九校戦運営委員会から全国九つの魔法科高校へ、衝撃の通達が到着したのは七月二日、月曜日。
二〇九六年度の九校戦、数年ぶりに種目変更の報せだった。
ほか八つの高校が突然の通知に混乱する中、万事に慎重な一高の生徒会長・中条あずさはその変更も考慮していたため、スムーズに事を進めることができた。
当日のうちに選手の再選考を完了させ、翌日からは、新種目やペア競技など早急な対応が必要な競技から、顔合わせを兼ねたミーティングを順次行った。
そういった事情から、唯一ルール変更が無かった競技、クラウド・ボールの顔合わせが行われたのは、通達の三日後。
七月五日木曜日、その放課後のことだった。
◆
「失礼します」
一年A組、船尾春花。
彼女は今年度の九校戦で、クラウド・ボールの選手に選ばれている。今日はこれからこの部屋で、二名の選手および担当エンジニアと顔合わせの予定になっていた。
「おっ、やっぱ早く来たな」
船尾の予想に反して、室内から返事が返ってきた。今はまだ集合十分前。彼がこの時間から待っているとは、少し意外だった。
「おはようございます、桐原先輩」
「おはようさん」
一礼した船尾に、桐原が軽く手を上げて応じる。既に放課後だが、部活動や委員会では珍しくない挨拶だった。
その後、軽い雑談を交わしていると、不意に桐原が少しの呆れを見せた。
「しかしお前、本当に桜井と同じ競技に選ばれるとはな。執念深いっつーかなんつーか」
「えへへ」
「褒めてねえからな?」
桐原が船尾を知ったのは入学から少し落ち着いた頃。
声を掛けてきた当初から一貫して、「水波先輩と同じ競技に出たい」「去年のクラウドの試合を観た」「魔法を併用した足捌きを教えてほしい」と、私欲を隠していない船尾に、桐原は呆れを深める。
ただ、動機はなんであれ、剣術部と同等以上の厳しい指導に耐える根性があり、一度見せた動きをすぐ自分のものにするセンスも高いため教え甲斐がある。
桐原にとって、船尾はかわいい後輩だった。
「お待たせしました」
二人の待ち人が顔を見せたのは、集合時間一分前のことだった。
「司波先輩、桜井先輩、おはようございます」
「おはよう。桐原先輩も、お疲れ様です」
「おう、二人とも時間通りだな」
船尾が立ち上がって一礼すると、達也と桐原も応じる。水波も最後に頭を下げた。
その様子を見ながら、桐原は少し意外そうに眉を上げる。船尾が「水波先輩」ではなく、「桜井先輩」と呼んだからだ。
既に一高内で有名なストーカー予備軍、その当人を前にしては距離があった。
(……いや、だから『予備軍』なのか)
ストーカーではなく、その予備軍。
割と洒落にならない執着心を見せていながら、それでも周囲が彼女を本気で危険視していない理由を、桐原は少しだけ理解した。
その後のミーティングはスムーズに進んだ。
クラウド・ボールはルールの変更がない、桐原と水波は前回大会も達也の担当であり、その後も私的に調整を受けている。
話し合うことがあるとすれば、船尾についてだった。
桐原と水波は、元々の実力と圧倒的なCADの性能差によって、他の選手たちとは明らかにレベルが違った。
去年は真由美を入れた三人にて練習を重ねており、今年もそうするつもりでいた。
しかし。
「船尾は、水波と桐原先輩の練習に混ざりたいと」
達也のストレートな言葉と、それ以上に鋭く貫く眼光を、船尾は真っ直ぐに受け止めた。
「はい。全てとは言いません、時折試合相手になっていただきたいと」
「それが必要であると?」
「──必要か必要でないかで言うならば、優勝だけを目的とするなら必要ありません」
答えが返ってくるまでに、わずかなタイムラグがあった。しかしそれは船尾の躊躇いを反映したものではなく、逸る心を抑える為のものだった。
「司波先輩に担当してもらう以上、私は優勝を求められています」
