十一月中旬の日曜日。
達也は四葉本家を訪れていた。通されたのは広々とした応接間。通されてからすぐに、廊下に良く見知った気配を感じた。
(水波と穂波さん、それと深雪か……『
まっすぐこの部屋に向かってきている気配に、達也は柄にもなく少し緊張した。
(あの時何故深雪があんなことを言ったのかが分からないからな……まあ、俺からは何もできないか)
「失礼します」
「どうぞ」
水波がいるのだから達也が出る幕ではないと判断し、返事をするだけに留めた。
「達也さん、おはようございます」
「二週間ぶりね、元気そうで良かったわ」
「おはよう水波。穂波さんも」
達也も立ち上がって挨拶を返した。そして、深雪に向き直ってから一礼した。
「お嬢様も、ご無事なようで何よりです」
「ええ。貴方こそお疲れ様です」
「ありがとうございます」
やはり深雪の雰囲気が変わっている。何処がと聞かれると分からないが、全体的に柔らかくなっている気がする。
「ところで、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「自分は構いませんが、ご当主様がいらっしゃるのではないですか?」
「叔母様は別のお客様との用事が長引いているようです」
「かしこまりました」
深雪は達也が了承したのを見て、達也が座っていた席の対面に座った。当然その後ろには水波と穂波が控えている。
座ったはいいが、深雪は達也をじっと見つめて口をおり、開く気配がない。
「深雪さん」
「……分かっています」
しびれを切らした穂波が声を掛け、深雪もようやく口を開いた。
「貴方に一つ伝えたいことがあります」
「何でしょうか」
「……私に、謝ることをお許し下さい」
「はい?」
立場を考えればまずいのだが、あまりにも予想外過ぎて達也の返答も間の抜けたものになってしまった。だが、深雪はそれに気づいていないのか、黙認しているのか、立ち上がってから深く腰を折った。
「これまで貴方を軽んじ、見下し、蔑んでいたこと。大変申し訳ありませんでした」
達也は一瞬深雪が何をしているのか分からなかった。今まで深雪が達也に頭を下げるなど一度たりとも無かったのだ。
「お嬢様、顔を上げてください」
達也も立ち上がって声を掛けると、深雪も顔を上げた。
「一旦座りませんか」
「そうですね、私からきちんと説明もしたいですし」
深雪がそう言って腰を下ろし、一拍遅れて達也もそれに続いた。深雪は達也と目を合わせてから、ゆっくりと語り始めた。
「私は貴方のことを蔑んでいました。その能力とは別に、貴方のことを欠陥品と見下し、与えられた役割をこなすだけの、ただ優秀な道具としか認識していなかったのです」
それは達也も良く知っている。深雪は一部の分家とは違い、達也のことを贋物と呼んだりしない。達也の能力を評価した上で、ただの道具であると断じていたのだ。
「精神を弄られているということもあり、それ以上の事を理解しようともせず、心が無いと勝手に思いこんでいたのです」
そうは言うが、達也が人造魔法実験をした際、深雪はまだ五歳になったばかりだ。精神が弄られていると聞いたらそれも仕方のないことだし、当時は今ほど達也の味方もおらず、分家からの蔑みは酷かったのだ。
深雪が分家の言葉に強く影響されていたとは言え、達也の能力を正当に評価していただけでも立派だろう。
「ですが、それは間違いだと気づきました。九校戦でも、封印を解いたあのときも、貴方にはあんなにも感情があるのだと初めて知りました……そして、私の前で感情が希薄なのは、私が貴方を道具として見ていたからだと思ったのです」
九校戦の話は忘れてほしかったのだが、それ以上にあの時の表情にはそんな感情があったのかと納得した。
「今更許してほしいとは申しません。ですが、これまでのこと、本当に申し訳ありませんでした」
深雪はそう言って、再度頭を下げた。
「お嬢様。俺は大丈夫ですので謝罪は不要ですし、元々怒ってもいませんので、許すも許さないもありません」
達也も深雪に対して特に思うところは無いので、これで十分だった。
「分かりました」
深雪は頭を上げて表情を緩めたが、後ろにいる二人は呆れている。
「深雪さん、まさかそれで終わりではないですよね?」
「穂波さん……」
「達也さん、深雪様からお願いがあるそうですよ」
「水波ちゃんまで……」
どうやらまだ何かあるようだ。
「お嬢様、何でしょうか」
深雪は少しの躊躇いを見せたが、口を閉ざすことは無かった。
「お嬢様と呼ぶのを止めていただけますか? できれば敬語も……それと、私からも『兄さん』と呼ばせていただきたいのですが」
達也は今度こそ耳がおかしくなったのか疑った。だが、気まずそうな顔で視線を逸らしている深雪の様子から、どうやらそうではないらしい。
「四葉家の者しかいないのならば、自分は構いません。何とお呼びすればいいでしょうか」
