十月二十五日 、火曜日の放課後。
達也はエリカとレオと共に、関本が拘留されている八王子特殊鑑別所へ向かった。
関本が拘留されている部屋は「牢屋」ではなく、狭いビジネスホテルのような個室だった。併設されている隠し部屋にエリカたちを通し、達也は一人で関本のいる個室に入った。
達也が部屋に入ると、ベッドの上で扉が開く様子を興味無さそうに見ていた関本の顔に驚愕が浮かんだ。次の瞬間、彼の瞳が不審と警戒に塗りつぶされる。
「司波達也……」
「半月ぶりですね、関本先輩」
「何故お前がここに?」
「事情を聞きに来ました」
「い、いくらお前が強くても、ここで魔法は使えないぞ!」
関本の指摘は正しい。
確かにここでは
「正直に話してはくれませんか?」
「そ、そんなことするわけないだろう!」
「仕方ありませんね……」
達也が感覚を開放してエイドスにアクセスすると、関本の身体が小さく震え出した。
『
「余り手荒な真似はしたくないのですが」
「な、なにを……」
関本の息が荒くなっており、額からは大量の汗が流れているが、達也の口は止まらない。
「時間も無いので手早く済ませましょうか」
人は、正体不明の恐怖には長い時間耐えることはできない。得体の知れない恐怖が、関本の精神を蝕んでいく。
「先輩の目的は何ですか」
「……」
「そうですか」
関本の沈黙を見て、達也はエイドスへとさらに深く潜り込む。関本は一瞬身体を竦ませた後、怒鳴るような勢いで口を開いた。
「デ、デモ機のデータを吸い上げることと! 司波の私物を調べることだ!」
達也はそれを見て、少し深度を弱めた。関本はホッとした表情を浮かべたので、そのまま質問を続けた。
「俺の私物? 目的は何です?」
「ほ、宝玉の聖遺物だ」
「どうやって?」
「お、お前は地下にいるからそのときに狙おうと……」
(なるほど……嫉妬に付け込まれて利用されたという感じか)
おそらくはこの前のことが成功したら、自分にアプローチするつもりだったのだろう。以前難癖を付けていたのもその一環だったのかもしれない。達也は更なる追及をしようと試みたが、突然鳴り響いた非常警報によって中断せざるを得なかった。
「侵入者?」
廊下に出てきたエリカが、天井のメッセージボードを見てそう言う。
「おいおい、何処の命知らずだよ……」
戦慄交じりの呆れ声でレオが呟く。一昨日の魔法大学付属病院襲撃事件により、西東京一帯は警視庁による特別警戒態勢が敷かれている。そこにあえて突っ込んでくるなど余程腕に覚えがあるか、あるいは真正の馬鹿がすることだ。レオは、これが前者の仕業だと直感していた。
そして、達也はというと……
「達也くん!?」
「おいっ、待てよ達也!」
二人を置いて駆け出していた。
◇◇◇
警報が鳴る少し前、真由美と摩利も鑑別所を訪れていた。
「侵入者ね」
天井のメッセージボードを見て真由美が言う。摩利も上を向いて、その発言を事実と確認した。そして、真由美の目線の焦点が合っていないのを見て、セリフの続きを待った。
「屋上から侵入者四人、ハイパワーライフルで武装しているわ」
「そうか」
真由美の呟きに摩利も頷きを返したが、すぐに猛烈な危機感に襲われた。
「なっ──!?」
階段の出入口から大柄な若い男が姿を見せた。
「呂剛虎」
真由美には心当たりが無いようだが、男が只者ではないことは伝わった。こちらに歩いて来る呂の目は、摩利たち二人に──正確には摩利に向けられている。
「…あたしが前に出る。真由美は援護を頼む」
摩利はそう言って、呂に向かって歩き出す。
「摩利、気を付けて」
「只者ではないことは分かってるさ」
摩利が太腿に巻いたホルスターから抜き取ったのは長さ二十センチ程度の短い角棒。
それを見て呂も戦闘態勢を取った。
火蓋を切ったのは摩利でも呂でもなく、真由美だった。
無数の白い弾丸が呂を目掛けて降り注ぐ。しかし、呂にダメージはなかった。身体を覆う生体波動の防壁『鋼気功』の鎧がドライアイスの弾を弾き返した。
そのまま摩利へ襲い掛かる凶戦士。それを摩利は四十センチの刃で迎え撃った。摩利の打ち込みは呂の右手に阻まれた。
しかしその直後、呂が顔を仰け反らせる。彼の目の前を、長さ二十センチの刃が通り過ぎた。摩利の獲物は二十センチの柄と二十センチの二枚の短冊を細いワイヤーでつないだ三節構造の小型剣だった。
真由美の第二射。呂が大きく後方へ跳ぶ。
呂の全身を覆って何層もの
真由美の第三射が放たれる。それを呂剛虎は対物障壁で防いだ。
そのまま神速とも言える突進で摩利に肉薄する。摩利は二枚の刃を直線上に固定して迎撃をしようとしたが、その瞬間、呂の姿が消えた。慌てて右を向くと、呂の身体は摩利の間合いをすり抜けていた。
(まずい───!)
