呂剛虎の息が途絶えたことを確認し、達也は大きく息を吐いた。そして、すぐさま気持ちを切り替え、この場にいる四人へと向き直った。
「七草先輩、渡辺先輩、大丈夫ですか?」
「え、ええ……」
「ああ…問題ない」
真由美たちも戸惑いながらほっと息を吐いた。
「えっと、達也くんは大丈夫なの?」
「ええ、問題ないですよ」
「それなら良いんだけど……」
歯切れの悪い真由美だが、自身を回復させたあの魔法について気になっているのは一目瞭然だった。しかし、助けてもらった自分が余計な詮索をしてはいけないと思い、口を噤んでいる。
しかし、もう一人の当事者はそうもいかないようだった。
「達也くん、一体何をしたんだ?」
そう問い掛けた摩利に対し、周囲から咎めるような視線が刺さるが、摩利の目はまっすぐ達也へと向けられたままだ。
術式の詮索はマナー違反。これは魔法師にとって常識とも言える不文律であり、本来犯してはならないルールだ。
達也はこれを貫いて黙秘することもできた。むしろ今の四人の精神状態なら黙っておくよう
「それを話す前に一つだけ確認ですが」
達也はそう前置きして、真由美へと視線を向けた。
「七草先輩」
「な、何かしら」
「今日の報告はどうなさるつもりですか?」
真由美は呆けていた頭をフル回転させて、達也が何を懸念しているか理解した。
「えっと、私は何も言わないし、秘密は守るわ。家の者に言われても同じよ」
藤林がカメラの処理をするとはいえ、真由美が呂剛虎を相手にしたとなれば、七草家の耳に入ることは確実だ。だが、あの魔法について知られることだけは避けなければならない。
「そうですか」
達也は真由美の返事を受けて、隣にいた摩利へと視線を移した。
「分かった、他言はしない」
エリカとレオにも同様の問答を繰り返したのち、達也は静かに語り始めた。
「俺が使った魔法は、治癒魔法ではありません」
魔法の名称は『再成』。
エイドスの変更履歴を最大で二十四時間遡り、外的要因により損傷を受ける前のエイドスをフルコピーし、それを魔法式として現在のエイドスに上書きする魔法。
魔法が持続しないのはエイドスの復元力が作用するからで、治癒魔法によって一度で治せないのはこの為だ。
しかし、『再成』でフルコピーしたエイドスも過去の自分自身を表す情報体だ。それを魔法式として上書きすることで、エイドスを復元するのではなく時間が経過した状態で世界に定着する。一言で言うと、負傷したという事実そのものが、なかったことになる。
「──という魔法です。ですので今回に関しては、通常の治癒魔法のように継続的な施術は必要ありません」
「そんなことが……」
摩利は唸るように呟いた。
呂剛虎から受けた傷は深く、あのままでは確実に死んでいた。それは摩利自身が一番よく分かっている。それが一瞬で完治するなど、普通ならあり得ないことだった。
そう、『普通』なら。
逆に言えば、こんな神のような魔法が、普通に使えるわけがない。
「ねえ、達也くん……その魔法を使ったことで達也くんは何かリスクがあったりしないの?」
それを口にしたのは真由美だった。達也もこの質問が来ることは予想していたし、それに対する回答も予め用意していた。
「リスクというわけではありませんが、俺の魔法演算領域の大半はこの魔法に占有されているので、他の魔法が自由に使えないことでしょうか」
提示された答えは納得のいくもので、その表情からも嘘と判断できる材料はない。達也のアンバランスさの説明にもなっているし、本来ならば疑う余地はない。
しかし、この場にいる全員が嘘だと確信した。根拠は何もないが、達也が何か隠していると断定した。
「そう……」
だが、誰もそれを追及したりはしなかった。
「改めてになるけど、本当にありがとう。助けてくれただけじゃなくて、傷の治療までしてくれて」
「そうだな。達也くんがいなかったらあたしたちは確実に死んでいた、本当に助かったよ」
真由美と摩利はそう言って頭を下げる。達也もそれに了承を返し、この場は一段落といったところだ。
そして、そのタイミングを狙ったかのように──実際狙っていたのだろう──複数人が階段を駆け上がる音がした。
「失礼します!」
現れたのは三人、全員が夏休みに見た顔だ。軍服を着ていることからしても、藤林が言っていたサポート要員だろう。
「この場の処理は我々が行いますので、事情聴取に伺えますでしょうか?」
「分かりました」
達也には警備員を無視してこの場をあとするだけの力はない。真由美なら可能だろうが、今は七草家の力を借りたくない。
「ドタバタして申し訳ありませんが、まずはこの人たちについて行きましょう」
警備員が駆けつける前にここを去る必要があったので、未だ呆けている四人に声を掛けてから、達也は男の後に続いた。
◇◇◇
軍人たちによる事情聴取が終わり、駅で真由美たちと別れたエリカは今、達也の自宅地下の修練場にいた。
目の前ではレオが『村雨』を構えており、達也もそれを見守りつつ時折アドバイスをしている。エリカはその様子を、ただぼんやりと眺めていた。
元々、今日はここに来るつもりは無かった。今日だけはひとりでいたかった。
とはいえ、協力すると言った手前、レオが稽古を希望するならそれに付き合う義務がある。エリカはただそれだけが理由でここにいた。
……少しは近づけたと、思っていたのだ。
彼と会ってその強さに惹かれ、彼の言葉に勇気を貰い、自分なりに精一杯精進してきた。憧れた彼に、近づくことが出来たと思っていた───のに。
そんな思い上がりは、あの対決を見た瞬間粉々に吹き飛んだ。
呂剛虎の強さは分かる。大亜連合のエース魔法師の名は伊達ではない。エリカが驚愕したのは達也の方だった。
──生命を脅かすほど鋭利で濃密な殺気
──呂剛虎の猛攻を捌き続けた近接戦闘術
──その防御を突破し、四肢と心臓を撃ち抜いた未知の魔法
──奇跡としか表現できない『再成』魔法
あの時見て感じた全てが、エリカの想像を遥かに超えていた。
対して、自分は?
