到着もそこそこに達也たちはビーチへと繰り出した。
それぞれでやることは違うようで、レオはすぐに遠泳をやりたいと言い出し、幹比古はそれに引きずられた形で沖に出ていった。エリカ、ほのか、雫の三人はは波打ち際で戯れているようだ。
そして、達也はというと、
(こんなにのんびりするのは久しぶりだな……)
パラソルの日陰でビーチチェアに寝そべっている。日頃多忙な身としては、ただ潮風に当たりながら水平線を眺めるというのは絶好の癒しだった。
その抜けるような蒼穹にボーっと心を委ねていると、隣から声が聞こえてきた。
「達也さん、気持ちよさそうですね」
「ああ、しばらくはこうしていたいな」
声の主は美月だ。美月は船で少し酔ったようで、砂浜には行かずにここで一休みしていた。その所為か、美月の口調がいつもよりもゆっくりになっている。
「私もしばらくはここにいたいです。風が気持ちいいですし」
「そうだな…体調はもう平気なのか?」
「ええ、大分回復しました」
「それなら良かった」
「達也さんこそ、九校戦で大活躍でしたからね……今くらいはゆっくりと休んでほしいです」
「おかげで休めているよ……」
美月は主に上級生から癒し系美少女として人気がある。今の達也にとって、美月は癒しそのものだった。
心地よい声のトーンに、適度な会話が眠気を誘ってくる。
「暖かい気温ですし、少し眠くなってきますね」
「たしかに、ねむくなってきたな……」
達也にしては珍しく欠伸まで漏らしている。何故か美月の声に包まれている錯覚まで起きてきた。
「後で起こしますので、少し眠ってはどうですか?」
「そうだな……すこしだけ、ねかせてもらうよ……」
達也は身体の力を抜いて、ゆっくりと目を閉じた。
「ふふ、本当に寝ちゃいましたね」
美月は身体を起こして達也を見た。起こさないように小さな声で呟く。
「達也さんはいつも頑張っていますからね……」
達也は日頃から頑張りすぎているきらいがある。もちろんそれに助けられているのだが、少しは休んでほしいというのが本音だ。
「達也さんって寝顔は意外に可愛いんですね……普段はあんなに格好いいのに」
いつもより幼げなクラスメイトの顔に、なんだか笑みが浮かんでくる。
「エリカちゃんもここに残っていれば良かったのに……あ、それじゃあ達也さんが寝られないかな?」
そんなことを考えていた美月だったが、パラソルの日陰の丁度いい気温が眠気を誘ってくる。
「達也さんを起こすまで、私も寝ていようかな……」
エリカたちと遊ぶのもいいが、今はこのゆったりとした空間を堪能しようと思い、美月は再度身体を倒して目を閉じるのだった。
◆
「……き」
「……づき」
「……?」
「起きたか」
「たつやさん……?」
「ああ、二人とも寝てしまったようだ」
はっきりとしない意識が、段々と覚醒してきた。
「す、すみません! 起こすつもりが私まで寝てしまって!」
身体を起こして急に謝りだした美月に、達也は目を丸くしていた。
「いや、大丈夫だよ。美月のおかげでしっかり休めたからね」
「そ、そうですか。それは良かったです」
少しヘマをしてしまったが、達也が休めたなら良しとしようと思い、美月は辺りを見渡す。
「あれ、エリカちゃんたちはどこでしょうか?」
「エリカたちはボートで沖の方へ出ているよ」
「そうだったんですね……達也さんは行かなかったんですか?」
エリカたちの行動が分かるなら当然誘われていると思ったのだが、これは美月の勘違いだった。
「いや、俺も今起きたばかりだからね」
「えっ? でも、ここからじゃ見えないのに、どうやって分かったんですか?」
「気配探知、みたいなものかな?」
「そんなこともできるんですね……」
美月がそんな技術に驚いていると、達也が声を上げた。
「噂をすれば……戻ってきたようだぞ」
「えっと……あ、本当ですね」
かなり遠くだが、岩陰で見えなかったエリカたちが見えた。
「それじゃあ俺はレオたちと合流するけど、美月はエリカたちの所へ行くかい?」
「私はそうしますけど、達也さんはそうできるか分かりませんよ?」
「……どういうことだ?」
「ふふ、すぐに分かりますよ」
美月が朗らかに笑っていると、エリカたちが浜辺に着いたようだ。
「達也く~ん、美月~、起きた~?」
エリカたちがボートを片付けてからこちらに歩いてくる。
「ごめんね、さっきまで寝ちゃってて」
「いいっていいって」
「二人共、すっごく気持ちよさそうに寝てましたよ」
「うん。あれじゃあ起こせない」
