論文コンペ前日の夜、達也は自宅にて藤林と対面していた。
「──それで、大亜連合のスパイ実働部隊は、ほぼ全て拘束しました。隊長の陳祥山を逃しちゃったのは痛かったけど、それ以外は問題なく解決できたわ」
「さすがですね」
「ありがとう、達也くんの方こそお疲れ様。呂剛虎の相手は大変だったでしょ?」
「そうですね、相手も焦っていたようでしたのでなんとかなりましたが、そうでなければ危なかったかもしれません」
達也はそう言って話を一区切りさせ、真剣な表情で問い掛けた。
「それで、わざわざこちらに来たということは、陳祥山関連でまだ何か問題が?」
それを受けた藤林は憂いを帯びた顔に変わった。
「そうね……良いニュースと悪いニュースがあるけど、どっちを先に聞きたい?」
「では、良いニュースから」
「そこは『悪いニュースから』っていうのがパターンじゃないの?」
「では悪いニュースから」
あっさり掌を返した達也に呆れ顔を向けるも、全くの無反応に藤林はため息をついた。
「……じゃあ、良いニュースからね。例のムーバル・スーツ、完成したわよ。明後日横浜に持っていくって真田大尉から伝言」
「そうですか、さすがですね。しかし東京に戻ってからでも………」
「明後日にこっちでデモがあるのよ。もっとも、その予定をねじ込んだのは大尉だから一刻も早く貴方に自慢したかったでしょうけど。基幹部分はそっちに完全依存の形になっちゃったからせめて完成品は、って頑張っていたもの」
藤林のセリフは納得のいくものだったが、何故か表情が冴えない。
「………という理由だったんだけど。荒事が起こる可能性が高くなったから、それに備えるっていうのが一番よ」
「そこまでの事態なのですか?」
「そうね、もう一つの悪いニュースがそれよ。詳しいことはこれを見て、少佐からの伝言も入っているわ」
「少佐からの?」
「ええ、陳祥山が逃走に使った魔法について、だそうよ」
藤林はそう言って達也にデータカードを渡す。
「私の方でもいくつか保険を掛けておいたけど、かなりの大事になりそうよ」
「……あれ以上の事が起こると?」
陳祥山を逃したとはいえ、呂剛虎を筆頭にかなりの数の大亜連合精鋭陣を抑えたのだ。これ以上となると、完全な戦争状態しか想像ができないのだが、
「……多分、達也くんの想像通りよ」
どうやら予想が外れてはくれないようだ。
「横浜の方に結構な量の武器と戦闘員らしき集団がいるみたい。中華街にかくまわれちゃったから詳細は分からないんだけど」
藤林の様子からもその深刻さが見て取れる。達也の方も、最悪の事態を想定して動く必要がある。
「分かりました。俺の方も準備だけはしておきます」
それを見て眉目を曇らせた藤林だが、制止の言葉は出なかった。
「何も起きないのが一番だけど……もしもの時はお願いします」
達也の力が無ければ呂剛虎は仕留められなかったし、ここまでスムーズに事は運ばなかっただろう。
彼は貴重で強力な戦力である。どんなに心苦しく思っても、彼女の立場で「手を出すな」とは言えないのだった。
◇◇◇
藤林の帰宅後、達也は深雪の自宅を訪れた。
「お嬢様。突然の訪問、申し訳ありません」
「構いません、重要な用件なのでしょう」
「はい。大亜連合の工作部隊について、急ぎ報告することがございます」
達也のセリフを聞いて、深雪は眉を顰めた。呂剛虎の件は既に報告済みだ。それでもなお急ぎの案件ということで、事の重大性を予測したのだろう。
「……詳細を聞かせてもらえますか」
「はい、先ほど大隊の藤林少尉から、大亜連合の物と思われる兵器が横浜に集中しているとの情報がありました。その他にも戦闘員と思われる密入国者もいるとの事です」
「横浜ということは、論文コンペを狙っている可能性もあると?」
「はい。ですのでお嬢様も最大限に警戒するよう、お願い申し上げます」
「分かりました」
深雪は達也の報告に一つ頷くと、背後にいた二人へと目を向けた。
「穂波さん、明日は私の近くで待機してもらえますか?」
「分かりました」
「水波ちゃんも、いつでもCADを起動できるように準備しててちょうだい」
「かしこまりました」
二人の返事に満足げな笑みを浮かべて、表情を消してから達也に向き直った。
