千葉家は「剣の魔法師」の二つ名で呼ばれる百家本流の一角だ。
自己加速・自己加重魔法を用いた白兵戦技。警察及び陸軍の歩兵部隊に所属する魔法師の約半数が、その教えを受けていると云われている。
千葉道場では、少し古く、けれど確かな指導方法が採られていた。
入門して最低でも半年は、技を教えない。最初に足運びと素振りを教えるだけ。それも一回やって見せ、後はひたすら素振りの繰り返しを見ているだけ。
そうして、まともに刀を振れるようになった人から技を教えていく。
もちろん、いつまで経っても上達しない弟子も出てくるが、師範たちは何も言わない。
やり方は、見て覚える。
手本なら、周りにたくさん居る。
量をこなしていない者に質を語っても意味がない。
まず、刀を振るうという動作に身体が慣れないと、どんな技を教えても身につくはずが無い。
そう分かっているから。
千葉エリカは、生まれた頃からその教えに触れてきた。
教えてくれるのを待っているようじゃ、論外。最初から教えてもらおうなんて考えも、甘え過ぎ。
師範も師範代も現役の修行者であり、彼らにも自分自身の修行がある。教えられたことを吸収できないヤツが、教えてくれなんて烏滸がましいにも程がある。
彼女はそんな考えを持つようになっていた。
◆
夏休み後半に入り、第一高校敷地内は閑散としていた。
夏の一大イベント・九校戦が終了して、スポーツ系各部は自主トレモードに移行している。あと一週間もすれば新学期に向けて各部とも活発な活動を再開することになるが、今はクラブ活動も夏休み状態だった。
もっとも、全くの無人というわけでもない。少数ながら自主トレに来ている生徒もいる。特に一年生にとっては、上級生がいると中々順番が回って来ない訓練施設をタップリ利用できる機会なのだ。
そして、この山岳部演習林でも、三人の魔法科高校生の姿が見られた。
「千葉先輩、今日はよろしくお願いします」
「お願いします、エリカ先輩」
「ん、よろしく」
頭を下げる船尾と香澄に、エリカは軽い調子で応える。
今日は、エリカが九校戦モノリス・コードで披露した
以前、船尾がそれを勧められたときは、労力に見合うか不明だったため保留としたが、エリカを慕う香澄と共に受けることに決めた。
想子の陰影を知覚する技術。その鍛錬はひどく退屈だ。
ただ、見るだけ。魔法師が五感と同じように知覚する想子光、その影を認識できるよう意識を深めるだけ。
今この瞬間、目を凝らしている船尾と香澄だって、そのフリだけしてサボろうと思えばサボることができる。
けれど、サボれば確実に自分に返ってくる。
全力で集中して感覚を研ぎ澄ませるか、面倒だしよく分からないからと手を抜くかは自由だ。
結果は自分に返ってくる。魔法力のような指標はなく、目に見える『やっている風の動作』すらない。
数か月後、あるいは一年後。驚くほど開いた差に喜ぶか、絶望するかは二人次第。むしろ強制されるよりもよほど厳しい環境だとエリカは思っている。
「千葉先輩」
「何かわかった船尾?」
「まったくわかりません」
「素直でよろしい。香澄は?」
「私も全然分かりませんでした」
「ま、そうよね」
何も言わず、二人を眺めていたエリカ。その観察眼を以てすれば、何かを掴んだ瞬間があれば即座にわかる。先ほどはそんな様子は皆無だった。
「最初はそんなもんよ、むしろ分かった気にならないだけ上出来。あとはそれを繰り返すこと、たまには見てあげるわ」
見えないモノを見えるようにする。その修行において教えられることは多くない。
あるとすれば、エリカが見ている世界を言語化し、コツとして伝える。あとは二人が何かを掴んだ際に「それだ」と言ってやるくらいだ。
「わかりました、ありがとうございます」
「頑張ります」
頭を下げた二人を引き連れて、エリカは演習林をあとにする。
その道中で、エリカが言った。
「そうだ船尾、あたしと模擬戦しなさいよ」
「え、嫌です」
さらりと告げられた要求を、これまたさらりと拒否する。
「いいじゃない。香澄とか七宝とか、あとは他の二、三年とも模擬戦してるんでしょ。噂じゃ桐原先輩や十三束くんに勝ったとか」
「一回だけですよ」
