西暦二○九六年四月六日、新年度の初日。
達也は駅でエリカたちと合流してから学校へと向かっていた。新学期初日ということで深雪たち一科生のメンバーもおり、かなりの大所帯となっていた。
「幹比古、一科生の制服の着心地はどうだ?」
「からかわないでよ。達也の方こそ、真新しいブレザーの着心地はどうだい?」
「新しいといっても今のところは看板だけだからな」
進級に伴い、幹比古は一科生に、達也と美月は魔法工学科へと転科したため、この三人は去年までとは違う制服を身に着けている。
「何だよ、冷めてるなぁ」
「ホ~ント。美月なんか頬が緩みっぱなしだっていうのに」
「ゆ……緩んでなんかないよ!」
美月がムキになって抗議する。彼女としては二科生のままの友人たちに気を遣っていたつもりなのだが、その顔はエリカが指摘した通り嬉しさを隠しきれてなかった。
「無理しなくていいのに」
そして、いつもの調子を取り戻したエリカの浮かべている人の悪い笑みを見る限り、美月の気配りは無用な気遣いに違いなかった。
「達也くんったら、いくら似合ってるって言っても大した返事くれないんだもん。褒め甲斐が無いわ」
「達也さん、エリカの言う通りですよ」
「うん、達也さんはもっと喜んで良いと思う」
女性陣からの責めるような視線に達也がたじろいでいると、美月がふと気づいたという風に問いかけた。
「エリカちゃんは達也さんの制服、先に見てたの?」
「あっ」
エリカが「やばっ」という表情で助けを求めてきたが、達也が話題を逸らすより、ほのかが口を開く方が一瞬早かった。
「達也さんに着てもらってたんだね」
周囲からの揶揄いの視線に、エリカは渋々それに答えた。
「……悪かったわね」
「そんなことないよ、いつ見せてもらったの?」
「……昨日」
「昨日ってことは、パーティーの前?」
「……そうよ」
「それでどうだったの?」
「どうって……別に普通よ。達也くん全然浮かれてくれないし」
「でも似合ってたんでしょ?」
「いやまあ似合ってたけどさ……」
「エリカのことだからものすごくはしゃいでそう」
「ツーショットとかも撮ったんじゃない?」
雫のこの一言で、エリカの羞恥心が限界に達した。
「~~っ、撮ったわよ、悪い!?」
「エリカちゃん、やっぱり乙女だよね」
そんなやり取りの傍ら、達也は深雪に向けられた悪意を感知していた。今はガーディアンではないのだが、三年間の習性は中々抜けるものではない。
達也が感じたのは、明確な敵意でもなければ、好意的でもない、深雪に向けられるには珍しい種類の視線。それが異性の、少年のものならなおさらだった。
(あれは確か……七宝家の長男)
見覚えのある少年の顔をチラリと見た達也。それに気づいたのか、琢磨は顔を背けて店の間の路地へ消えていった。
「達也さん、どうしますか?」
水波の問いかけに友人たちを見ると、ガーディアンである水波は当然として、エリカやレオ、幹比古も気づいたようだ。
「いや、今はまだ何もしなくて良い」
達也が首を横に振ると、四人も納得した。その内二人は残念そうな顔をしていたが、達也はそれを黙殺して足を進めた。
◆
達也のクラスは魔法工学科のE組。美月も同じE組で、エリカとレオは同じF組だった。
E組の教室に入ると、既に席の半数が埋まっていた。達也は自分の席へ向かった。廊下側一列目、前から二番目。隣の席は昨年度に引き続いて美月。五十音順で「シバ」と「シバタ」だから意外でも不思議でも無い。
「美月は今年も達也くんのお隣かぁ。あたしもクラス替えを志望すれば良かったかな」
いっぱいに開けた窓のレールに両肘をついたエリカが、あながち冗談でもない口調で呟いた。
「必要無いだろ。隣のクラスなんだし」
「そうだな。クラスが別でも不都合は無い。他のクラスは立ち入り禁止、というわけでもないからな」
「だからエリカちゃんも拗ねないで」
「拗ねてないわよ」
美月のセリフにエリカはすぐさま答えたが、その声音は少し残念そうだ。
「それにしても……見覚えない顔が結構いるね」