「それで、貴方がここに来たのはそれだけが理由ですか?」
質問の形を取っているが、これは深雪にとって確認の意味でしかない。
「ご当主様より封印解除の許可はいただいております。最終的な判断はお嬢様に委ねる、とも」
「なるほど……」
深雪は感情の窺えない眼差しで達也を見据えている。
「ひとつ訊いてもよろしいですか」
「何なりと」
「既にガーディアンではなくなった今、貴方はその力を何のために使うのですか?」
達也には質問の意図が分からなかった。だが、改めて問われると、自分はこの力を何のために使えばいいのだろうか。
あの沖縄戦以降、この力を使ったことはない。
この力は、本来なら個人が持つには大きすぎるもの。自分はこの力を何のために使うのだろうか──
達也は目を伏せたまま微動だにしなかったが、その間も深雪は沈黙を保っていた。幾ばくかの時間が過ぎてから、達也が顔を上げた。
「俺と、俺の周囲の人間が快い日常を送るため。そのために、この力を使います」
強い意志の籠った言葉に、深雪は目を大きく見開いた。だが、すぐに先ほどまでの無表情に戻り、数秒の沈黙の後小さく頷いた。
「そうですか」
表情を変えないまま立ち上がり、ソファからずれた場所へ移動した。達也もそれを見て、深雪の正面に移動して片膝をついた。
深雪はその頬に手を添え、瞼を閉ざした達也の顔を上へ、自分の方へと向ける。
深雪はそのまま腰を屈め、額に
唇が離れ、頬に添えられていた手が離れ、再び達也は頭を垂れる。
眼を灼く程に激しい光の粒子が、達也の身体から沸き立った。
身体を起こした深雪が頭を垂れたままの達也をじっと見つめる。
「『枷』から解放された今、貴方はこれ以上ない危険な力を振るうことができます」
「存じております」
達也は即座に肯定を返す。そんなことは今更過ぎる確認だった。だが、深雪からまだ何か言いたそうな気配を感じて頭を上げずにいると、
「ですが、守りたいものがあるのなら、その力を振るうことを躊躇わないように」
予想もしていなかった言葉に思わず顔を上げてしまった。深雪の瞳には今までとは違う感情が窺えたが、それは再度一瞬のうちに消え去った。
「万が一にも、力を暴走させることが無いように」
「承知致しました」
達也は立ち上がってから腰を折って一礼し、水波にも穂波にも目をやることなく、その場から立ち去った。
◆
達也が帰宅してから、穂波と水波の二人は達也が座っていた席へ腰を下ろしていた。テーブルには三人分のカップが置かれており、深雪もその対面に座っている。
深雪はカップに口を付けて、静かな声で水波へと問いかけた。
「ねえ、水波ちゃん」
「何でしょうか」
水波は先ほどの深雪が達也に投げ掛けた言葉から、何を言われるのかと身構えた。
「あの人の所へ行きたいかしら?」
だが、あまりに予想外の問いかけに、水波の返答は歯切れの悪いものになってしまった。
「い、いえ、私は深雪様のガーディアンですので……」
「そんなことは気にしなくていいのよ。水波ちゃん、あの人の家に行った時、すごくご機嫌じゃない」
水波の顔が一瞬で真っ赤に染まった。今まで隠せていたと思っていたのだが、実は主である深雪が黙認していたというのだ。
「あ、あの、私は……その……」
「別にそんなことで怒ったりしないから、落ち着いてちょうだい」
水波はその言葉を受けて、少し冷静になったようで深呼吸を繰り返した。水波が完全に落ち着いたのを見計らって、深雪は再度口を開いた。
「私ね、あの人のことが嫌いだったのよ」
言葉とは裏腹に自嘲の込められた口調で、深雪はゆっくりと語り始めた。
「あの人の実力は疑うことの無いものよ。魔法以外の能力も、技術者としての才能も、私では遠く及ばない。次元が違い過ぎて比べる気にもならないもの。それに、戦闘能力もずば抜けている。私ですら一瞬で消されるでしょうし、事実上の不死身だもの、勝てるなんて考えたことも無いわ」
「でも、魔法とは情報体を改変し、事象を改変する技術。あの人にできるのは情報体の『分解』と『再成』だけ。本当の意味の魔法師としては欠陥品。人造魔法師実験をしても三流の魔法師にしかなれなかった。四葉の魔法師としては失格よね」
