九重寺での朝稽古が終わり、達也は八雲の私的な居住空間である庫裏の縁側に来ていた。本堂の縁側ではなく庫裏に連れてこられたのは珍しいことだった。
「学校もあることだし、手短にいこう」
達也の隣に腰を下ろすなり八雲はそう切り出した。
「珍しい物を手にいれたようだね」
八雲の言う「珍しい物」が瓊勾玉を指しているのは確認するまでも無かった。
「預かり物ですが」
「だったら、なるだけ早く返した方が良い。返せないなら少なくとも自宅ではない、然るべき所へ移すべきだ」
八雲から警告を受けること自体は予想の範囲内だったが、その声音は達也の想定以上に真剣味を帯びていた。意外感と緊張感を呼び起こされ、達也は八雲へ首だけを向けている状態から身体を斜めに向ける体勢に座り直した。
「狙われているのは気づいていましたが、目的はソレでしたか」
警戒はしていたが、八雲が気に掛けるほど大きな脅威を彼は察知していなかった。
「慎重に立ち回っているからね。それに中々の手練れだ」
「何者か……と訊いても無駄なのでしょうね」
「全く無駄と言うわけじゃないけど……それに君には心当たりがあるんじゃないかい?」
(やはり大亜連合か……)
「それと、もう一つ忠告しておこうか」
八雲の声に、達也は意識を現実に戻した。
「敵を前にしたら、方位を見失わないように気をつけるんだよ」
「方位と言いますと……精神干渉系ですか?」
「これ以上は言えないなぁ」
八雲は達也が漏らした問いに答えなかった。だが、八雲が浮かべたニヤリとした笑みを見て、達也は対策を考えるのだった。
◆
達也は九重寺から帰宅すると、制服ではなく、ライダースーツへと着替え、愛車の大型電動二輪を走らせていた。八雲のアドバイスを受け、早急に聖遺物レリックのサンプルを移すべきだと判断したためである。
だが、都市部を離れた直後、道中で尾行がついていることに気がついた。
(化成体か……今更だが、大亜連合で確定だな)
風間の情報やジロー・マーシャルの『東側』という発言に加え、八雲の確認もあったので、やはりという感じだ。
(あまり手の内は見せたくないんだが、仕方がないか……)
達也は近くの喫茶店にバイクを止め、注文を済ませてから席に着いた。そして、オーダーの到着を待っている間、『精霊の眼』を使って慎重に逆探知を始めた。
(見つけた……)
術者も見つかったので、『分解』を発動してカラスの形をした化成体を一瞬で消し去った。時間にすると五秒も経っていない、ほんのわずかな時間だ。
達也は端末を取り出して、術者の位置情報と現在の状況を簡潔にまとめたものを藤林へ送信した。
◇◇◇
尾行が消されました、という報告に陳は苦虫を噛み潰した。元々彼は遠隔術式で手の届かない所から監視するという消極策を快く思っていなかった。
それが僅か十五分で発見され術を破られるというお粗末な結果に終わったことに陳は不快感を禁じ得なかった。
「司波達也の行く先は分かったのか」
「FLTへ向かっているものと思われます」
「到着予定は」
「およそ四十分後と推定されます」
「推定到着時間に合わせて、サイバー隊にFLTに対する攻撃開始の指示を出せ」
陳は苛立ちながら次の手を指示した。
◆
達也が第三課に着くと、社内はいつもと違う喧騒に包まれていた。
「──グズグズ悩む前にさっさと回線を切れっ! バックアップだ? そんなもん、できてるとこまでで十分だろが!」
「十番台、切断完了しました。再接続に入ります」
「阿呆! 侵入が続いてるのに勝手に再接続するヤツがあるか!」
「よしっ、侵入経路、確定したぞ!」
「カウンタープログラムを起動します!」
飛び交う怒号をオペレーションルームの入り口で聞いていて、何が起こっているのか達也は大体把握した。
「あっ、御曹司!」
一分ほどそこに立っていて、達也のパートナーである牛山がようやく彼に気づいた。それだけ非常事態だということだ。
