八月一日、九校戦への出発日。
達也はクーラーの効いたバスの中ではなく、炎天下の外にいた。スタッフの中では唯一の一年生であり、人数確認を命じられたのだ。
幹比古が呪符で涼しさを保っているため暑くはないし、幹比古や摩利が話し相手になってくれているため暇でもない。だが、一時間半も待たされていては気分も下がる。
「遅いな……」
「七草会長からはそろそろ到着すると連絡があったのですから、渡辺先輩ももう戻って大丈夫ですよ」
「大丈夫だよ。おっ、やっと来たか」
「ごめんなさ~い」
ヒールの音を響かせながらこちらへ走ってくる真由美。
「遅いぞ、真由美」
「ごめんごめん、達也くんと吉田くんもごめんなさい」
「いえ、事情はお聞きしていますので」
真由美が遅刻したのは、寝坊したとか時間を間違えたとかそういう無責任な理由ではなく、家の事情だ。
十師族『七草』の、それも当日に呼びつけられるほどの急用を済ませて駆けつけた真由美。いくら達也が真由美を信用していないとは言え、この件で彼女を責める気にはなれなかった。
「渡辺先輩、人数確認も終わりましたので俺はこれで。幹比古も後でな」
「ああ、ご苦労だった」
「達也も後でね」
達也はそう言って作業車に向かっていった。
「はぁ……」
出発したバスの中で、真由美は大きなため息を吐いた。
「会長、いい加減諦めてはどうですか。司波君はそんなことでは落ちないと思いますよ」
鈴音が言っている「そんなこと」とは、真由美の服装のことである。真由美は露出度の高いサマードレスを着ており、肌を出さないことを是とする現代ドレスコードからすると、かなり異質だった。
「そうなんだけど、いつも通りだと私と話してもくれないのよ……」
「だからきっかけを作ろうと?」
「この服を着たかったっていうのが一番だけど……それも少し」
「はぁ……」
今度は鈴音が大きなため息を吐いた。四カ月も素っ気ない態度を受けて、大分空回りしている気がする。
「会長からさっさと謝るべきだと思いますが」
「それは分かってるんだけど、許してもらえないかもしれないじゃない……」
「会長が悪いのですから仕方のないことかと」
「それも分かってるけど……」
鈴音のツッコミが的確過ぎて、真由美は若干に不貞腐れている。
「司波君が許すかどうかはともかくとして……会長がきちんと向き合えば普通に対応してくれると思いますよ。私や中条さんには練習中も真摯に対応してくれましたし」
「そこは嘘でも許してもらえるって言ってほしかったわ……」
完全に不貞腐れて丸まってしまった真由美。これを勘違いした服部がブランケットを持って来て、意気消沈した真由美を見てさらに慌てるのだが、ここでは割愛する。
「何をしているんだ、あいつらは……」
真由美や服部のやり取りを摩利は呆れた表情で見ていた。ふと隣に目をやれば、不機嫌な様子で流れていく景色を見ている女子生徒。
「花音……」
「何ですか、摩利さん?」
「宿舎に着くまでせいぜい二時間くらいだろう。どうしてそれまで待てないんだ?」
「あっ、それ酷いです! あたしだってそれくらい待てます!」
摩利の言葉に花音が反論する。
花音は技術スタッフの五十里啓の許嫁であり、家は百家本流の一つ「千代田家」。
「でも今年は啓も技術スタッフに選ばれて楽しみにしてたんですっ! 今日はバスの中でもずっと一緒だと思ってたのに! なのに何で技術スタッフは作業車なんですか! このバスだってまだ乗れるのに!」
良い捌け口を見つけたとばかりに、不満をぶちまけ始めた花音に摩利は大きなため息をついた。
不満を吐き出した花音だったが、再び不満げに窓の外を眺めていた。だから、異変に気づいたのは彼女が一番早かった。
「危ない!」
彼女の声につられ、ほぼ全員が対向車線側の窓へ目を向けた。対向車線から大型のオフロード車がガード壁を越えて、宙返りしながら自分たちの方へ飛んできていた。急ブレーキがかかり、バスの直撃は避けた。だが、大型車は炎を上げながらこのバスへ向かって滑って来る。
「吹っ飛べ!」
「消えろ!」
「止まって!」
パニックを起こさなかったのは、本来であれば褒められるべきかもしれない。だがこの場合は、かえって事態を悪化させた。
無秩序に発動された魔法が同一の対象物に向けられ、全ての魔法が相克を起こしてしまった。
「バカ、止めろ!」
摩利はすぐに気がついた。幸い、魔法は全て未完成のままだ。
「十文字!」
「防御はできるが、消火までは無理だ」
克人の表情にはあまり見せない焦りの色があった。摩利は絶望に囚われたが、そこへ立ち上がった人物がいた。
「私が火を」
「司波。いや、いくらお前でも……」
「このサイオンの嵐の中でどうやって」と摩利が言おうとした瞬間、無秩序に発動された魔法が、全て一瞬でかき消された。
「なっ!?」
その直後、深雪によって消火がなされ、滑って来ていた車は克人によって止められた。事故は避けられたが、今の一瞬で何が起こったのか分からず、摩利は唖然としている。
「今のは何だ……?」
無意識的なものだったのだろう、摩利の呟きは誰にも聞こえなかった。真由美が一同に何か言っているが、摩利の頭には入ってこない。
(あの無秩序に発動された魔法を一瞬で? そんなことが可能なのか……?)