その気持ちを振り払うかのように、エリカは教室の中を見回した。表向き社交的なエリカは、同学年の二科生一〇〇人の顔と名前を殆ど記憶している。つまり、彼女が言う「見覚えの無い顔」は、元一科生という事だ。
「ああ、そう言やぁ……少し意外に感じるぜ」
「そうか? 一科生でも特に不思議ではない気がするが」
達也が首を傾げていると、一人の女子生徒が声を掛けてきた。
「あの、司波君、ちょっといい?」
「平河さんか、どうかしたのか?」
平河千秋──去年の九校戦でエンジニアをしていた平河小春の妹、論文コンペではハッキングツールを持っていたところをエリカたちに拘束されたのだ。
「今年は同じクラスだね……えっとそれで、改めて去年は色々とゴメンなさい」
「気にするな。それよりも、平川さんも転科を希望したのか」
「あ、うん。私も魔工技師志望だから」
千秋がオドオドしているのは、エリカがこの場にいるからだった。逃走しようとしたところ背後から取り押さえられ、その後に猛烈な怒りに晒されたのだ。苦手意識を持っていても仕方ないだろう。
「あたしももう気にしてないから、そんなに怯えなくて大丈夫よ」
「そ、そう? ……それじゃあ千葉さんも、改めてよろしく」
「ええ、よろしくね」
話がひと段落するのを待っていたのか、エリカたちの表情が和らいだことを確認してか、真後ろから達也に声がかけられた。
「ちょっと良いかい? ちゃんと挨拶するのは初めてだよね? 僕は十三束鋼。よろしく、司波君。それから柴田さんと平河さんも、これからよろしくね」
「そうだな、名前は知っているが実質的には『はじめまして』か。司波達也だ、よろしく、十三束」
「十三束君、はじめまして。柴田美月です。よろしくお願いします」
「平河千秋です。よろしくお願いします」
十三束の人懐っこい笑顔に、彼がこの教室にいる事に驚いていた残りのメンバーも、漸く硬直から抜け出した。
「意外……学年総合五位の十三束君が工学科に来てたなんて」
「千葉さんだよね? 同じ百家の千葉さんなら知ってると思うけど、僕の家は戦闘やレスキューよりこっちが本領だし、僕は……実技に問題があるからね」
別に十三束に宛てた言葉では無かったが、十三束はエリカへ顔を向けて少し苦い笑顔で答えた。
彼に付けられた『レンジ・ゼロ』という異名は、ゼロ距離なら無類の強さを発揮するという敬称であると同時に、遠隔魔法が使えないという蔑称でもある。
実際は全く使えない訳じゃないのだが、遠距離照準を苦手にしているのは紛れもない事実。返す言葉が見つからず目を泳がせているエリカに、達也が隣から助け船を出した。
「誰でも得手不得手はあるものだ」
「達也が言うと説得力有んなぁ」
達也のセリフに、しみじみとした声でレオが合いの手を入れた。その結果、十三束の「苦い笑い」が「苦笑い」に変わった。
「十三束君、発見!」
「明智さん!?」
明るい声が二年E組の教室に飛び込んできた。慌てて振り返る十三束と、ゆっくりと振り返る達也の視線の先、教室後ろの入り口からバタバタと駆け寄って来たのはエイミィこと明智英美だった。
「そう言えば十三束とエイミィは去年同じクラスだったな」
「そうだよ。でもまさか十三束君が魔工科に行っちゃうとは思わなかったよぉ」
「明智さんは僕が実技を苦手にしてるのは知ってたでしょ」
「でもやっぱり寂しいじゃない」
英美は十三束と達也へ挨拶を交わし、初対面のエリカと美月、レオへは自己紹介をする。その後は鋼に絡んでおり、HRの時間直前に自身の教室へ戻っていった。
HRの時間になりジェニファー・スミスという女性の教師が教室にやってきた。昨年度までは魔法大学の講師だったらしく、立場的には廿楽と同じだ。わざわざ大学から高校に異動になるとは、スミス先生はどのような問題児であるのか。
USNAから帰化したという特殊な経歴も相まって、そんな失礼なことを考えながら、スミス先生の説明に耳を傾けていた。
◇◇◇
