八月十四日、九校戦を終えた翌日。
九校戦期間の約十日間宿泊したホテルから自宅に帰ってきた達也は、地下の研究室から目的の物を鞄に入れ、すぐさま家を出た。
キャビネットに乗ってしばらく、目的地に近づいたことで緩やかに減速し、駅のプラットホームに滑り込んで止まった。海に近いからか、ドアを開けると鼻に潮の匂いが届いた。
駅から歩くこと数分、目的地に到着する。百家「剣の魔法師」千葉の本家だ。
伝統を感じさせる門の前には、エリカが待っていた。
「さっきぶりだな、エリカ」
「うん…」
決まりが悪そうなエリカに、なんだか嫌な予感がしてきた。
達也は既に何度かこの場所を訪れているが、エリカがこんな顔をするのは二度目──横浜事変後、
「また修次さんが嫉妬でもしていたか?」
「ううん、そっちはいつも通りなんだけど……」
してることはしてるんだな。達也はセリフの続きを待った。
「もう片方のバカ兄貴がね……」
「もう片方と言うと、長男の千葉
「そう。それに達也くんが来るって知られちゃって、俺も混ぜろって煩くて」
「なるほど」
達也がここを訪れたのは、修次に呼ばれたからである。モノリス・コードでエリカが『サイオン・ブレード』を披露したことで、修次が話を聞きたがったのだ。
九校戦が終わった翌日という急すぎる日程なのは、防衛大に所属する修次と、独立魔装大隊の訓練と研究所通いがある達也は共に忙しく、今日しか予定が合う日がなかったからだ。
「別に構わないぞ」
元々エリカが『サイオン・ブレード』を披露した時点で、修次ないし千葉家が接触してくるのは予想していた。寿和がいても支障はない。
「ほんとに? あいつ多分ダル絡みしてくるよ?」
「今回は急に立ち合えとは言われないだろう。去年の修次さんよりはマシだ」
「あ、うん、ほんとごめんね?」
しおらしいエリカが珍しく、追い打ちのような言葉を掛けてしまった。正直もう少し見ていたくはあるが、達也は鋼の理性でそれを止めた。
案内されたのは、修次と初めて顔を合わせた応接室ではなく、小さな食堂だった。
千葉修次。渡辺摩利。千葉寿和。事前に伝えられていた二人に寿和を加えた三人が顔を揃えていた。
「すみません、お待たせしてしまいましたか」
「遅れたわけじゃないから大丈夫だよ」
達也の謝罪に修次が微笑んで答えた。修次に促され、三人と対面するようにエリカと並んで座る。
「お互い初対面だろうし、兄の紹介からしようか」
「俺は千葉寿和、初めまして司波達也くん」
「初めまして。司波達也です」
寿和は修次の紹介を待たずに軽い口調で名乗り、手を差し出してきた。
こういう馴れ馴れしさは本来、達也の好むものではない。だがこの場は相手の流儀に合わせて自己紹介を返した。
その後、寿和が「まず飯にしようか」と何処かへ電話を掛けている間に、修次から目線で謝られた。達也も気にしてないと小さく首を振る。
寿和が電話を切ると、数分もしないうちにワゴンを押した女性二人が入ってくる。身のこなしから使用人ではなく千葉の門弟だろう。
ランチには少し遅い時間だが、九校戦優勝のお祝いとして修次(と寿和)がご馳走してくれるとのことで、達也も何も食べずにここへ直行したのだ。修次たちも昼食を摂っていなかったようで、五人分の料理が並べられた。
豪華な食事を楽しみながら、修次や摩利、寿和が振ってくる世間話にも如才なく応える。そうして、出された量の割には時間を掛けて食事を終えた。
「さて、それじゃあ本題に入ろうか。エリカのあの魔法について、聞かせてくれる?」
「はい」
修次の求めに応じて、達也が口を開く。
「エリカがモノリス・コードで使った『サイオン・ブレード』。俺の『
「『サイオン・ブレード』か。『術式解体』が
「合っています」
「そう……魔法そのものを無効化するこの魔法は、魔法犯罪に対して強い抑止力になり得る。警察、特に実働部隊に多くの門弟がいる千葉家としては是非とも習得したい技術なんだ」
修次だけでなく寿和からも探るような視線が向けられる。
魔法とは武器だ。しかも『サイオン・ブレード』は達也とエリカで開発した魔法であり、現時点での使用者はエリカだけ。そのノウハウを教わるというのは、それ相応の対価があって然るべきである。
「公開するつもりはありませんが、秘匿するつもりもありません。修次さん、もとい千葉家には共有するつもりでした」
「…いいのかい?」
「構いません」
驕ることも遜ることもなく、達也はさらりと了承した。これには修次たちも訝しんだが、少しして修次と寿和は納得した表情になった。
