論文コンペの発表本番が二週間後の日曜日に迫り、一高内の総力を上げて準備に取り掛かっている。
今日は校庭で実験をしており、その周辺には見学者もちらほらと見受けられ、エリカとレオもその中に含まれている。
「なぁ、何してるか全く分かんねぇんだけどよ」
「あたしも分かんないわよ。それよりもさ、あれってでっかい電球みたいよね」
「分かんねぇのかよ……」
レオは電球の部分をスッパリと無視したのだが、呆れた声を投げ掛けてくる上級生もいた。
「電球って、お前なぁ……」
「あ、さーや!」
声の調子と同じく、桐原はエリカの呟きに呆れた表情をしているが、エリカが話し掛けたのはその隣にいた紗耶香だった。
桐原は脱力していたが、紗耶香はエリカと仲が良いだけあってスルーを決め込み、苦笑混じりに質問に答えることにした。
「今やってるのは、常温のプラズマを発生させる装置の実験みたいよ」
「へぇ」
レオは好奇心に目を輝かせて実験装置を見詰めている。
レオの視線の先では、小春がモニターを見ており、五十里の合図によって、鈴音が据え置き型の大型CADへサイオンを注ぎ込んでいる。携行用の小型CADより遥かに高速な術式補助機能が作動し、行程が幾重にも積み重なった複雑な魔法式が発動した。
高圧の水素ガスがプラズマ化し、分離した電子が発光ガラスに衝突して光を放つ。
「やっぱり電球?」
エリカが漏らした失礼な呟きは、幸いなことに周囲からの歓声にかき消された。レオは胸の前で拳を握り締め、紗耶香は跳び上がって手を叩いている。
ガラスの容器の発光は十秒にわたり持続した。光が消えると同時に、興奮の潮も引く。実験に集まっていた助っ人がバラバラと持ち場へ戻っていく。
その一角を紗耶香がジッと見ているのにエリカは気がついた。
「さーや、どうしたの?」
「あの子……」
返ってきたのは独り言だった。
「って、どうしたの!?」
「おい、壬生!?」
いきなり駆け出した紗耶香を追って、エリカと桐原がスタートを切った。一歩遅れてレオが続く。
「待ちなさいっ!」
すぐ後ろで呼び止める声を聞いて、足の速さでは敵わないと観念したのか、女子生徒は立ち止まった。
「何ですか」
振り向いて、硬い声で反問する。聞きようによってはふてぶてしい口調だった。
「貴女、一年生ね?」
「……そうです。先輩は二年の壬生先輩ですよね?」
「ええ。二年E組の壬生紗耶香。貴女と同じ二科生よ」
「……一年G組、平河千秋です」
女子生徒は渋々名乗った。背後で立ち止まる足音が聞こえた。エリカたちが追いついてきたのだ。背後で「平河?」という桐原の呟きが聞こえた。エリカもレオも、この女子生徒が小春の妹だと理解した。
「平河さん、貴女が持っているそのデバイス……無線式のパスワードブレーカーでしょう」
紗耶香の指摘に千秋は顔を青ざめさせて、慌てて携帯端末を背中に隠した。
「隠しても分かるわ。私も同じ機種を知っているから」
紗耶香の言葉に千秋が目を大きく見開く。
パスワードブレーカーは情報ファイルを盗み出すためだけの機械。その用途は犯罪目的以外にあり得ない。つまり、この機械を知っているということは……
「……そうよ。あたしもスパイの手先になりかけたことがある」
紗耶香は辛そうに顔を歪め、それでも千秋から視線を逸らさずに言葉を続けた。
「だから忠告するわ。取り返しのつかないことになる前に今すぐ手を切りなさい。貴女が後で苦しむことになる」
「……あたしがどれだけ苦しんだって、先輩には関係の無いことです」
千秋は紗耶香から顔を背け、ぶっきらぼうな口調で言い放った。取りつく島もない拒絶。
「放っておけるわけ無いでしょう! 相手は貴女のことなんて、これっぽっちも考えていない。ただ利用して、使い捨てられるだけなのよ!?」
「そんなことはわかっています! 先輩には分かりませんよ。あたしは別に、何かが欲しくてアイツらと手を組んだんじゃないですから!」
返ってくるのは、再度の強い拒絶。
説得は後回しで良い。ここで逃がしたら、この子はもう「こちら側」へ戻ってこられない。それを思えば、多少手荒になっても仕方がない。紗耶香はそう思った。
「桐原くん」
「ああ」
紗耶香の意図を、桐原はすぐに理解した。
あいにく二人とも得物は持っていないが、不安は感じなかった。見た限り、この一年生には武術・格闘術の心得がない。二人掛りなら、取り押さえることは容易なはずだ……相手が武器を持っていなかったのなら。
