四月二十四日、火曜日。
本番前日の放課後、放射線実験室で最終リハーサルが行われた。
「じゃあ始めよう。深雪」
「はい」
「香澄、泉美」
「「第四態相転移、行きます」」
「ほのか、水波」
「ガンマ線フィルター、有効です」
「中性子バリア、固定しました」
彼女たちの申告のみに頼らず、達也は自分の「眼」で実験のステップがクリアされていくのを確認する。
「深雪」
「焦点を設定しました」
達也がもう一度深雪の名を呼び、全ての準備が整った事を深雪が告げる。
「五十里先輩」
「電磁的斥力中和、スタート」
そうして最後の安全弁が解除され、計器前に陣取るメンバーからチェックの声が飛び交う。その声を聞きながら、達也は己が夢の第一歩を冷静に見つめていた。
◆
最終リハーサルは順調に終了した。これが単なる実験ならば、今日で完了となる満足のいく結果が得られた。
だが今回の実験は反魔法主義者に対するデモンストレーションとして行うものだ。本番は明日、メンバーは心に期すものを秘めて実験室を後にした。
「お帰り」
「あ、おかえり~」
生徒会室に戻って来た達也たちを出迎えたのは雫とエリカだ。
雫は生徒会役員ではないのだが、直通階段を使って偶に生徒会室に遊びに来ている。エリカに至っては完全な部外者であるが、今日が何の日かを考えれば、ここにいても不思議ではない。
「待たせちゃってごめんなさいね、雫。助かったわ」
「特に何もなかったよ」
労いの言葉を掛ける深雪に「気にしないで」と首を振り、異常がなかったことを言葉で告げた。
「達也さん。これ、私とほのかから誕生日プレゼント」
雫はきれいにラッピングされた小箱を差し出した。達也が横に目を向けると、ほのかも笑みを返してきた。
「二人とも、ありがとう」
「いえ、どういたしまして」
達也に笑顔を向けられ、二人ともはにかんだ笑みに変わった。
「エリカは何をあげたの?」
すかさずエリカに話を振ったのは、必要のない照れ隠しか。
「達也くん、今出せる?」
「少し待ってくれ」
エリカの要望を受けた達也が、ネクタイを緩めて第一、第二ボタンを外す。
胸元に手を入れて出てきたのは、
「クローバーのネックレス?」
四葉のクローバーのネックレス。
「そうそう、一緒に買いに行ったときにビビッて来てさ。衝動買いってやつ?」
ビビッと来た理由が分かるのは、達也に深雪、それに水波くらいだろう。現に深雪と水波は若干呆れた表情を浮かべている。
「エリカ、あれだけ悩んでいたのにそんな理由で決めたの?」
「あーうん。なんか実際買うってなったら気にならなくなっちゃって」
「まあエリカが良いならそれでいいのだけれど」
深雪は仕方ないわねとばかりにため息を吐いた。
「それでね達也くん、今度の日曜日、雫が誕生日パーティー開きたいんだって」
エリカの脈絡の無さはいつものことだ。達也もこの一年ですっかり慣れていたので、気にせずに雫へと視線を向ける。
「いいのか?」
「うん、ちょっと遅めになっちゃうけど」
「いや、十分ありがたい。時間は?」
「夕方、六時頃」
「……大丈夫だ」
日曜日はFLT第三課で開発会議があるが、午後六時なら十分戻ってこられる。本社ならともかく第三課なら、予定外に長引いて拘束されることもない。
「会場は家で良いかな?」
「ああ。ありがたくお邪魔させてもらうよ」
達也が頷くと、雫も小さく頷き返した。無表情に見えるが、その口元がほんの少しだけ綻んでいる。
「深雪と水波も一緒にどう?」
「ええ、大丈夫よ」
「お邪魔させていただきます」
にこやかに答える深雪と控えめな態度で答える水波。話が終わったのを見て、エリカが座っていたテーブルからひょいと降りた。
「それじゃあ達也くん、帰ろっか」
「そうだな」