理解できていないのは摩利とエリカ。摩利は修次から耳打ちされ納得の表情を浮かべ、エリカには生温かい視線が注がれる。その視線にエリカが文句を言う前に、達也が口を開いた。
「ですが、『サイオン・ブレード』のまま実用化するのは難しいでしょう。あれは魔法式としてではなく、使い手のセンスによって成り立っています。エリカも形にするのに一か月以上掛かりましたし、それを教えるのは現実的ではありません」
「『サイオン・ブレード』のままは、という事は……別の手段を用意してくれてるってことかな?」
「はい。コード化した起動式と、それをインストールしたCADを持ってきています」
達也のこの発言に修次と寿和は驚き、摩利は呆れていた。
コード化とは、魔法を起動式で記述することを指す。新しい魔法は多くの場合、魔法師が感覚的に創り上げる。それを起動式の形で論理的に記述し直すには専門的な技術が必要で、魔法技能を共有する上でのボトルネックになっているのが現状だ。
だが達也の場合は起動式から新魔法を開発することもある程で、コード化に苦労することは無い。
「CADも持ってきているとは相変わらず用意がいいな。今日これから試してもいいんだよな?」
「はい」
摩利の問い掛けに、達也は鞄から三つのCADを出した。二つは携帯型。そしてもう一つはベルト型、バックルを叩くことで内蔵された単一の魔法が起動・終了するタイプのCADだ。
「ん? これって……」
「おいエリカ、これうちのやつじゃないか」
「倉庫に転がってたやつよ。埃被ってたし問題ないでしょ」
見覚えのあるCADは、過去の門弟がCADを新調した際に置いていったものだ。元々この集まりは予想されていたため、エリカがそれ用のCADを達也へ渡していたのだ。
修次と摩利の二人分ではないのは、エリカが自分にだけ用意されないのを嫌がったからである。実際は寿和の分になってしまったが、エリカも罪悪感から不満は見せなかった。
修次と寿和がエリカを見やるが、エリカの「なんか文句あんの?」という視線に追及をやめた。
◇◇◇
道着姿に着替えて道場に移動した達也は、同じく道着姿の修次たちへCADの説明をする。
「皆さんご存じの通り、魔法の本体は魔法式です。魔法式を破壊できれば、魔法を無効化できます。ですが魔法式が描き込まれているのは身体の表面ではなく情報次元、振るう刃も本物ではなく『
達也の前置きに修次たち三人が頷く。ここまではエリカの試合を見れば容易に分かることだ。
達也が三人にCADを渡す。修次と摩利には携帯型、寿和にはベルト型。三人とも一刻も早く起動したい欲を必死に抑えていた。
「その中にインストールされた魔法の名称は『
達也の補足に修次と摩利が頷く。手を塞ぐ携帯端末形態は彼らの戦闘スタイルに合わないため、杞憂だと分かって安心したようだ。
そこへ、寿和が達也へ問い掛ける。
「司波くん、二ついいかい」
「何でしょうか」
「『
原則として、魔法は物理的な距離に縛られない。空間的な隔たりが魔法の妨げになるように見えても、それは術者が懐く「遠い」という認識が魔法を届かなくしているだけにすぎない。魔法師が自分で自分に制限を掛けているようなものなのである。
だが『術式解体』は距離に関する原則の例外だ。この魔法──と言うより想子操作技術は、本当に物理的な距離の制約を受ける。限界値は術者によってまちまちだが、その距離を超えると途端に想子流が減衰して想子情報体破却の効果を失ってしまう。
達也の場合、現在の限界は三十メートル前後。『術式解体』としては破格の射程距離だが、他の魔法に比べればやはり見劣りする。
剣術用、少ない想子量という条件に合うよう改良された『術式斬壊』は、さらに射程が短い。
「術者の力量によりますが、一メートルを大きく超えることはないでしょう。エリカも刀身の長さを含めてその程度です」
「なるほど……それじゃあもう一つ、これはパラレル・キャスト、二つのCADの同時操作に当たると思うんだが、実戦で使用は可能なのか?」
パラレル・キャスト──二つのCADの同時操作は高等テクニックであり、魔法制御が少しでも乱れれば想子サイオン波同士が干渉し合い、両方のCADの魔法発動が停止してしまう。
九校戦モノリス・コードでも、エリカや沢木、愛梨など物理攻撃をする選手は、このリスクを避けるため専用魔法を発動する直前に他の魔法の効力を打ち切っていた。その瞬間は無防備な状態を晒していたのだ。
寿和はそんな大きなリスクがあるなら実戦じゃ使えないと言っているのだ。
「問題ありません」
無論、その程度のことを達也が考慮していないはずはなかった。
「この魔法は想子を刃の形に収束させるものです。術者に十分な技量があれば、この魔法でCAD同士の干渉を起こす事はないでしょう」