あの時エリカがしたことと言えば、達也の殺気に怯え、摩利の介抱をした、ただそれだけ。その介抱でさえも達也の怒号で動いたものだ。
あの時、自分は何もできなかった。
共に戦うどころか、同じ戦場に立つことすらできなかったのである。
目の前の現実に打ちのめされ、今まで積み重ねたものが全て否定されたように感じられ。
エリカは今、何の為に剣を振ればいいのかわからなくなってきていた。
「……カ」
「……い、……リカ」
「おい、エリカ!」
「っ……なによ」
内心ささくれ立っていた所為もあり、声を掛けてきたレオに対して少し八つ当たり気味の返事をしてしまった。
「何って……達也が休んでる間素振りでも見てもらおうと思ったんだけどよ」
言われてみれば達也の姿が見当たらない。どうやらかなり時間が経っていたようだ。そんなことを考えていると、レオは何処か気まずそうに話を切り出した。
「あー、そのなんと言うかだけどよ」
「……」
この友人は鈍い性格ではあるが、決して粗野というわけではない。エリカの内心に──その恋心に、配慮しないはずが無いのだ。
ただその気遣いは、今のエリカには苦痛でしかなかった。
「さっきの事気にしてんのか?」
──うるさい
「あの場所じゃ三人ってのも難しかったしよ、達也一人の方が効率が良かったんだと思うぜ」
──そんなことは分かってる
「あんときは先輩たちの容体が大事だったわけだし、俺らが出る幕でも無かったんじゃねぇか?」
──そんな言葉が聞きたいんじゃない
らしくもなく慰めるような言葉を並べるレオだったが、そのセリフ自体は全くの正論だった。
エリカたちの戦闘スタイルではあの通路で数の優位は取りづらいし、真由美や摩利の安全確保をする必要もあった。あの時の達也の判断は何一つ間違っていない。
「……仕方ないじゃない」
ただ、そう簡単に割り切ることなどできないのだ。
「だってあの呂剛虎なのよ! あたしなんて百回やっても敵わない!」
達也が相手にしたのは、世界十指に数えられる『人喰い虎』。千葉の麒麟児と並び称されるあの怪物を、達也は完封してみせたのだ。
「あたしはあとどれだけ頑張ればあの域に辿り着けるの!? 何をすれば達也くんの隣に立てるの!?」
達也と自分との間に実力差があることは分かっていた。
新歓期間やブランシュのアジト襲撃、モノリス・コード。入学してから数回、達也と共に戦闘をこなしてきた際に痛いほど実感したし、それを埋めようと努力もしてきた。
だが、あれほどまで隔絶しているとなると、もはや何をしても追いつけないのではないかと思ってしまう。
「達也くんにとって、あたしは足手纏いでしかないのよ………一緒に戦うんじゃなくて、守ってもらうことしかできないの」
さっきの事だってそうだ。達也にとって、エリカたちは守る対象であって、隣で戦う価値は見出せない。
おそらく一人ならもっと上手く戦えたはずだし、エリカが十分な戦力を持ってさえいれば、あんなギリギリの戦いをしなくても済んだはずなのだ。
だが実際には、達也は必要以上に苦戦を強いられ、『再成』による何かしらのリスクを負ってしまった。
「達也くんの隣に立ちたい、達也くんと一緒に戦っていたい。でも今のままじゃ、その資格すら無くなっちゃう……」
実際に努力してもなお届かないのではなく、夢見ることすら許されない。エリカが感じた実力差は、それほどまでに大きなものだった。
「本当に、どうすればいいかわかんないのよ……」
沈痛そうな表情で俯くエリカ。
完全に八方塞がりとなってしまった彼女に対し、レオはゆっくりと口を開いた。
「なぁエリカ、そんなに思い詰めなくてもいいんじゃねえか?」
「……は?」
「だからよ、そんなに思い詰めなくてもいいんじゃねえか?」
一言一句違わずに繰り返されたセリフ。エリカは思わず顔を上げてキッと睨みつけるも、レオは引かなかった。
「確かに今の時点じゃ俺もお前も足手纏いだし、次もそうなるかもしれねぇ。どんだけ努力しても達也には届かないかもしれねぇ」
エリカが唇を噛み締める。けどよ、とレオは続けた。
「それがイコール、一緒に戦えないとは限らないだろ?」
「は……? あんた、なにいって……」
「達也がどんだけスゲェやつでも一人じゃできないこともあるはずだろ。そん時にオレができることをすればいい。お前の言ってる隣で戦うことは出来ねぇけどよ、一緒に戦うことはできるんじゃねえのか?」