新学期初日とはいえ、始業式のようなイベントがあるわけではない。一時限目こそ履修科目の登録に当てられたが、二時限目からは通常どおりのカリキュラムが始まる。
そして今は昼休み。
「ねぇ達也くん、朝の視線って誰なの?」
「あ、俺も気になってたんだよ」
達也、エリカ、美月、ほのか、レオの五人は、食堂に来ていた。皆が食べ終えた頃、エリカが達也へ問いかけ、レオもそれに続いた。
「エリカちゃん、朝の視線って?」
「朝登校してるときに、こっちを見る視線があったのよ。なんかいや~な感じの」
「そうなの? 全然気づかなかった……」
驚いているのは美月だけではなく、ほのかも同じだった。
「あれは七宝琢磨、今年の新入生総代だ」
「え、あれが?」
エリカの顔には「ちょっとチョロ過ぎない?」と書かれていた。だが、エリカたちの基準が異常なだけで、新入生ならあれくらいが普通だろう。
「視線は深雪に向いていたから、大方去年の新入生総代ということでライバル視されているんだろう」
「ライバル視、ですか?」
「これは推測だが……七宝は自分の力を認めさせたいという自己顕示欲が人一倍強いんじゃないか?だから自分の邪魔になりそうな相手を警戒していた、という感じかもしれないな」
「なるほど、そういうことだったんですね」
達也の推測に、美月は大きく頷いた。
「じゃあさ、達也くんも目の敵にされるんじゃない?」
「俺が? 何故?」
達也は心底不思議だったのだが、四人からは呆れた視線が突き刺さった。
「達也くん、去年の九校戦を忘れたの?」
「いや、忘れてはないが……」
「達也くんの担当した選手のほとんどが優勝したじゃない」
「あれは選手に恵まれていたからで……」
「私が使った飛行魔法は達也さんじゃなきゃダメでしたよ」
「それによ、代役で出たモノリス・コードの優勝もあるんだぜ」
「達也さん、謙遜しすぎるのも良くないですよ」
「……そうだな、気をつけることにする」
流石に四対一では分が悪かったので、達也は早々に白旗を上げた。
◆
それと同時刻、生徒会室ではあずさ、花音、五十里、深雪、水波、雫、幹比古の顔ぶれによる新年度会的なノリの昼食会が開催されていた。
雫は昨年度末に教職員推薦枠で風紀委員に選ばれおり、幹部との顔合わせの意味合いが強い。
幹比古は去年の秋には風紀委員だったが、委員会の事務作業を実質一人で担っているため、新年度の方針を聞かせるため花音に呼ばれていた。
「そういえば私たちも、まだ今年の新入生総代に直接会ったこと無いですね」
「新入生側の準備は学校側の主導で行われているからね」
深雪の発言に対して、五十里が説明する。
「中条さんは顔を合わせているんだよね?」
「七宝くんですか? そうですね……やる気がある子に見えましたよ」
悪い先入観を与えたくなかったのだろう。当たり障りのない言葉を選んだあずさだったが、
「野心家ってことね」
身も蓋もない表現で言い換えた花音に曖昧な苦笑いを浮かべたところを見ると、あずさも花音と同意見であるようだった。
◇◇◇
深雪たちと七宝家長男の初顔合わせは、お世辞にも友好的とは言いがたいものだった。
「紹介します。今年度の新入生総代を務めてくれる七宝琢磨くんです」
放課後の生徒会室。
既に顔を揃えていた役員一同──五十里、深雪、水波──にあずさから紹介されて、七宝琢磨はペコリと一礼した。その態度は新入生としてまずまず尋常なものだったが、その印象は五十里に続いて、
「副会長の司波深雪です。よろしくね、七宝君」
深雪が自己紹介したところで一変した。
「七宝、琢磨です。よろしくお願いします」
不自然に苗字を強調した言い方だったが、言葉遣いはまだ許容範囲だった。ただ、深雪を見る琢磨の瞳には敵対心が見え隠れしており、あまり礼儀正しい態度とは言えない。
「……七宝くん?」
あずさの声にハッとした表情をした後で、琢磨はばつの悪そうな愛想笑いを浮かべた。
「すみません。司波先輩の活躍は去年の九校戦で拝見していたものですから」
琢磨の言い訳にあずさは「…なるほど」と頷いた。
「司波さんは一高のエースですからね」
