論文コンペの会場である京都新国際会議場、その対岸における幹比古たちの激闘が終結した頃。
達也、エリカ、レオ、そして光宣たち四人は、清水寺の参道を麓から上り歩いていた。
実は光宣も、この近くに伝統派の拠点があることは知っていたが、場所までは特定できていない。そのため自分の足で登りながら、怪しい建物がないか見ていくことにしたのだ。
「すごい人出だな……」
「東京はもっと人が多いのではありませんか?」
思わず漏らした達也の言葉に、光宣が不思議そうに小首を傾げた。
「東京といっても、俺たちが住んでいるところはかなり外れの方だからな。それに京都駅前でも、こんなに人通りは多くなかったと思うが」
「そんなことはないと思いますが……道が狭いからそう見えるだけなのでは?」
「確かにそれは言える」
達也はさっきから人の総数ではなく密度のことを言っていたのだが、別に議論することでもないのでそれ以上反論はしなかった。
「ところで光宣、取り敢えずの目的地は清水寺の境内で良いのか?」
「ええ。ここまで市街地に近くなると、山林の中はむしろ目立ちます。おそらく、土産物屋とか食堂とかに偽装しているのではないかと思います」
「となると、中に入る必要性は薄いか」
「えっ」「まじか……」
達也がそう呟くと、別の二つの呟きが漏れた。言うまでもなくエリカとレオである。
「拝観したいのか?」
「うん」「できればな」
エリカが即座に首肯し、レオも言葉の上では控えめに頷いた。
今日の予定を立て直さなければならないかもしれない、と達也は思った。
清水の舞台から飛び降りる、の慣用句で有名な清水寺の本堂前桧舞台から京都市街を一望する。
「達也くんみてみて!」
「見ているぞ……これはすごいな」
「ねー!」
エリカは舞台の手すりから軽く身を乗り出し、下を見下ろしてはしゃいでいる。周りに配慮して声のボリュームは抑えているが、仕事のことをすっかり忘れて楽しんでいるのが分かる。
エリカを挟んで向こう側では、エリカ同様にはしゃぐレオと、それに釣られて笑顔を見せる光宣がいる。光宣のレオへの好感度が高いことと、レオのフランクな性格が相まって、いい感じに打ち解けているようだ。
桧舞台での景色を堪能して、人混みの少ない場所へ移動する。
「光宣、何か分かったか?」
「いえ、こうも雑多な視線が多くては……達也さんは何かお気づきになりましたか?」
「いや、俺も同感だ。エリカに向けられる視線は全てチェックしてみたが、怪しいものは無かった」
「す、全てですか」
「ああ。煩悩混じりの視線ならさっきから山のように注がれているが、それは光宣やレオも同じだしな。今回の仕事に関係のありそうなものは見つけられていない」
伝統派による見張りを警戒して、そしてそこから情報を得られないかと向けられる視線をチェックしているが、今のところ成果はない。単純に容姿がいいと向けられる煩悩の視線は増え、敵意を向けられても分かりにくくなってしまうのだ。
光宣は別格として、エリカもとびきりの美少女だし、レオもゲルマン的な彫りの深い顔立ちで十分にイケメンと評される容姿をしている。達也は特別にハンサムというわけではないが、甘さを削ぎ落としたシャープな顔立ちと年齢に不似合いな貫禄に満ちた所作から、不思議と視線を集めていた。
そういうわけで、達也はこのまま当てもなく観光と視線フィルタリングを続けても意味がないと理解した。
「向こうも終わったようだし……やるか」
達也の呟きに、光宣は首を傾げる。
「エリカ」
「ん? ……はい」
達也が腕を差し出すと、エリカはよく分からないまま自分の腕を絡める。
突然イチャつきだした二人に光宣もレオも戸惑ったが、それを問うことはしなかった。
達也は腕を差し出した体勢のまま、どこか焦点の合っていない目をエリカへ向けていた。何をしているのかは分からないが、三人とも何となく口を開くことが憚られた。
じっと待つこと十数秒。
「……見つけた」
唐突に、達也の意識が戻ってきた。
「光宣、エリカ、レオ。移動するぞ」
達也は同行者の答えを待たず、参拝経路に沿って進む。
エリカはそれだけで意図を察したのか、それとも分からなくても構わないと思ったのか、黙って達也の言葉に従った。レオは一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、すぐその後に続いた。
しかし光宣は、何も訊かずに済ませられなかった。急ぎ足でレオに追いつき、そのまま彼を追い越してエリカとは反対側の達也の横に並ぶ。
「達也さん、何を見つけたんですか」
「尾行者、光宣を見張っていた男だ」
「えっ」
「接触するから気付いていないふりをしてくれ」
達也のセリフを聞いた三人の反応は対照的なものだった。
エリカとレオは尾行に気付いたなど欠片も悟らせない、自然で平和な態度だったのに対して。光宣は周囲を気にしないよう正面を見つめ、それでも時折そわそわと左右を見たり見当外れの方向を振り返ったりしていた。
率直に言って、下手な演技。達也たち三人が呆れを通り越して微笑ましくなるほどの大根っぷりだった。
だが、尾行者は自分の技量に自信があるのか、あるいは単に二流なのか、一定の距離を保って光宣の後についてきている。
達也は「奥の院」から「音羽の滝」へ降りる坂道の途中、「子安塔」へ続く分岐点で立ち止まった。さもどちらへ向かうか相談しているような態度で、尾行者を視界の隅に捉える。