「九校戦前に、しかも一般家系の一年生が残す成績じゃないのよ」
自前で教育体制が整っている名家以外では、高校入学までは魔法塾にて魔法を習う。
しかし、魔法塾は魔法科高校受験のための施設。魔法事故の防止や、思春期の子女が力に溺れないよう、高度な魔法を教えてはならないことになっている。
魔法塾で教えて良いのは系統魔法の発動に関する基礎理論とその実践、CADの基本操作とこれを使った基礎単一系魔法の実技だけ。暗黙の了解として自己加速術式などの簡易的な魔法は教えられるが、それも触りでしかない。
船尾と琢磨が模擬戦をしたのは、入学して一ヶ月も経たない時期。
つまり船尾春花は、基礎単一系魔法を主とする魔法の組み合わせで、師補十八家の次期当主を下したのだ。いくら琢磨がまだ才能に頼り切りであり、船尾を舐めていたとはいえ、快挙と言えた。
その他にも達也の『縮地』を不完全ながら独学で再現していたり、桐原や十三束といった上級生の猛者に、一度とはいえ勝ちきってみせる。
基本的に他人に教えようとしないエリカが、船尾にこの知覚技術を教えようかと持ち掛けたのは、それらの興味に駆られて故だった。
「勝てないからやりたくないってタイプでもないでしょ?」
「勝敗ではなく必要性がないです。桐原先輩や十三束先輩は、白兵戦の間合いで、でも懐には入られないように立ち回るっていう目的があるからお願いしました」
「あたし相手でもやればいいじゃない」
「無理です。千葉先輩の速さだと、今の私が何をしても詰みます」
船尾は自分の能力を過大評価していない。エリカの速さに正面から戦えば、勝負にすらならないと自覚していた。
「私は練習にならないし、千葉先輩にとってもただ瞬殺するだけ。お互い何も得るものがない模擬戦なんて、やるだけ無駄じゃないですか」
船尾らしい理屈だった。彼女は九校戦前、労力に見合うリターンがないからと、エリカから指導を一度断っている。
今回改めて受けたのは香澄がいたからだと、エリカとて分かっている。
けれど、
「あたしが見たいって言ってるんだから、それで十分理由になるのよ」
エリカは指導役としての強権を振りかざし、「それに」と続ける。
「船尾の物言いだと、白兵戦の間合いじゃなければ負けないって聞こえるんだけど?」
「はい。ほぼ確実に勝てます」
遠慮も迷いもなく断言した船尾に、香澄がぎょっとする。
「でもどちらにせよ、本当につまらないですよ? 何もなく、どうしようもない、そんな時間になるかと」
「……面白いじゃない」
対して、エリカは愉しげに笑みを刻んだ。
「今、中条先輩が図書館にいるらしいから、許可申請と審判やってもらいましょ。いいわよね、船尾」
「やだって言ったら無くなりますか?」
「そんなわけないじゃない。指導を受ける側としての義務よ」
「分かりました」
船尾も本気で拒否しているわけではなく、確認程度の軽さで悪あがきを見せた。当然エリカが思い直すことはなく、二人の模擬戦が決定した。
生徒会長である中条あずさが、生徒会業務でも部活動でもなく学校にいたのは、論文コンペに備えてのことだった。
今年の論文コンペでは、校内選考を勝ち抜いた五十里啓をメインの執筆者に、あずさと三七上ケリーがサブとして一本の論文を作成する。
そしてそのテーマが、五十里の十八番である刻印術式。これはあずさの専門外だったため、夏休みを使って予習をしていたのだ。
そんなあずさに諸々の手続きを頼み、場所は第三演習室。
「それではルールを説明します。直接攻撃、間接攻撃を問わず相手を死に至らしめる術式は禁止。回復不能な障碍を与える術式も禁止。相手の肉体を直接損壊する術式も禁止です。ただし、捻挫以上の負傷を与えない直接攻撃は許可します。
勝敗は一方が負けを認めるか、審判が続行不能と判断した場合に決します。
双方開始線まで下がり、合図があるまでCADを起動しないこと。このルールに従わない場合は、その時点で負けとします」
エリカと船尾、双方が頷き、五メートル離れた開始線で向かい合う。
エリカは警棒型のCADを握る右手を床に向けて、船尾は左腕のCADに右手を添えて、合図を待つ。
場が静まり返る。
静寂が完全なる支配権を確立した、その瞬間。