呂はそのまま真由美へと突進し、一気に間合いを詰めて腕を突き出した。
魔法以外では非力な女性でしかない真由美は攻撃を躱すことはできず、呂の掌打をまともに受けた。
軽々と飛んで行く真由美。呂の顔に一瞬訝しげな表情がよぎる。手応えが小さかった打撃は、その瞬前に真由美が慣性消去の術式を発動したが為。
「真由美!」
壁に激突した真由美は地面に倒れたまま動かない。慣性を完全に消していたなら衝突したダメージも無いはずだが、瞬時の対応で術式が不完全だったのか。
呂はすぐに意識を摩利へ戻したのに対し、摩利は動揺から抜け出せていない───そのわずかな差が、致命的な一刹那となった。我に返った摩利の視線の先で、呂が右腕を振り抜いていた。
とっさに腕を出したもののほとんど意味を成さず、打撃箇所からは鈍い音がした。痛みと衝撃でがら空きだった摩利の胴体に、呂の二撃目が襲い掛かった。呂の左足が摩利の胴体を横薙ぎに蹴り飛ばし、勢いのまま壁に激突した。
「かはっ!」
背中からまともに打ちつけられ、折れてはいけない骨が折れた気がした。
うつ伏せに倒れ込んだまま目線だけを動かすと、呂はゆっくりとこちらに歩み寄ってきている。
(これはもう、ダメかもしれんな……)
逃げなければと思いはするが、胴体から下がピクリともしない。こんな状況でこの男から逃げられるわけはない。
(せめて…あいつだけでも……)
倒れている親友に意識を向け、手首のCADへと手を伸ばすが、それすらも叶わなかった。
「うっ、ぐっ……」
のろのろと動いていた腕は、呂に踏みつけられてその動きを止めた。そのままいたぶるように、グリグリと押し付けられる。
前回修次との戦闘に水を差したのが気に喰わなかったのか、すぐにとどめを刺すつもりは無いようだ。だが、もはや摩利に抵抗する力は残されていない。
あまりの痛みに意識が遠のいていく中、ふと、手首への圧力が消えた。
霞む視界の中顔を上げると、呂の身体は別の方向を向いていた。その視線を辿ると、摩利のよく知る少年が見えた。
入学以来彼女を驚かせ続けた規格外の存在。
親友のお気に入りであり、義妹の想い人であろう少年。
「たつや、くん……?」
その名を小さく呟いて、摩利は意識を手放した。
◇◇◇
目の前の惨状に、達也は自身の判断を後悔していた。通路の先には摩利と真由美が倒れており、摩利に関してはおそらく致命傷だ。
この場面を想像できなかったわけではない。だが、自身の戦闘を見せたくないという理由から、この最悪の事態から目を逸らしていたのだ。
知人を傷つけられたことと、自身の不甲斐なさへの八つ当たりも相まって、射殺さんばかりに呂を睨みつける。
それを受けた呂は、もはや足元の摩利には一切の興味がなくなったようだ。殺気の発生源である達也を見て、獰猛な笑みを浮かべている。
張りつめた空気の中、互いに相手の姿を窺う。
睨み合うこと数瞬、達也が距離を詰めようと床を踏みしめた瞬間、後ろから二度悲鳴が漏れた。
一度目は達也から発せられる猛烈な殺気に対して。
二度目は目の前で倒れている上級生を見て。
達也はその声を聞くまで、二人の存在が頭から抜け去っていた。
(……落ち着け)
怒りで冷静さを欠いていたことに気づき、達也は一つ息を吐く。思考をクリアにしてから、後ろの二人に声を掛ける。
「エリカ、レオ。先輩たちを頼む」
先ほどのように殺気立ってはいないものの、今までに類を見ない真剣な声音に、二人ともぎこちない動きで頷きを返した。
それを合図に、呂が達也に向けて一直線に突進する。達也の『眼』には、呂の身体を覆う生体波動の防壁、『鋼気功』の鎧が形成されているのが視えた。
呂は『鋼気功』を纏ったまま、大きく踏み込んで腕を突き出した。達也の身体が川の流れに浮く木の葉のようにフワリと揺れた。
すかさず突き込まれる呂の指を身体ごとスライドして逃れるとともに、呂の意識がエリカや摩利たちに向いていないことを確認し、摩利たちから離れるように後退する。
拳、掌、熊手、と手の形を変化させ、肘、肩、体当たりを混ぜて、呂は怒涛の勢いで攻め立てるが、達也は呂から一定の距離を保ったまま後退していく。立て続けの攻撃は、達也に一発もヒットしていない。
二十メートルほど後退したところで、達也は大きく距離を取り、声を張り上げた。
「エリカ、レオ!」
達也の怒号に二人はハッとなり、摩利と真由美のもとに走った。達也は懸念事項が一つ減ったことで、目の前の攻撃に意識を集中させた。
呂は目の前の戦闘に苛立ちを覚えていた。いくら防戦一方とはいえ、たかが学生に一対一で手間取っているという事実が信じ難いのだろう。しかも、相手は足手纏いに気を配っているのだ。