どうやら怒ってはいないようなので一安心だが、水着美少女四人の中に男一人というのはさすがに居心地が悪い。さっさと離脱しようと思った達也だったが、それは叶わなかった。
「達也さん、どうしたの?」
「せっかく海に来たんだから、達也くんも泳ごうよ」
「そうですよ。パラソルの下も気持ちいいですが、もったいないですよ」
どうやらレオたちと合流して泳ぐという選択は取れなさそうだ。
「そうだな、泳ぐか」
立ち上がり羽織っていたパーカーを脱ぐ。だが、脱いだパーカーが地面に落ちた瞬間、四人の空気が変わった。達也は自分の行動が軽はずみだったと後悔したが、もう遅い。
「達也くん、それって……」
エリカの声には隠し切れない緊張が滲んでいた。
パーカーの下から出てきたのは、鍛え上げられた鋼の肉体。だが、それと同時に、達也の身体には、いくつもの傷跡が刻まれていた。
無数の切り傷、その次に多いのが刺し傷、所々に火傷の痕もくっきりと残っている。不思議と骨折の痕は見られなかったが、その体から達也の育ち方が尋常でないことは読み取れる。
「達也くん……貴方、いったい……」
「すまない、見ていて気持ちがいいものじゃないよな」
申し訳なさそうに目を逸らして、脱ぎ捨てたパーカーを拾い、再度着直した。
「すまなかったな、俺はレオたちと合流するから───」
「あ、達也くん、ちょっと待って」
エリカが達也のセリフを遮るように声を上げた。
「どうした、エリカ」
「あ、えっと、その……ごめんね、変な態度取っちゃって」
「いや、気にしてない。あれは俺の不注意だからな」
「そう……」
達也はそう答えたのだが、エリカは何を言えばいいか分からないようで視線が定まっていない。達也はこの場から離れようとしたのだが、不意に裾を掴まれた。
位置関係から大体予想はついていたが、達也は振り返ってその正体を確かめた。
予想に違わず、袖を掴んでいたのは美月だった。
「美月?」
達也たち四人が戸惑っている中、美月はゆっくりと口を開いた。
「達也さん。パーカーは羽織ったままでいいので、一緒に泳ぎませんか?」
美月の発言に達也は目を見開いた。普通の感性を持った人間にとって、達也の身体に刻印された傷跡は直視しがたいものであるはずだ。
パーカーで隠れていてもその傷跡が消えるわけではない。それなのに、美月は何を以てこう言ってくれるのか。
「達也さんの過去は解りませんが、今は達也さんはここに遊びに来ているのでしょう?」
美月の浮かべている少しぎこちない笑みがその内心を物語っている。怖気を覚えていないわけではないのだ。
「それなら、目一杯遊ばないとだめですよ」
正直美月を侮っていた。こんなにも強い女の子だとは思っていなかった。
「達也さん。あっちでダイビングもできるみたいだよ」
「そうですね。さっきはボートをやったので、次は他の事でもやりましょうか」
雫とほのかの二人も、同じような笑みを浮かべながらもそれに合わせてくれる。本当に優しい友人たちだと思う。
達也は自分ができる精一杯の感情で、感謝を伝えようと思った。
「四人とも、ありがとう」
美月とほのか、雫の三人ははにかんだ笑顔を返してくれたが、エリカはバツが悪そうだ。
「えーっと、達也くん……二度目だけど、ゴメンね」
「いや、気にしないでくれ。エリカには『判った』ようだしな」
おそらくは、美月たちは傷痕自体に驚いたが、エリカはこの傷の原因を見分けたのだろう。傷痕の原因が切り傷、刺し傷、火傷まで多岐に渡ることが判ってあの反応なのだろう。
達也のセリフは音声だけでは区別がつかないものだったが、エリカはそれで把握したようだ。
「気にするなっていわれてもねぇ……あっ、そうだ!」
良いこと考えたと言いたげな表情で、エリカがニコッと笑った。
「お詫びに、あたしのも見せてあげるから」
「エリカちゃん!?」
美月が硬直する中、エリカはワンピース水着の肩紐に親指を差し入れ、ウィンク付きで指一本ほど持ち上げて見せた。
「エリカ、冗談でも言い過ぎない方がいいぞ。エリカほどの美人なら本気にするヤツが多そうだ」
前半は真面目に、後半は少し軽い雰囲気で伝えた。
「……冗談なのは確かだけど、もう少し動揺してもいいんじゃない?」
エリカは不満な表情を作ってはいるが、緩んだ頬がその全てを裏切っている。
「動揺はするが、それ以上にありがたかったからな」
「……達也くん、わざとでしょ」
気遣いがありがたかったのは本音なのだが、話を逸らしているのも事実なので、達也は肩を竦めた。
