「海に行かない?」
発端は雫のそんな一言だった。九校戦も終わり、いつものメンバーで夏休みを楽しんでいた最中の出来事だった。
「海ということは、海水浴か?」
「うん」
雫から端的な肯定が返ってきたが、達也たちには何のことだかさっぱりだ。ほのかには予め話を通していたようで、隣で苦笑いを浮かべている。
「雫、もうちょっと説明しないと分からないよ」
「小笠原にウチの別荘があるんだけど、そこに皆を招待したい」
雫の家が資産家であることは周知の事実だったので、プライベートビーチを持っていることには誰もツッコまない。
「実は父さんが『お友達をご招待しなさい』って。家で達也さんの話とかしてたから」
「なるほど……」
達也が頭の中でスケジュール帳を開いていると、エリカや美月、レオは既に乗り気になっており、幹比古も控えめながら賛成しているようだ。
「達也さんは無理そう?」
何も言わない達也に不安を覚えたのか、雫が心配そうな表情を浮かべている。
「いや……来週の金、土、日は空いてるが、それ以降は厳しいな」
達也の夏休みは、毎年独立魔装大隊の訓練と開発第三課での研究で潰れている。今年は夏休み前半の九校戦と、飛行デバイスの発売が重なってしまったため、例年よりもタイトなスケジュールになっているのだ。
「私はその日で大丈夫。みんなはどう?」
雫は二つ返事で頷き、他のメンバーも予定を確認してすぐに了承してくれた。
「なぁ達也、夏休みは何してんだ? さすがに忙しすぎねぇか」
「知り合いの道場で稽古してもらったり、研究をしたりといった感じだな」
「高校生のスケジュールじゃねぇな、それ」
レオの感想は尤もなので、達也も苦笑せざるを得ない。これでも風間が訓練の日数を減らしてくれたので、まだ楽ではあるのだ。
「達也くんの予定はともかくとして……この後買い物に行かない? 海に行くなら色々必要でしょ?」
「そうね、せっかくだから服とかも買いたいし」
「そうですね、雫さんも行きませんか?」
「いいよ」
やはり女性陣は買い物が好きなようで、男三人をそっちのけにして盛り上がり始めた。水着はともかく、服は新しいものを買う必要はない気がするのだが、ここで口を挟んではいけないことは分かる。
そんな中、不意に、エリカがニヤリとした笑みを向けてきた。
「達也くん、ナンパ避けについてきてよ」
「は?」
「いや~、やっぱり女子だけだと危ないし。達也くんがいれば安心じゃない」
「そうだね、達也さんがいれば安心」
何故か雫まで便乗してきた。ナンパ避け自体は構わないのだが、行く場所が場所なので達也も遠慮したいところだ。
「いや、俺はレオたちと回るから、エリカたちは四人で行くといいよ」
「ミキ、あんたはどうしたいの?」
ここでレオではなく幹比古に聞くところが意地の悪い。案の定、幹比古は視線を逸らしてしまった。
「い、いいんじゃないかな。ナンパは危ないしね」
「やっぱりそうよね~。達也くん、ミキはこう言ってるよ?」
「今のは言わせたんだろう」と思ったが、そんなことを言えるわけもなく、美月へと視線をずらした。
「美月、買い物は女子だけの方がいいと思うんだが、どう思う?」
「え? あ、えっと……」
「買い物には水着もあるんだし、俺はいない方がいいんじゃないか?」
「あ、そうですね。女の子だけの方がいいかもしれません」
少々強引な気もするが、エリカも同じことやっていたのだし、問題ないだろう。
「というわけだから、エリカ。買い物は女子だけということだな」
悔しそうな表情のエリカに向けて、達也は勝ち誇った笑みでそう告げるのだった。
◆
エリカは冗談っぽく「ナンパ避け」と言っていたが、確かにこの四人は目立つ。
エリカは言うまでもない陽性の美少女だし、それには一歩劣るが、ほのかや美月、雫も余裕で美少女の範疇に入る。彼女たちが動けば周りの男共が視線を向けるのはある意味当然ではあるのだが、水着売り場に入ってようやく諦めたようだ。
「やっと静かになったわね」
「そうね、確かにちょっと疲れちゃった」
「仕方ないですよ。エリカちゃんもほのかさんも綺麗で可愛いですから」
「美月だって人のこと言えないと思う」
「そうよ、美月も可愛いんだから」
四人は店に入って会話を続けながらも、手当たり次第にフックに掛けてある水着を選んでいる。タグに付いていた値札を表示すると、美月の顔が引き攣った。
「あの、雫さん、本当に良いんですか? かなりお値段しますけど……」
「うん。せっかくだから、同じお店で買いたいし」
「ですが……」
美月はデジタルデータの店に行こうとしていたのだが、雫が差額を出すと言ってこちらの店に決まった。店頭販売の店はその分値が張るので美月はかなり遠慮したのだが、雫に押し切られた形だ。
こういう強引さも大実業家の血なのかと、エリカはそう思ったが口には出さなかった。
「美月、気持ちはわかるけど、あんまり遠慮しすぎるのも良くないわよ」
「エリカちゃん……分かりました。雫さん、ありがとうございます」
納得はしていないが確かに過度の遠慮は失礼なので、美月は一言お礼を言って水着選びへと専念した。
買い物を終えたエリカたちは、近くのカフェで休憩していた。九校戦後の近況報告をしていたのだが、しばらくしてからガールズトーク定番の話題が始まった。
「エリカは達也さんのことが好きなの?」
「ゴホッ」
だが、あまりに突然かつ直接的な問いかけに、エリカがむせてしまった。
「雫……」
「なに?」
「……何でもないわよ」
