九島烈との面会を終えた翌日。
今日のエリカはハイキング向きの服装をしていた。下は私服でよく見るパンツルック、上は秋物のロングニット。エリカのニット姿は初めて見た。間違いなく似合っているのだが、上も下も身体にフィットしたデザインで正直目に毒だ。
服の下にある肢体は幾度となく、なんなら昨晩も見ている。エリカのスタイルの良さは誰よりも知っているつもりだったが、こうして客観的な物差しを当ててみると、改めてその美しさを思い知らされる。
そんな邪な視線を新鮮な気持ちで隠して、恋人の姿を目に焼き付けておく。
「似合ってる?」
「ああ。エリカは素がいいからな、シンプルな服もよく似合ってる」
「ふふっ、ありがと」
エリカは満足そうに微笑む。その笑みがにんまりとしたものへ変わった。
「たださぁ、達也くん」
「なんだ?」
「達也くんってポーカーフェイスっていうか、感情をあんまり表に出さないじゃない?」
「そのつもりだが」
達也は、エリカをえろい目で見ていたのがバレたのだと思った。別に構わないが、それとは別に、そんなに分かりやすかったのかと自身のポーカーフェイスへの自信が揺らぐ。
だが、続くエリカの言葉にそれが杞憂だと知った。
「だからさ、そういう視線が全く感じられないと、逆にめっちゃ意識してるんだって分かっちゃうんだよねぇ」
「……そうか」
杞憂で済んだものの、こちらの方がダメージは大きかった。
「そろそろ出ないとマズイか」
あからさまな話題逸らしとして、達也は部屋の掛け時計を見やる。
時刻は六時半前。荷物を先にホテルから奈良駅へ送る手続きがあるため、そろそろ出発した方がいい時間だ。
「あ、ほんとだ。えっと忘れ物はないよね……」
愛する人との二人っきりの時間は名残惜しいが、やらねばならぬことがある。エリカは気持ちを切り替えて鞄の中を確認する。
そして、準備を終えて部屋を出る際。
「また夜に……ね?」
しっかりとそんな一言を残した。
そんな一幕を挟んでホテルをチェックアウトし、再び九島邸を訪れた。
時刻は七時前、涼しさを超えて肌寒さすら感じる早朝にも拘わらず、光宣が眠気も疲れも感じさせない顔で二人を待っていた。調子が良いというのは強がりではなかったようだ。
昨日と同じカジュアルな食堂に案内され、光宣と共に朝食を済ませ、その後九島家が用意したリムジンに乗り込む。
その際何処かに擦れたのか、光宣の着ているジャケットの右袖口からブレスレット形態の汎用型CADが見えた。
利き腕にブレスレット型のCADをはめる魔法師は珍しい。疑問を覚えたエリカの視線に気づいた光宣が照れてはにかんだ。
「これですか?」
そう言いながら光宣は右袖を捲ってCADを露わにし、そのまま今度は左袖を捲った。彼は両手にCADを巻いていた。
「九十九個じゃ足りなくて……類似の起動式を整理すれば良いのは分かっているんですが、中々良い技術者が見つからないんです」
汎用型CADが格納できる起動式は九十九個。それでは足りないという事は、よほど不器用なのか、或いは九十九個では網羅できないほど多彩な魔法を操ることができるのか。おそらく後者だろうと、達也とエリカは察した。
「だからFLTの完全思考操作型CADを使ってるのね」
「ええ、両手でCADを操作するのは大変だったんですが、FLTが思考操作型補助デバイスを開発してくれたお蔭で随分楽になりました」
そう言って今度は、首に掛けたチェーンを手繰り上げメダル型のCADを見せる。
「この補助デバイスは素晴らしい製品です。これを開発したトーラス・シルバーは紛れもない天才ですよ」
憧れを滲ませた声で呟く光宣に、エリカは「そうね」と頷いた。
一高にも達也に憧れるあずさやケント、エリカに憧れる香澄がいるが、この辺りはまだ健全。やばいのは深雪を崇拝する泉美と、水波にぞっこんの船尾。
あの二人みたいにはならないでよねと、エリカは笑顔の裏にそんな事を思った。
光宣が最初に案内したのは、奈良盆地南西部の御所市にある「葛城古道」と呼ばれる散策路だった。
葛城古道は観光であれば六、七時間ほどを掛けてのんびり歩く散歩道だが、今回の目的は捜索。光宣が立乗り式の電動ロボットスクーターを借りようと提案した。