「始め!」
試合開始が告げられた、その直後。
エリカが真っ直ぐ船尾へ襲い掛かる。フェイントを使わなかったのは侮ってのことではない。船尾が一体どんな策を備えているのか、好奇心を抑えられなかったのだ。
猛然と突っ込んでくるエリカを前に、船尾は素早く冷静にCADを操作した。その身体が浮上する。
「ちょっと……!」
エリカが慌てて速度を上げるが、間に合わない。船尾は一定の速度で上昇していき、天井付近で静止した。
『浮遊』
加重系の基礎単一系魔法。飛行魔法とは違い、空中を自由に動くことはできない、ただ宙に浮かぶだけのシンプルな術式だ。
エリカの魔法技能は白兵戦技に偏っている。距離だけが問題なら薄く研ぎ澄ませた衝撃波を飛ばす程度のことはできるが、あの距離への攻撃では威力に期待できない。
そもそも、こうも正面から放っては確実に防がれてしまうし、相手がただそれを見ているはずもない。
「中条会長、香澄! ちゃんと防御してくださいね!」
船尾は大声で叫ぶと、手首に巻いたCADを叩いた。
通常の汎用型CADは、二桁の数字と決定キー、合計三つのキー操作で起動式を展開する。今、船尾が操作したキーの数は六回。通常の汎用型CADによる魔法発動手順の二倍。
つまり、二つの魔法を発動させた。
あずさと香澄も、三度キーを打ち込み、来たる攻撃に備えた。
──直後、船尾が両手を打ち鳴らす。音響手榴弾に匹敵する破裂音が、船尾の手元から放たれた。
エリカは咄嗟にうずくまり、両耳を防ぐ。だがあいにく、それだけで防げる程度の騒音ではない。さらに彼女の魔法力では、この轟音を防ぐ強度の魔法は使えない。
『情報強化』
自分自身と自分を取り巻く空気の層を対象に、許容量を超える音に対して制限を掛けていた。あずさや香澄、術者である船尾は、それが出来る魔法力を備えていた。
結果としてエリカは、耳鳴りを抱えながらもぎりぎりで耐えた。
二度目の轟音が放たれる様子がなかったため、軽く衝撃波を放ってみたが、見え見えのタイミングでは軽く防がれた。
少し間を空けてから──エリカがそれ以上の対策を見せる様子がなかったため──船尾がCADを操作し、両手を打ち鳴らす動作を見せた。
「そこまで!」
審判であるあずさの判定により、試合は決まった。
「ね、つまんなかったでしょ?」
「……うん」
降下してきた船尾は誇るでもない。香澄も反応に困ったように頷く。
船尾があずさに謝意を述べていると、耳鳴りが続いているのかエリカが頭を叩きながらやってきた。
「本当に何も起きなかったわね」
「はい。逃げ場がなく周囲に気を使う必要もない演習室で、勝つだけならこれが最適かと」
「……ま、そうね」
エリカが負け惜しみを口にすることはない。
エリカは自分の魔法技能が著しく偏っていると自覚している。そんな彼女を相手にするなら、確かに最適解と言えるだろう。
「面白くないことは百も承知ですが」
「そうね」
言葉通りつまらなそうに言う船尾に、エリカも苦く笑った。
模擬戦は、全てが出る。
純粋な才能、鍛えた技術、戦術。それらをぶつけ合うことは、船尾もエリカも好きだった。
エリカには、船尾が模擬戦を嫌がった理由。面白くないからというのが理解できた。
理解できたからこそ。
「じゃあ次は普通に模擬戦やるわよ」
「何が『じゃあ』なんですか、嫌ですよ」
「じゃあ次は普通に模擬戦やるわよ」
「嫌です」
「じゃあ次は普通に模擬戦やるわよ」
「……はい」
エリカはなんとなく、場を整えた上でゴリ押せば、船尾は落ちると考えていた。
目的のない模擬戦は嫌い、でも教わる立場としての義務は果たす。恋人である達也を思わせる律儀さを、エリカは利用したのだ。
こうしてエリカは先輩の強権を再度発動させ、通常の模擬戦も行った。
結果、船尾は二〇秒ほど耐えたものの、本人の申告通り為す術なく倒された。ついでとばかりに香澄からも模擬戦を頼まれたエリカは、こちらもあっさり瞬殺するのだった。
◇◇◇
論文コンペも終わり、十二月に入った頃。
第一高校の演習林。陽は既に落ち、森の中には照明一つ無い。只人なら一歩先すら危うい闇の中に、三つの人影があった
「……よし、今日はここまで」