この後は深雪の自宅で誕生日パーティーをすることになっている。今は穂波が腕を振るっている頃だろう。
ちなみに、平日ということもあり、水波からは大量の手作り弁当を渡され、お昼休みにいつものメンバー(主に達也とレオ)で食べきった。
「エリカ、私たちも駅までご一緒してもいいかしら?」
「もちろん良いわよ、水波も行きましょ」
「はい、それでは雫さんにほのかさん、香澄さんと泉美さんも。お先に失礼します」
四人は談笑しながら生徒会室を出ていった。その様子を香澄と泉美はボウっと見ていた。
「あのお二人がお付き合いしているのは知っていましたが……」
「うん、なんていうか……」
「想像よりラブラブだった?」
二人は言葉を濁したが、雫ははっきりと口にした。
「えっと、そうですね……初めて会った時も思いましたけど、エリカ先輩、すごく可愛かったです」
「確かに、あの表情は凛々しいというよりも可愛らしいですね」
意外感の拭えていない双子に、ほのかがクスクスと笑う。
「意外かもしれないけど、エリカはいつもあんな感じだよ」
「そうなのですか?」
「ええ、エリカは達也さんの事が大好きだから」
「あれは恋する戦乙女」
ほのかの言葉に納得の表情を浮かべていたが、雫のボケか本音か分からないセリフ──おそらく半分以上は本音だろう──に、ほのかを含めた三人は小さく吹き出すのだった。
◇◇◇
~恒星炉実験の内容は省略~
「おい、見ろよ達也。このインタビュー、またやってるぜ」
恒星炉実験の翌日、四月二十六日。
昼休みの食堂にて。早くに食べ終えていたレオが、壁面ディスプレイに表示されたプッシュ型の動画ニュースを指差す。
「ローゼン家の方が日本のニュースに出演するなんて珍しいですね」
「ローゼンの本家の人が日本へ赴任してきた事もそうだし、何か大きな方針変更があったのかもしれない」
ほのかの率直な感想に雫が私見を加える。
十六面に分割された大型壁面ディスプレイは、そのうちの四面を使ってローゼン・マギクラフト日本支社長、エルンスト・ローゼンのインタビューを流している。画面の中のエルンスト・ローゼンは流ちょうな日本語を操りキャスターの質問に答えていた。
『──高校生があれほど高度な魔法技術を操るとは予想外です。日本の技術水準の高さには驚かされました』
「絶賛されてるぜ?」
「………」
楽しそうなレオとは対照的に、エリカはらしくもなく沈黙を守っている。
『第一高校の生徒が成功させた昨日の実験は、魔法が人類社会に更なる繁栄をもたらす技術となり得る可能性を見せてくれました』
「すごいね。人類社会の繁栄だって」
「皆が頑張ってくれたからだ」
裏も表も無い雫の称賛に、達也は当たり障りの無い答えを返した。
「うん、ほのかも深雪も凄かった」
「わ、私は別に……」
雫とほのかの間で始まったじゃれあいを眺めながら、達也は「ローゼンは一体何を狙っているのだろう」という疑問と「高校生の素性を伏せる程度の良識はあったんだな」という意外感を覚えていた。
◆
昼食を食べ終えて食堂をあとにした達也は、用があるからと教室に向かうエリカたちと別れた。
向かった先は実験棟の空き教室。教室に入ってしばらく待つと、ドアが開き一人の男子生徒が入ってきた。
「何か用か、幹比古?」
「……話が早いのは助かるけど、少し鋭すぎないかい?」
「あれだけチラチラと見られていればな。それで、俺に何かあるのか?」
明らかに様子のおかしいエリカと、その様子をチラチラと気遣わしげに見ていた幹比古。
そんな幹比古から何か言いたげな視線が向けられていれば嫌でも気がつく。
「うん……あんまり大勢に聞かせる話じゃなくて」
「分かった。他言は控えよう」
躊躇と迷いで硬くなっていた幹比古の表情が、達也の言葉に少し緩んだ。
「さっきのニュースについてなんだけど」
