夏休みが終わり、新学期が始まっても達也の日常は変わらなかった。
授業が終わった放課後は図書室に直行し、その資料を読み耽る。そんな達也に来客があった。
「司波君、ちょっといいですか?」
「中条先輩、どうかしましたか?」
来客はあずさだった。九校戦では色々とお世話になったが、それ以降は会う機会がなかったので、話すのは約二週間ぶりだ。
「司波君にお願いがあって……私に、CAD調整の指導をしてほしいんです」
「はい?」
「や、やっぱりいきなり過ぎですよね」
確かにいきなりではあるが、それ以上に内容に驚いたのだ。あずさは実技・筆記共に、二年トップクラスの猛者だ。わざわざ自分に教わりに来るとは思わなかった。
「いえ、それは構いませんが、中条先輩は生徒会で忙しいのではありませんか?」
達也としても世話になったあずさの頼みなら構わないのだが、スケジュール的に厳しいのではないかと思った。
「あ、それは大丈夫です。会長にも話をしたら、週に一回くらいなら休んでも良いそうですし、土曜日なら早上がりさせてもらえるそうです」
「そうですか……分かりました、お引き受けします。今からの方がいいですか?」
「ありがとうございます! 調整室を予約しているので、早速行きましょう!」
九校戦の時も思ったが、見た目によらずしっかり者なのだ。今回も根回しはしっかりとしていたらしい。
調整室に着くと、既に調整機はスリープ状態になっていた。あずさはテキパキと再起動させ、手首からCADを外した。
「まず、私のCADを司波君に見てもらって、それから何が必要か教えてもらっていいでしょうか?」
「分かりました、それでは失礼しますね」
あずさが私用のCADを渡してくるが、完全な個人情報でもあるので、断りを入れてからデータを読み取っていく。読み取りはすぐに終わり、画面からあずさへと向き直る。
「基本的には問題ないと思います。言い方は悪いかもしれませんが、教科書通りの、癖のない調整になっていますね」
「あ、ありがとうございます」
確かに言い方は悪いが、これでも達也は褒めているのだ。変なこだわりがある方が指導は大変なのだから。
「それで、これからやることですが。図書館にCAD関連の論文がありますので、週に一本それを読んでもらって、その内容を行う形でどうですか?」
「はいっ、それで大丈夫です!」
「今日は初めてなので、論文だけ選んで終わりにしましょうか」
達也はそう言って、調整機の片付けを始めた。
「とりあえずは、これでお願いします」
達也が図書館に着いてから、端末から迷いなく選んだ論文を見てあずさは目を丸くした。画面から目を離し、まさかとは思いつつも口を開いた。
「あの、司波君は図書館全部の本を憶えているんですか……?」
「さすがにそこまでは……CADの分野は入学して最初に手を付けたので憶えていただけです」
達也は笑いながら首を振っているが、あずさにとってはそれでも衝撃的だ。その分野だけでもどれだけの論文があると思っているのか。規格外過ぎてツッコむ気にもなれなかった。
「そ、そういえば、今は何の分野を調べているんですか?」
「『賢者の石』に関する古式魔法の文献ですね」
「錬金術関連の文献ですか……?」
さすがは二年トップクラスの成績優秀者ということだろう、これだけでよくわかるものだ。
「知りたいのは錬金術そのものではなく、『賢者の石』の性質ですけどね。才能の不足を道具で補えないか、と思いまして」
「あ……すみません」
思いがけなく深刻な動機に、あずさは怯んでしまった。だが、『賢者の石』に関しては、達也が目的としている『常駐型重力制御魔法式熱核融合』絡みであることを隠すためなので、あまり気にされては達也の方がいたたまれない。
「いえ、お気になさらず」
そういった意味も込めて言った言葉だったのだが、あずさは過剰に反応した。
「ですが、司波君の技術力は凄い才能です! 私なんかより遥かにすごいんですから、そんなに卑下することないと思いますよ!」
「は、はぁ」
「それに、司波君の実力は会長たちも認めているんですから! むしろ誇るべきことだと思います!」
少しばかり熱しやすいタイプなのだろう。熱く語り始めたあずさだったが、そこに新たな来客があったことで図書館で騒いだという苦情は受けずに済んだ。
「盛り上がっているとこ悪いんだが、少しいいか?」
「渡辺先輩、何か御用ですか?」
「達也くんに話があってな、生徒会室まで来られるか?」
まあ、あずさを持て余すか、摩利に連行されるか、どちらが楽かは一概には言えない。
生徒会室に呼ばれた達也は、中央テーブルを挟んで摩利と真由美と向き合っていた。
「達也くんには風紀委員になってほしいんだ」
「それは四月に断ったはずですが」
「もう真由美に関しては問題ないだろう。そろそろあたしたち三年も引退するし、その後釜を探さないといけないからな」
「それでもお断りします。俺がこの学校に入学した目的は、ここの図書館でしか閲覧できない資料を見るためでしたから」
「やはりだめか……」
「そうね、どうしましょうか……」
どうやら摩利も言ってみただけのようだ。隣にいる真由美も強制する気はないらしい。四月とは違う勧誘に感謝するついでに、達也から一つ提案することにした。
「新歓期間のみでしたら風紀委員の手伝いをすることも可能ですが、それでもいいでしょうか?」
「いいの!?」
「お、それは助かるな。是非とも頼みたい」
あの一週間程度ならさほど問題はない。そのくらいの譲歩なら安いものだ。
「それはそうと、達也くんから風紀委員に推薦できるやつはいないか? 一年の二科生なら君が一番詳しいだろう?」
