九校戦の競技種目変更通知から一夜明けた、七月三日火曜日。
達也が教室に入ると、既に登校していたE組の生徒たちから突撃を受けた。
「司波くん、昨日の生徒会からの発表って本当なの?」
「本当だ。新競技やペア制度の導入、今年は色々革新的な大会になりそうだ」
「やっぱりそうなんだ〜。だとしたら選手決まるの早すぎない? 変更の通達が来たのって昨日だよね?」
「変更する前提ではあったが、予め出場選手は決めてあったからな。昨日は掛け持ち選手の調整と、新競技の選手決めだけで済んだ」
「なるほどね〜。それって中条会長の発案でしょ?」
「よくわかったな」
「分かるって。会長そういうのしっかり準備してそうだし」
我が第一高校生徒会長・中条あずさ。去年の真由美のようなカリスマ性は無いものの、生来の慎重さから堅実な生徒会運営をしており、その親しみやすい容姿も相まって生徒からの評判は高い。
その後いくつか質問を終えて、彼女らは他クラスへ向かった。達也も自身の席へ向かう。
「おはようございます、達也さん」
「おはよう美月」
朝からクラスのテンション高い組からの質問攻めに遭ったからか、変わらない美月とのやり取りが染み入る。これが癒し系かと実感する。
席に着くと、教室のドアがガラッと音を立てて開く。聞き覚えのあり過ぎる開き方、音の主は達也の想像通りの人物だった。
「達也くんオハヨー」
「おはようエリカ、レオもおはよう」
「おう」
隣のクラスからやって来たエリカとレオは、美月とも挨拶を交わす。
「エリカ、生徒会からの通達は見たか?」
「見た見た。なんか色々変わってたわよね、あたしも出ることになってたし」
エリカはいつも通りの軽い口調だが、どことなく気が乗らない雰囲気を醸している。
「エリカちゃん、あんまり嬉しそうじゃない?」
それを口にしたのは美月だった。
「んー、まあ、嬉しくないわけじゃないんだけど、あれってあたしが女子だから選ばれたみたいなもんでしょ。なーんか喜ぶに喜べないのよね」
なるほど、と達也は思った。千葉の娘として色眼鏡で見られるのを嫌うエリカからすれば、今回の選出は不本意なものだろう。
「エリカちゃんの気持ちも分かるけど、それでも凄いことだよ。九校戦のルール自体を変えちゃうくらい、去年の活躍が凄かったってことなんだから」
「そうだな。男子の種目だったモノリス・コードに女子が出られるようになった、エリカの残した功績は間違いなく大きなものだ」
「それによ、エリカなら『女子だから出場できた』なんて文句言わせないくらいの活躍出来んだろ?」
「まあ、うん、その通りだし、そのつもりだけどさ……」
美月や達也だけでなく、レオからも真正面に褒められ、エリカもタジタジになる。
「ていうか! ルールを変えるって言うなら達也くんだってそうじゃない!」
「俺が?」
「そうよ。バトル・ボードが無くなったのって絶対達也くんの所為じゃない。去年なんてレースじゃなくてタイムアタックになってたし」
「あれは水波や服部先輩対策だろう。俺がどうとかじゃない」
「水波たちの所為もあるけど、それ以上に達也くんよ。競技変更に比べたら、あたしなんて大したことしてないわよ」
いつもより早口で捲し立てるエリカに達也たちも微笑ましくなる。
「そうだエリカ、今日の放課後空いてるか? モノリスの選手で一度顔合わせをしておきたいんだが」
本戦モノリス・コードの選手は四人。エリカ以外では三年生から服部と沢木、二年からは幹比古だ。幹比古はともかく、エリカは上級生二人との関わりが薄いので、本格的な練習が始まる前に一度顔を合わせておこうと服部から提案があった。
「いいけど、達也くんも来るんだよね?」
「ああ、俺も作戦スタッフとエンジニアだからな」
「あーそっか、エンジニアかぁ……」
「どうかしたか?」
「んー…なんでもない」
エリカの様子に疑問を持った達也だったが、追求はしなかった。
これにより、放課後達也は大きなショックを受けることになるが、今の彼はまだその事を知らない。
◆
アイス・ピラーズ・ブレイクの練習には、毎年演習林の奥にある五十メートルプールを使っている。今日はソロペアの組分けのため、選手やエンジニアたちが集まっていた。
そこに、モノリスの顔合わせを終えた服部、五十里、達也がやって来た。
この競技に必要なのは、縦横1 m、高さ2 m、重さ約1.83トンの氷柱、それが計24個。
去年までは試合開始の準備だけでかなりの時間を要していた。練習前に選手の体力を奪うわけにもいかず、補助に駆り出される生徒たちの疲労も大きかった。
