七宝琢磨は、あの日告げられた言葉を思い出す。
『魔法師の優劣は、魔法力の大小だけで決まるものではない』
数々の問題を起こし、上級生たちに迷惑を掛け続け、諭され、それでも改心せず。そして叩きのめされた過去。
思い出したくもない、けれど深く刻み込まれている記憶。
琢磨は変わった。
自己主張が強いのは変えられないが、それを押し付けないようにした。
リーダーシップを取りたがるのは一緒でも、独り善がりにならず全体に目を配るようにした。
感情的になりやすい性格はそのままだが、過ちを指摘されれば素直に反省し謝るようにした。
このような積み重ねがあって、一高代表チーム一年男子選手十人の纏め役を、自然に任されるようになった。そう自負している。
けれど、四月末のある日、琢磨がエリカに敗北したあの日を境にがらりと変わった彼が、即座に受け入れられたわけではなかった。
新入生総代でありながら、同級生を前に偉そうな態度でふんぞり返り、上級生にも見境なく噛みつく。
そんな数々の問題を起こした琢磨が急に変わろうとしたとて、周囲が受け入れてくれるはずがなかった。その急変に戸惑い、腫れ物扱いされていた。
「はいはーい、みんなちゅうもーく!」
──そんな空気をぶち壊したのは、放課後の教室に響いた、快活で愛嬌のある声だった。
「皆これから部活とかあると思うんだけど、少しだけ時間をください」
その女子生徒──船尾が明るく、けれど返事を求めない口調で言う。そして、少し離れた席に座る琢磨を見た。
「七宝」
「…なんだ」
「今日これから、私と模擬戦してよ」
「……なに?」
意外すぎる申し出に言葉を失ったのは、挑まれた琢磨だけではなかった。クラスメイトはその予想外の大胆な提案に、呆気に取られた顔で二人を見詰めている。
「しない。する必要もないし、俺はこれから部活だ」
琢磨は不機嫌なトーンは隠せずにいたが、それでも穏便に断りを述べる。
「いいじゃん、少しくらい遅れたって誰も文句言わないって」
「そういう問題じゃない。遅刻すること自体が駄目だろう」
琢磨はそう言うと、「俺はもう行く」と立ち上がろうとする。船尾は笑顔を崩さなかった。
「大丈夫だよ。そもそも今まで散々やらかしてきた七宝に、信頼なんてないんだから」
──空気が凍りつく。
船尾は今の言葉を、クラス全員が注目する中で言い放った。ここ数日、誰もが感じていたけれど、誰も触れないタブー。
「な。おま──」
「──七宝さ」
七宝の言葉を遮って、船尾は言う。
「私たちも、迷惑してるんだよね。今まで輪を乱し続けてきたゴミカス野郎が、急に改心したように見えて。なんだこいつ、気味悪いなって、そう思ってるの」
先ほどまでの笑顔を消して、強い言葉で、誤解の余地なく。今の琢磨への、クラスの認識を語る。
改めて言葉にされ絶句する琢磨に、クラスメイトに、船尾は少し語調を緩めて続けた。
「だから、七宝が勝ったら、皆の前で心の中を打ち明ける機会をあげる。皆に謝って、ちゃんと怒られて。どうしようもない超マイナスから、ギリギリ挽回できるところまで戻れる可能性をあげる。それが七宝が得られる報酬だよ」
この発言には、全員が全員、目を丸くして呆気に取られた。
悪いことをしたら謝る──七宝も、クラスメイトも、誰もが忘れていた当たり前だった。
「……分かった。受けるさ」
「よろしい」
琢磨の承諾に、船尾は笑みを取り戻した。教室内の張り詰めた空気が緩む。
「ちなみに、俺が負けた場合は何があるんだ」
琢磨のこれはその安堵が形となり、さらに模擬戦の形式を整えるためのものでしかなかった。
「んー、顔にらくがきでもしようかな」
「は?」
「謝ってもいいじゃなくて、謝らせる。七宝の権利が、強制になる。それに加えて一週間、毎朝私が顔にらくがきする。授業中も部活中も、帰るまで消しちゃだめ──私の個人的な報復、文句ないよね」
軽い口調で告げられた、決して軽くない罰。
誰もそれを酷だとは言わなかった。新入生総代の琢磨が勝つはずだから、船尾も敢えて重い罰を挙げたのだろうと、本気で受け止めてはいなかった。
──そうして琢磨は一週間、日替わりで顔に落書きをされることとなったのだ。
◆