達也のCAD、それを使う選手は優勝を求められる。それは期待されているの次元ではなく、確定した未来として計算されているという意味だ。
船尾の告白を聞いて、達也は目で続きを促した。
「本来であれば、同級生相手に確実に勝ちきり、上級生にも経験を積んで勝率を高めていく。それが九校戦へ向けた最適解です」
「それでも、水波たちとの合同練習を望む理由は? 優勝のために得られる経験は少ないと思うが」
達也は軽く船尾を挑発してみた。
「はい。ですが、それ以上に得られるものがあると思っています」
「何を得られると?」
「私はもちろん、桐原先輩と桜井先輩、二人の経験値です。私は今のお二人には勝てませんが、いただいた時間以上の価値は返せると。それだけの用意をしてきたつもりです」
船尾はそこで一拍置いて、一度水波へ視線を送り、戻す。そして言い放った。
「今日、クラウド・ボール部にコートを借りる許可を得ています。もし私が桜井先輩から一点取ることができたならば、お二人の練習に参加させてください」
たかが一点。
けれどそれが、去年無失点優勝を成し遂げた水波からもぎ取ったものとなれば、話は別だ。達也の見立てでは、現時点で水波から得点できる可能性があるのは、男女合わせても桐原だけだった。
「できるのか?」
「やります」
達也の問いに、船尾は当然のように言い放った。そこには、何の気負いもなく、何の迷いもない。
達也は無表情のまま船尾を見つめ、水波は僅かに眉を寄せた。
水波は生徒会に余裕がある際には山岳部やお料理研に顔を出すようにしている。さらには模擬戦の申請処理もあるため、船尾とは初対面ではない。
彼女の執着は恐怖一歩手前ではあったが、向けられる尊敬の念はくすぐったく、水波も悪い気はしなかった。
だからこそ、水波の実力をよく知っているはずの船尾が、躊躇いなく断言したことには驚き、そして警戒した。
「いいんじゃねえか。要求を通すために実力を示す、分かりやすいだろ」
面白そうに口の端を吊り上げた桐原に、達也も小さく頷く。
「分かった。その結果次第では、合同練習を許可しよう」
その一言で、試合は正式に決まった。
◆
クラウド・ボールは、テニスなどのラケット競技と似ている。大きく異なる点を挙げれば二つ。
一つが、透明な箱にすっぽり覆われたコートで行われること。これにより壁を利用した攻撃も可能になる。
またサーブという制度が無く、二十秒ごとに圧縮空気で射出されるボールが数を増やしながら、一セット三分の試合時間までプレーは一切止まらない。ボールが自陣でバウンドした分だけ失点になる。
そんなクラウド・ボール専用のコートにて、水波と船尾がネットを挟んで向かい合っていた。
水波は制服のままの姿で、左手首に愛用のCADを巻いている。船尾は動きやすい実習服に着替えて、左手首にCAD、右手にはラケットを握っている。
コート周りには、クラウド部員たちが集まっている。部活として行われるクラウド・ボールはダブルス、九校戦はシングルスと、競技形式は異なる。
だが、昨年の新人戦を無失点で制した水波のプレーを間近で見られる機会となれば、見学を希望する者は少なくなかった。
「試合時間は九校戦と同じく一セット三分。ただし二セット先取ではなく、一セットのみとする」
コート外からの達也の声が、スピーカー越しにコート内へ響く。
ネットを越えたボールに干渉してはならないなど、細々としたルール説明が為される。
「では、双方、構えて」
水波は自コートの中央に移動した。船尾もコート中央にて、軽く飛び跳ねる。
達也が二人の顔を交互に見る。二人とも、同じように頷きを返した。
達也が手元の機械、一つのボタンに指を添え、静かに押す。
試合開始のブサーと共に、低反発ボールが射出される。
試合開始の合図と共に射出されたボールは、二十秒ごとに数を増やしながら、ブザーがセットの終了を告げるまでコートを目まぐるしく飛び交い、止まることは無い。