ロボットスクーターは自動制御とはいえ、一人乗りであれば原付免許(この名称は前世紀から変わっていない)、二人乗りであれば小型二輪免許が必要になる。
達也は大型二輪免許を、光宣も普通二輪免許を取得していたが、エリカは免許を持っていなかった。そうなると必然的に達也とエリカが二人乗りをすることになる。
二人乗りのロボットスクーターは、二人が横に並んで立ち、運転手がハンドルを、同乗者が車体の前に取り付けられた安全バーを握って走る構造になっている。
そういう構造には、なっている。
「うーん……」
エリカはスクーターを前に唸っている。理由は単純で、安全バーに摑まるか運転手である達也に掴まるか悩んでいた。
初めての京都旅行、本音を言えばイチャイチャしたい。だがこれは達也と二人きりのデートではなく、光宣のいる捜索。さすがにはっちゃけ過ぎるのは良くないかと、安全バー勢力が優勢になったところで。
「エリカ」
「ん?」
「掴まるか?」
「うんっ!」
達也の後押しにより、エリカは欲求に素直になることにした。
掴まると言っても腕に手を添える程度。そもそもエリカのバランス感覚なら棒立ちでも問題ないのに加え、自制心が働いた結果である。
そうして出発したロボットスクーター。達也たちを先導する光宣は、ボリュームを抑えつつもはしゃぐエリカの声を背後に聞き、時折後方を確認したり止まったりした際には二人のやり取りを見て微笑ましそうにしていた。
そういったお楽しみもありつつ、結果だけをいうなら葛城古道の捜索は空振りに終わった。
お昼は光宣紹介の高級和食店で食べ、次に向かった橿原神宮から石舞台古墳、天香具山。正確にはその付近にある伝統派の拠点でも捜索は空振りに終わり、どれも単なる観光になってしまった。
と言っても光宣は最初から可能性が低いと言っていたし、落胆は無い。
エリカは存分に観光できて満足していたし、表情では分かりづらいが達也もリフレッシュした様子。光宣も「本来の目的とは違うがお役に立てて何よりだ」と思った。
◇◇◇
そして時刻は午後三時。三人は奈良公園に来ていた。
東大寺へ通じる道と春日大社へ通じる道に分岐する交差点でリムジンを降りて、光宣の先導で春日山遊歩道へ向けて歩き出した。
「あら、随分可愛らしい神社ね」
「大きさは関係ない──とは言えないが、神を祭るのに必要な形式が備わっていれば立派なお社だよ。神様には決まった身長も体重も無いからね」
「達也くん、それ不敬じゃない?」
「そうか? これでも神を崇敬する心に噓は無いつもりだが」
「うそだぁ」
達也とエリカは相変わらず楽しそうに話しているが、決して光宣をハブっているわけではない。目に付いた建築物などについてエリカが質問したり、達也も交えて歴史談義に花を咲かせたりと、三人は完全に観光気分だった。
とはいえ、本来の目的を忘れるほど呆けてはいなかった。
遊歩道入り口の手前で突然達也が立ち止まり、わずかに遅れて光宣とエリカもそれを察知した。
今日は日曜日だ。春日大社へ通じる分岐ポイントのあたりまでは達也たち以外にも大勢の観光客がいた。
それが遊歩道に近づくにつれて少しずつ人影が減っていき、 遊歩道の入り口に着いた今、彼らを除いて誰一人いなくなっていた。
「精神干渉魔法──結界だ」
「敵ね」
達也の呟きに、エリカが差していた日傘を傾けて視界を確保し、周囲を見渡す。
「高位の結界術者がいるようですね。魔法の出力を最小限に絞って、ギリギリまでこちらに気づかせないようにしていたようです」
光宣も瞳に鋭い光を宿し、警戒心も露わに左右を見回した。
「去年老師も、前夜祭で似たような魔法の使い方してたわよね?」
「そうだな。会場にいた全員に一斉に引き起こす為の、大規模ではあるけれども、微かに、弱く、それ故に気づくことの困難な精神干渉魔法。あれはもはや芸術だった」
「ミキもそうだけど、古式魔法ってこういうテクニックが豊富ねぇ」
「様々な状況に対応できるよう、多彩な術式を使い分ける能力を重視する僕たち現代魔法師と違って、古式魔法師は特定の魔法を極めた術者を評価する傾向があります。そのため、特定の魔法と併用する副次的な技巧が発達したみたいです」
「それに目を付け、現代魔法と古式魔法の融合を掲げたのが旧第九研というわけか」