「さっきのと言うと、ローゼンの新支社長か?」
「うん、新支社長のエルンスト・ローゼン……彼は、エリカのお母さんの従弟に当たる人物なんだ」
「…エリカの母君はローゼンの縁者だったのか」
達也の言葉に、幹比古は小さく、だが見間違えようもなく頷いた。
「あんまり驚いてないね」
「驚いてるぞ。まさかそんな繋がりがあったとは思わなかったな」
「いやそこじゃないんだけど……まあいいや、エリカのお母さんのお父さんが日本人女性と駆け落ちしたらしくて」
「駆け落ちとはまた古風だな」
「まぁね……親族の反対を振り切って日本に逃げてきたから、ローゼン本家とは絶縁状態なんだ。お祖母さん──エリカのお母さんのお母さんの御実家も二人の関係を快く思わなかったみたいで、エリカのお母さんは相当苦労したそうだよ」
「気の毒な話だが、それで?」
不幸な家庭事情だとは思うが、エリカに同情させることが幹比古の目的ではないと判断し、早く本題に入るように促した。
「……この一件以来、ローゼン本家は日本に良い印象を持ってなくてね。商売上日本に拠点を置いていても、本家の人間が支社に籍を置く事は無かったんだ」
「そういえば、そうだな」
「僕の考え過ぎかもしれないけど……エルンスト・ローゼンの来日は、エリカと無関係じゃない気がする」
「それで、俺にどうしろと?」
「具体的に何かをしてほしいわけじゃない、ただ気にかけておいてほしかったんだ」
幹比古は大げさに肩を竦める。
「今だから正直に言えるけど、エリカが僕を達也のところに連れていった時、どうしようもなく嫌だったんだ。僕が一年も悩んでいるのに同級生に解決できるわけない、余計なお世話だって」
「俺も今だから言うが、あまり隠せてはいなかったぞ」
「そうだったんだ、ごめん……えっとそれで、僕はそのおかげで助けられたし、その分の恩はしっかり返したいと思ってるんだ」
「なるほどな」
お節介なのはわかっているけどね、と付け加えた幹比古。そして、少し言い辛そうに再度口を開いた。
「……それと、僕一人が抱え込むには重すぎるから、達也を巻き込んでおきたかったのも少なからずある」
「酷い話だ」
自嘲気味なセリフに、達也は率直な感想を返した。だが、言葉に反して非難する色合いは持ってないように感じられた。
「まぁ覚えておくさ。俺にも無関係じゃ済まなそうだしな」
「うん、ありがとう」
会話の終了と同時に、授業開始五分前の予鈴が鳴った。
◇◇◇
恒星炉実験に対する思いがけない好意的報道の数々は、一高生の心を高揚させた。しかしそこには、当然というべきか例外がいた。
本日最後の授業が終了した直後。
一年A組の教室で、琢磨の耳に何度目かも分からない不愉快なお喋りが飛び込んできた。琢磨は苛立ちを隠そうともせずに立ち上がった。
琢磨が放つ剣呑な波動に、お喋りをしていた女子生徒が口を噤んだ。彼の態度はクラスの雰囲気から浮いていた。世界的有名企業の幹部から高い評価を受けた事に、我が事のような興奮を覚えている生徒が殆ど、というか彼以外の全員だった。
逃げ去るように教室から出て行った琢磨だったが、クラブ活動中もモヤモヤとした気分は消えなかった。集中力を欠いていた所為で何度も失敗して、余計にフラストレーションを募らせる。
下校の時、琢磨の苛立ちは最高潮に達していた。
新入生勧誘期間も終わり、香澄は一人で校内を巡回していたところ、校門付近で声を掛けられた。
「あら、香澄じゃない。風紀委員の巡回?」
「あっ、エリカ先輩……はい、今日は私の当番だったので。先輩は待ち合わせですか?」
「そうよ。今日はちょっと寄り道することになったからね」
「そうなんですね」
香澄は本部に戻る途中だったのでこのままお喋りを続けてもいいものかと悩んだが、少しだけならとこの場に残ることにした。