「いえ、俺が知っているのはE組だけですが……幹比古はどうですか? 部活にも入っていないですし、実力も申し分ないのでは?」
「吉田か。確かに使えるやつだな……よし、今度あたしから聞いてみよう」
これなら幹比古も強制されることはないだろうと判断し、達也は一言告げてから退室した。
◇◇◇
それから一週間ほど経った頃、いつも通り教室に入ると早朝から幹比古が机に突っ伏していた。
「達也、恨むよ……」
「おいおい、いきなりだな」
顔を上げた幹比古はかなり疲れているようだったが、達也には心当たりがない。目線で先を促すと、幹比古はゆっくりと語りだした。
「この前渡辺先輩からいきなり呼び出されたと思ったら、風紀委員に推薦されたんだよ」
「別に良いんじゃないか。悪い話でもないだろう」
「うん、委員会自体は僕も了承したからいいんだ」
どうやら幹比古も本気で恨んでいるわけではなく、愚痴をこぼしたいだけのようだ。
「だけど、僕の風紀委員としての初仕事が風紀委員本部の片付けって、一体どういうことなんだい……? いつから放置してたのか散らかり放題でさ……」
そう言えばあそこの散らかり具合が酷かったと思い出した。達也とエリカは一週間しかいないので放置したのだが、幹比古には看過できなかったのだろう……摩利に押しつけられた可能性が一番高いのだが、それについては触れないでおく。
「しかも、もう一人の新しい風紀委員が千代田先輩で、巡回中もいろんな厄介事に首を突っ込むし……」
確かに花音ならそのくらいやりそうだ。縄張り争いなんかはやる気満々だろう。
「それは、ご愁傷様だな」
「本当だよ……」
さすがに気の毒だと思い、労わるような声を掛けると、幹比古は再度机に突っ伏してしまった。
◆
その日の放課後、達也はあずさと共に調整室にいた。
「それでは論文の内容の確認ですが、中条先輩なりに要約して説明できますか?」
「はい、多工程の移動魔法における連続処理に関してですが──」
あずさは思っていた以上に勉強していたようで、論文以外の知識も交えながら説明してくれた。
「そうですね、内容は理解できているようなので、実際に起動式を弄ってみましょうか。実験用にこれを使いますので、一度感触を試してもらえますか?」
達也はそう言って、あずさに携帯型のCADを渡した。あずさも心得ているようで、近くにあった箱を二メートルほど持ち上げ、水平に一回転させてからゆっくりと下ろした。
「はい、大丈夫です。これを調整するんですよね?」
「ええ、それじゃあ始めましょうか」
それからあずさが起動式に手を加えているのを、横から眺めて適宜口を挿むこと三十分ほど。調整したCADを試して感触も良くなったとの事で、今日は終了だ。
「──と、今日はこんな感じですね。次の論文も選んでありますので、あとでデータを送ります」
あずさは頷いた後、恐る恐るという様子で達也に問いかけてきた。
「あの、今日使ったCADなんですけど、これって司波君の私用のモノですか? 魔法のテスト用に使われるモノだと思うんですけど」
「よくわかりましたね」
よくそこまで知っているなと、感心してしまう。摩利があずさのことをデバイスオタクと言っていたが、これでは否定できない。しかもまだ驚くべきことがあった。
「それと、これってFLT製のCADですよね……市販はされていないはずですが、どうして持っているんですか?」
さすがにここまで来ると少し引いてしまう、何故そんなことを知っているのだろうか。
「実はちょっとした伝手がありまして、シルバーモデルはモニターを兼ねて安く手に入るんですよ。これもその一環でお借りしているんです」
これは完全な嘘で、このCADはあずさのために研究所から借りてきたものである。
「えーっ! ホントですかっ?」
キラキラと目を輝かせたあずさの顔には、大きく「いいなぁ」と書かれている。達也は顔が引き攣ってしまわないように、苦労して言葉を返した。
「……よければ、今度新製品のモニターが回ってきたらワンセットお譲りしましょうか?」
「えっ!? ホントに!? ホントに本当に良いんですか!? ありがとうございますっ!」
達也が答えを返す余裕もなく、あずさは達也の手を取り、ブンブンと上下に振り回し始めた。興奮したあずさを前に、達也はとりあえず何か言わなければと思い、口を開いた。
「中条先輩のCADはFLT製ではありませんよね、どうしてそんなに詳しいんですか?」
「だってトーラス・シルバーがいるじゃないですか!?」
質問には答えてはくれたが、興奮は収まらなかった。むしろ地雷を踏んだ感すらある。
「トーラス・シルバーですよ!? ループ・キャスト・システムを世界で初めて実現し、特化型CADの起動式展開速度を二十パーセントも向上させ、非接触型スイッチの誤認識率を三パーセントから一パーセント未満へと低下させた、あのトーラス・シルバーですよ!? 特化型CADのソフトウェアを十年は進化させたといわれている、憧れのシルバー様ですよ!? 魔工師を目指す者なら、あの天才技術者に興味が湧かないはずがないじゃないですか!」
前半の内容はともかくとして、『シルバー様』は止めてほしいのだが、ここでは我慢するしかない。
「認識不足でした。ユーザーとしては全く不満が無いわけでもなかったので、それ程高い評価を得ているとは……」
「司波君にとってはモニターを務めるほど身近な物ですけど! 私にとっては違うんです!」
どうやら二度目の地雷を踏んでしまったようで、あずさが我に返るまでのしばらくの間、達也はトーラス・シルバー(達也自身)の素晴らしさを懇々と説かれるという苦行を味わうのであった。