──普通ならば。
だが目の前で行われている試合は、少々毛色が違っていた。
船尾は魔法を使った走法によりコートを縦横無尽に駆け、ラケットにてボールを打ち返している。打球には魔法が掛かっておらず、水波のサイドへ素直な軌道を描いて飛んで行き──ネットを越えた瞬間、反転する。
全てのボールが、一球の例外も無く。
水波は手首に巻いたCADに指を添え、コートの中央に立っている。まるで絵のモデルのように、ただ、立っているだけ。
透明の壁で覆われたコートの中は、彼女の髪を、長いスカートの裾を揺らす風も吹かない。真っ直ぐに船尾を見据え、素早くCADのキーを叩く。
ただそれだけで、船尾の得点を許さない。
目測で、およそ五センチ。それが許された限界線だった。
水波の障壁魔法は、ボールにそれ以上の侵入を許さない。
「どう見る?」
コート外、桐原が達也に問い掛ける。
「優秀ですね」
達也がコートから目を離さずに答える。
船尾は優秀だった。桐原に学んだという高速走法は、魔法と身体操作の両方で高い練度にある。その他にもボールの緩急など、去年の桐原を彷彿とさせるプレイスタイルを見せており、慣れや性差の問題はあるが、劣化版・桐原と言ってもいい完成度を見せていた。
少なくとも新人戦では三位以内は確実、達也のCADを備えれば優勝も固いだろう。
だが、言ってしまえばそれだけだ。
試合開始から一分、コート内には四つのボールがあり、得点は5ー0。
未だボールが少ないことと、水波の障壁魔法が守備に特化しているため、点差は開いていない。だが、達也にはこの先、船尾が点を取るビジョンが見えなかった。
「ちなみに、俺は船尾に指導を頼まれたとき、ついでに模擬戦もやってたんだよ」
桐原からの唐突な話題を、達也は意外には思わなかった。船尾が頻繁に上級生と交流し、模擬戦をしているのは有名だった。
「実はあいつ、一回俺に勝ってるんだぜ?」
「桐原先輩が負けたんですか?」
「一回だけな。あとの全部は俺の勝ちだ」
一般に、一年生と二年生以上の実力差は、二年生と三年生の実力差よりも大きい。魔法の専門教育は、高校課程から本格化するものだからだ。
桐原は最上級生の中でも優秀で、白兵戦ならば沢木、服部に次ぐ三番手。その桐原が、一度とは言え新入生に負けたとは、にわかには信じられなかった。
──なお、達也は去年、不意打ちとは言え桐原を叩き伏せ、それを根に持った上級生たちを尽く返り討ちにしている
「点を取れるかは知らねえが……多分桜井も、本気にならざるを得ないぜ」
桐原はにやりと、愉しそうに笑みを浮かべた。
達也と桐原の会話が聞こえたわけではないが、水波の内心はそれほど穏やかなものではなかった。
試合自体は、苦戦しているという意識はない。傲りではなく、客観的な認識として、自分の魔法力は船尾を圧倒している。さらに水波は私用の──達也が調整した──CADを使っているため、その点でも有利だった。
残り時間は一分。得点は21ー0。
このままいけば、九つのボールが全て射出されようと、無失点で試合を終えることができる。
だが、水波は船尾が関わる模擬戦にて、何度か審判を担っていた。彼女が琢磨や七草姉妹、さらには一部の上級生に勝利する様子を目の当たりにしていた。
いつ、どんな搦め手が来るのか。水波は警戒を怠っていなかった。
警戒していてなお、それは唐突にやってきた。
(えっ……)
高速で移動する船尾を、水波は肉眼だけで追っていたわけではない。
視覚。魔法の発動気配。そして質量分布を感じ取る第六感。三つを重ね合わせることで、船尾やボールの位置を把握していた。
その反応のうち一つが、唐突に途切れた。
魔法が、途絶えた。
それと同時に、質量分布による知覚が、船尾の位置を伝えてきた。
──先ほどまでコート後方にいた船尾が、ネット際に詰めている。
魔法の気配は、無かった。