光宣の知識は達也も参考になることが多い。特に古式魔法に関する旧第九研の知識は、八雲や幹比古から聞く正統の術知識とは一味違った切り口で新鮮に感じる。
達也としてはもっと色々議論を交わし知識を引き出したいところだが、残念ながら今はそんな余裕は無い。
「もっとも、達也さんがこんなに早く術に気づいたのは向こうにとっても誤算だったでしょうね」
光宣がそういった直後、木々の陰で気配がザワリと揺れた。
「自分たちの隠形に余程自信があったと見えます。こちらが気づく前に仕掛けるつもりだったんでしょうが」
光宣があえて声に出しているのは、包囲している敵に対しての挑発だ。
相手が短気なのか、それともこれ以上隠れているのは無意味だと判断したのか。
キンッという音と共に、銀光がはじけた。
初撃に反応したのはエリカ。手にしていた日傘を勢いよく二度振り抜く。一度目で傘の部分がすっぽ抜け、二度目で柄のみになった元・日傘が飛来物を打ち落とした。
その正体は太い針、あるいは極小の矢。魔法で射出した金属製のダーツ弾(フレシェット弾)だった。
続けざまに襲い来る第二波、第三波も、エリカは傘の柄に偽装した得物で打ち落としていく。
銀色の細い杖、銀鞭と言うべき武装一体型CADだ。今回の捜索旅行は目立ちすぎないことが条件なため、日傘に偽装していたのだ。
記録されている起動式は、重さではなく速さに重点を置いた慣性制御・加速術式。
身体だけでなく武器のスピードまで加速されるため、腕に余計な力を入れていると銀鞭の動きについていけず、骨や腱を痛めてしまう危険性があるという凶悪な代物だが、エリカは最初から何の苦も無く使いこなしていた。
立て続けに悲鳴が上がり、ダーツ弾の雨が止んだ。木々の向こう側に回り込んでいた達也が、術者を無力化したのだ。
こちら側は任せて大丈夫、そう考えてエリカは反対方向からの魔法に備えた。
「すごい……。間近で見るとさらに速い」
光宣が感嘆、否、感動の呟きを漏らす。
しかし彼もただエリカの動きを鑑賞していただけではない。彼はエリカの側から離れて、襲撃者の悲鳴が聞こえてくる方向とは反対側に歩いていた。
最初、エリカは光宣の無謀な行動を止めようとした。正面からゆっくり歩いていくなど的にしかならない。
しかし、その自信に満ち溢れた歩みに好奇心をくすぐられ、一旦観察することにした。
そして、驚愕が彼女を襲った。
敵にはどうやら二種類の術者がいるらしい。
フレシェット弾という物理的な武器を魔法で撃ち出す、現代魔法のコンセプトを取り入れた伝統に拘らない古式魔法師。
結界──意識誘導の精神干渉系魔法を使い、独立情報体を使役するSB魔法で攻撃を仕掛けてくる、伝統に拘るタイプの古式魔法師。
達也が迎撃しているのは前者、光宣が向かっているのは後者の魔法師が隠れているサイドだ。
敵も光宣の意図を測りかねていたが、憎き九島の血統と気づいたのか、すぐに激しい攻撃が光宣に集中した。
しかし、その全ての魔法が当たらない。風や火や音を発生させる魔法は光宣を貫いて何のダメージも残さず霧散し、直接外傷・内傷を与える魔法は作用対象不在によりことごとく破綻している。
「幻影? あんな精度、信じられない……」
エリカの呟きは決して大袈裟ではない。魔法師は想子を五感と同様に知覚する。エリカの目に映る光宣の身体は、さっきまで隣を歩いていた現実の肉体と全く同じ想子パターンを備えていた。
つまり魔法的な感覚で認識すれば、間違いなくそこに本人がいる。
エリカが認識している光宣の右手で起動式が展開され、一瞬で吸収された。
そのスピードは控えめに見積もって、第一高校元生徒会長・七草真由美に匹敵する。
だが、驚くにはまだ早かった。
起動式の処理速度に衝撃を受ける間もなく、光宣の魔法が放たれた。彼の一歩先から、地面が発光する。
放出系魔法『スパーク』
物質中から電子を強制的に抽出し、放電現象を起こす魔法。
現象だけを見れば、第一高校前部活連会頭・服部刑部が得意とするコンビネーション魔法『
だが、服部の『這い寄る雷蛇』は摩擦による静電気を利用した放電で、準備段階が必要な魔法。対して光宣の『スパーク』はそれを省いている分、難易度は高い。
その上で、目の前で起こる放電範囲も、服部のそれより広かった。
(服部先輩より上で、七草先輩に匹敵する!?)