「スンマセン! おいでになってることに気がつきませんで……おいっ! 御曹司がいらっしゃったのを知らせなかった間抜けは何処のどいつだ!」
牛山が今までで一番大きな怒鳴り声を上げた。その声に、室内で端末と格闘していた所員の半分が竦み上がった。そのさまを見て、達也の顔色が変わった。
「手を止めてはダメだ! モニターを続行!」
「は、ハイッ!」
牛山の声に劣らぬ迫力の叱咤を達也が放ち、それに応ずる声が返った。
「ハッキングですか?」
「はぁ、まあ……」
達也の問い掛けに対する牛山の返事は歯切れの悪いものだった。
「ハッキングはハッキングなんでしょうが……どうも様子が変でして。侵入技術自体はかなりのものなんですが、何を知りたいかさっぱりなんでさあ。特に対象を絞り込んでいる様子が無くてですね、全くの手当たり次第、てな感じなんですよ」
「なるほど……流出が予想されるデータの一覧はありますか?」
達也の質問は、一見手当たり次第に見える中に規則性が潜んでいないか、という意図のもの。
「いえ、今のところ流出したデータはありません」
牛山からの返答に考え込む達也。
「……ハッキングはどのくらい続いているんですか」
「十分ほどです」
つまり達也がここへ来る直前に始まったということだ。まるでタイミングを計っていたように。それだけの時間を掛けてサーバーに侵入しただけ。
タイミングから考えてさっきの化成体の術者と同じ組織なのは明白だ。レリックを狙っているのは分かるのだが、こんな中途半端な襲撃にする理由が分からない。
「不正アクセス、停止しました!」
「油断すんなよ! 今日は一日、今の監視体制を維持する! ……っと、失礼しました。本日はどのようなご用件で?」
達也はレリックに関するこれまでの経緯、会社の目的、自身の目的を説明し、その場を後にした。
◆
「FLTのカウンター攻撃です!」
「予定どおり回線を遮断しろ!」
陳の命令でハッキングに使用していた回線が物理的に遮断される。陳は隣に控える副官の呂剛虎に話しかけた。
「どう出ると思う?」
「……不明です」
呂の態度は上官に対するものとして妥当とは言い難かったが、陳は構わず独り言のように続けた。
「十分以上にわたり不正アクセスを遮断できなかったのだ。司波達也はFLTのセキュリティに疑念を懐いたことだろう」
「確かに」
「レリックの玉をセキュリティの不確かな研究施設に預けようとは思うまい」
「論理的に考えるならそうでしょう」
「言いたいことは分かる。だが司波達也はまだ高校生だ。狙われていると分かっている物を手元に置いておくのを忌避する可能性は十分にある。その場合は改めてFLTからデータを入手する手立てを考えれば良い」
陳の言葉に、呂が無言の同意を示す。
「多分、出動してもらうことになるだろう」
「お任せを」
頼もしい副官の返事に陳は大きく頷き、ふと思い出したように表情を変えた。
「そういえば今日、周が例の小娘の様子を見に行くらしい。その前に消せ」
それは呂にとって思いがけない命令だったはずだ。そんなことをすれば周青年の顔は丸つぶれであり、陳は貴重な協力者を失いかねない。
「是」
しかし呂剛虎は顔でも言葉でも疑問を差し挟まず、ただ受命の応えを返した。
◇◇◇
FLTでの用事を終えた達也は、一旦家に帰って制服に着替えてから学校へ向かった。
E組の教室に到着したのは、一限終了後の休み時間だった。
「エリカ、美月、おはよう」
「おはよう、達也くん」
「おはようございます。達也さん、今日はどうしたんですか?」
「ちょっと野暮用があってね」
遅刻の理由を誤魔化した達也は、机に突っ伏している友人に声を掛けた。
「レオ、大丈夫か?」
「ん? …あぁ達也か……大丈夫だぜ、放課後までには治すからよ」
「そうか」
レオはそう言って、再度机に突っ伏した。あまりに潔いサボり宣言に、達也とエリカも苦笑いだ。
「あの、レオくんに何かあったんですか?」