「伏せて!」
エリカの制止の声が聞こえたのは、二人が足を踏み出して、千秋が小さなカプセルを投げたのと同時だった。
エリカの叫びに、二人は反射的に、目の前に腕をかざした。激しい閃光が腕の隙間から瞼を通して眼底を焼く。
千秋が右手を紗耶香に向けた。袖口からバネ仕掛けのダーツが飛び出す。踞って目を覆うことで閃光の遮断に成功していたレオが、細長い紡錘形のダーツを硬化した腕で打ち落とした。割れて飛び散った胴体から薄っすらと紫がかった煙が広がる。
「エリカ!」
レオは叫びながら桐原と紗耶香を突き飛ばして、ブレザーの袖で自分の口を押さえた。そして、名前を呼ばれたエリカは既に千秋の背後に回りこんでいた。
「うぐっ!」
背後から警棒で打たれて蹲る千秋に、エリカは膝を乗せて抑え込んだ。
「レオ、あんたは大丈夫?」
「おう」
千秋の飛び道具にも難なく対処したエリカとレオに、紗耶香と桐原の二人は呆然としていた。
「桐原先輩。この子を連行……いや、保健室に運びたいんですけど、手伝ってもらえますか?」
「お、おぅ」
「さーやは千代田先輩に連絡してほしいんだけど」
「え、ええ」
二人はエリカに声を掛けられてようやく我に返ったようで、立ち上がって行動を始めるのだった。
◇◇◇
桐原とレオ、エリカが保健室に千秋を運び込んでから数分後。紗耶香に連れられて、花音に五十里、そして小春が保健室へやって来た。
ドアを開けて千秋の姿を認めるや否や、小春は怒鳴り声を上げた。
「千秋!」
「ね、姉さん……」
「何でデータを盗むなんてことしたの!?」
日頃から心優しい小春のイメージからかけ離れていることもあり、花音たちは口を挿めない。
「……データを盗むのが目的じゃなかった。プレゼン用の魔法装置作動プログラムを書き換えて使えなくしようとしたの」
千秋の言葉を受けて、怒りに染まっていた小春に戸惑いが生じた。
「何でそんなこと……当校のプレゼンを失敗させたかったの?」
「……違う。あたしはただ、アイツに一泡吹かせたかっただけよ……」
「アイツ……?」
「アイツはあたしがやることくらい、きっとリカバリーしてしまう。悔しいけどそれだけの腕を持ってる。だけど、少しくらいは慌てるはず」
「千秋、何を言って……」
困惑する小春の声も、千秋には聞こえていないようだ。
「落ちこぼれのフリなんてしてるくせに…アイツだけいい目を見るなんて許せない………アイツが困っている姿を見られれば、あたしはそれでいいの……」
誰もが『アイツ』の正体が分からずに困惑する中、口を開いたのはエリカだった。
「ねぇ……アイツって、もしかして達也くんのこと?」
「……そうよ、アイツは……アイツは姉さんに取り入って!」
エリカのセリフで『アイツ』の正体が分かったが、それは千秋の怒りを鎮めるのではなく、逆に煽る結果になってしまった。
「アイツは何でもできるくせに、自分からは何もしない! 本当は魔法だって自由に使えるくせにワザと手を抜いて二科生になったのよ! 他人のプライドを踏みにじって、他人の手柄を横取りするために!」
だが、煽られた怒りは、それ以上の強い怒りによって鎮圧された。
「姉さんはアイツに騙されてるのよ! メンバーでもないのに我が物顔でっ──」
「ねぇ」
千秋のセリフを止めたのは、さして大きくもない一言。その一言によって、千秋はそれ以上の言葉を紡ぐことができなかった。千秋だけではない。その場にいた全員が、その声の主に意識を奪われた。
「あんたが何考えてるかなんてどうでもいいけどさ」
エリカの瞳には紛れもない怒りが込められていた。ただ純然たる怒りが、そこに込められていた。
「そんなくだらないことで達也くんを貶めないでくれる?」
「く、くだらなくなんてっ」
「黙って」
十分に抑制のきいた声が、その怒りの深さを知らしめている。
「あんたは達也くんの何を知ってるの」
「な、なに……」
震えながらも声を発した千秋に、エリカは小さく鼻を鳴らした。
「確かに達也くんは凄い人よ。あんたが言うように、そのくらいのミスはきっとリカバリーできちゃうだろうし、多分だけど平河先輩の代役にだってなれる」
エリカの言い様に小春は当然のように頷き、千秋は悔しげに唇を噛み締めた。
「でも、絶対に先輩を出し抜いたりはしない」
千秋は恐怖で声が出せず、震えながらに睨みつけているが、エリカの口は止まらない。