新人戦モノリス・コード。自身の出番を翌日に控えて、琢磨はホテルの部屋にいた。
同室の選手はクラウド・ボールの優勝者。五連戦を勝ち抜いた疲労と達成感からか、夕食と風呂を済ませて部屋に戻るや否や、サウンドスリーパーも使わずに眠りに就いた。
琢磨は明日が初競技とはいえ、この六日間の非日常による疲労はきっとある。
直前に慌てても良いことはないと、大人しくベッドで横になっていた。
とはいえ肉体的に疲れているわけではない。無理に眠ろうとはせず、意馬心猿に意識を委ねる。
目を閉じたままベッドに横たわる琢磨の思考は、今日までの九校戦五日間を巡った。
──九校戦の前半を終えて、一高選手たちは各々の強みを十全に発揮し、好成績を収めた。
「魔法師の強さは、ひとつであるはずがない」
琢磨はぽつりと呟く。
十師族になるために『他の魔法師』を蹴落として、その地位に上り詰めるのだと。そう妄信的に信じてきたあの頃では気付けなかったこと。
例えば、司波達也と船尾春花。
彼らは魔法力の不足を補い、格上を打ち破るという言葉で表せるが、その実態はまるで違う。
達也は、赤点ギリギリ30点の魔法力を、圧倒的な知識と技術、戦闘技能などで補い、150点を叩き出してみせる。
対して船尾は、ありとあらゆる技能で50〜70点を取り、それらを補い合わせることで、一流に届き得る95点を作り上げる。
他にも魔法力だけでは測れない、自分だけの武器という意味なら千葉エリカ。モノリス・コードの練習で面識のある、十三束鋼や西城レオンハルトも同じタイプだ。
彼らは一芸に秀でた──秀でざるを得なかった魔法師だ。自分の弱さを知り、飲み込み、その上で唯一の武器を誰よりも研ぎ澄ませた。
逆に強者の側なら、司波深雪や千代田花音。
彼女たちは己の強さを知り、それを押し付けることが最善だと理解している。
どれが正しいという話ではない。強さには、その数だけ形があるというだけの話。
ならば。
「明日俺は……俺の強さを、証明する」
それは変化してきた琢磨の中で、唯一変わらない根っこの部分だった。
◇◇◇
九校戦七日目、新人戦四日目。
新人戦モノリス・コード、リーグ戦二日目は波乱の展開となっていた。
第八回戦(二日目第三回戦)終了時点で、一高と四高が六勝零敗でトップ。三高が五勝一敗でこれに続いている。
例年、最下位争いが定位置だった四高の快進撃には、四高関係者を含めて誰もが驚いていた。
「フォーメーションは今までどおりだ」
そして一高チームは、第九回戦の対四高戦を前に緊張感をみなぎらせていた。
キャプテンの琢磨が確認するようにチームメイトの顔を交互に見る。
「ああ」
「僕もそれが良いと思う」
千川と梶原、二人のチームメイトから異議は出なかった。二人とも琢磨を信頼した目で見返している。
琢磨は彼らの信頼に相応しい活躍をこの新人戦で見せてきた。場外では上級生の圧倒的な戦果に萎縮しないよう、一年男子を叱咤激励してまとめ上げ、このモノリス・コードではディフェンスとして自陣モノリスの前で全ての攻撃を跳ね返し、敵のオフェンスをことごとく返り討ちにしてきた。
ここまでのモノリス・コード六連勝の、そして新人戦全体としても、最高殊勲選手は間違いなく彼だった。
「四高チームについてだが、俺は典型的なワンマンチームだと分析している」
そんな琢磨の言葉に、チームメイトの二人が頷く。
「オフェンスの黒羽文弥。コイツが問題だ。口惜しいが、コイツと正面からぶつかり合えば俺も勝つのは難しいだろう」
「七宝君!?」
「お前がそこまで言う相手か……」
「口惜しいけどな。あれは例外中の例外、去年の司波先輩や桜井先輩のようなイレギュラーだ」
これまで全くの無名でありながら、
琢磨はそれを──自身も数字付きの筆頭であることを──意識から振り払って作戦説明を続けた。
「お前たちの力を侮っているわけじゃないが、残念ながら二人とも黒羽選手には歯が立たないだろう」
「馬鹿にされているなんて思っていないよ。妥当な分析だと思う」
「確かに、一分も立っていられないだろうな」
そう言いながら口惜しそうに俯く仲間の姿に、琢磨もグッと奥歯を嚙み締める。
「……すまない」
「七宝が謝ることじゃない。それで?」