「そうでしたか。司波先輩、改めてよろしくお願いします」
あずさが納得した様子を見せたことに、琢磨は胸を撫で下ろす。それを誤魔化すかのように二度目の挨拶をする。
あずさも深雪も、琢磨の態度に思うところはあれど、表面上はにこやかにスルーした。
だがそれは、水波にとって見過ごすことのできないものだった。自身の主に向けられた不敬な態度。この新入生の目は、水波が敵と判断するに足りるものだった。
琢磨は挨拶を続けるべく次の相手へ身体の向きを変えた。
「生徒会書記の桜井水波と申します。よろしくお見知りおきくださいませ」
一礼する水波の態度は申し分なく丁寧なものだったが、何処か営業スマイル的な空々しさが見え隠れしていた。
「中条会長、自己紹介も済んだことですし、入学式の打ち合わせに進みませんか?」
そして琢磨の返事を待つことなく、あずさに進行を求めた。
「えっと……そうですね、では当日の新入生答辞の打ち合わせを始めましょう」
あずさは、琢磨が水波へ挨拶をしていないことを指摘するか迷った。だが、自身を見つめる水波がそれを拒んでいたため、先に進むことを選択した。
その後、生徒会室には気まずい雰囲気が漂っていたが、深雪が水波を宥め、五十里が場を回すことで、どうにか打ち合わせが終了したのだった。
◆
「なるほど、それで水波は落ち込んでいるのか」
達也は帰宅してから、深雪から電話を受けていた。
『申し訳ありません、深雪様に向けられた視線についカッとなってしまい……』
『大丈夫よ、五十里先輩もフォローしてくれたじゃない。それにあれは七宝君の態度が良くなかったのだから』
シュンとしている水波を深雪が宥めている。
「深雪、そこまでおかしな態度だったのか?」
『ええ。七宝くんの視線は単純に敵意を向けたものではなかったように思います。もっとベクトルのはっきりした、敵対的な意思を秘めていたように感じられました』
「なるほど……水波はどう思う?」
『……敵に対して精神的優位に立つために無理矢理自分の方が格上だと思い込む、そんな余裕のなさが見え隠れしていたように思えました』
水波の返事が一拍空いたのは、琢磨への苛立ちを押さえるのに必要だったからだ。
「俺も彼の為人を知っているわけではないが……七草家への対抗心から、七宝家は師補十八家の中でもとりわけ十師族の地位に執着が強いと言われているから注意が必要かもしれない」
七草家と七宝家の確執は深雪も知っていたが、十師族の地位に対しての云々は初耳だったようで、興味深げな表情を浮かべている。
「おそらく七宝は自己顕示欲が人一倍強いのだと思う。自分が十師族に相応しい力を持っていると示すために、邪魔になりそうな相手には攻撃的な態度を取ってしまうのではないかな」
『わたしたちは別に七宝君の邪魔などしておりませんが?』
「周りに認められたい人にとっては、既に認められている人間が邪魔なんだよ」
苦笑しながら告げられた達也の言葉に、深雪は大きく頷いた。
『それでは私や水波ちゃんもそうですけど、兄さんも気をつけてくださいね』
深雪だけでなく、隣にいる水波からも同じ視線が向けられた。今日二度目の言葉に達也の笑みに苦みが増したが、すぐに気持ちを切り替えた。
「それと可能性は低いが、もう一つ考えられるのは、俺たちが十師族の関係者だと知って敵視している可能性だ」
『わたしたちを四葉の関係者と?』
「七宝家に四葉の情報統制を突破できる力があるとは思えないが……去年の総代というだけでは説明がつかない気がするからな」
『そうですか……相手は十八家の一つ、注意はしておいた方が良いかも知れません。ありがとうございます』
十師族絡みで敵愾心を向けられている、というところまでは正解だが、四葉との関係を疑われているのは全くの勘違いだった。
四葉ではなく、七草との関係を疑われているとは、達也も深雪も思い至らなかった。四葉と七草の微妙な関係を忘れたことのない二人にとって、七草の一派として見られているなど、思いもよらぬことだった。