「……深雪、とお呼びください。呼び捨てでなくても構いませんので」
一瞬落胆した表情を見て、達也はもう一つの要求を忘れていたことに気がついた。
「分かった。それじゃあ、深雪と呼ぶことにするよ」
「ありがとうございます」
「良かったですね、深雪さん」
「そうですね」
深雪はほっと息を吐いて、穂波がそれを労った。その隣では水波が心から嬉しそうにしている。この二人はずっと達也たちの関係を気遣っていたので、嬉しさもひと際だ。
「達也さん、明日にでも学校で深雪様の紹介をしても良いですか?」
「俺は構わないが」
「私も問題は無いけれど、急すぎても怪しまれるから折を見てね」
「かしこまりました……」
水波が残念そうに肩を落としたが、そこに新たな人物が現れた。
「失礼します」
「どうぞ」
落ち込んでいた水波が一瞬で気持ちを切り替えて応接室の扉を開けると、そこには二人の男女がいた。水波がそのまま招き入れると、二人は腰を折って一礼した。
「お久しぶりです。深雪さん、達也兄さん。穂波さんに水波さんも」
「皆様お変わりないようで……お会いするのは三人の入学式以来でしょうか?」
この二人は双子の姉である黒羽亜夜子と、双子の弟である黒羽文弥。達也たちとは一つ違いの再従兄弟だ。
「そのくらいかしらね。亜夜子ちゃんも文弥君も、お久しぶりね」
「文弥も亜夜子も元気そうで何よりだ」
「久しぶりね二人とも」
「ご無沙汰しております。文弥様、亜夜子様」
達也たちも黒羽の姉弟に挨拶をする。
「達也兄さんに深雪さんも……お二人とも何かありましたか?」
「何かとは?」
「いえ、何かと言われると……」
「達也さんたちの雰囲気が前とは違うようでしたので、私も気になっておりました」
亜夜子も文弥も、達也の名前を先に呼んでいるが、これは二人が少なからず動揺している証拠だ。
二人とも達也のことを慕い、尊敬しているのだが、深雪が達也のことを嫌っていることを知っているため、必ず深雪の名前を先に出すようにしていた。
「深雪さんが、達也くんのことを『兄さん』と呼ぶことになったのです」
「穂波さん……」
「良いじゃないですか。おめでたいことですよ」
深雪が穂波を咎めたが、穂波はまったく気にしていない。むしろこの後会う予定の真夜たちにまで伝えそうな勢いだ。
一方で、亜夜子と文弥は目を大きく見開いて固まっていた。
「深雪さんが達也兄さんのことを、『兄さん』って呼んだ……?」
「深雪お姉さま、それは本当ですか?」
深雪は内心、「私ってここまで酷かったのね」と思っていたが、もちろん口には出さなかった。
「私がこれまで兄さんに酷いことをしてきたって、ようやく気付けたから」
「そうなんですね……深雪お姉さまが、達也さんを……」
「良かったです……深雪さん、ありがとうございます……」
亜夜子は涙ぐむだけだったが、文弥はポロポロと涙をこぼしている。
「ほら文弥。嬉しいのは分かるけど、いつまでも泣いてないの」
「分かってるけど……姉さんだって泣いてるくせに」
「いいのよ、涙は女の武器なんだから」
「ずるいじゃないか……」
文弥の涙交じりの抗議に、その場は笑いに包まれるのだった。
◇◇◇
黒羽の姉弟が退室してからしばらく経った頃、不意に、四人が身体ごとドアへ向いた。
「失礼します」
形式的なノックの後、返事を待たずドアが開かれた。恭しく一礼したのは年嵩の執事、見るからに高い地位を有する初老の男性だ。
「お待たせ致しました」
老人の背後には、真夜と深夜の姿があった。
「ごめんなさいね……お約束の時間を過ぎているとはいえ、大事な話だったものですから」
「どうかお気になさらず。叔母様たちがお忙しくていらっしゃるのは存じ上げております」
真夜の謝罪に深雪がそう返してから、真夜たちは腰を下ろした。
「深雪、達也、二人とも掛けなさい」
深夜の促す声に、深雪たちもゆっくりと腰を下ろす。水波と穂波は後ろに控えたままだ。
「私たちの前に二人が揃うのは、三年ぶりかしら」
「そうですね、私が兄さんに『誓約』を掛けたとき以来です」
深雪の「兄さん」という呼び方に二人は目を丸くしたが、すぐに笑みを深めた。
「そう、深雪はしっかりと向き合えたのね」
「はい、お母様も叔母様も、今までは大変申し訳ありませんでした」
「達也さんもそれでいいのですね?」
「はい、自分も問題ありません」
深夜も真夜も、二人がギクシャクしているのを気にしていたので、ようやく肩の荷が下りたという感じだ。
「それで叔母上、今日俺たちを呼んだのは何かお話があったからなのでしょう?」
「達也さんは相変わらずねぇ……まあいいわ。良いニュースと重大なニュースがあるけれど、どちらを先に聞きたいですか?」
「……それでは重大なニュースからお聞きできますでしょうか」
一拍遅れて返事をした深雪。それを聞いた真夜はニッコリと微笑んだ。
そして、いきなり爆弾を落とした。
「深雪さん、貴女を四葉家次期当主に指名します」