「十分な技量がなかったら?」
「その場合は想子の密度が足りず、魔法式を斬るための強度を得られません」
「なるほど」
納得した寿和が引き下がる。修次や摩利から質問は無いようだ。
「それでは実践してみましょうか」
達也はいつの間にか手にしていたCADのセーフティを外す。
「俺が三に…四人に『圧力レンズ』を放ちますので、それを斬ってください。エリカもやるそうなので見本になると思います」
三人と言おうとしたところ、エリカから睨まれたため四人に言い直す。ついでにこの魔法の完成形として三人に意識付けておく。
「『圧力レンズ』って……あたしたちはまだ『術式斬壊』を使ったことないんだが」
「ご心配なく。もし魔法式の破壊に失敗して魔法が発動しても、軽く叩かれた程度の威力しかないです」
「ならいいか」
摩利の尤もな抗議に、達也も怪我はさせないと返答する。
「それでは、始めます」
達也の宣言と共に、エリカが警棒を構え、修次と摩利、寿和がそれぞれCADを起動して剣を構える。
達也が引き金を引いた。
◇◇◇
開始から数時間、適宜休憩を挟みながらの練習は順調に進んでいた。
順調に進みすぎていた。
「エリカ、そう拗ねるな」
「拗ねてないし」
セリフとは裏腹にぷいっと顔を背けるエリカは、誰がどう見ても拗ねている。その理由はシンプルで。
「魔法師にとってイメージは現実そのものだ。エリカという完成形があったから修次さんや寿和さんもここまで早く習得できたんだ」
そういう事である。
修次は開始から二時間で『
寿和は『術式斬壊』を実戦で使えるレベルにまで仕上げているし、摩利も集中力のほとんどを要するが発動自体は出来ている。
さすがは千葉の御曹司たちと一高三巨頭の一角。三人ともセンスは抜群だった。
「わかってるし。拗ねてもないから」
エリカも達也の言葉が事実だと分かってはいるが、それでも自分が一か月以上掛かった魔法(擬き)をこうもあっさり習得されるのは堪える。
達也がちらりと修次たちを見ると、恋人だろ、自分で何とかしろと返される。
「なら、実力比べといくか」
「? どういうこと?」
「おそらく現時点で想子の刃を一番使いこなせているのはエリカで、僅差で修次さんだ。白黒はっきり付けた方が、エリカも納得するだろう」
「…どうやるのよ」
「同時照準する『圧力レンズ』の魔法式の数を段階的に増やしていく。斬り損ねたらそこで負け、一番最後まで残った人の勝ち。シンプルだが分かりやすい」
「……まあ、達也くんがどうしてもって言うならやってあげる」
エリカは気が向かない風を装っているが、静かに漏れ出している闘気が声と表情を裏切っている。
「よろしく頼む。修次さんたちもそれでよろしいでしょうか?」
「ああ」「いいよ」「ちょっと待ってくれ」
達也の確認に寿和と修次は頷き、摩利は待ったをかけた。
「あたしじゃこの三人にはついていけない。すぐ負けるのが目に見えている」
「分かっています。途中で斬り損ねた場合、次も同じ数で照準します。最後まで練習は可能です」
「ならいいか」
「ただ、渡辺先輩と寿和さんはCADを使った常駐型です。飛行魔法と同様、想子が枯渇した場合自動的に魔法発動が止まります。そうなったら離脱して休んでいてください」
摩利は去年飛行魔法を使い、実際に安全装置を経験している。寿和も現場経験の長さから常駐型の消耗の速さはよく分かっている。二人とも意地を張らずに頷いた。
達也はスタスタと四人から離れた位置へ移動し、愛用のCADを胸の前に掲げた。肘を曲げたままの、待機ポジション。
「では、いきます」
達也は正面に右手を突き出した射撃姿勢を取る。引き金を引いたのは──CADのスイッチを押したのは一度だけ。それにより一人当たり三つ、合わせて十二の魔法が展開された。
エリカと修次は即座に、寿和はそれに少し遅れて『術式斬壊』で無効化する。摩利は二つまで斬ることができたが、残った一つの魔法式が発動し、摩利の左腕を軽く叩かれる感触が襲った。
一息つく間も無く、達也がCADを固定したまま引き金を引いた。その数は十八、摩利が変わらず三つ、エリカたち三人は五つだ。
今回は摩利と、さらには寿和が一つずつ斬り損ねた。それぞれ左太腿と肩に軽い衝撃が走る。
達也が引き金を引いた。数は同じく十八、摩利が三つ、エリカたち三人は五つだ。今度はエリカと修次だけでなく、寿和もギリギリで魔法式を斬ることに成功した。
その後も達也は体勢を変えることなく引き金を引く。