「先輩は部活に入ってないんですか?」
「一応テニス部には入ってるわよ。ちょくちょく休んでるけどね」
「剣道部とか剣術部じゃないんですか?」
「家でも稽古はできるからね。学校では遊びたかったのよ」
香澄が「なるほど」と頷いていると、目の端に琢磨が歩いているのが見えた。おそらくこれから帰るところなのだろう。特に興味も無かったのでエリカに意識を戻すと、不機嫌さを丸出しにした声が掛けられた。
「上手くやったもんだな、七草」
「……何の事?」
香澄が訝しげに問いかけたのは演技では無かった。隣ではエリカも眉を顰めている。
だが一昨日の晩、父親に釘を刺されてからずっとストレスを積み重ねてきた琢磨の目には、香澄が惚けていると映った。誤解のまま、琢磨は香澄に苛立ちをぶつける。
「昨日の公開実験の事さ。ローゼンの支社長にまで注目されるなんて凄いじゃないか」
「公開実験? 七宝、アンタ何か勘違いしてない?」
香澄は決して穏和な性格の少女ではない。むしろ喧嘩っ早いと言って良い。今も隣にエリカがいるにも拘わらず、正面から琢磨を睨み返している。
「惚けるなよ。魔法師を目の敵にしている国会議員がやってくる事を知って、昨日の事を仕組んだんだろ? 司波先輩を利用して、上手く名前を売ったものだぜ」
「利用ですって? 変な言いがかりをつけないで」
香澄の反論は、少し歯切れの悪いものとなった。それは神田議員の来校を予め知っていたという琢磨の指摘が的を射たものだったからだが、琢磨はそれを自分の推理がすべて正しい証だと判断した。
「迂闊だったよ。あの人、この学校だけじゃなく魔法科九校の間でちょっとした有名人だったんだな。さすがは七草、抜け目がない。姉に続いて色仕掛けで誑し込んだのか? お前たち姉妹、見てくれだけは一流だからな」
「ふざけるな!」
香澄がいきなり爆発し、琢磨はその剣幕に呑まれ絶句した。しかし香澄が逆上したのは一瞬だけだった。
「誑し込むとか、七宝の考える事は随分下品なんだね。色仕掛けなんて、私たち七草には考えもつかないよ。アンタこそ、見た目は可愛いんだしやってみたら? もっとも、今時色ボケ芸能人くらいにしか通じないと思うけど」
「……喧嘩を売っているのか、七草」
「先に喧嘩を売ってきたのは七宝、アンタの方よ。それに言わなかったっけ?二度と喧嘩を売ろうなんて気が起こらないくらい、安く買い叩いてあげるって」
睨み合う琢磨と香澄。二人の右手は、左の袖口に掛かっている。二人が使用するCADは、共にブレスレットタイプ。二人は既に、一触即発のラインを踏み越えていた。
「あんたたちさぁ、いい加減に学習しなさいよ」
だが、二人がまさにCADを操作しようとした瞬間、制止の声が掛かった。
「エ、エリカ先輩……」
エリカの声音からは、呆れのほかに香澄たちを咎めていることが読みとれた。
「香澄、アンタは風紀委員の自覚が無さすぎ。そんな簡単に魔法を使おうとするなんて、一体何考えてるの?」
「は、はい……」
「あたしが止めなかったらこれで二度目。風紀委員は特に罰則厳しいんだし、多分普通に退学よ?」
「……はい」
香澄は我に返って自分が何をしようとしていたか理解したようで、退学という言葉に顔を青くしている。
「それで、七宝だっけ? アンタが何をしたいのかよく分かんないんだけど、もうちょっと周りを見なさい」
「何だと!?」
一方の琢磨は頭に血が上っており、冷静とは程遠い状態だった。
「他所で問題を起こされても面倒だし、今日のうちに白黒つけた方が良いわね」
だがエリカは琢磨の癇癪に構わず、端末を操作している。
「模擬戦の許可なら取ってあげるから、ついて来なさい」
そう一言告げて、エリカは校舎に向けて足を進めた。