落ち着いたエリカが非難めいた視線を向けるが、雫はどこ吹く風といった感じだ。そこに、エリカの代わりというわけではないが、美月が口を開いた。
「モノリス・コードでエリカちゃんは達也さんに抱き着いていましたからね」
「うん。あれを見て絶対そうだと思った」
エリカもそれを持ち出されては否定できないのか、早々に抵抗を諦めたようだ。
「……そうよ」
渋々といった様子で頷いたエリカだったが、その目元はほんのり紅に染まっており、恥ずかしそうに視線を逸らしている。普段とは違うエリカの一面に、美月たち三人は驚いてしまった。
「エリカちゃん、そんな顔もするんだね……」
「そんな顔ってどんな顔よ……」
しみじみと呟いた美月にエリカが反論するが、形勢が悪いのが分かっているのかいつもより勢いが弱い。美月は小首を傾げたまま口を開いた。
「えっと、恋する乙女の顔?」
「ちょっと美月!?」
「エリカちゃん、達也さんのことが好きなんでしょ? あってると思うんだけど……」
「そうだけど! そうじゃなくて!」
「図星なんだ」
「うっ……」
「まあまあ、そのくらいでいいじゃない」
雫も加わったのでさすがに気の毒に思ったのか、今まで口を閉ざしていたほのかが話題を変えてくれた。
「でもちょっと意外だったよね。入学してすぐの頃は、エリカは西城くんが好きだと思ってた」
「レオ? 何で?」
「見てて面白い」
「ちょっと、雫?」
「エリカちゃんはレオくんと息ぴったりですからね」
雫は冗談めかした言い方だったが、美月はかなり本気が混じっているように見えた。
「何であたしがあんな野蛮な男とお似合いなのよ!」
「喧嘩するほど仲が良いって言う」
「それにエリカ、西城君とよく話が合ってるじゃない」
ほのかも完全にエリカを揶揄うつもりなようで、雫の軽口にテンポ良く応じた。
「ちょっと! 二人して悪乗りは止めてってばぁ!」
それからしばらくの間、エリカは二人から弄られるのだった。
◇◇◇
旅行当日、エリカたちがクルーザーに驚いている一方で、達也は男の子らしく船のエンジン部分を観察していた。
「フレミング推進機関か……エアダクトが見当たらないから電源はガスタービンじゃないな。光触媒水素プラント+燃料電池か?」
「念のために水素吸蔵タンクも積んであるよ」
予想外の答えが返ってきたので振り向くと、そこには「船長」が立っていた。
「司波達也君だね。私は北山潮、雫の父親だ」
いきなりの挨拶とその服装に加え、予想よりかなり気さくな人柄に驚いたが、戸惑いを表に出すようなことはせず、そつのない挨拶を返した。
「初めまして、司波達也です。ご高名はかねがね承っております。この度はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしく」
差し出された右手を礼儀に反しない程度に浅く握るつもりだったのだが、潮はガッシリと深く掴んできた。
「……頭が良いだけの秀才ではないようだな。小手先の技に優れただけの技術者でもない。実に頼り甲斐のありそうな風貌をしている。さすが私の娘、中々見る目がしっかりしてるじゃないか」
達也を値踏みした上でそれを口に出しているのだが、それを不快に思わせない風格が潮にはあった。
まあ、最後の親バカ発言はご愛敬だろう。
「父さん、達也さんに何絡んでるの……」
「おお、雫か。なに、雫が大絶賛する司波君と話してみたくてね」
「それならいいけど」
親バカという印象はやはり正しいようだ。雫を見て顔をほころばせている。
「小父様、達也さんと何を話していたんですか?」
「司波君とは少し自己紹介しただけだよ……それよりも、後ろの君たちも娘の新しいお友達だね?私は行けないが楽しんでいってくれたまえ」
最後に雫とほのかに「楽しんでおいで」と伝えると、潮はすぐに車へと向かって行った。どうやら仕事が山積みと言うのは本当だったようだ。
「少しでも船旅の気分になりたかったんだろうな……」
潮は車内で脱いだギリシャ帽を未練げに眺めている。達也もこの旅行が終われば似たような状況になるので、少し潮に同情したのだった。
◆
クルーザーが出発してからは、達也はデッキで少しのんびりしていた。ちなみに、隣ではメンバー恒例のやり取りが行われており、達也はそれをBGM代わりに聞いていた。
「やっぱこれが船旅の醍醐味よね~」
「おっ、珍しく意見が合うじゃねぇか」
「別に珍しくないと思うけど」
「そうですね、お二人はいつも息ぴったりですよ」
「ちょっとやめてよ、美月! あたしがこんな野蛮男と一緒なわけないでしょ!」
「何だと!」
「何よ! なんか文句あんの!」
「あるに決まってんだろ! 野蛮男ってなんだ!」
この場合は地雷を踏んだ幹比古が悪いのか、それを煽った美月が悪いのか、それとも喧嘩している二人なのか。それに、旅行で気分が上がっているからか、二人の沸点がいつも以上に低い気がする。そんなくだらないことを考えていると、ほのかが声を掛けてきた。
「達也さん、あの二人また喧嘩してますけど止めなくていいんですか?」
「美月が無理そうなら止めるが、今は大丈夫そうだからな」
「そうですか」
最近はほのかもあの二人のやり取りには大分慣れたようで、遠目で微笑ましく見ていることが多い……ちなみに、雫は四月のすぐに放置する選択肢を選んでいた。
「まあ、そろそろ幹比古が不憫だし止めに行くか」
美月も割と受け流すスキルが上がっているのだが、幹比古は未だに慣れないようだ。せっかくの旅行なので、達也も早めに止めることに決めて二人の間に向かうのだった。