摩利の知りうる限りあんなことができる魔法師はいない。
ただ、「誰もできない」という言葉から、ある人物が思い浮かんだ。まさかとは思いつつも、摩利の視線は事故車の後処理をしている後輩に向けられていた。
◇◇◇
第一高校代表メンバーは、なんとか無事に九校戦の会場・富士演習場のホテルに到着した。だが、服部はなにやら沈んだ面持ちだ。
「どうした、服部。随分不景気な面だな」
「桐原……いや、そんなことはないさ」
「そうかぁ? 少なくとも、好調って顔してないぜ?」
「ちょっと……自信をなくしてな」
「おいおい、明後日から競技だぜ……」
服部は男子バトル・ボードと花形競技のモノリス・コードの二種目に出場する主力選手だ。
達也が担当することもあり、一高の戦略では服部には活躍してもらわないと困るのだ。
「一体何に落ち込んでるんだ?」
「お前は感じなかったんだな……羨ましいよ」
「なんだぁ、俺がバカだって言ってるのか?」
「いや? 鈍いとは思っているが」
「おい!」
服部は皮肉っぽい笑みを浮かべている。いつもの調子が少し戻ってきたようだ。
「さっきの事故の時、俺は結局何もできなかった」
「あ~、ありゃあ危なかったな。けどよ、手出ししなかっただけ、まともな判断力を残していたと思うぜ」
桐原のセリフは慰めではあっても気休めではない。彼の指摘は客観的な事実分析に基づくものであり、その通りだと服部も思っている。
「だが、司波さんは正しく対処して見せた。自分の得意な分野から分担すべきことを理解していたし、十文字会頭ともコミュニケーションを取ることも忘れなかった。だが、俺にはそれができなかった」
「冷却系が得意なんだろ? 向き不向きの問題なんじゃね?」
「それを言うなら渡辺先輩は手を出すべきじゃないと判断して、十文字会頭に対処を求めたんだ……魔法は使うべきときに正しく使えることが重要だ。魔法師の優劣は魔法力だけで決まるものではないと、俺は九校戦の練習期間で痛感したはずだったんだが、さっき目の前で思い知らされた……自信を失わずにはいられんよ」
またもや消沈してしまった服部を見て、桐原は仕方ないなと言いたげな表情を浮かべた。
「あ~、そういうのは場数だからな」
ありきたりな慰めも効果がないようだ。それならと思い、ある提案をした。
「まあ、司波にでも相談してみりゃいいんじゃねえか」
「司波に? 何故だ?」
「お前がそんなことを気にするようになったのは、司波のおかげだろ?」
服部は苦虫を嚙み潰したような顔になる。図星なことに加え、「所為」ではなく「おかげ」であると言われたのだ。服部もこの変化が自分にとってプラスであることは分かっているので、居心地の悪いことこの上ない。
「言っちゃあ悪いが、あいつは逆に魔法の才能がねぇからな。お前の言ってることも少しは分かるんじゃねぇの」
桐原はそれだけ言って先に進んでしまった。
◆
服部たちの話題になっていた達也が荷物運びを行っていたところ、ロビーに入って見知った人影を見つけた。
「達也くん、一週間ぶり。元気してた?」
「元気にはしていたが、エリカは?」
「あたしも元気してたよ」
そんなことを聞きたいわけではないのだが、ツッコんでも疲れるだけだろう。とりあえずは、目の前の疑問を片付けていくことにした。
「それで、その格好で観戦するのか?」
エリカの服装はショートパンツに編み上げサンダル、タンクトップという、肩や素足が剥き出しなものだ。間違いなく似合っているのだが、場違い感が半端じゃない。
