琢磨と香澄たちの模擬戦後。達也の自宅にはエリカがいた。
水波に胃袋をがっしりと掴まれているエリカ。達也の研究が忙しい時はその限りではないものの、大体二日に一度のペースで達也家を訪れ、夕飯を共にしている。
「エリカ、七宝と模擬戦をするのか?」
「あ、もう聞いたんだ」
「服部先輩からな。何か理由があったのか?」
争いごとに首を突っ込むことは好んでも、面倒事を引き受けるのは嫌いなエリカにしては珍しいことだった。
それに、成り行き次第では他人事では済まない可能性があるため、見て見ぬフリはできなかった。
「ん~、何かってわけじゃないんだけど、ちょっと気になるのよね……あっ、気になるって言っても、そういう意味じゃないわよ?」
「大丈夫だ、そこは疑ってない」
「ちぇ~、つまんないの」
茶々を軽く流されたエリカだったが、すぐに本題に戻った。
「アイツの態度自体っていうより、アイツの強気の理由が気になるのよね」
「確かに。生徒会入りを断り、七草に噛み付き、上級生を敵に回すことを厭わない。普通ならありえない行動だしな」
「去年の森崎とかも酷かったけど、一応理由があったじゃない? アイツは十師族になりたいって言ってるんだし、何も考えてないわけじゃないと思うのよね」
「何か考えがあっての行動だと?」
「うん、それが何かは分かんないんだけど」
「俺は詳しい話を知らないから何とも言えないが……その場には深雪たちもいたんだろう、二人にも話をしてみるか?」
「あー、深雪はやめた方がいいかも」
「何故?」
「深雪って言うか水波なんだけどさ、あの子深雪の事大好きでしょ?」
「……確かにやめておいた方がいいな」
「でしょ」
今回の模擬戦後にも、琢磨は深雪に噛みついていたらしい。初対面の事件も相まって、水波には相当苛立ちが溜まっているはずだ。
今は鬱憤晴らしにと、料理や掃除に勤しんでいることだろう。それを邪魔するのは気が引ける。
「だが、七宝の態度は気になる。少し調べてみる必要があるか……?」
「真夜さんたちにお願いするの?」
四葉の情報網を使うのか、というエリカの質問。それが妥当な手段ではあるのだが。
「いや」
達也は首を横に振った。
「こんなあやふやな話で本家の手を煩わせるのもな……仕方ない、しばらくは様子を見る以外にないか」
達也はそれ以外の対応を思い付かなかった。
目の前で起こっている荒事ならば一人で解決できるが、調べ物には時間と人手が必要なのだ。真田や藤林のようなハッキング技術があればその限りでもないが、達也のスキルでは無い物ねだりである。
達也はおとなしく諦めることにした。
そろそろ夕飯にするかと、達也が立ち上がろうとしたちょうどその時、電話のベルが鳴った。発信元を示すサインを見て、達也は訝しさに眉を顰めた。
「はい、司波です。どうかしましたか、藤林さん」
電話を掛けてきたのは藤林響子だった。
『こんばんは、達也くん。今、話せるかしら?』
「ええ、構いません」
そう答えながら、達也は側らへ目配せした。
『あっ、エリカちゃんも一緒に聞いてもらって大丈夫よ』
まさしく席を外すようにという合図だったが、藤林が先回りしてそれを引き止めた。
『実は、今日七宝家の長男が起こした騒動に関係した話なんだけど』
「ちょっと待って下さい……何故それをご存じなんですか? 九校戦の代表選出と違ってその件は非公開なんですが……まさか、情報員を潜り込ませているんですか?」
達也の問い掛けに、藤林は失笑を堪えているような表情を見せた。
『彼女にはボーナスを出さないといけないわね。達也くんに監視していることを気づかせなかったんだから』
「俺を監視していたんですか……」
『うーん、少し違うわ。貴方を監視していたんじゃなくて、貴方の周りの人物を監視していたのよ。貴方と深雪さん、それとエリカちゃんには直接耳目を向けないように指示していたのを忠実に守っていたんでしょうね。だから達也くんの知覚に引っ掛からなかったんじゃないかしら』
「何故……いえ、何でもありません」
達也の口からは「俺が戦略級魔法師だからですか?」というセリフが出掛かっていたが、隣にエリカがいることを思い出した。
「今回の事件、俺は関与していないのですが……」
