雫のスピード・シューティング予選が終わってすぐに、エリカたちは男子バトル・ボードの会場に移動していた。
「あっ、吉田くんもうコースについてます!」
「ギリギリだったわね……」
「もう始まりそうだし、早く座ろうぜ」
四人が観客席真ん中辺りの空席に座ってすぐに、スタートのブザーが鳴った。
幹比古は順調にスタートを切って単独トップに立った。そのまま加速しようとしたところ、コースに起きた異変によりキャンセルせざるを得なかった。
「なにあれ!」
声を上げたのはエリカだったが、レオたちも同じ心境だった。
幹比古の周りとその前方だけ波が荒立っており、他の選手の周囲にはそれが見られない。引き波の効果で多少水面が荒れているくらいだ。
「幹比古は何とか躱してるか……」
「まだ余裕がありそうですけど、三対一になっちゃいましたね」
幹比古には摩利や服部のようにスタートから独走することはできない。幹比古の魔法力が低いのではなく、魔法の得手不得手の問題だ。
その分対戦相手からの妨害に対応しなければならず、幹比古は精霊を水面に配置して魔法の発動をいち早く予測することで凌いではいるが、流石に走りづらそうだ。
一つ目のカーブを通過しても幹比古への妨害は続いている。
「アレ、裏で仕組んでないかしら?」
妨害による三人の魔法は幹比古の前方、右側、左側と、上手い具合に干渉しないよう発動されている。トップの選手は狙われやすいとはいえ、エリカの言う通り、選手同士で手を組んでいるとしか思えない。
「まだやられてるな……」
「このままだと吉田くんの体力が心配ですね」
美月の言葉に三人が頷いたが、幹比古がこのまま黙っているはずもなかった。
二つ目の鋭角カーブを通過して直線に向けて加速すると同時に、水面が大きく波打った。幹比古が作り出した大波がボートを前方に押し出すと共に、二番手以降の三人に襲い掛かった。そして、カーブ直後に大波を受けて落水寸前だった選手たちに、幹比古の更なる魔法が発動した。
『水中地雷』
水面に感知の陣を張り、外部からの直接接触をトリガーに水面を陥没・隆起させる魔法。
他校の選手の足元が小さく沈み込み、噴き上がる。その大きさはせいぜい十センチほどで、選手たちを落水させるほどの威力は無い。
だが、散発的に発動する幹比古の魔法は、他校の選手たちの体勢を徐々に崩していき、直線での加速を許さなかった。その間にも幹比古は加速を続け、三つ目のコーナーに差し掛かっていた。
「うへぇ、幹比古もえげつねぇな」
「あんだけやられたんだから当然よ」
「これでひとまずは安心ですね」
ようやく幹比古が自分の走りができるようになったので、四人はほっと息を吐いた。その後は幹比古が後ろの選手を牽制しながらも一定の距離を保ち、そのまま一位でゴールするのだった。
「ふぅ……中々にスリル満点のレースだったわね」
安堵のため息を漏らした真由美へ、摩利は余裕のある声を返した。
「そうでもないぞ、吉田ならあれくらいできる」
「えっ、そうなの?」
「ああ、バトル・ボードはあたしや服部、それに桜井が一緒だったからな。あの程度の妨害なら大した問題じゃないだろう」
「吉田君が摩利やはんぞーくんと一緒に……?」
真由美はクラウド・ボールで水波の実力は知っているが、幹比古にそれと同等の実力があるようには思えなかった。摩利も真由美の疑問を理解したようで、笑いながらそれを否定した。
「吉田は一年男子とは折り合いが悪かったからな。あたしたちが合わせる形で練習していたんだ」
「そういうことね」
「まあそれでも一年男子の中では頭一つ抜けているし、優勝候補には違いないがな」
真由美が納得したのを見て、摩利が楽しそうにそう締め括った。
◇◇◇
午前最後の競技は女子スピード・シューティング。優勝候補である雫の試合は、本部のモニターでも注目を浴びていた。
スタートのブザーが鳴り、クレーが射出される。雫の紅いクレーが三つ、軌道を曲げて有効エリア中央で衝突して砕け散った。