「達也くんが何でもできる? ワザと二科生になった? 他人のプライドを踏みにじるため、手柄を横取りするために? ……ふざけんのも大概にしなさい」
エリカの怒りが一層濃くなった。対面している千秋だけでなく、花音や紗耶香たちもそのプレッシャーに動けずにいた。
だが、そこに割り込む人物がいた。
「千葉さん、ごめん。ここからはあたしに言わせて」
小春が震えながらも強引に割り込んだのだ。
「……すみませんでした」
エリカも長い息を吐いて、先ほどまでの怒りを抑え込んだ。
「ううん、あたしこそごめんなさい」
小春はエリカに小さく頭を下げてから、千秋へと向き直った。
「千秋、司波君にサポートを頼んだのはあたしからよ。彼はそれを手伝ってくれただけ」
一度エリカの怒りに中てられたからか、先ほどとは違い千秋も小春の言葉に耳を傾けている。
「嘘……アイツは、姉さんの……」
「それに、確かに彼は論文を選んでくれたけど、コンペの詳細は何も知らないわ」
「違う……アイツは……『あの人』だってそう言ってたもの……」
エリカは千秋の反応に既視感を覚え、いけないとは思いつつも口を挿んだ。
「平河先輩、ちょっとすみません」
「千葉さん? どうかしたの?」
「後で説明します」
エリカは小春の質問を後回しにして、保健医である安宿へと声を掛けた。
「安宿先生。彼女を病院で預かってもらえますか?」
「そうね。彼女は一晩、大学病院で預かります。親御さんには私の方から連絡しておくから、みんなはもう戻りなさい」
「わかりました。安宿先生、お願いします」
エリカは安宿に一礼し、訳が分からないといった表情の小春たちを連れて保健室を後にした。
「千葉さん、さっきは急にどうしたの?」
保健室を出たまでは良かったが、案の定エリカは小春たちに説明を求められた。
「平河千秋はマインド・コントロールの影響下にある可能性があります」
エリカも言葉を濁さずに答えたが、あまりの衝撃にその場にいた全員が唖然とした。
「そもそも達也くんはコンペにほとんど関わっていませんし、あそこまでの思い込みを起こすのは難しいです」
このセリフには花音や五十里を筆頭に全員が頷いた。
「それに、さっきの反応に少し見覚えがあったので……多分達也くんへの嫉妬心に付け込まれたんだと思います」
「そんな……」
「じゃあ……あの子も……」
小春は呆然としており、見覚えの張本人である紗耶香は真っ青になっていたが、エリカはここで二人を慰めるのは悪手だと判断した。いち早く話を切り上げるべく、花音へと視線を向けた。
「千代田先輩。平河千秋のこともそうですけど、コンペの護衛を増やすのはどうですか?」
「……そうね。まだ他にもいるかもしれないし、少し人数を増やしてみるわ」
花音も少しの思考の後すぐに了承を返し、その場は一段落した、ように見えた。
「でね、ちょっと聞きたいんだけどさ……」
だが、花音はもう一つの問題を忘れてはいなかった。
「千葉さんに西城君、なんでCADを持ってたの?」
ギクッと反応した二人、その反応が全てを物語っていた。
「千葉さんは警備の仕事断ったし、西城君に至っては完全な部外者よね。許可なくCADを所持してるのは問題になるんだけど」
そう、エリカは達也と共に有志の警備隊に誘われていたのだ。それを断ったエリカはCADを持つことはできないし、レオは言うまでもない。
「あ、えっと…問題が起こった時の備えと言いますか……」
「備えねぇ……」
「うっ……」
「初めから首突っ込む気満々だったくせに」という視線に、たじろぐエリカとレオ。花音はそんな二人を見て、はぁと息を吐いた。
「まあでも、無事に解決してくれたし、今回は見逃してあげる」
「え……」
いきなりのお咎めなし宣言に、エリカたちだけでなく、桐原や紗耶香もポカンとしている。
「毒ガスが使われたなら、それも緊急事態に入るでしょ?」
魔法の使用は厳格に制限されているが、緊急事態での使用はむしろ推奨されている。花音はその大義名分を以てエリカたちを見逃すと言っているのだ。
「そうだね。二人のおかげで怪我人も出なかったし、それが一番いいんじゃないかな」
五十里がそう付け加えたことで、我に返ったエリカたちがいそいそと頭を下げた。
「あ、えっと…ありがとうございます。千代田先輩」
「俺もです。ホント助かりました」
「今回だけよ。次はないからね」
花音がそう区切りを付けたことで、それぞれは持ち場に戻るのだった。