「ああ……だから、アイツとの戦闘は避けてくれ。そのまま俺の所に素通りさせて構わない」
「あえてこっちのモノリスまで近づけるということ?」
その心配そうな問い掛けに、琢磨は頷いた。
「四高はこれまでの全試合を相手チーム戦闘不能で勝っている。それにモノリスのコードを入力する為にはディフェンスが邪魔だ。黒羽選手は間違いなく、まず俺を倒そうとする」
琢磨の予想に、千川も梶原も異論はないようだった。
「俺が黒羽選手を相手に時間を稼ぐ。お前たちはその間に敵のモノリスを攻略してくれ。黒羽選手抜きの二対二なら、お前たちが不覚を取ることはない」
「……黒羽選手がモノリスに構わず俺たちの各個撃破に来たら?」
「黒羽選手が自分の方に近づいてくると判断したら、とにかく全力で俺の所まで後退しろ。俺が黒羽選手の相手を始めたら、すぐに反転して敵陣へ向かってくれ」
「分かった」
「了解だ」
琢磨が改めて、チームメイトと顔を見合わせた。
「まだ十回戦の最終試合が残っているとはいえ、この試合に勝てば今度こそ優勝はほぼ決まりだ。絶対に勝つぞ!」
「「おうっ!」」
琢磨たちは気合いを入れ直して、試合会場の岩場ステージへ出陣した。
それはまるで疾風だった。
試合開始と同時に四高陣地を飛び出した小柄な人影は、白い巨岩の間を縫うように駆け抜けたちまち一高陣地へ肉薄した。
一高の選手はそれに気づいていない。
最初の接触は、完全に不意討ちの形になった。
「ガッ!」
「千川っ!?」
チームメイトがいきなり岩陰から現れた敵の攻撃で倒されたのを見て、琢磨は思わずその名を呼んだ。
だが、手遅れだ。一高チームのオフェンス選手は、四高のオフェンス選手──文弥に、一瞬で倒された。
(何だ今のは!? 「
琢磨はその早業に動揺を禁じ得なかった。
琢磨の知る「幻衝」は幻覚による痛みを与えて相手の戦闘力を殺ぐ魔法だ。徐々にダメージを与え、決め手となる魔法を放つ隙を作るつなぎ技の術式。出会い頭の一撃で相手を完全に無力化するような強力な魔法ではない。
(それに接近したのがまるで分からなかったぞ!?)
岩場ステージといっても、視界が塞がれてしまうほど石灰岩が密集して配置されているわけではない。岩と岩の間はそれなりに距離がある。敵陣からこちらへ走ってくる姿が何処かで必ず見えるはずだ。
それにこのスピードで接近してきたからには、生身の身体能力だけでなく必ず自分に対して魔法を使っている。それなのに琢磨には、魔法による事象改変を受けた物体の接近が知覚できなかった。
「クッ、梶原っ、戻れ!」
だが動揺したのは一瞬のこと。琢磨は前進していたチームメイトに、自分と合流するよう指示した。
しかしその時、琢磨とチームメイトの間に石礫の雨が降り注ぐ。
「何だこれは!?」
思わず足を止めるチームメイト。その背後に文弥が迫る。
「逃げろ!」
琢磨のこの指示は、妥当ではなかった。
逃走を命じられた梶原選手は文弥に背中を向けたまま、なおも降り注ぐ石礫の雨の中へ飛び込んだ。
石礫はそれほど脅威では無い。確かに当たればダメージを免れないが、対物障壁で防御可能だ。梶原選手にはそれだけの力量もある。
まずかったのは、文弥に背中を曝し続ける結果になったことだ。これでは狙い撃ってくださいと言っているようなもの。
突如、石礫の雨が止んだ。
その直後、梶原選手を幻覚の痛みが襲う。両足を何かで刺されたようなダメージに梶原選手がよろめき、反転して尻餅をつく。
振り返ったのは、背中を向けたままでは防御も反撃もままならないと気づいたからだった。
自分に迫る、小柄な人影。
梶原選手がそう認識して文弥に反撃の魔法を放とうとしたその時。彼を直接、激痛が襲った。
梶原選手の意識はその痛みに耐えられず、ブレーカーが落ちるように途切れた。
琢磨はその様を見て「甘く見た!」と思わず後悔を口にしていた。
四高が文弥のワンマンチームだという琢磨の分析は、大筋で正しかったが、一面で間違っていた。
先ほど琢磨と梶原を分断したあの魔法。
石灰岩を砕いて作った石礫の散弾を自陣から放って、400メートルも離れた敵陣へ正確にばら撒く魔法。
(直接戦闘の能力は低くても、援護射撃に適した魔法を四高チームは備えていたのか!)
