千秋が騒動を起こした翌日。早朝から達也は生徒会室に向かった。
「水波、急に呼び出してすまない」
「問題ありません。本日はどのようなご用件でしょうか?」
どうやら水波は四葉家の従者として振舞うようなので、達也もすぐに本題に入った。
「昨日の夜、叔母上から連絡があった。一高内で大亜連合側とコンタクトを取っている生徒が二人いるそうだ。一人は一年の平河千秋、もう一人が三年の関本勲。二人とも、マインド・コントロールを受けている可能性が高い」
「では、私は関本勲を監視すれば宜しいでしょうか」
「ああ。コンペのメンバーとは確執があるそうだから、その周辺を頼む」
「かしこまりました。有事の際にはいかがいたしましょうか」
「その場の対処は水波がしても構わないが、後処理は学校に任せればいい。それよりも、平河がハッキングツールを持っていたそうだから、関本も何らかのハードウェアを持っている可能性が高い。その映像が撮れれば捜索がスムーズになる、最低でもハードウェアの有無は調べてほしい」
「かしこまりました」
水波は話が終わったと見たのか、纏っていた空気が一気に弛緩した。だが、いつものような穏やかな雰囲気ではない。
「達也さん。今回の件、想像よりも大事のような気がするのですが」
「ああ、俺も同じことを思っていた」
「大亜連合の本部も関わっているのでしょうか」
「おそらくはな。もし洗脳だとしたら一高のチェックをすり抜けるくらいだからな……」
四月のブランシュの件から、一高の精神チェックは月に一度行われている。それをすり抜ける洗脳など、並大抵の組織ではできない。
珍しく達也の疲れた声音を聞いて、水波は真剣な表情に変わった。
「それでは、関本勲の件は私にお任せください。達也さんは他にも気を配ることが多いでしょうし、そちらに集中してください」
ここで余計なことを口にしないのは、水波なりの気遣いだろう。
「助かるよ……用事があるから俺はもう行く。関本勲の件、よろしく頼む」
おそらくこの件が終わったら強制休暇だろうなと思いつつ、達也は断りのセリフを入れてから生徒会室をあとにした。
達也は生徒会室を出て、実験棟の空き教室に向かった。
「すまない、待たせてしまったか」
「大丈夫よ、まだ時間はあるから」
室内には既にエリカとレオがいた。二人は昨日の説明をするため、達也を待っていたのだ。
「早速で悪いんだけど、昨日ね──」
エリカは挨拶もそこそこに、千秋の件について説明を始めた。達也にとっては千秋の洗脳は既知の情報だったが、初めて知るという風を装って耳を傾けていた。
「──って感じだったの」
「確かにそれだとマインド・コントロールの可能性が高い。『あの人』というのがその犯人だろうな」
「それに、平河先輩が注意したときの反応がさーやのときとそっくりだったから」
「なるほど、平河先輩の言葉で矛盾に気づいた形か……」
達也は少し考える仕草を取ったが、すぐに結論を出した。
「相手が分からない以上、俺たちは警戒を強めるしかない。他にも洗脳された生徒がいるかもしれないからな」
「そうね」
エリカが簡潔に頷くが、達也は小さな罪悪感を抱いた。だが、情報を開示できないので、仕方のないことだと納得させた。
「なぁ達也」
話の区切りがついたところで、レオが真剣な様子で口を開いた。
「レオ、どうかしたか?」
「俺に敵を倒す手段をくれ」
唐突すぎるお願いだったが、レオの意図することは分かった。
「何故?」
「俺には喧嘩以上の戦いができねぇ」
「それで?」
「今回の相手は今のままじゃいけねぇ気がする。俺に足らない部分に力を貸してほしいんだ」
レオは達也を睨むように見つめているが、達也はただ淡々と返答した。
「それは、躊躇いなく相手を殺す覚悟がある、ということか?」
だが、淡々と告げられた『殺す』という単語は、逆にその重みを物語っていた。
「……ああ、あるぜ」
「分かった、俺の方で少し武器を考えてみよう」
気圧されながらも迷いなく答えたレオに、達也も小さく頷きを返した。
「それと、基礎戦闘能力も上げた方が良いな……レオ、放課後は空いているか?」
「空いてるぜ」
「そうか」
レオの返事を聞いた達也は、ニヤリと笑った。そんな達也の表情を見たレオは、嫌な予感に眉を顰めた。