「今のは移動系? ……いや違うわね収束形?」
試合は明らかなワンサイドゲーム。試合半ばではあるが勝利はほぼ確定しているので、モニターを見ながら真由美は雫の魔法について考察を始めた。
「ご名答です」
今度は紅いクレーが一つ、有効エリア中央で砕け散った。
「今のは予選で使った魔法よね?」
「はい、収束系と振動系魔法の連続発動ですね」
対戦相手の二高の選手の戦法は、移動系魔法を使うオーソドックスなものだ。だが先ほどからエリア中央付近では頻繁に的を外している。外縁部では殆ど命中させているから、本人の技術的な未熟の所為ではない。
「有効エリア内を飛び交うクレーをマクロ的に認識して、中央部における紅色のクレーの密度を高める収束系の魔法の影響で、白のクレーが中央部から弾き出されてるのは分かるんだけど……標的が複数の場合、振動系が発動する前に衝突するようにスケジュール設定されているのかしら?」
「それは無いんじゃないか、メリットがないだろう」
真由美が口に出した推論を摩利が否定する。摩利の言う通り、そんなことをするメリットは何もない。
「お二人とも、私は『収束系と振動系魔法の連続発動』と申し上げたはずですが」
少し人の悪い笑みを含んだ声で、鈴音は真由美の勘違いを正す。真由美は言葉の意味を即座に理解して、反射的に反論の声を上げた。摩利も目を見開いて硬直している。
「嘘! 特化型CADは系統の組み合わせが同じ起動式しか格納出来ないはずよ!?」
「お疑いはもっともですが、あれは特化型では無く汎用型CADです」
鈴音の回答は更なる混乱を真由美にもたらした。
「そんなのありえない! 汎用型CADと特化型CADはハードもOSもアーキテクチャからしても違うのよ。そして照準補助装置は特化型のアーキテクチャに合わせて作られてるサブシステム。汎用型CADの本体と照準補助装置をつなぐ事なんて技術的に不可能なんじゃない?」
真由美の語気は徐々に落ち着いたものになっていったが、紅潮した頬にまだ覚め切れぬ興奮が見て取れる。それを見て鈴音の笑みも穏やかで大人びた相手を落ち着かせるものに変わっていった。
「私もそう思っていましたが、実際は可能でしたね。これは司波君のオリジナルではなくドイツで一年前に発表されたものだそうですよ」
「一年前か……まああいつなら使いこなすだろうな」
ようやく硬直から抜け出した摩利が口を開く。そこに鈴音が更なる情報をもたらした。
「この程度で驚かない方が良いですよ、会長。彼に口止めされてますが、もっと凄い最新技術を司波君は用意してますから」
「はぁ……秘密と言うのなら訊かないけど」
真由美がため息を吐きながら視線をモニターに戻すと、残り時間と得点が表示されているのが目に入った。雫の勝利はもはや確定している。
「真由美、市原が言っていた最新技術はこの程度の驚きじゃ済まないぞ」
「はぁ、これ以上何をするって言うのよ……」
真由美はもう驚き疲れたのか、ニヤリとした摩利に反応するでもなく再度ため息を吐くのだった。
◇◇◇
雫がスピード・シューティングで優勝を決めた後、達也はすぐにバトル・ボードの会場に向かった。
「司波君? 随分早いね、どうしたんだい?」
達也の次の担当は午後の第四レースの水波だ、これほど早い時間に来る必要は無い。五十里がそのことを疑問に思うのは当然である。
「いえ、天幕に戻るのもどうかと思いまして、逃げてきました」
「逃げて? ……ああ、なるほど」
少し考えて事情が飲み込めた五十里は、小さく頷いてから達也に称賛と同情の混ざった視線を向けた。
「確かに昨日の夕食は凄かったけど、司波君も謙虚なんだから。もう少し誇らしげにしてもいいんじゃない?」
「あまり褒められるのに慣れていないので……それで、幹比古の調整でご迷惑をお掛けしましたし、何かお手伝いできることがあればと思いまして」
「いや、特にないから大丈夫だよ。司波君はお昼を食べてきたら?」
「……そうですね。それでは五十里先輩、失礼します」