しかし、今年は例年の四分の一以下まで時間短縮し、さらに補助生徒もいないという異例の事態が起きていた。
「服部先輩。氷柱の準備、完了しています」
その功労者である深雪は、一切の疲労を感じさせずに言う。
水柱をいっぺんに24本作り、それを一気に凍らせて氷柱を形成するという、並の魔法師ならやろうとも思わない離れ業。しかし、圧倒的な魔法力を持ち、なおかつ冷却系が得意な深雪にとっては「少し手間がかかる」くらいの感覚なのである。
「ありがとう司波さん、助かった。それじゃあ本戦男子から始めるか……おい司波、始めるぞ」
「はい」
服部の声により、心此処にあらずという様子の達也も、目の前の試合に意識を集中させる。
プールの両端に設置された
「それでは、始め!」
服部の合図でシグナルが点灯し、青に変色した。それと同時、プールの中で魔法が吹き荒れた。
今日集まったのは、アイス・ピラーズ・ブレイクのソロペアの組分けのため。参考にする試合も全て二対一で行われる。
人数が多い方が有利、ハンディキャップマッチ、一人の方は勝ち目がないじゃないかと思われがちだが、一概にそうとは言えない。
例えば花音の『地雷原』、例えば深雪の『
そうでない魔法だったとしても、魔法の作用領域の設定が甘ければ、ペアの魔法行使の邪魔になることもある。
様々な要因が噛み合ってこそ、ペアとしての有利が生きるのだ。
そんな中で、今日目立ったのは二人。
まずは深雪。その圧倒的な魔法力から繰り出される『
そしてもう一人が三七上ケリー。彼はモノリス・コードの候補にもなった優秀な選手だ。個々の魔法に関する知識が豊富で、一度見た魔法を把握し改変の結果同士が相殺する魔法を放つ特技を持っている。その特技により相手の攻撃を封殺、なおかつ攻撃を担う味方と魔法の作用領域が被らないよう上手く調整していた。
本戦男子は三七上がペア、本戦女子は深雪がソロ。二人を中心にすることで組分けが決定した。
新人戦は選手たちも荒削りな部分が多く、組分けが難しかったが、なんとか決めることができた。
「はぁ……」
役割が終わり、スイッチが切れた達也はため息をつく。そこに服部が声を掛ける。
「司波」
「はい」
「明日はロアガンの顔合わせがある。落ち込むのも分かるが、気持ちは切り替えていけ」
「分かっています」
「ならいい」
服部はそう言うとあずさのもとへ向かい、タブレットを開いて話しだした。帰ろうとした達也に、今度は深雪が声を掛けてきた。
「達也さん、何かあったのですか?」
深雪の後ろには雫もおり、二人とも心配そうに達也を見ている。
「いや大した事じゃない。気にしないでくれ」
「大した事じゃなかったら達也さんはそこまで落ち込まない。何があったの?」
雫がいつもよりきつめの口調で訊いてくる。「何か」ではなく「何が」と言う辺り、聞かないという選択肢はないらしい。
先ほど服部に言われた通り、今の達也は落ち込んでいる。それはもう落ち込んでいる。しかし、その原因はかなり私的で些細なことなのだ。ここまで本気で心配されると流石にきまりが悪くなってしまう。
「ここに来る前のモノリス・コードの顔合わせでなんだが──」
達也は落ち込んだ経緯を説明した。
モノリス・コードの顔合わせは何事もなく進行した。
エリカは幹比古とは言わずもがな、達也と関わることが多い服部ともそれなりに顔を合わせている。一番関係が薄い沢木とも、風紀委員という繋がりで顔見知り程度にはなっている。エリカから見た沢木は、レオの同類で男臭さと爽やかさを増し増しにした感じの先輩。実際に話してみてもその印象は変わらなかった。
和やかに進んでいた顔合わせだったが、エンジニアの紹介に入って急展開を迎えた。
「あたしのエンジニア達也くんじゃなくていいです。中条会長とか他の人で」
その時の衝撃は凄まじかった。一度でも達也の調整を受けた者なら、あの麻薬のような高揚感は忘れられない。
九校戦はただでさえハード面で制限がかかる。その上ソフトまで劣るとなれば、ストレスが溜まるどころの話ではない。
「千葉さん本気? スケジュール的に中条さんなら担当できると思うけど、いつも調整してもらってる司波くんの方が実力を出し切れると思うよ?」
「大丈夫です、啓先輩」
「千葉さん、司波じゃダメな理由があるのか?」
「ダメと言いますか…達也くん今年は作戦スタッフも兼任して忙しいですよね。あたしのことはいいので新競技の事とかに集中してほしいんです」
五十里、服部の問いかけにもエリカは首を振った。
達也は最後までショックから抜け出せなかった。
「──ということなんだが」
「まあ……」
深雪が驚きの声を上げる。