──技術的な意義の高い、複雑で工程の多い魔法を重視している第四高校ならではの強み
琢磨はそれ以上、後悔を嚙み締めている余裕が無かった。
文弥が確実に魔法を当てられるという意味での射程距離に入っていた。
先手を取ったのは琢磨だ。彼は自分の前面に十六個の空気弾を作り出し、照準を定めず方向性だけを定義して撃ち出した。
『群体制御』
旧第七研の魔法師である七宝琢磨が、最も得意とする技術。
一点を狙うのではなく顔を、胸を、手足を目掛けて襲い掛かる空気の弾丸。
文弥はそれを障壁で防御するのではなく、軽やかに飛んで躱した。
今度は空気の弾丸ではなく薄い円盤を八枚並べ、琢磨はさながらチャクラムのようなスタイルで文弥目掛けて飛ばす。
文弥は白い巨岩に足を置いたと見るや、一瞬の停滞もなく逆方向へ跳躍し、空気の戦輪を躱す。そして空中で琢磨目掛けて拳銃形態特化型CADの引き金を引いた。
琢磨の右腕に切りつけられたような痛みが走った。弱みを見せまいと苦鳴を吞み込むが、左手首に巻いたCADを操作する指が鈍る。
文弥が再び石灰岩を足場にして跳躍する。
琢磨は右太腿に錐が刺さったような痛みを覚えた。奥歯を嚙み締めてその痛みに耐え、細く絞り込んだ下降気流を文弥目掛けて打ち下ろす。
文弥は琢磨の攻撃を、空中で斜め前に跳躍することで回避した。
空中では運動方向を変えられない、という常識は、魔法師にとっての常識ではない。琢磨も文弥の回避行動に驚きはしなかった。
彼が思ったのは、
(牛若丸か、コイツは!?)
というもの。
──ならば自分は五条の橋の弁慶か。
琢磨はその思考を一瞬で打ち消した。
弁慶と牛若丸の勝負は、弁慶の敗北で終わる。こんなことを考えるのは不吉であり敗北主義につながる。そう自分を戒める。
再び琢磨の身体に痛みが走る。傷を伴わない、幻の痛みだ。彼も
(それだけ元々の「幻衝」の威力が高いのか)
このままではジリ貧だ、と琢磨は思った。
こちらは一人で、向こうはまだ三人もいるのだ。体力が残っているうちに勝負をかけなければならない。
琢磨は再び空気弾の弾幕を張って文弥を牽制すると、大技の準備に入った。
肉体が次々と襲い掛かる痛みに悲鳴を上げるが、全て幻覚と言い聞かせて無視する。
目の前の地面には四高の陣地から放たれた多数の石礫。その一つ一つに、魔法式をコピーしていく。琢磨の魔法を伝える為の、群体制御用の魔印だ。
一際激しい痛みが腹を貫いたのと同時に、琢磨は叫んだ。
「喰らえ!」
──『ストーン・シャワー』──
声と同時に心の中で魔法名を叫び、琢磨は群体制御魔法を発動した。
琢磨の前に散らばっていた石礫が同時に浮き上がる。
観客席にどよめきが起こる。
それは、石礫が一斉に文弥が立っていた巨岩へ降り注いだ光景に対するものだったのか。琢磨には分からない。分からないままでよかった。
琢磨の意識は、砂塵が舞う周囲の、僅かな揺らぎを捉えることにのみ注力していた。
(────)
攻め手は常に二手、三手先まで用意しておくもの、とは日頃から船尾に嵌められた経験から。
己の最高火力で仕留める作戦が失敗したなら──おそらく失敗すると踏んでいた──第二の刃で仕留めるまでのこと。
(──ここぉ!)
彼の右手は、ジャケットからむしり取った飾りボタンが握り込まれている。
それに移動魔法を多重発動。加速の過程を無視して、時速三百キロの速度を与えられたボタンが放たれる。
初速を与えられただけの樹脂の塊。魔法としては粗末もいいとこな代物だが、人間ひとりを無力化するだけならこれで十分だ。
琢磨が顔にらくがきされるに至った魔法。
己の強みを捨てて、憎きライバルの手を再現したそれは、確かに文弥を捕らえんとしていた。
琢磨は痛みで霞む視界の中、せめてそれだけは見届けると、空を見上げていた。そして彼は違和感を抱く。
文弥と、目が合った。その口元が、わずかに歪んだ。
とてつもなく嫌な予感が琢磨を襲う。
しかし、もはや琢磨は動けない。限界まで引き延ばされた意識だけが、それを伝えてきた。
──文弥が首を傾けると、樹脂製のボタンが虚空を抜けていく
「ごめんね、舐めていたよ」
その一言と共に、文弥の魔法が空中から撃ち込まれる。
『ダイレクト・ペイン』
想子の衝撃波による錯覚ではなく、精神に直接痛みを与える系統外魔法。
琢磨は遂に力尽き、地に伏せた。
試合終了のブザーが鳴る。
文弥が右手を突き上げ、観客席に歓声と喝采が沸き上がる。
新人戦モノリス・コード第九回戦、一高対四高戦は四高の勝利で幕を閉じた。
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