五十里も今は特に忙しくないようなので、達也は感謝を述べてその場をあとにしたのだった。
◆
達也はいつもの六人組と合流し、お昼を食べていた。話題はやはり今日の競技についてだ。
「雫、優勝おめでとう! 圧倒的だったじゃない!」
「そうですね、私も見ていて安心感が違いました」
「うん。ありがとう」
このように雫は称賛を浴びていたのだが、先ほどから何度も受けていては気恥ずかしいようだ。
「でも、今日はほのかと吉田くん、それに水波もいる。吉田くんも予選突破したし」
「ミキもやるわよね、断トツで一位だったじゃない」
「いや、僕は少し危なかったよ。他校からの妨害もあったしね」
選手同士が直接妨害できるのはバトル・ボードとミラージ・バット、モノリス・コードの三つである。
そして、バトル・ボードの予選は四人一斉に走行する。現在一高の得点がぶっちぎりのトップなこともあり、他校の三人が集中して幹比古を狙ってきたのだ。
「あれはビビったけど、幹比古は普通に避けてたじゃねぇか」
「先輩たちに比べれば大したことはなかったけど、それでも三対一はきつかったよ」
幹比古の答えにレオや美月は複雑な表情を浮かべた。一高のトップは嬉しいのだが、その分幹比古が苦労しているので、どう反応すればいいのか分からなかったのだ。
だが、この場で最も影響を受けたのは、当事者であるほのかだろう。
「それならやっぱり私も狙われますよね……」
「あ、いや、そういうわけじゃ……」
「いえ、いいんです。狙われるのは事実ですし……」
緊張しいなこともあり完全に及び腰になっているほのかと、それを見てあたふたしている幹比古。だが、達也は特に焦った様子も無い。
「達也さん、どうしてそんなに落ち着いてるの?」
達也は雫へふっと笑みを見せてから、ほのかへと目線を向けた。
「ほのか、今日の予選でいきなりあれを使ってみようか」
「いいんですか!?」
「ああ、準決勝の布石にもなるし、元々予選で使う予定だったしな」
「分かりました!」
ほのかは緊張が一気に吹き飛び、完全に競技へと気持ちが向いたようだ。雫たちはほのかの激変に聞きたいことはあったのだが、下手に水を差すのも良くないと思い、そのまま食事を続けるのだった。
◇◇◇
水波のレースは昼食後すぐに行われたが、特に妨害は受けなかった。
というのも、スタートから圧倒的であったため他校の選手も妨害のしようがなかったのだ。本戦優勝の摩利と同レベルで競っていた水波に対し、新人戦レベルの選手が相手になるはずもなかった。
結果、本戦での摩利や服部以上の独走っぷりを見せつけた水波は、決勝で摩利が出した大会記録よりも五秒遅かったが、新人戦の記録を二分近く更新する大記録を叩き出したのだった。
その後一レースおいた第六レースはほのかの番。
「ねえ、ミキ。達也くんは何をするつもりなの?」
エリカたちはレースへの期待感よりも、これから何が起こるかという疑問の方が大きい。
「僕の名前は幹比古だ……バトル・ボードのルールだと、他の選手に魔法で干渉する事は禁じられているんだけど、水面に干渉して他の選手の妨害をする事は禁止されていないんだ」
「……どういう事?」
幹比古の答えはエリカの疑問を解消するものではなかった。だがスタートも近づいていたため、エリカたちは渡されたゴーグルをかけた。
スタートのブザーとほぼ同時、観客は反射的に揃って視線を水路から逸らした。フラッシュでも焚いたかの様に水面が眩く発光したのだ。それによって選手が一人落水した。
他の選手がバランスを崩し、加速を中断する中、一人ダッシュを決めた選手が先頭に踊り出た。言うまでもなくほのかだ。
「……これが達也の作戦か」
「毎度毎度よくやるわ、ほんとに……」
サングラスを外しながらレオとエリカが口を開くがさすがに呆れかえっていた。
「確かにルールには反してないけど……」