「それなら少し身体を動かしておくか」
達也の軽い口調とは裏腹に、レオの表情は晴れない。どう考えても「少し」では済まなそうな予感しかしないのである。
「……達也、俺に何をさせるつもりなんだ?」
「レオの戦い方は喧嘩の域を出ないからな。戦闘に向けた戦い方を身に付ける必要がある。期間が短いから多少きついだろうが、レオなら大丈夫だろう」
「そ、そうか……俺なら大丈夫か」
(達也くんがきついって言うなんて……想像すらしたくないわね)
引き攣った笑みを浮かべるレオを横目に、エリカは心の中で掌を合わせるのだった。
◇◇◇
レオとエリカを連れて帰宅した達也は玄関から地下へと案内した。
階段を下りてドアを開けてからの第一声は、エリカのこんな呟きだった。
「うっわ、すごっ」
エリカの驚きも尤もで、三人が入った部屋は、テニスコート二面分程度の広さで、高さも十メートルほどある。一般住宅の地下にこんなものがあるとは誰も思わないだろう。
「でっけぇなぁ……」
「ホントね……」
レオとエリカが呆けていたが、しばらく経ってそれが収まってきた。達也はそれを見計らって、二人に声を掛けた。
「とりあえずはレオと俺との組手主体でやろうと思うんだが、エリカもそれで良いか?」
「俺はそれでいいぜ」
「あたしも構わないわよ」
「よし、それじゃあ着替えてから始めようか」
着替えを終えて、達也はレオと共に部屋の中央に移動して向かい合う。
「レオ、いつでもいいぞ」
「ああ、いくぜ」
レオはすぅっと息を吸うと、声高に叫んだ。
「パンツァーー!」
硬化魔法を纏ったレオは、先手必勝とばかりに達也へと突っ込むのだった。
◆
達也との立ち会いを終えたレオは、地下のシャワー室で一人汗を流していた。
(情けねぇな……)
先ほどの立ち会いは、レオが立てなくなったことで終わりを迎えた。
怪我を負ったのではなく、体力が切れてしまったのだ。
(あんなこと言っておきながら、このザマかよ……)
達也の強さが自分とは比べ物にならないことは分かっていた。
性には合わないが、胸を借りるつもりで全力を出し切った。
なのに、なにも通じなかった。長時間の立ち合いにも拘わらず、レオは傷一つ付いていない。達也は全てにおいて、レオが怪我をしないように攻撃していた。
自爆覚悟で突っ込んでも簡単にいなされ、フェイントを交えても難なく見破られ戻される。達也から受けた反撃も、怪我をさせずに痛みだけを与えるものだった。
おそらく新しいCADは剣になるからと木刀を使いもしたが、一太刀を入れることすら叶わなかったのだ。
「やっぱ、達也ってスゲェやつなんだな」
だが、そんなことで彼の闘志は損なわれない。
レオは戦闘愛好者ではないが、相手が強者であればあるほど血をたぎらせる傾向がある。達也との立ち会いでボコボコにされてなお、心が折れないのはそういった思いが根付いているからであった。
(明日はぜってぇ一撃いれてやるからな)
レオはそう決意して、シャワー室をあとにするのだった。
◇◇◇
コンペの準備を終えた水波は、帰宅して早々に深雪へ関本を監視する旨を報告していた。
「それで、水波ちゃんは関本勲を監視するのね」
「はい、何か問題が発生した際には、その対処も任されています」
「そう……」
深雪はそう言うと、考え込む仕草を見せる。
水波は声を掛けて邪魔をするようなことはせず、深雪の言葉を待った。ただその間、深雪が何を考えているのか、思考を巡らせていた。
(おそらく達也さんの事を考えているのでしょうか……)
最近の深雪の達也に対する感情は、正直よく分からない。
水波が二人の傍にいるようになったのは中学に入ってからだった。
深雪はずっと達也のことを苦手としており、対外的には兄として、実際にはガーディアンとして、必要最低限の関わりしか持っていなかった。
深雪の振る舞いも分からなくはない。水波も達也と出会った当初は困惑したものだ。
水波が達也と出会ったのは、深雪と出会う六年前。小学校に上がるのをきっかけに、水波も本格的な対人訓練を行うようになったのだ。とはいえ、達也のことは屋敷内で大人たちから聞かされていた。
曰く、『魔法師の出来損ない』、『四葉家の落ちこぼれ』らしい。