「それはともかく、ダイビングがあるんだろう? そっちへ行ってみようか」
このセリフは空気を変えるためではない。せっかくの海なので、達也もそろそろ動きたくなってきたのだ。それが通じたのか、四人ともすぐに頷いてくれた。
◇◇◇
お昼時になって五人がダイビングから戻ってきてすぐに、レオと幹比古も遠泳から戻ってきた。
「おっ、うまそうじゃねぇか」
「ハァハァ……レオ、君ってどんな体力してるんだい……」
「別に普通だろ。それよりも見ろよこれ、すげぇご馳走だぜ」
まあ、疲労度が違うのは仕方がないだろう。
「レオ、午後は俺と競泳しないか?」
「おっ、いいじゃねぇか。いくら達也でも負けねぇぞ」
「幹比古も途中から参加してくれよ」
「少し休んだら参加するよ……さすがに疲れた」
そんな一幕がありながらも、午後は達也もレオや幹比古と共に汗を流していた。
◆
夕食のバーベキューが終わり、それぞれが分かれて部屋に入った頃、砂浜を一組の男女がゆっくりと歩いていた。
「達也さん、今日はどうでしたか?」
「色々あったけど楽しかったよ。ほのかも楽しめたのか?」
「私も楽しかったです。明後日帰っちゃうのがもったいないくらい」
「仕方がないさ。それに、また予定が合えば出掛けることもあるだろう」
「そうですね」
達也の隣を歩きながらも、ほのかの意識は別の事に向いていた。
(私は達也さんの事が好き。今のこの時間もすごく幸せ……できることなら、ずっと達也さんの傍にいたい)
この穏やかな雰囲気に、ほのかの決意が鈍る。
(これをしたら今まで通りには戻れないし、達也さんの傍にもいられないかもしれない……だけど、ずっとこのままは嫌だから)
ほのかはそう決心し、ゆっくりと口を開いた。
「達也さん」
急に立ち止まったほのかに、達也も足を止めて振り返る。
「ほのか? どうかしたのか?」
「達也さん、少し動かないでくださいね」
不思議そうに訊ねてくる達也のもとに歩み寄り、そっと身を寄せてその背中に腕を回した。
「……ほのか? どうしたんだいきなり?」
顔を上げて達也の表情を窺う。微かに動揺してはいるが、その顔にはほのかの欲する感情は無かった。
ほのかは哀しげな笑みを浮かべて、ゆっくりと達也から離れた。
「私、達也さんのことが好きです」
異性への告白。
彼女にとって初めての経験ではあったが、予想外に冷静でいられた。
おそらくは、結末が予想できているからであろう。
「……ありがとう、ほのか。正直予想外だったけど、素直に嬉しい」
達也の浮かべた表情から、ほのかは自分の予想が正解だったことを理解した。
「だけど、俺はほのかの気持ちに応えることができない」
「そうですか……」
予め覚悟ができていたとはいえ、やはり振られるのは辛かった。
現実だと受け止めきれないわけでも、酷くショックを受けるわけではなく、ただただ哀しかった。
だがそんな気持ちも、続く達也のセリフに跡形もなく霧散した。
「俺はね、精神に欠落を抱えた人間なんだ」
「……えっ?」
「子どもの頃、魔法事故に遭ってね……強い感情を消されてしまったんだ」
ほのかの顔がサッと蒼褪めた。大きく目を見開き、のろのろと上げられた両手で口元を覆っている。
「そんな……」
「感情はあるけど激情はない。俺は、何を思うにしても、その上限が決まっている。残された範囲でしか何かを想うことができない、そんな欠陥人間なんだ」
ほのかは口を押さえたまま絶句していたが、達也は無力感の漂う笑みを浮かべた。
「だから俺は、ほのかの気持ちには応えられない」
達也の返事に俯いていたほのかだったが、幾ばくかの時間が経ってから顔を上げた。
「実を言うとですね……私、告白する前から、きっと振られると思ってたんです。私のことが好きじゃないからって」
「それは……」
「分かってます。達也さん、誠実な人ですし……私を傷付けないためにこんな嘘を吐くはずないですから。だからこれは本当なんだって思えるんです。でも……」
ほのかは意図的にセリフを切った。
達也は嘘は言っていないだろうし、心からの言葉だったと思う。
だが、本当のことでもなかったはずだ。
(達也さん辛そうだった……多分だけど、自分の言葉に傷ついていたんだ)
あの時の達也の表情からは、多分の申し訳なさとほんの少しの苦悩が見て取れた。
申し訳なさはともかくとして、あの苦悩は達也自身に向けられていたのだろう。
昼の一件もそうだが、達也には他人には知られたくないことが多くある。そして、それが原因かは分からないが、自身の想いに蓋をしているように思える。