雫の声も幾分非難混じり、これはフェアプレーに反していると言われてもしょうがないと思っているのだろう。だが、著しくアンフェアなプレーがあった場合に示されるイエローフラッグ、競技中断の旗は振られていない。ルール違反選手の失格を示すレッドフラッグは言うまでも無い。
大会委員はほのかの魔法を、達也の作戦を合法と認めたと言う事だ。
「水面に干渉と言われると、波や渦とかの水面の挙動にばかり意識が向きがちだけど、ルールで許可されているのはあくまでも『魔法で水面に干渉して他の選手を妨害する事』。目眩まし程度の事は今まで使われなかった方が不思議だって、達也は言ってたよ」
「達也さんって本当に想像もつかないことを考えますね……」
幹比古は達也の弁護か何か分からない言葉を口にし、美月もそれに反応した。
何の心構えも無く目潰しを喰らわされて、すぐに視力を回復出来るものでは無い。緩やかにではあっても蛇行しているコースは視力を塞がれた状態で全力疾走出来るものではない。他の選手とほのかの間には、既に決定的と言える差がついていた。
◆
モニター越しに見ていた真由美たちは、他の観客のように視線を逸らす事無くほのかの魔法を見ていた。そのため、作戦を冷静に評価することができ、驚きを覚えていた。
「決まりだな」
「……達也くんが考えたの、この作戦?」
意外性もなく呟いた摩利の言葉に真由美が問いかけを発したのだが、そしてそれに答えたのは鈴音だった。
「そうですよ」
「はぁ、次から次へとやってくれるわね……」
「まあそう言うな、敵じゃなくて良かったじゃないか」
鈴音の答えを聞いた真由美は深いため息を吐いたが、摩利の口調は穏やかなものだった。
「摩利はこの作戦を使わなかったんでしょう、どうしてなの?」
「あたしも一度やられて悔しかったんだが、達也くんがあたしには必要ないと言ってくれてな。実力で勝っているんだから、正攻法が一番効率的だと」
「なるほどねぇ」
摩利のは正攻法というよりただのゴリ押し力技だと思った真由美だったが、自身もクラウド・ボールでは似たようなことをしていたので指摘するのはやめた。
「でもこれって一回限りの作戦よね? 決勝トーナメントはどうするのかしら?」
「心配する必要は無い。達也くんはそこもしっかりと考えていたさ」
「そうですね。これは次の試合の布石でもありますし、光井さんにしか使わせなかった理由でもありますから」
どうやら真由美の心配は杞憂のようだ。達也から作戦を聞かされている摩利と鈴音がそう言うのなら心配ないのだろうと、真由美は次の試合が楽しみになっていた。
◆
ほのかは水路から上がるや否や、着替えもせずに達也の所へ駆け寄ってきた。
「勝ちました、達也さん!」
「あ、ああ……見てたよ、おめでとう」
結果を報告するほのかはピョンピョンと飛び跳ねている、は言い過ぎだがそのくらいに興奮している。
達也としては目のやり場に困るので少し落ち着いてほしい。そういった意味も込めて、落ち着かせようと両手を差し出したのだが逆効果だったようだ。
「私、いつも本番に弱くて……こういう競技会で勝てたことってほとんどないんです」
ほのかは達也の手を取って泣き出してしまった。そのこと自体もそうだが、ほのかの発言の方が重要だった。
もし本当なら新人戦の戦略上酷い誤算につながりかねない。だが、いつの間にかほのかの背後に来ていた雫が、無言で指を揃えた掌をヒラヒラと左右に振っていた。そして、ゆっくりと何かを言っているように口を動かした。
「しょ・う・がっ・こ・う・の・こ・ろ・の・は・な・し・だ・よ」
(小学校の頃の話ねぇ……まぁ、九校戦とは関係ないから良しとするか)
先ほどの自分の心配は杞憂だと、現実逃避気味に安堵した達也だったが、ほのかはまだ収まる気配がない。
「予選を突破できたのは、達也さんのおかげです!」
「……ほのかが頑張ったからこその結果だ。それに、まだ予選が終わっただけだぞ?」
達也が落ち着かせようとするも効果がない。観客席からこちらに向けられる視線は多かったが、達也はしばらくの間、ほのかのされるがままになっていたのだった。