その代わり、話の矛先を逸らした。
『一高内でのいざこざなら、いずれ達也くんも関わることになるでしょ?』
人をトラブルホイホイのように言わないでほしいが、隣でエリカも頷いているから反論するのは避けた。
「……それで、七宝のことで何か?」
『彼の後援者のこと知りたくないかな、と思って』
まさに今、達也たちが会話していた内容までも、盗聴していたようなセリフだった。
「……何故そう考えたんですか?」
しかし、いくら相手が藤林でも自宅に盗聴器を仕掛けられて気づかぬ程、達也は呆けていない。それにもし自宅の会話までも盗聴されていたとするならば、そのことを達也に悟らせるような不用意な真似を彼女や彼女の上官がするはずもなかった。
『私が気になったから』
この答えを額面通りに受け取るのは危険だろう。全くの嘘でもない代わりに、全くの本音でもないはずだ。
『それで、一緒に探ってみない? っていう提案なんだけど』
「具体的には、俺は何をすれば良いんですか」
『自宅の監視はこっちで引き受けるわ。達也くんには七宝君が後援者の所へ行くときについてきてほしいの』
「それはむしろこちらからお願いしたいくらいですが……何の為ですか?」
『私たちは縄張り的に、国内の事件には不干渉だからね。達也くんだったら学校の先輩が後輩のことを心配して、で済むでしょ?』
「分かりました。そういうことでしたらお引き受けします」
『動きがあったら連絡するわ。そういうことでエリカちゃん、その時は達也くんをお借りするわね』
毒気を抜かれた声でエリカが応諾するのを聞いて、藤林はウインクと共に電話を切った。
翌日の夜、達也は琢磨と真紀の二人が密会している最中に自宅を襲撃した。真紀に琢磨と縁を切ることと、高校生以下に手を出さないことを約束させた。
その際、正体不明の飛行船が真紀のマンションに接近していた。達也が自身の特殊な眼で飛行船を視ると、中には大陸系の顔立ちの男たちが武装していた。
達也は飛行船丸ごと照準に収めて魔法を発動し、飛行船は塵になって夜空に消えた。
◇◇◇
四月二十八日土曜日、午後三時。
今回審判を務める深雪と共にエリカと琢磨は第三演習室に現れた。
この場には生徒会から深雪、風紀委員会から沢木と幹比古、部活連から服部と十三束、桐原。桐原に至ってはいざという時の仲裁役ということで、木刀持参でCADの使用書付きだ。
というのも、この試合が少し特殊なルールで行われることになった為だ。
『ミリオン・エッジ』については使用制限なし。
『ミリオン・エッジ』に関しては、威力の大小に拘らず使用を止めることはしない。相手に過度の傷を与えるという結果が明らかになった時に限り、試合を中止にする。
フェアどころか、エリカにとってリスクが大きすぎるルールだ。だがこのルールを言い出したのはエリカ本人だった。
エリカと琢磨が距離をとって向かい合う。
琢磨は野外演習用のツナギ姿だが、エリカは制服姿のままで、右手には警棒が握られている。
「エリカ、今更だけどそれで直接殴ってはダメよ」
「分かってるわよ」
深雪はエリカの答えを聞いて、二人から等距離の場所に移動した。
「では、双方、構えて」
エリカは警棒の先を床に向けている。
琢磨は脇に抱えていた本をドスンと足元に落とした。
深雪が二人の顔を交互に見る。二人とも、同じように頷きを返した。壁際に下がった深雪が右手を頭上に挙げて、勢い良く振り下ろす。
「始め!」
深雪の掛け声と同時に琢磨の指がCADのコンソールの上を走る。
選んだ魔法は『
圧縮空気弾を飛ばすこの魔法は、フレキシブルな威力設定が可能であり、模擬戦においてポピュラーなものだ。
五つの空気弾がエリカに向けて発射される。
エリカが動いたのは三歩。
トントンと軽いステップで後ろに下がり空気弾を躱し、着弾の爆風に逆らわず大きく飛び退いただけ。爆風によって長いスカートがなびくが、エリカに全くダメージはない。
言葉にすれば簡単そうに聞こえるが、目にも留まらぬ速さで飛んでくる不可視の弾をあっさりと躱せる者が一体どれほどいるだろうか。
実際に、対面する琢磨は驚愕に顔を染めていた。二、三年生も驚いてはいたが、エリカの実力を考えれば納得だというように頷いている。
(なんだ今のは……!)