レオを起こさないよう、美月が小声で問い掛けてきた。
「放課後に三人で特訓しているんだ」
「訓練、ですか?」
「ああ、最近は少し物騒だからな。レオも疲れているだけだから心配はいらないだろう」
「そうなんですね……あれ? 三人ってことはエリカちゃんも特訓したんでしょ?平気そうに見えるけど」
「あたしはほとんど横で見てただけだからね」
エリカはそう答えると、ニヤリとした笑みを浮かべた。
「というか美月、達也くんの心配はしないの?」
「達也さん? …………あっ! ち、ちがくて……」
あたふたし始めた美月に、エリカはますます笑みを深めた。
「三人で稽古したのに、なんで達也くんだけ心配されないのかな~?」
「えっと、心配はしてたけど、達也さんなら大丈夫かなって……」
「ふ~ん、あたしはてっきり美月が別の想像してたのかと思ったんだけどなぁ」
「ち、違うよ? 達也さんもそんな酷い事しないと思うよ?」
そんな酷い事と言っている時点で、美月の考えていることは筒抜けだった。
「美月、それ以上はフォローにならないからやめておこうか」
何だか悲しくなってきたので、達也は自分で止めを刺すことで、話題を収束させた。
「それはそうと、幹比古も突っ伏しているが、何かあったのか?」
「あっ、はい。風紀委員の方で疲れているみたいです」
美月もこれ幸いと達也の話題変更に話を合わせてきた。
「風紀委員? 警備隊ならあそこまで疲れることはないと思うんだが……」
そんなことを話していると、幹比古が身体を起こしてこちらに向かってきた。
「おはよう、達也…」
「ああ、幹比古は大丈夫か?」
「うん、僕も少し聞いてほしかったんだ」
幹比古はそう言うと、ゆっくりと語りだした。
「論文コンペで風紀委員会も警備をやるんだけど、その事務処理が大変で……」
「事務処理? あれは全員で分担するんじゃなかったか?」
「いや、それもほとんど僕がやってるんだけど。それ以上の問題が千代田先輩なんだ」
「いや何やってるのよ……」
今の幹比古にはエリカの呟きに答える余裕も無い。
「今はコンペ絡みで書類やデータもいつもより多いんだ。風紀委員長のハンコが必要なのもあって千代田先輩に任せていたんだけど……」
幹比古の声音が、怨念の籠った、と言っても差し支えないほどにどんよりとしたものに変わった。
「提出に必要な物が見つからなくて探し回ったり、結局捨てちゃったみたいでまた書き直したりで……」
「うわぁ……」
そう声を漏らしたのはエリカだった。声に出さないだけで、美月も達也も同じ心境だった。
「あの人、最近は揉め事も起こさないし、現場でも即断即決で頼りになるんだ……だけど、その一点だけはどうにかしてほしくて」
「……そうか」
「五十里先輩もコンペで忙しいから手伝いも頼めないし、コンペと通常業務でてんやわんやになってて………」
「……そうだな」
「それに、生徒会から書類の催促も来るんだけど、中条会長もこっちの現状が分かってるのか控えめなのが逆に申し訳なくて。あっちの方が忙しいだろうから待ってもらうのも胃が痛いんだ……」
「……それはつらいな」
「そもそもの話だけど、去年までの資料がめちゃくちゃなんだ。その所為で作り方から調べなきゃいけないものとかもあって……渡辺先輩も引継ぎくらいきちんとしてほしかったよ」
幹比古の愚痴は延々と続いているが、申し訳ないがそろそろお喋りを終えなくてはいけない。
「それは何というか……災難だな」
「本当だよ……」
こんな時でも周りに目をやれるのが幹比古の美点であり、苦労人の証だろう。幹比古はため息一つで愚痴を終了させた。
「その…頑張ってくださいね」
「うん、ありがとう柴田さん」
幹比古は美月の慰めに力なく笑って、トボトボと自席に戻っていった。
「……コンペが終わったら労ってやるか」
「そうね」「そうですね」
疲れ切った様子の幹比古の背中に、三人は心底同情するのだった。