プライドを傷付けられたことで無意識の内に攻めのリズムが速くなり、その分、一撃の攻撃力は低下していた。
一方の達也も、呂の攻撃が荒くなっていることに気づいていた。このままならいずれ勝機は見えてくるだろう。だが、今に限って言えば、達也の方が時間の猶予は無い。
(少々分が悪い賭けではあるが、仕方がない)
達也がそう決めた瞬間、呂は手首の付け根を合わせた掌底を打ちにかかる。
達也は下がらずに身を捻って攻撃線から逃れたが、完全には躱しきれずに左肩に少し掠った。
体勢が崩れ、呂の顔に喜色が浮かぶ。
右腕を大きく振りかぶった呂を見て、達也は強烈な危機感を感じた。この攻撃を喰らえば肉をごっそりと持っていかれるだろう。骨までもぎ取られるかもしれない。
呂が勝利を確信して腕を振り下ろす────その一瞬前、呂の全身が想子の奔流に呑まれた。
『
想子の奔流が呂の鎧を剥ぎ取る。呂の両眼が隠しきれない驚愕に染まった。その一瞬の隙を達也は見逃さなかった。中途半端な位置で止まった右腕に向けて手刀を突き出す。
呂の反応は「超一流」の名に恥じないものだった。『鋼気功』を再構築し、再度右腕を振り下ろす。だが、
「グッ!?」
達也の手刀は、何の抵抗を受けずにその腕を斬り落とした。
切断された痛みよりも腕が切断されたこと自体に驚愕するが、生じた動揺を一瞬でねじ伏せて達也に左手を叩きつける。だが、片腕を失った所為か身体操作技術が落ちている。達也は旋回して呂の背後に回り、摩利たちとは逆方向に蹴り飛ばした。
(危なかったが、賭けには勝ったな。それよりも今は───)
賭けが成功した感慨を一瞬で切り捨ててエリカたちの所へ向かい、左手にCADを構えて摩利へと照準を合わせた。
「ちょっ、達也くん!?」
エリカの驚く声に答えず、達也はそのまま引き金を引いた。
達也本来の魔法、『再成』が発動する。エイドスの変更履歴を遡り負傷する前の情報体を復元し、複写する。怪我を治すのではなく、怪我を負った事実を無かった事にする。
ボウッっと摩利の身体が霞んだように見えた次の瞬間には、彼女の身体には傷一つ残っていなかった。それどころか服を塗らしていた血の跡まで消えていた。摩利の身体は傷を負わずに時間が経過した状態で世界に定着したのだ。
達也は摩利に掛けた『再成』の結果を確認する間も惜しんで真由美に向けて引き金を引く。
摩利と真由美が何事もなかったかのように起き上がったが、何が何だか分からないといった表情だ。エリカとレオも呆然とその様子を見つめている。
だが、四人がその疑問を解消することはなかった。達也は胸のホルスターにCADをしまうと、呂へと視線を戻した。
呂も床に打ち付けられてもすぐに立ち上がり、脂汗をかきながらも顔を上げた。しかし、確かに攻撃したはずの摩利と真由美が、無傷の状態でいることには驚きを隠せなかった。
目の前の小僧は何としてもここで倒しておくべきだ。しかし、先ほどの『術式解体』に正体不明の斬撃、それに加えてあの回復魔法があるとなると、正面から挑んではあまりにも分が悪い。呂は形勢不利を悟った。となると、呂にとってここでの最善手は……
(まずいな……)
達也の視線の先では、呂が明確な殺意を持ってこちらを見据えている。片腕を失ったことで、完全に目の色が変わってしまった。なりふり構わない相手ほどやりづらい者はいないし、いくら隻腕とはいえ近接戦闘では確実に勝てるとは言い切れない。
『術式解体』による奇襲も二度は効かないだろうし、『分解』を纏わせた手刀も警戒されているだろう。
そして何より、先ほどから呂の視線が達也の後ろに向いている。
(やむをえないか……)
できれば誤魔化しの利く魔法で済ませたかったが、そうも言っていられない状況だし、もはや今更だ。
動き出しは同時。
達也が抜き手も見せずに右手にCADを構え、呂剛虎は神速とも言える速度で達也へと肉薄する。
彼我の距離は二十メートルと少し───この間合いなら達也の方が早い。達也は迷うことなく、引き金を引いた。
六連発で放たれた達也の分解が、呂の『鋼気功』『領域干渉』『情報強化』を無効化し、残された三肢を貫いた。
左腕と両足の付け根に、針で突いたような細い穴が穿たれる。三つの微小な傷が、神経を直接やすりで削るに等しい激痛を呂にもたらした。
「──っ!?」
声にならない悲鳴を上げ、激痛を堪えながらも達也から距離を取った。朦朧とする意識の中、呂は膝もつかず達也を睨みつけている。その精神力は称賛に値するが、敵として対峙する以上は最大級の脅威だ。
達也は目の前の脅威を排除すべく再度引き金を引き、三連分解魔法で呂の心臓を撃ち抜いた。
呂の身体が小さく痙攣したがすぐに止まり、遂に膝を折って崩れ落ちた。