「まったく、終業式くらいゆっくりさせろっての」
隣を歩くエリカが不満そうに口を尖らせる。
「仕方ないだろう」
達也は苦笑しながら返した。
二〇九二年八月。大亜連合による沖縄侵攻事件。
あの戦いから五年が経つ。節目の年となる今年の夏、沖縄では大規模な慰霊祭が予定されていた。
そして達也とエリカは、その事前打ち合わせに立ち会うため沖縄へ向かうことになっている。
「まあ、初めての沖縄ではあるけどさ」
「旅行ではないぞ」
「分かってるって」
実を言うと、慰霊祭の打ち合わせ、その裏では風間少佐が陣頭に立つ、とある秘密任務が課されている。
普段のエリカならそれに高揚するかもしれないが、今の彼女には友人たちとの旅行を邪魔されたという認識が強かった。
「ただ、ずっと仕事ということもないだろうから、時間が空いたら深雪たちに連絡して合流しようか」
「そうね……ぐだぐだ言っててもしょうがないし、行きますか」
達也の告げた明るい展望に、エリカの足取りが少しだけ軽くなった。
◆
これまた同じ頃。
深雪たちもまた、春休みの予定について話していた。
「沖縄、楽しみですね」
ほのかが嬉しそうに言う。
「そうですね。私たちは京都旅行もできませんでしたから」
美月も頷く。
去年の論文コンペでは、達也、エリカ、レオ、幹比古、深雪、水波の六人は下見・捜索も兼ねた京都旅行を楽しんでいた。
留守番となった美月、ほのか、雫の三人は、ようやくその鬱憤を晴らす機会に恵まれたのだ。
「兄さんたちも沖縄にいることだし、途中で合流できるといいわね」
「うん。私とほのかはパーティで会えるけど、やっぱりプライベートで遊びたいし」
深雪に続いて、雫がボソリと漏らした。
仕事で向かう達也とエリカ、旅行で訪れる自分たち。
行動は別になるが、時間を見つけて顔を合わせる予定になっていた。
「それにしても沖縄かぁ」
レオが腕を組む。
「海……はまだ早いか?」
「海開きはしていますが、気温も低いので泳ぐには適さないと思います」
「そうか、また達也や幹比古と遠泳勝負でもって思ってたんだけどな……」
「いや僕はやらないよ、風邪引くって……」
本気で悩むレオに、水波が真面目な回答を返し、幹比古はドン引いた様子で答えた。
その後も七人は来たる旅行の計画を練っていく。
明日から始まる春休みに、皆が心を踊らせていた。
〜あとがき〜
こんにちは、slopeです。
国内留学編第10話、そして「ガーディアン解任」シリーズ第132話。
ついに完結です。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
別作品としてリゼロと、pixivの方ではアオのハコの二次創作も書いていますので。
また機会がありましたら、よろしくお願いします。