(これは私だから分かること……ずっと達也さんを見てきた、私だからできること)
達也が気づいていないのならば、気づくまで手助けをしたい。
見て見ぬ振りをしているのならば、背中を押してあげたい。
彼は大切な初恋の男の子で、彼が想いを寄せているのも、ほのかの大切な友人なのだから。
(エリカ……少しだけ、お節介させてね)
ほのかは自身が告白した時よりも強い決意を持って口を開いた。
「達也さん。一つだけ、お願いを聞いてくれますか?」
「なに?」
「今の話、みんなにも伝えてほしいんです」
ほのかの要望に達也は目を丸くしたが、すぐにいつもの表情に戻った。
「どうして?」
「達也さんのこと、少しずつでも私たちに教えてほしいんです」
答えになっていないのは分かっている。
踏み込まれたくない部分に触れている自覚もある。
自己満足と言われればそれまでだが、それでも譲りたくないと、そう思ってしまった。
「……分かった、いいよ」
「え、良いんですか?」
「言えない理由なんだろう?」
「そうなんですけど……」
こんなすぐに了承が返ってくるとは思わず戸惑ってしまった。
「えっと、達也さん。私が言うのもなんですが、どうしてOKしてくれたんですか? 私、かなりひどいお願いをしていると思うんですけど……」
「確かに一瞬戸惑ったけど、俺やみんなのためを思っての事なんだろう?」
「それは……」
さすがに自己満足だとは言えずにほのかが口籠っていたが、達也のセリフにはまだ続きがあった。
「それに、昼にこれを見ても普通に接してくれたからな……あれには、本当に驚いた」
そう言ってパーカーを撫でる達也を見て、ほのかはこっちが本当の理由なんだと確信した。達也にとって、やはりあの傷は見せたくないもの。傷跡自体よりも、その原因が後ろめたいものなのだろう。
「……それじゃあ、別荘に戻ろうか」
「そうですね」
沈黙に耐え切れなくなったのか、達也は別荘へと身体を向け、ほのかもそれに続いた。
歩きながらチラリとその横顔を見ると、少しの緊張が見て取れる。
(達也さんは自分のことを欠陥人間って言ってたけど、やっぱりそうは思えない)
達也がどんな過去を持っているのかは分からないし、それを取り除くこともできない。だが───
(少しずつでいいので、みんなのことを信じてあげてくださいね)
ほのかはそう祈りながら、雫の別荘へと足を進めた。
◆
「──というわけなんだ」
その後、別荘に着いて全員の前で先ほどの話をしたが、五人の顔を見てやはり言わない方が良かったのではと思った。だが、これはどうやら早計だったようだ。
「達也くん」
「エリカ?」
「話してくれてありがとう」
口に出したのはその一言だけだったが、エリカは優しげな笑みを浮かべてくれた。
「私も、達也さんから聞けてよかった」
「言いづらいことでしたのに、ありがとうございます」
雫と美月の二人も同じような笑みを達也に向けてくれる。
「達也、俺たちはダチだぜ。俺は達也が信用できるヤツだって知ってるからよ、そんな顔すんな」
「は?」
「達也さん、信じられないものを見たような顔をしてますよ?」
ほのかの言葉に、ようやく自分の様子を認識できた。どうやら自分は、友人たちを完全には信頼していなかったようだ。自分の見る目の無さに笑ってしまう。
「……そうだな」
ここにいる五人は、達也が思っていた以上に強かったらしい。だが、当然のことではあるが、そうではない人間もいる。
「ごめん、達也……僕は正直戸惑っている。いきなり言われても、信じられないのが本音だ」
幹比古は申し訳なさそうにしているが、達也はそれが普通だと思っている。
「だけど、僕は友人である以上に、達也には返しきれない恩があるんだ。君を見捨てたりはしない。少し時間はかかるかもだけど、待っていてくれるかい?」
「……ああ、幹比古もありがとう」
自分は本当にいい友人を持ったと思う。自分にはもったいないとまで思う。だから、達也も全力で応えようと、そう決めた。
「みんな、これからもよろしくな」
◆
早くも翌日には幹比古もいつも通りに達也に接するようになった。ほのかは少しぎこちなくはあったが、それでも今まで通りに振舞ってくれていた。
その他には、女性陣三人が昨日までよりも積極的に遊びに誘ってきたり、レオが競泳のリベンジを申し込んできたりと、散々振り回されている達也だったが、その姿はいつもよりもリラックスして、楽しげに見えた。