琢磨は動揺で棒立ちになっていたが、エリカは攻撃を仕掛けなかった。琢磨はそれを舐められていると判断し、怒りのままに魔法を発動した。
十を超える圧縮空気弾が次々と襲い掛かるが、エリカは一切慌てることが無い。今度は自己加速術式を発動させ、素早く滑らかに、まるですべての弾丸を予測しているかのように華麗な動きで躱していく。
「一昨日よりは良くなったが、まだ『エア・ブリット』の使い方が甘いな」
「そうだなぁ、あれじゃあ千葉に当てるなんてムリだろうぜ」
「才能があるのは良いが、やはり使い方を工夫しないのは問題だな」
「あいつは新入生だぜ。そこまで望むのは酷じゃねぇか」
「いや、育て方次第であいつは大きく伸びる。これくらいは大した要求じゃない」
桐原の口からは「実体験か、服部?」というセリフが喉まで出掛かっていたが、さすがに今は自重した。
「それにしても、千葉もようやるぜ。あれなら七宝も認めざるを得ない……もしかして、それが狙いだったのか?」
「いや、単に千葉さんの力量を見込んでのことだ。彼女の実力なら、七宝の鼻をへし折るには十分だと判断しただけだ」
「確かに十分すぎる強さだな」
服部と桐原の会話が聞こえたわけではないが、琢磨は「このままではいけない」と強く感じていた。魔法を編み上げる傍ら、足元の本に目を落とす。
自分が劣っているとは感じていない。自分が二科生如きに負けるはずがないし、切り札を使えば必ず勝てると確信している。ただ、二科生を相手にエースを切らなければならないとは、未だ琢磨には認められなかった。
一方のエリカは、もうこの試合に飽きていた。本音としてはさっさと終わらせたいのだが、それでは意味がない。琢磨の今後の為にもすぐに終わらせてはならない、全てを出させてから負けを認めさせる必要があるとエリカはわかっていた。
空気弾を躱しきったエリカは、試合開始時の位置に戻り動きを止めた。
「七宝、もったいぶってないで、さっさとしなさい」
「何だと!?」
「奥の手を使わなかったから負けた、なんて言わせないからね」
「くっ」
エリカの挑発的な言葉に、遂に琢磨も決断を下した。
立ったまま魔法を放っていた琢磨が片膝をついてしゃがみこみ、足元の本を開き、最初の数十ページを右手の指に挟み込む。そのページを琢磨はまとめて破り取った。いや、彼が力を加えたのと同時に紙吹雪と化した。
四ミリ四方の紙片の刃、総数およそ八万。
空中をうねりながら進む白い紙片の帯。それはさながら、雲上を這う四匹の蛇。その牙が狙うのは左右上腕、左右大腿。琢磨はまずエリカの両腕両足にダメージを与えて動きを封じるつもりだった。
(へぇ、一応加減もできてるじゃない)
煽るような戦い方をした自覚のあるエリカは、琢磨が未だに平静を保っていることに対し、素直に感心した。
これを喰らえば負けはするだろうが、通常ルールの範囲内に収まる怪我で済みそうだ。
(でも、それ以外は落第点ね)
エリカはそう評しながら迫りくる紙片をじっと見つめており、その場から動く気配がない。
紙片が密度を増し、流れる速度が急激に上がった。紙片の群れがエリカの手足にまとわりついてその皮膚を裂かんとする。
決まった、と琢磨は思った。通常であれば、あの距離から四本の紙片をかわせるはずもない。
しかしエリカは普通ではなかった。
(なっ───!?)
八万もの紙片は、エリカに届く前に刀の一振りによって吹き飛ばされた。
『サイオン・ブレード』
刀身に沿ってサイオンを纏わせ、魔法式を切り裂く対抗魔法。
通常の魔法力が低いエリカにとって、唯一の対抗魔法。達也の『
なお、その原因はレオにのみ特製CADを作ったことで、エリカが嫉妬した所為だったりする。
「これで終わり?」
「くそっ!」
切り札をいとも簡単に破られた琢磨は完全に頭に血が上っていた。
自身が発動できる最大数の『空気弾』を発動し、エリカの逃げた先に向けて『ミリオン・エッジ』を叩きこむ。
だが、それらがエリカに当たることは無かった。
二十に迫る『空気弾』は全て躱され、『ミリオン・エッジ』は刀の一閃で吹き飛ばされる。
(くそっ、当たらない……!)
攻撃を躱され続けた琢磨は肩で息をしているが、対するエリカはまだまだ余裕そうだ。
その余裕のある顔が、ふっと笑みを浮かべた──ように見えた。琢磨はそれを見て、今まで堪えていた一線を越してしまった。
ハードカバーに残っていた七十万を超える紙片、その全てがエリカに襲い掛かる。
(まずいっ!)
エリカに向かって押し寄せる紙片を見て、琢磨は自身の失策を呪った。特別ルールで許可されているとはいえ、この威力をまともに喰らえばその惨状は想像に難くない。
そしてその結果、自分が『ミリオン・エッジ』をコントロールできていなかったと証明されてしまう。
それは琢磨にとって、負けに等しい。
だが、そんなことは起こらなかった。
エリカはその場に立ち止まり、切っ先を下ろした。全身を弛緩させ、ふっと息を吐く。
迫りくる紙片をぐるりと見回し、それらが自身を覆う寸前、剣を振るった。
「──しぃっ!!」
パリンとガラスの砕けるような音が連鎖的に響く。
七十万もの紙片は空中で不可視の刃によって斬られ、パラパラと床に落ちた。
「は……?」
紙吹雪が舞うその光景を、琢磨は呆然と見つめていた。
全ての紙片が地面へと落ち、ページの全てが破られた本に目を落とすと、琢磨はがくっと膝から崩れ落ちた。
エリカは追撃することなく、審判である深雪へと視線を送る。深雪はチラリと琢磨を見遣ると、エリカへ頷きを返した。
「そこまで!」
深雪の宣言と共に、試合が終了した。