魔法を使わない接近──そんな選択肢は、水波の警戒の外にあった。
魔法技能を競う場で、一年生が、そんな技を披露するとは思っていなかった。
船尾が右手で持ったラケットで、障壁に跳ね返されたボールを打ち返す。
CADの操作は間に合わなかった。低反発のボールは、水波のコートで弾んだ。
「っ……!」
水波は即座にCADを操作し、もう一度バウンドする前に移動魔法により相手コートへ返球する。
船尾はバランスを崩しており、ネットに突っ込む寸前の身体をなんとか留めている状態だったため、それは容易に叶った。
元々船尾側のコートにあった六つ、水波が返球した一つ。計七つのボールが船尾のコートで弾む。
31ー1。
水波が一点を失い、船尾が大量失点したその一瞬。
水波は動揺を静め、船尾も体勢を立て直した。
その後、船尾はこれまで見せなかった手札まで織り交ぜ、猛攻を仕掛けてきた。
これまでと変わらない、魔法による高速移動とラケットでの返球。
移動魔法や加速魔法など、直接ボールに魔法を作用させての返球。
そして、魔法を使わない高速走法。
おそらく去年達也が披露した『縮地』、それを見様見真似で再現したのだろう。独学で習得できる技術ではないはずだが、可能か不可能かではない。目の前にあることが全てだ。
完成度は低く、その後の隙も大きいが、魔法的感覚で追えないという一点において、水波にとっても大きな脅威だった。
残り時間二十秒となり、九つ目のボールが射出された。
得点は97ー3。
水波は大量に得点しながらも、その防御を二度突破されてしまった。
唐突に情報を増やされる不快感。水波は新たな魔法を発動した。
『
物体の運動速度を一定割合で減速する領域魔法。
『減速領域』でボールを止めることはできない。もとより、そういう魔法ではない。
本来の使い方としては、拳銃などを相手にして弾体を停止させるだけの魔法力がない場合に、次善の手段としてその威力を減じるもの。
水波が『減速領域』を使ったのは、去年の真由美、その『ダブルバウンド』──倍速反転魔法に対抗してのみ。
桐原にも使っていない切り札を切った理由はただ一つ。
(考えることが、多い……!)
水波は思考する時間を欲していた。
目まぐるしく状況が変化するクラウド・ボールで、これほど多彩な選択肢を瞬時に使い分けることは容易ではない。
異なる系統の魔法は、それぞれ異なる起動式と変数入力を要求する。状況に応じて最適な魔法を選び続けるだけでも、思考の負荷は大きい。
船尾はそれを、自身は高速移動しながらという条件下で、難なくやってのける。
魔法とは別種の──思考の速度とマルチタスク能力という才能。それに対抗する故の定率減速。
水波は障壁魔法による攻撃的守備ではなく、完全な守備に力を割かざるを得なかった。
◆
最終的な得点は、104ー3。
グロテスクにボコボコにされた、そう言っても過言ではない得点差だ。けれど、あの水波から三点を奪った。その事実は非常に大きな意味を持つ。
船尾は約束通り、水波たちとの合同練習の権利を獲得した。
さらに達也からは個別で『縮地』についても指導を受けることとなった。やはり見様見真似では怪我のリスクが高かったのだ。
船尾が最初から『縮地』を教えてほしいと頼まなかった理由はただ一つ。司波達也に教えを乞うのであれば、まずはその資格があることを示す必要があると考えたからだ。
だからこそ、まずは見様見真似でも形にした。実力の片鱗を示した。
こうして船尾春花は、己の価値を証明し、九校戦に向けて大きな一歩を踏み出した。
「桐原先輩、
最後にちゃっかり名前呼びへ昇格していたことに、達也も桐原も、水波も気付いていた。
だが、これでもかと達成感を滲ませる船尾に毒気を抜かれ、その偉業に免じて誰もツッコむことはしなかった。
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