「確かに達也さんの担当選手はかなり多いですし、エリカの気持ちも分からなくはないですが」
「まさか断られるとは思わなくてな」
理由が何であれ、エンジニアからすればクビ宣言と同じである。それが恋人からであればダメージもひとしおだ。改めて口にしたことで落ち込みが加速する達也だったが、そこに雫が静かな口調で言う。
「多分それだけじゃないと思う」
「雫?」
「エリカが断ったのは別の理由があると思う」
「雫はそれが分かるのか?」
「予想だけど、多分」
簡潔に答えた雫は、達也の目を真っ直ぐ見据える。
「知りたい?」
「…何が目的だ?」
「私がエリカに確認して、その推測が合ってたら、私のお願いを一つ聞いてほしい」
「そのお願いというのは?」
「私に雇われて」
やはりそれかと達也は嘆息する。去年初めてCADを調整してから、雫は達也とメンテナンス契約を結ぼうと、幾度となくアピールしているのだ。
達也は悩んだ。ライセンス無しで金銭を貰った調整をするのは、一般的にモグリ扱いされる。進んでそのような扱いをされたくはない。とはいえエリカが達也の調整を断った理由を知らずにモヤモヤしたまま過ごすのもよろしくない。
「その推測が当たっていたら、俺にも教えてもらえるんだよな?」
「当然」
「…分かった」
達也は頷いた。自身の心の安寧のために、モグリ扱いを甘んじて受け入れることにした。
「交渉成立だね」
満足げに笑みを浮かべる雫に、大実業家の血を感じる達也深雪の兄妹なのであった。
◇◇◇
キャビネットとは、21世紀末の電車形態の一つであり、中央管制により自動制御で軌道を走行するリニア式小型車両だ。
プライバシーが優先されるという社会的コンセンサスに基づき、車内に監視カメラ・マイク等は無い。そのため利用者からは駅間の移動だけでなく、密談を行う場所としても重宝されている。
そんなキャビネットに、雫はエリカと二人で乗っている。目的は帰宅と密談の両方だ。
「モノリス・コードの選手選出おめでとう、エリカ」
「…ありがとう、雫は今年も棒倒しに選ばれたのよね。お互い頑張りましょ」
「うん」
雫とエリカがこうして、一対一で何かを話すというのは今まであまりなかった。わざわざ雫から誘ったことで、エリカも少し警戒しているようだ。
「七草先輩たちがいた去年ほどではないけど、今年も優勝できる可能性は十分ある」
「まあ去年はあの三人が圧倒的だったのと、達也くんが暴れまわってたから」
「でもエリカ、今年は達也さん以外のエンジニアが良いって言ったんでしょ?」
「……達也くんからあたしを説得するよう、依頼でもされた?」
「ううん、私はエリカを説得するつもりはないよ」
エリカはやっぱりという表情を浮かべていたが、雫が否定したことで驚きに変わった。
「今回エリカが選手に選ばれたけど、私がその立場なら納得できないと思う。『女子だから選ばれたんだ』って、心の何処かでずっと考えちゃう」
雫が考えるに、エリカが達也のエンジニアを断った理由は二つある。そのうちの一つを、雫は早々に解禁した。
「実力で外野を黙らせるにしても、達也さんのCADがノイズになる」
達也のCADはもはや魔法だ。自分専用に誂えたCADによって、魔法師は魔法演算領域を余すことなく使うことができる。自分も知らなかった真の限界を教えてくれる。
ただでさえ反則級の技術なのに、競技用にハードが制限された九校戦ではソフトの重要性はさらに上がる。仮にエリカが九校戦で大活躍したとしても、「司波達也がエンジニアだから」と言われてしまうだろう。
「だからエリカが達也さんのエンジニアを嫌がる理由も分かるし、私は説得しようとはしないよ」
「……そこまで見抜かれてたのね」
エリカは体の力を抜いて、背凭れにもたれ掛かった。
「達也さんに言わないの?」
「んー、なんか言いづらくて。これってあたしのワガママなわけじゃない?」
「恋人なんだし我儘言ってもいいと思う」
「まあそうなんだけど、達也くん最近また忙しそうにしてるし、変に気負わせたくないって言うか」
「ふーん」
エリカは今、完全に気を抜いている。
達也が最近忙しくしているというのは、明らかにおかしい。九校戦は予め準備を進めていたらしいし、定期テストを前に焦る成績でもない。
そんな達也が忙しくしている、そしてその理由をエリカも理解している。これだけの情報があれば、推測は確信に変わる。
雫は何気ない感じで、いつも通りの口調で、さらりと告げた。
「トーラス・シルバー、また新しいモデルのCAD出すんだ」
「多分そうなのよね〜、だから最近あんまり構ってもらえな……ん?」