「観戦するときは制服になるって、今だけよ」
それなら最初から制服で来ればいいのではと思ったが、
「こういうのは気分が大事なんだから、来る時くらい旅行気分に浸らせなさい」
先に言われてしまった。まだ気になることは多々あるのだが、下っ端が仕事をさぼるわけにもいかないので疑問を棚上げすることにした。
「俺は機材があるからもう行くぞ」
達也は断りを入れて、機材を載せた台車を引いて先へ行こうとしたのだが、
「エリカちゃん、お部屋のキー……あ、達也さん、こんにちは」
「美月も来ていたのか……」
駆け寄ってきた美月を見て、正確には美月が着ている服装を見て、エリカに視線を戻した。
「エリカ」
「な、なにかな?」
「美月に何か吹き込んだか?」
「なんでわかるの!?」
「エリカちゃん!?」
エリカは誤魔化しもせずに白状したため、美月も声を上げてしまう。美月の服装はキャミソールのアウターに膝よりかなり上のスカート。
美月の私服は以前も見たことがあるが、その時とは明らかに傾向が違う。
「あ、あの達也さん……エリカちゃんが勧めてくれたんですけど、やっぱり変でしょうか?」
不安げな美月を見て、達也は何と答えるべきか悩んだ。
「すごく似合っているけど、TPOは考えた方がいい。誰に見られてるか分からない場所でする格好じゃないと思うぞ」
「や、やっぱりそうなんですね……」
「えーっ、そうかなー?」
「エリカも似合っていると思うが、周りからも見られてるし早く着替えた方がいいんじゃないか?」
「ん~、まあ、今回はそれで許してやりますか。美月、部屋に行こっか……達也くん、今度はちゃんと褒めてよね」
達也は今度という意味が分からなかったが、それを尋ねることはしなかった。
エリカたちに背を向けてから、聞き覚えのある声がしたのだが、気のせいだと思うことにして振り返ることはしなかった。
器具の運び込みが終わって自室に行くと部屋には誰もいなかった。同室の幹比古もどこかに行っているようだ。だが、そんな部屋に来客があった。
「水波か、どうかしたのか」
「深雪様からご伝言を預かっております」
事務的な雰囲気と普段は禁止されている様付け。どうやら深雪の従者としてここへ来たようだ。
「先ほどの件の感謝と、何か知っていることがあれば教えていただくよう仰せつかっております」
「それに関してだが、あれは事故じゃなく自爆攻撃だ。首謀者は犯罪シンジゲート『
「対処はいかがいたしましょうか」
「さっきの件もそうだが、実害がありそうだから俺が風間少佐に連絡して襲撃する。時期はまだ決まっていない」
「かしこまりました」
一礼し、顔を上げた水波から事務的な雰囲気が消えた。だが、その表情は決して柔らかなものではなく、憂いを帯びたものだった。
「達也さん。練習期間中も深雪様とは話していないのですよね?」
「ああ」
「そうですか……」
「すまないな」
水波が主である深雪と、その兄である達也の仲が悪いことを気に掛けているのは知っている。だが、これに関してはどうしようもない。
達也からは深雪に対して特に思うところはない。深雪が達也のことを嫌い、ただの道具として扱ったので、達也もその通りに対応していた、ただそれだけの関係。一部の分家のように邪険にするわけでもなく、基本的に不干渉を貫いていた。むしろ達也の能力はしっかりと評価されていたので、まだ楽な方だったとも言える。
「いえ、私の方こそ、何度も申し訳ございません」
水波もそれは十分に理解している。今日もそれ以上は何も言うことなく部屋をあとにした。