エリカの頭からは援護という単語が完全に抜け去っており、ただその光景に見入っていた。
◆
前方の敵魔法師を無力化した達也も、光宣の魔法を感嘆と共に見ていた。
光宣は電気、つまり電子の運動と分布に干渉する放出系魔法を得意としているのだろう。先ほどからその手の魔法を多用している。
発売されてまだ二ヶ月にも満たない完全思考操作型CADを、ほぼ完璧に使いこなすセンス。
真由美に匹敵する処理速度、服部を超える干渉規模と強度。そして得意魔法において、あの一条将輝の『爆裂』にすら匹敵する事象干渉力。
それらはもちろん脅威だが、達也が最も警戒したのは別の部分だ。
『
光宣の使っている幻影が、古式魔法と現代魔法を融合させた九島家の秘術である事は理解した。
おそらくは情報強化の応用で、自己のエイドスの外見に関する部分を複写・加工し、魔法式として自分自身に投射することで、魔法的な干渉の照準を仮装の情報体にすり替えている。
ここで重要なのは、この魔法によって達也の『分解』の照準が外される可能性があることだった。
達也は、自身の魔法が世界最強の威力を持っていると自覚している。だが、自分が世界最強であるとは思っていない。
九重八雲。風間玄信。九島烈。
十文字克人。十三束鋼。
そして目の前の九島光宣。
強い、巧い、相性が悪い。
この国にはまだまだ、学ぶべき魔法師がいる。彼がまだ知らないだけで、学ぶべき相手はきっと大勢いるのだろう。
それを再認識できただけでも、ここに来た価値がある。達也はそう思った。
敵もようやく格の違いを覚ったのか、一人の魔法師が隠れていた物陰から姿を見せた。
投降ではない。呪符を構えている姿から、おそらく破れかぶれの攻撃に打って出るつもりだろう。
光宣の目は、当然その男に向いた。
それを油断と呼ぶのは酷だ。彼は病気がちな身体ゆえに、才能こそ超一流だが実戦の機会は乏しかった。
光宣の魔法が、呪符を構えた術者を倒す。それとほぼ同時、光宣の、というよりエリカのほぼ真横の茂みから、小さな影が走り出た。
魔法師ではない。人間よりずっと小さく、遥かに俊敏な四つ足の獣。
「管狐!?」
光宣の声は注意を促すものだったのか、あるいは驚愕を表す反射的なものか。警告であるなら手遅れだった。その小さな獣は明らかな害意を持って、今まさにエリカへ飛び掛かろうとしていた。
エリカは切っ先を下げていた武装一体型CADを一閃する。だが、その小さな獣はその攻撃をすり抜けた。
エリカが驚愕を浮かべたのは一瞬。小さな害意が届く前に、身を翻して二撃目を繰り出した。
『サイオン・ブレード』
「あーびっくりしたぁ」
「エリカ、大丈夫か?」
「平気平気。でもこれなんなの? すり抜けた? 実体はあるよね?」
「分からん。後で光宣に聞いてみるとしよう」
駆け寄ってきた達也へ、エリカは周囲を警戒したまま疑問をぶつける。
光宣が残った敵を無力化している傍ら、二人の視線は足元に転がる胴体の長い小動物に向けられていた。