当事者である深雪を含めた四人は硬直した。そんな四人を見てコロコロと笑う真夜に深夜。
「……失礼ながら叔母様、それはこの場でお聞きしてもよろしかったのですか?」
「ええ、発表自体はまだ先になりますので他言無用ですけど」
「次期当主候補なんてただの建前なんだからいいのよ。一応他の候補の三人にも話は通してあるのだから」
真夜の説明を深夜が引き継いだ。そんな緩い形で良いのかと思わなくもないが、他の候補が納得しているならそれでいいのだろう。実際に、四葉家当主として一番相応しいのは、深雪で間違いないのだから。
「承知致しました、謹んで承ります」
立ち上がり腰を折った深雪に真夜たちは満足げに頷いた。
「それで良いニュースなのだけれど、お二人の今後についてです」
「俺たちの今後、と言いますと?」
「次期当主の発表と同時に、二人が兄妹だと発表しようと思っているのよ」
「深雪さんも達也さんのことを『兄さん』と呼ぶことになりましたし、これからは自由にして構いません。外で『兄』と呼ぶのは……あと一年くらいかしら? 我慢してくださいね」
発表の内容はともかく、その時期が分からなかった。
「叔母上、質問してもよろしいでしょうか?」
「なんですか?」
「あと一年というのは何故なのでしょうか」
真夜は「ああ、その事ね」という表情になり、軽い口調で答えた。
「別にすぐに公表しても良いのだけれど、今達也さんが目立つのはよろしくないでしょう? 少なくともこの騒ぎが収まるまでは」
「なるほど」
達也も深雪も深く頷いた。
「かしこまりました。ご配慮感謝します」
「お母様、叔母様、ありがとうございます」
真夜は再度満足げに頷いたが、すぐに愉しそうな笑みに変わった。
「それはそうと、達也さんも深雪さんも、誰か良い人はいないのかしら?」
「そうね。深雪は言うまでも無いでしょうけど、達也も高校に入ってから随分と人気があるじゃないの」
真夜も深夜も形式上二人に聞いているが、目線から達也に聞いているのは明らかだ。
「今のところ、私にそのような男性はいません」
通常であれば将輝に合掌するところではあるが、今はそれどころではなかった。
「そうですか……それじゃあ達也さんはどうですか?」
真夜たちだけでなく、横や後ろからも視線が注がれている。完全に逃げ道が塞がれてしまった。
「……俺も特には」
「そうですか? 千葉の令嬢とはすごく仲が良さそうですが」
「誤魔化すのは良くないわよ」
母親にこんなことを言われれば誤魔化したくもなる。達也にもそれくらいの羞恥心はあるのだ。
だが、不意に、深夜の表情が真剣なものに変わった。
「達也、貴方も気づいているのでしょう?」
「……」
達也もエリカの気持ちには気づいているし、自分がエリカのことを特別に感じていることも自覚している。深夜がどちらのことを言っているのか分からないが、どちらであっても答えは同じなのだ。
「俺に恋愛はできませんよ」
「そんなこと無いわ。貴方はあの娘のことを大事に想っているんでしょう?」
達也の逃げ口上を深夜は正面から却下した。
「私が言えた義理ではないけれど、貴方には幸せになってほしいのよ。一度くらい素直になってみなさい」
深夜が達也に魔法を掛けたのは二度。
一度目は人造魔法師実験による、激情の消去と人工魔法演算領域の植え付け。
これは力の暴走を恐れた分家からの、直接の手出しを避けるために行われたもの。
二度目は『誓約』による深雪との繋がり。
こちらは沖縄戦で達也が『
人造魔法師実験については仕方のないことだと納得している。当時の分家からは「達也を処分すべき」「感情すべてを消去すべき」といった意見も出ていたそうだ。
現状にコンプレックスを感じないとは言わないが、深夜たちが達也のために精一杯やった結果だと感謝すらしている。
『誓約』については完全に達也の自業自得である。ただ、あの魔法を使わなければさらに被害は甚大だっただろうし、あの場には黒羽の姉弟や風間少佐(当時は大尉)もいたのだ。『質量爆散』を使ったことの後悔はない。
むしろ深雪の魔法領域を半分も占有しているのが申し訳ないくらいだ。
そんな事情から、深夜が気に病むことは無いはずなのだが、当人はそうは思えていなかったようだ。
先ほどまで面白がっていた真夜からも、真剣な声が掛けられた。
「達也さん、私も姉さんと同じよ。今まで沢山苦労を掛けたんだから、少しくらい我儘を聞かせてちょうだい」
二人の言葉に、達也はふぅと息を吐いた。
「それでは一つだけ、お願いがあります」
「なにかしら?」
「千葉エリカ嬢に、四葉との関係を話してもよろしいでしょうか」
「やっぱりそのことね」
「もちろんいいですよ」
予想よりあっさりとした二人に達也の方が驚いてしまった。
「……良いんですか?」
「当然でしょう? 生まれて初めての達也の我儘ですもの」
そう口にする深夜は本当に嬉しそうだった。