摩利は二つで苦戦しており、寿和は五つを成功したりしなかったりを繰り返している。エリカと修次は競うように魔法を斬り続けており、相手の失敗が期待できないと見るや、達也へ増やせと視線で要求していた。達也もどちらが勝つのかと、求められる度に同時照準の数を増やしていった。
「終了です」
達也がCADを下ろす。摩利は疲労で膝に手をついて荒い息を整えており、寿和も肩で息をしていた。
「次兄上、最後一つ斬り損ねましたね」
「…そうだね」
得意顔をしたエリカに、修次は悔しさを滲ませながら頷いた。
達也が終了を宣言したのは摩利の体力が限界に近かったのと、エリカと修次の勝負に決着がついたからだった。発射された魔法が八から九に増えたところで、修次がその一つを斬り損ねたのだ。
最終的な魔法式斬壊数は、エリカが九、修次が八、寿和が四〜五、摩利が二(後半は失敗も多かった)である。
「修次とエリカもそうだが、司波くんも凄いな」
息を整えた寿和が感嘆と呆れが混ざった顔で歩み寄る。
「最終的にいくつ魔法を同時照準していた? 二十は軽く超えていたと思うんだが」
「二十六ですね」
「にじゅうろく……」
寿和があり得ないと言わんばかりにその数を口にした。
同時照準とは、言葉の通り同時に狙いをつけて同時に魔法を行使できる対象の数のことだ。
四系統八種に分類される現代魔法の正体は事象が有する情報の書き換えであり、魔力の弾丸で対象を撃つものではない。特化型CADは銃の形をしているが銃口から魔法が飛び出していくわけではないし、汎用型には銃口に似たものすらついていない。
故に対象を特定さえできれば同時に複数の事象に対して同じ効果を及ぼすことができる。
ただそのためには、同時に複数の座標を定義するという並列的な思考が要求される。事象改変対象を群体として一括認識・一括改変するのではなく、個々に標的を認識して個別に魔法を行使する為には標的となる事象同士の細かな差異も識別できなければならない。
対象数が一桁までなら訓練次第で大抵誰にでも習得可能な技術だが、それ以上になると魔法とはまた別種の才能がものを言う世界で、対象を一つ増やすだけでもかなり難しいとされている。
寿和の達也を見る目が、「人間かこいつ?」と疑う色を含んでいるのも、仕方ないことではある。
しかし達也は、そんな寿和に笑いながら首を左右に振った。
「俺の得意分野ですからね、これは。それに今回は相手が撃ち返してこない前提でした。待った無しの実戦なら、二十五がせいぜいです」
尚更頭おかしい、そこまでいくと大して変わらんと、口にしなかった寿和は立派だった。
「ちなみに、撃ち返してこない前提なら、MAXいくつまでいけるんだ?」
未だ息を整えている摩利が聞いてくる。
「その条件なら四十ですね」
「四十か……、君は本当に、今の魔法師評価基準に喧嘩を売っているな」
摩利は驚愕ではなく呆れを浮かべていた。
彼女は去年達也と関わることが多く、その非常識っぷりを数多く見てきた。それに比べれば、人間離れした同時照準の数はまだ常識の範疇として捉えられた。程度の差はあれ、エリカと似たような心持ちなのである。
何はともあれ、傾いていたエリカの機嫌は直った。代わりに修次が少しムスッとしているが、負けて悔しいのは当然である。達也も寿和も、恋人の摩利ですら放置を選択した。
「それより、司波くんも中々策士だな」
その代わり、寿和がからかうような口調で言う。
「…何がですか」
「この『
寿和の言葉に、エリカが目を見開いて達也を見て、達也はそっと顔を背けた。
「達也くん?」
「なんだ」
「こっち見て? あたしの顔、ちゃんと見て?」
達也は背けていた顔を戻し、エリカと目を合わせる。ただ、気恥ずかしさからかすぐに目を逸らしてしまった。
エリカの表情が喜色で満たされる。
実を言うと、達也とエリカの仲をよく思っていない者は、千葉の道場に一定数いた。
高弟ともなれば達也の戦闘技能がどれほどの高みにあるか理解できるため、そんな馬鹿はいなくなる。だが中途半端に実力のある者の中には、剣術も使わない、魔工師志望の達也は千葉に相応しくないと言う者もいた。
エリカはそんな見る目の無い有象無象の事など気にしていない。そもそも達也が四葉家当主の甥だと知れたなら、そんな雑音はすぐに聞こえなくなると放置していた。
だが、達也はそうは思っていなかったようだ。
「もう達也くん、あたしのこと好きすぎでしょ!」
沸き上がる衝動のまま、バシバシと達也の背中を叩く。かなり派手な音がしたので結構痛いはずだが、達也は甘んじて受け入れている。今何を言っても無駄なのは分かりきっていた。
達也はエリカの気が済むまで、喜びのサンドバッグに徹するのだった。