「私はあの人が嫌いだった。いつも何を考えているのか分からなくて、あんな拷問みたいな訓練を受けても平気そうにしていて、贋物と蔑まれても平然としていて、人を殺すのにも躊躇いなんか無くて……精神を弄られているという先入観もあったけれど、本当にただ役割をこなすだけの、優秀な道具としか思えなかったのよ」
「お母様たちの計らいで、中学からは私のガーディアンになった。でも、あの人にとって、私はただのミストレスでしかなかった。何の感情も抱いていなかった……今思えば、私の方があの人を道具としか見ていなかったから、そう見えていただけなのかもしれないけれど」
深雪は一度言葉を切った。ゆったりとした動作でハーブティーを口にして、カップをソーサーへと戻した。
「さっき、『何のために力を使うのか』って聞いたじゃない?」
「私、あの質問に答えられないと思っていたの。あの人は何かを特別に思うことはない、与えられた役割をこなすだけしかできない。ずっとそう思っていたから」
「あの人のあんな表情を見るのは初めてだった。心が欠けているはずのあの人が、私の前ではいつも希薄な表情しかしなかったあの人が、あんなに真剣な表情になるなんて思わなかったわ……」
「九校戦の時も驚いたけど、あの時は気のせいだと思った。でも、今日のあの様子を見たらそんなこと言えないわよね……」
「あの人には心が欠けていると思っていたのだけれど、きっと私の方が悪かったのでしょうね……あの人を軽んじて、見下して、蔑んでいた。あの人のことを理解しようともしなかったから」
「今更許してもらえるとは思わないけれど、今度会ったらこれまでのこと、きちんと謝らないといけないわね」
深雪は再度カップを口にしてから一つ息を吐き、水波と目を合わせた。
「改めて水波ちゃん。『兄さん』の所へ行きたいかしら?」
水波は思わず両手を口に当てた。その両目は大きく見開かれ、目尻には光るものも見える。返事をすることも忘れ、震える声で問いかけた。
「深雪様……今、『兄さん』と、仰いましたか……?」
「本当に今更ではあるし、自分でも調子が良いとは思うけどね」
嗚咽を懸命に抑えていたが、深雪の返答を聞いてそれが崩壊した。水波は涙を止めることができず、先ほどの質問に答えられない。だが、深雪は急かすことも咎めることもしなかった。
そのまま幾ばくかの時間が流れ、水波の涙が止まった。赤く腫れた目元をハンカチで拭い、決意の籠った視線を深雪へと向けて深々と頭を下げた。
「大変ありがたいお言葉ですが、遠慮させていただきます」
水波が返したのは、先ほどと同じく否だった。
「私は、深雪様のガーディアンですので」
水波の答えとその真摯な眼差しに、深雪は若干面食らった。
「水波ちゃん、本当にいいの?」
「はい」
「そう……」
正直なところ、水波はガーディアンに甘んじている現状が嫌で、本音では達也のもとに行きたいのではないかと思っていた。だがそうではないと分かり、深雪は少しほっとした。
「ですが、偶には達也さんのご自宅にも行かせていただけますか? こちらでは穂波さんに仕事を取られてしまいますので」
しかし、こういった場面では自分の欲求に素直な水波である。深雪は一転して呆れたような視線を水波に向けた。
「……それは現状に不満があるということかしら?」
「滅相もありません」
「……わざわざお仕事を増やすことはないと思うのだけれど」
「いえ、メイドとして当然の心構えです」
食い気味に断言されてしまえば、深雪には反論のしようがない。穂波に問いかけるような視線を向けると、「水波ちゃんですから」と端的な答えが返ってきた。
「……まあいいわ。兄さんも助かるだろうし、これまで通り偶になら構わないわ。でも、水波ちゃんはあくまで私のガーディアンなのだから、しっかりと頼むわよ?」
「はい、謹んでお受けいたします」
初めて見る深雪の晴れやかな表情に、水波も表情を緩めてから再度腰を折った。深雪は水波の姿に小さく頷いてから、ゆっくりと立ち上がった。
「穂波さん、明日もありますので、少し早いですが私はもう寝ますね」
「はい、深雪さん、おやすみなさい」
穂波は涙を溜めながらも、立ちあがり深々と腰を折った。