七月十四日、土曜。
定期試験で中断されていた、九校戦へ向けた練習の再開日。
テスト前にも練習は行われていたが、それは競技慣れをする程度の軽いもの。今日からは九校戦本番に向けた本格的な練習が始まる。
クラウド・ボールは、今回の大会で唯一ルール変更がない。桐原は前回大会も達也の担当であり、その後も私的に調整を受けている。
本来なら改めて話すこともなく、そのまま練習場に向かうのだが、今日は達也から相談があると言われ、練習場脇の休憩所に向かった。
「桐原先輩も、去年の感覚はおおよそ取り戻せた頃だと思います」
「まだ完全じゃねえけど、大体な」
達也の言葉に桐原が頷きを返す。
「そこで相談というのが、これを使うかどうかです」
「ん? これは……」
達也が取り出したものを見て、桐原は眉を顰めた。何故ならそれは……
「飛行魔法のデバイス、か?」
「正確にはそのダウングレード版です。桐原先輩は現在、ループ・キャストにより自己加速術式を連続発動させ、コートを縦横無尽に駆け回っています」
「だな」
技術系に疎い桐原でも、自分の使う魔法の原理くらいは把握している。
『ループ・キャスト』
起動式に自分自身を複製する無系統魔法の情報を追加して、魔法式を構築するコンパイルの最終段階において魔法演算領域内に起動式を貼り付け、CADを操作しなくても同じ起動式を利用できるよう待機させる技術。
飛行魔法は、それと対を成すシステム。
連続して読み込まれる同じ起動式から同じ魔法式を組み立て、新たなイメージが演算領域に読み込まれない限り、同じ変数を自動的に入力し続けるの技術だ。
分かりやすく言えば、ループ・キャストは一度ロードした起動式を、メモリに置いて使い回す。携帯端末のキャッシュのような仕組み。
一方、飛行魔法は一つの起動式を自動更新のように繰り返し利用するシステムだ。
「つまりお前は、今のループ・キャストよりも、飛行──走行デバイスのほうが優勝に近づくって考えてんのか?」
飛びはしないため、飛行デバイスを走行デバイスに言い直した桐原。達也はそれにツッコむことはせず、本命の質問に答えた。
「優勝だけを目指すのであれば、今のままで問題ないと思います。いきなりのダークホースが出てこない限り、桐原選手に勝てる選手はいないでしょう」
桐原は達也のした断言に──そして以前船尾が発したのと同じセリフに──意外そうに眉を上げた。
「桐原先輩は去年の本戦優勝者。今年の優勝候補筆頭として、各校にマークされているでしょう」
「だろうな」
桐原とてそれは分かっている。
去年の九校戦クラウド・ボール、部活動の剣術大会、それぞれ桐原は優勝を飾ってきた。これで警戒されないなんて、甘えた思考になるはずがない。
「本来であれば、一年ぶりの魔法に慣れていき、確実に勝率を高めていく。それが九校戦へ向けた最適解です」
「それでも、お前はこれを勧めてきた」
「はい」
「その理由は?」
桐原は達也の調整に全幅の信頼を置いている、この時点で彼は飛行デバイス擬きを使うつもりでいた。
ただ、納得できない、というより不審を覚えていることも間違いなかった。
「最大の理由は、競技への適性上、去年よりも高いパフォーマンスを発揮できることです」
コート内を飛び交う最大九つのボール。
それを追い、方向転換や加減速のたびに魔法を発動するループ・キャストよりも、常駐型でシームレスに姿勢と速度を制御できる走行デバイスのほうが、競技との相性は高く、パフォーマンスも向上する。
「常駐型による体力消費も、今の桐原先輩であれば問題ないはずです」
「……さすがに全試合フルセットとかになったら、最後まで保たねえぞ?」
「そこまで消耗させられる相手が何人もいるのなら、それはもう九校戦のレベルではありません。」
「だな」
そもそも去年の桐原も、3セット先取の試合を五連戦して、失セット1の圧倒劇だったのだ。言ってみただけの軽口に真面目に返されて、桐原は悪かったと笑った。
そして、その人の悪い笑みのまま、達也へ問い掛けた。
「それで、最大でない理由は何なんだ?」
桐原の意味ありげな問い掛けに、達也はわずかな躊躇も無く、端的な答えを返した。
「そのほうが面白いでしょう?」
「へぇ」
鉄面皮が愉しげに歪み、繰り出された娯楽に満ちた回答。桐原の笑みが深まった。
◆
去年のクラウド・ボールでは、その圧倒的な実力差から、水波と桐原、そして真由美の三人で練習することが多かった。
今年もそれは変わっておらず、時折船尾が混ざったり、他の選手たちと試合をしたりすることがあるが、殆どが二人での練習だった。
飛行デバイス擬きの相談を終えて、達也と桐原がコートに向かう。
桐原が不在の間は、船尾が水波の相手を務めていたようで、終了のブザーが鳴るまでコート脇で待つ。