エリカの声に、二人が振り返る。
息を整える香澄と、まだ余裕がありそうな船尾。これは単純な身体能力の差だろう。
「二人とも、ちゃんと地形は見えてる?」
「はい」
「大丈夫です」
二人とも問題ないと答えた。
最初は何も見えなかった世界も、数か月積み重ねれば変わる。
地面の起伏やその感触。地中から飛び出た木の根。
肉眼では闇に沈んだ景色が、魔法師としての知覚では淡い陰影となって浮かび上がる。
「上出来ね」
エリカは満足そうに笑う。
「これなら夜間行軍程度じゃ困らないわ」
香澄も船尾も頷いた。
九校戦でエリカが披露していたとはいえ、最初は半信半疑だったこの修行も、今では効果を実感している。視界が悪いほど、この知覚の価値は大きい。
足元を確認するために視線を落とす必要がなくなり、走る速度も落ちない。
二人が夜間行軍をする機会があるかはかなり微妙だが、香澄は憧れの先輩に教われて、船尾も技術の手札が増えているので、そこにツッコむことはない。
「んじゃ、戻りましょ」
「「はい」」
冬の夜気の中、三人の呼吸音だけが静かな演習林へ響く。
「ストップ」
不意に、エリカが足を止めた。
「香澄、こっち」
「はい」
エリカの指差す方角に、香澄が目を凝らす。
呼吸を整え、知覚を一点へ集約する。周囲へ広げていた感覚を細く、鋭く。
「……いました。三人」
五十メートルほど先。
木々の向こうに、人型の輪郭がぼんやり浮かぶ。
「正解」
エリカが笑った。
広く見るのではなく、狭く、遠くへ。知覚範囲を絞ることで、より遠方の想子光を捉える技術。
八百メートル先まで見通すエリカには遠く及ばないが、香澄も十分に実戦で使える水準まで届いていた。
「船尾、あんたも」
「はい」
船尾も同じように目を凝らす。
静寂。
数秒。
「……だめです」
素直に首を振った。
「ま、そんなもんか」
エリカも驚かない。この技術は元々個人の知覚を伸ばすだけのもの、向き不向きが非常に大きい。
船尾は周囲全体を把握する知覚は、香澄と同様順調に伸びたが、一点へ収束させる感覚は苦手だった。
およそ二十メートル。建物内での知覚なら十分だが、こういった森林では不十分な範囲だった。
「気にしなくていいわ。あんたは自己加速の方が伸びてるし」
「そっちは毎週ありがとうございます」
この数か月、エリカは想子の知覚技術のみを教えていたわけではない。
船尾の自己加速術式。
以前の船尾は、桐原に教わっていた走法を軸にしていた。近接戦での細かな足捌きを重視した、九校戦のクラウド・ボールに向けて学んだ走法。
対してエリカは先手必勝、速さの走法だ。
反応されなければ、魔法を発動させなければ。エリカの先天的な才能を最大限に生かし、それを押し付ける戦い方だ。
それが達也にして「最速の魔法師」と言わしめた千葉エリカの強さである。
「まだ遅いけどね」
「分かってます」
故に、少なくとも速さという点で、船尾がエリカを超える日は来ない。二人ともそれは分かっている。
だが。
「そろそろまた模擬戦してみる? 今なら白兵戦でも、多少は相手になるんじゃない?」
「多分普通に負けると思いますけど……ではお願いします」
「あの、エリカ先輩」
「香澄ともやるから心配すんなっての」
「ありがとうございますっ」
控えめに主張する香澄に、エリカは先んじて模擬戦を取り付ける。
深雪信者の泉美や、水波のストーカー予備軍の船尾と比べて、香澄は大人しいものだ。……あの二人と比べるのも、それはそれでどうかと、エリカですら思うが。
香澄と船尾では、その強さがまるで異なる。
香澄にとって、エリカから教わった技術は、その恵まれた魔法力を押し付けるためのもの。船尾に連敗する中で学んだ工夫は、それを効果的に活かすためのもの。
対して船尾の魔法は工夫に満ちている。
恵まれてはいるものの、最上位には遠く及ばない魔法力。それを如何に届かせるかの工夫。
見て学べが信条のエリカだったが、二人に関しては付き合ってもいい。そう思える程度には、エリカはこの時間を気に入っていた。
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