詳しいことは分からないが、達也は魔法を満足に使えないらしく、四葉家内でかなり冷遇されているようだった。それに加えて、母である深夜によって精神を弄られた結果、感情の一部が欠落しているとも聞かされた。
そんな噂を聞かされていた水波は、達也と会うのが恐ろしく感じていたが、実際に会ってしばらくすると、そんな考えは跡形も無く吹き飛んだ。
達也は単純に強かった。満足に魔法が使えないにも拘らず、大人と対等以上に渡り合っていた。初歩の初歩からの訓練をこなす水波は、達也の強さに戦慄を覚えた。身体操作に魔法の運用能力、その全てにおいて次元が違うと思わされた。
それに、伝え聞いていた精神の欠落も、水波にはあまり感じられなかった。水波が怪我をしていたらこっそりと気遣ってくれ、魔法の行使が上手くいかなければアドバイスもくれる。表情が読み取りずらいといった欠点はあるが、それでも言動の節々に優しさが垣間見え、間違っても『出来損ない』とは思えなかった。
だからこそ、二人と対面した際、その関係性にショックを隠せなかった。
深雪は達也のことを道具として扱っていたし、一方の達也も感情の一切を見せることなくガーディアンとして振る舞っていた。
なんでそんな風に振る舞うのかと問い質したところ、「四葉の魔法師としては、俺の存在は複雑なんだろう」「欠陥品なのは事実だからな」と宥めてくれはしたが、それでも納得はできなかった。
水波には兄弟はいない。だが、あのような関係が普通でないことは分かる。肉親であるにも拘わらず使用人のように扱われるなど、はっきり言って異常だ。
それに、水波にはもう一つの理由もあった。
辛い訓練を支えてくれた達也と、自身の主である深雪。
達也も深雪も、水波にとって大切な存在であり、その二人の仲が悪いのは嫌だった。
自分にも何かできないかと悩んでいたある日、水波は同じく達也たちと暮らしていた穂波へと相談した。
水波の心情を聞いた穂波は、哀しげな笑みを浮かべていた。
「あの二人の関係は少しだけ特殊なの。達也くんもそうだし、深雪さんも……」
そして、穂波が提案したのは、水波にとって思いもよらないものだった。
「水波もつらいと思うんだけど、二人を見守ってあげることはできる?」
「見守る、ですか……?」
「ええ、水波も知ってると思うけど、二人とも悪い子じゃないの。深雪さんは周りの影響が大きいみたいだし、達也くんの方も我慢をすることを覚えすぎた所為で……二人ともすれ違っているだけなの」
穂波の言葉には、水波も一定の信頼を置いた。
深雪が冷たい態度を取るのは達也に対してだけであり、水波や穂波には優しく接してくれる。達也の方も、深雪の前でこそ無表情を保っているが、二人で話すときには以前のように思いやりに溢れている。
「何時になるかは分からないけど、二人の仲が少しでも良くなるように、私たちも見守ってあげましょう?」
願望が混じった穂波の言葉に、水波もそうなれば良いなと思い、小さく頷いた。
そんな出来事から早三年、最近の二人は少しずつ変化してきている。
達也が気づいているかは分からないが、日に日に表情に柔らかさが増してきている。その原因は様々あるだろうが、一番は彼女の存在だろう。
普段は天真爛漫で勝気な性格だが、偶に見せる乙女な一面も彼女の魅力だと思わせる。モノリス・コードでの一件では、柄にもなく揶揄いすぎて少し拗ねられてしまったくらいだ。初対面では警戒されていたが、今では水波にとっても良い友人である。
一方の深雪も、少しずつ変わっているように思える。九校戦を境に、遠目ながら達也を窺うことが増えたし、調整の際には言葉こそ交わさないが、以前のような刺々しさも薄れてきている気がする。
それが良い方向に向かうか、それとも悪い方向に向かうかは分からないが、少なくとも中学の三年間には無かった変化だ。
「──分かったわ」
考え事をしていても、主の声を聞けば自然と意識がそちらへ向かう。
「生徒会には私から話を通しておくから、水波ちゃんも関本勲の監視、お願いね」
おそらくだが、深雪は水波の分の仕事まで引き受けるつもりでいる。それを言葉にしないのが司波深雪という女性であり、少々不器用な優しさは兄である達也にも通じるものがある。
「かしこまりました」
何時か二人の優しさが噛み合う時が来てほしいと、腰を折った水波はそう願うのだった。