「……」
「そんないつかなんて来ないかもしれねぇし、来ない方が良いのは分かってるけどよ。そのいつかのために特訓すんのも、悪いことじゃねえだろ」
確かに理屈の上ではそうだ。
隣で戦えないからといって全てができないわけではないし、そのために修練を積むのだって正しいことだ。
ただ、今のエリカにはそれができなかった。
「なんで……なんでそんな風に割り切れるのよ……」
自分の無力さが先に浮かんでしまう。
彼と自分の間にある差を強く感じてしまう。
あの時見たのは、おそらくエリカでは生涯到達しえない領域だ。自分では届かないと知りながら、なぜそこまで愚直になれるのか。
それに対するレオの答えは──
「なんでって言われてもなぁ……達也はダチだからな。ダチが困ってたら力になってやりたい、理由なんてそんなんで十分だろ」
…………………………
……………………
………………
…………
……
「ははは……」
気取ったわけでも格好つけたわけでも無く、さも当然のように告げられたセリフには、正直笑いしか出てこなかった。
……本当に、何なんだろうかこの友人は。大物にもほどがある。
「あんたのそういうところ、素直にすごいと思うわ」
続いて出たのもレオを称賛する言葉。今のエリカにはそれ以上の言葉が出てこなかった。
(ダチだから、ねぇ……あたしなら好きだからになるのかしらね。)
想いの強さで負けるつもりはさらさらないが、純粋さではレオには敵わない気がする。
友情と恋心とでは同列視はできないが、それでもこの真っすぐな性格は尊敬すべきだろう。事実として、エリカは先ほどの一言で救われたのだから。
(まぁ正直、完全に割りきれた訳じゃないんだけどさ……)
本音を言えば、今でも達也の隣に立ちたいと思っているし、これからも諦めるつもりはない。
ただ、それが唯一の道ではないと分かり、少しだけ気が楽になったのも確かだった。
(というか、コイツのおかげって認めるのはなんか癪ね)
思わず顔をしかめたエリカだったが、ふと、一つの疑問が浮かんだ。
「というかさ、なんであんたモテないの?」
「はぁ?」
「いやだって不思議じゃない? 顔もまぁそこそこ整ってるし、身長もあるしガタイもいい、動きの素材も一級品。超優良物件とまではいかないけど、告白の一つや二つされてもおかしくないと思うのよね」
「いや、まぁ……そうか?」
レオは照れ臭そうに笑っているが、今のセリフは全くの本音である。本当に、何故この気の善いクラスメイトがモテないのだろう。少なくともE組の中では指折りの人気があってもいいはずだ。
「それじゃあ性格がダメかってことになるけど、それこそ悪くないし……やっぱりバカな所がダメなのかしら?」
「おい」
「だってそう考えなきゃおかしいでしょ。あんたの欠点ってそれくらいしか思いつかないし………あっ、ガサツなとこもあるわね、ごめんごめん」
「謝るのはそこじゃねぇ!」
「何よ。女子目線の率直な意見よ。それにちゃんと褒めてるじゃない」
「褒めてる以上にバカにしてんだろ!」
「だからさっきバカって言ったでしょ。もう忘れたの?」
打てば響くように軽快に言葉が返ってくる。以前、雫に漫才のようだと言われたことがあるが、これでは否定できない。それになんだかんだ、レオとのやり取りは嫌いではないのだ。
「まあそれは置いておくとして」
「? なんだよ」
先ほどはレオの言葉に救われたとはいえ、借りっぱなしというのは性に合わない。世話になった分は、きっちりと
「改めてだけど、レオ。あんたは強くなりたいってことで良いのよね?」
いきなりの話題転換にレオは首を傾げたが、質問には真剣な顔で答えた。
「ああ、その通りだぜ」
「ふーん」
返事を聞いたエリカはニヤリと笑い、その笑みを見たレオは顔を引きつらせた。
「それじゃ、あんたには剣術の基礎を一から叩き込んであげる。『村雨』のためだけじゃなくて、剣術に必要なものを。みっちりとね」
「……冗談だよな?」
「そんなわけないじゃない。あたしが嘘吐いたこと、ある?」
「けっこうあんだろ……」
「真面目な話では一回も無いわよ。それじゃあ素振りだっけ? 見てあげるからさっさとやるわよ」
色々と考えなくてはならないことはあるが、とりあえず今は恩返しがてらこの友人を鍛え上げてやろう。エリカはそう思いながら、部屋の中央に移動するのだった。