エリカの緩んでいた笑顔がぴしりと固まった。
「……雫、今なんて?」
「トーラス・シルバー、また新しいモデルのCAD出すんだ」
雫は一言一句違わず繰り返した。
「え、なんで急にトーラス・シルバーが……」
「達也さんがトーラス・シルバーだから」
雫は断言した。考えていた二つ目の理由を、確信を持って解禁した。
「…気づいてたの?」
「うん」
「いつから?」
「エリカがシルバー・リングを付けた時から」
雫は
完全思考型CADであるシルバー・リングは、指に付けていなくとも問題ない。ネックレスにしても、なんならポケットに入れていても起動する。
「発表の時、黒沢さんが偶々FLTの企業ページ見てて買えたの」
エリカが自身の左薬指についたシルバー・リングと、雫のそれを交互に見る。指のサイズが多少違うだけで、見た目はほぼ同じだ。
「この魔法、達也さんの調整と同じ感覚がする」
シルバー・リングに元々インストールされた四つの魔法は、個人用に調整はされていない。それでも『最小の魔法力で最速の事象改変』という、シルバー・モデルのコンセプトを強く感じさせるものだった。そして雫は、それと同じ拘りを持つCADを九校戦で使用していた。
シルバー・リング自体は達也の持つツテでなんとか手に入るのかもしれない。しかし、CADの調整に向けるアプローチの仕方、魔工師ごとの癖とも言えるそれは、達也がトーラス・シルバー本人でなければ説明がつかなかった。
「エリカは高校生の試合でシルバーに調整してもらうのは嫌?」
「…だって反則に思えるじゃない。レベルが違いすぎるわよ」
雫の問いにエリカは渋々答えた。
気持ちは分かるが、雫としてはエリカと真逆の考えを持っている。
雫は北山家の娘だ。トーラス・シルバーの肩書を抜きにしたとして、達也レベルの魔工師に調整を依頼するなら、それ相応の対価を支払うべきだと思っている。身内に甘い達也はエリカたちに無償で調整(大学生になった摩利は有償だが、それでも一般的な相場より安い)をしているが、雫は達也がメンテナンス契約を了承するまで調整を依頼することは出来なかった。
しかし、それが九校戦となれば話は別だ。達也は第一高校の生徒。例えトーラス・シルバー本人で、異次元の調整技術を持っていたとしても、正真正銘高校生なのである。同じ一高の選手として、雫が調整をしてもらうのに何の問題もない。
「エリカがそう思うならそれでいいと思うよ」
しかし、だからといってエリカを説得しようとも思わなかった。価値観は人それぞれ、その中には他人の口出しが許されないものもあるのだ。
「本当に説得しに来たわけじゃないのね」
「最初にそう言った」
「そりゃあそうだけど……」
あれがほんとだとは思わないじゃない、と漏らすエリカ。
「でも達也さんには伝えた方がいいと思うよ。すごい凹んでた」
雫がそう告げるのと同時、到着間際のブザーが鳴った。キャビネットが緩やかに減速、停止する。到着したのは雫やエリカの最寄り駅ではない。
「ここって……」
「達也さんの家の最寄り。迎えに来てるらしいから、きちんと話したら?」
「…最初から雫の掌の上だったってわけね」
エリカは悔しさを滲ませながらキャビネットを降りた。
「まあでも、ありがと」
「ううん、エリカも頑張って」
「うん」
エリカは確かな足取りで歩き出した。雫はそれを見送って、キャビネットの行き先を自宅の最寄りに設定する。
「ふふ」
思わず笑みが溢れる。
エリカから本音を引き出す事はできた、達也との取引は完了だ。
──早く帰って契約書を作ろう、明日朝イチでサインしてもらおう。
座席に座る雫の足は、ぱたぱたとご機嫌に揺れていた。
◇◇◇
「勝った」
翌朝、2年A組の教室には、契約書の入った封筒を片手にVサインをする雫の姿があった。
◯原作の九校戦との差異
クラウド・ボール存続。シールド・ダウン、スティープルチェース・クロスカントリー無し。
本戦モノリス・コードでは追加一枠(男女問わない)、試合ごとに選手の入れ替えも可能。
P兵器関連の暗い話は全部無し。
◯主な出場選手の違い
千葉エリカ
出場無し→モノリス・コード
沢木碧(エンジニアが達也ではなくなる)
シールド・ダウンソロ→モノリス・コード
桐原武明
シールド・ダウンペア→クラウド・ボール
三七上ケリー
モノリス・コード→アイス・ピラーズ・ブレイクペア
桜井水波(そもそも学年が違う)
新人戦シールド・ダウンペア→本戦クラウド・ボール
七草泉美
新人戦アイス・ピラーズ・ブレイク→新人戦ミラージ・バット
明智英美
→出場競技は同じだが、エンジニアが達也ではなくあずさ