その後、真剣でありながら幸せオーラを隠しきれていない船尾が、反省会を終えて達也たちに挨拶をしてから新人戦のグループに合流しに行く。
「水波」
「はい」
「連続で悪いんだが、桐原先輩の練習に付き合ってほしい」
「飛行デバイスの試用ですね。畏まりました」
桐原の使用魔法変更を予め聞いていた水波は、達也の要望に異論なく頷いた。
桐原と水波はネット越しに向き合い、達也はボール射出の機械を操作する。
開始のブザーを待つ桐原は、左手に握るCADに目を落とした。
いつも使っている物とは違う、携帯端末形態の、彼の掌にすっぽり納まる大きさのCAD。初めて使うこのデバイスも、操作方法は至極簡単だ。
オン・オフのボタンがあるだけで、一旦スイッチをいれるとそれをオフにしない限り、バッテリーが尽きるまで使用者から自動的に想子を吸い取って起動式を処理し続けるという、ある意味暴力的と言える代物だった。
ただし、去年の摩利やほのかが飛行した様子を見るに、
「始めます」
達也が軽くそう告げると、試合開始を合図する一つ目のボールが水波コートへ射出された。
桐原はCADのスイッチを入れ、そのままポケットにしまい込んだ。
何も意識しなくても、自分の身体から想子が吸い取られていくのが分かった。
といっても、意識していなければ気がつかない程の、微量の吸収。日常的に放出している、余剰想子の流量に毛が生えた程度の規模に過ぎない。
そう気づいたときには、起動式が魔法演算領域に写し取られていた。
あらかじめ教えられてはいたが、驚くほど小規模な起動式だ。桐原の処理能力なら、同じものを十個同時に処理してもまだ余裕がありそうな程に。
それでいながら、必要な要素が全て記述されている。徹底的に無駄を削ぎ落とし効率化された、洗練の極みにある起動式──桐原はそれを言葉では理解していないが、快感として認識していた。
桐原は、水波コートから緩く飛んでくるボールに近づく自分をイメージした。
その途端、重力の束縛が消えた。
余裕を持ってボールの落下地点に入り、緩くボールを打ち返す。
──軽い
桐原の内心を余所に、ボールは水波の障壁魔法により跳ね返ってくる。
それをまた、滑らかに動くことで落下地点に入り、打ち返す。
跳ね返される。打ち返す。──繰り返す。
「どうですか? 起動式の連続処理が負担になっていませんか?」
少しして、コート内にブザーの音が響いた。
水波コートに転がったボール、達也の声がスピーカー越しに聞こえる。
「問題ないぜ。頭痛も倦怠感もなし」
「魔法の断続感はどうでしょう?」
「そっちも平気だ」
「良かったです。それでは次は、ボールを増やしてみましょう。最初は三つ、慣れてきたら徐々に……俺の判断で、一分ごとに一つ増やしていくので、思うようにラリーをしてください」
「おう」「分かりました」
水波がボールを射出機に繋がる穴に送ると、自コートの中央に移動した。桐原もコート中央にて、軽く飛び跳ねる。
達也が二人の顔を交互に見る。二人とも、同じように頷きを返した。
達也が手元の機械、一つのボタンに指を添え、静かに押す。
試合開始のブサーと共に、低反発ボールが射出される。
桐原は三つのボールを打ち返しながら、その快感に酔いしれていた。
とにかく、楽なのだ。
極小の魔法式は、魔法行使に伴うストレスをほとんど感じさせない。
開始から一分が経ち、ボールが一つ追加された。コートに飛び交うボールは4つ、桐原は徐々に駆け回るスピードを上げた。
透明な箱に覆われたコートの中を、自由自在に舞う。軽やかに、力強く、滑らかに。矛盾する言葉だが、桐原にとって全てが真実だった。
このシステムの要は、発動中の魔法の発動時点を正確に記録する、タイムレコーダー機能。
そういったデジタルな処理は人間には不向きなもので、機械によって補完しなければならない領域らしい。これが噛み合っていないと、魔法が断続的に感じられてしまうという。
この魔法を効率的に使うにはシステムの理解が重要らしく、桐原は先ほど休憩所にて達也から説明を受けた。
詳しい理屈は、理解できなかった。
概要だけで、本質的な部分はきっと説明すらされていない。
故に桐原は、胸の奥の高鳴りを感じた。
魔法は道具。CADも道具。
自分はまだ感覚的に使っているだけで、その使い方すらよく理解できていない。
それでもなお、これほどに快感を伴うのだ。
九校戦まで残り三週間。ここから自分がどれだけ理屈を理解し、この魔法を使いこなせるのか。使いこなした先に、どれほどのパフォーマンスが待っているのか。
「へっ」
開始から二分、五つ目のボールが射出された。
ウォーミングアップは終わりだと、桐原はさらに速度を上げる。
その口元は、愉しげに歪んでいた。
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