同じように立ち止まるのは不自然と考えたのだろう。尾行者は小型カメラを取り出して本堂の舞台を下から撮り始めた。それ自体は観光客の行動として特に珍しいものではない。だが、いつまでも同じ構図の写真を撮り続けるのは不自然だ。達也が盗み見ていることに気づいていないのか、その男は忌々しげな表情を浮かべて「音羽の滝」へ足を進めようとして。
「すみません」
男とすれ違う際、達也が他所行きの声で話し掛けた。尾行者の顔に動揺が走る。すぐに取り繕ったものの、エリカたちはこの男が尾行者だと確信した。
「…なにかな?」
「写真を撮っていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ、それくらいなら構わないよ」
男は早くこの場を立ち去りたい一心で、明らかに写真スポットではない場所だとは告げずに、達也から端末を受け取る。
その画面を見た瞬間、男の表情が誤魔化しの利かないほど引き攣った。
「どうかしましたか?」
「い、いや、何でもない。それじゃあ撮ろうか」
達也たちが四人並ぶと、男はシャッターを切る。男は端末を返してすぐさま逃げようとしたが、その機先を達也が制した。
「ありがとうございます。ところで、この参道でおすすめの土産屋か食堂はありますか? 自分たちは観光で来ていて、詳しい人に教えていただきたいのですが」
笑顔を浮かべる達也とは対照的に、男は恐怖に引き攣った顔で何度も頷いた。
男が案内したのは、参道にある一軒の豆腐料理屋だった。
「ここですか」
「ああ、噓じゃない」
男は早口でそう言って、達也にすがるような目を向けた。
「なぁ、もう良いか? 俺もここらはあまり詳しくないんだ、この店しか紹介できるものはないって」
「いえ、助かりました。ありがとうございます」
言外にもう行って大丈夫だと告げると、男は足早にこの場を立ち去った。途中何度かこちらを振り返っていたが、達也たちが男に意識を向けていないと分かると、安心した様子で路地裏へと入っていった。
「それで達也くん、説明してくれるんだよね?」
「ああ」
ここに至るまで我慢していた事を、真っ先に口にしたのはエリカだ。
「おそらくあの尾行者は、ここの店を拠点とする伝統派が雇った探偵。光宣を見張れと言われていたのだろう」
「ということは、先ほど僕に向けられる視線をチェックして、あの男を見つけたということですか……」
光宣はあからさまに落ち込んだ様子だ。自身で向けられた視線を判別できていれば、もっと早くに拠点を突き止められたのにと不甲斐なさを感じていた。
「光宣の容姿であれば視線に鈍感にもなるし、気付かなかったのも仕方がない。それに、あの男は尾行に魔法を使っていなかった……というより、あの男は魔法を使えない、非魔法師だ」
「そうなんですか?」
「ああ。こちらが伝統派の魔法師を警戒していると読んで、魔法師でない者を使ったんだろう」
「中々面白い着眼点だ」と感心する達也に対して、光宣は驚きに口が小さく開いている。それはよく言えば無防備な、言葉を選ばなければ間抜け面と呼ばれる類の表情だったが、さすがは美少年、そんな顔もさまになっていた。
なお、エリカとレオは達也の非常識には慣れっこなので、「どうやったかは知らないけど、見つかったんならいいか」と軽く受け止めた。
「それで、どうやってこの場所を吐かせたのよ」
「さっき渡した端末に『尾行はバレている』『雇い主は何処だ』『素直に教えれば何もしない』と箇条書きで記しただけだ」
「それであんな顔してたのね」
エリカもレオも、そして落ち込みから立ち直った光宣も納得顔だ。
「さて、もう昼時だし、調査のついでに食事もしていこうか」
「あの、大丈夫ですか?」
光宣が不安げに訊ねてくる。
「ああ。見たところ、表向きの商売は真っ当にやっているようだし、繁盛していることから味も悪くないのだろう」
なおも不安が拭えない光宣へ、達也は言葉を重ねる。
「万一毒が入れられたとして、それがどんな種類のものであろうと俺には分かる。それに、さっきの男の雇い主らしき気配は店の奥に捉えた。どういう訳か、隠す気も無さそうだ。食事をしている間に逃げられることもないだろう」
光宣が感嘆を漏らした。
「達也さんって、何でもありなんですね……」
「いやできないことばかりだよ」
一連の素直な反応に、達也は苦笑を返すのだった。
「……なあ。一つ、疑問があんだけど」
そこに、レオが遠慮がちに切り出した。
「何だ、レオ」
「捜索にゃ関係ねえんだけどよ……達也、さっきエリカと腕組んでたろ? あれって何の意味があったんだ?」
態度や言動に誤魔化されてしまいそうになるが、レオは決して馬鹿ではない。知識はともかく、知力はむしろ高いと言える。
達也はそれを知っていたはずだが、それでもこの鋭い指摘に驚かされてしまった。
達也は常にエリカ、深雪、それと水波の三人に『眼』のリソースをいくらか割いている。今回光宣に注がれる視線をフィルタリングする際に、そのリソースを使ったのだ。
深雪と水波の方は戦闘が終わったのが分かったため、一旦『視』ることを止めた。
エリカに関しては……達也らしくもない、合理性の欠片もない理由によるものだった。
何と説明したものかと達也が悩んでいると、
「ねえそんなことより早く入らない? あたしお腹すいたよぉ」
エリカが横からそんな事を言い出した。
「そうだな。早く入ろう」
達也はこれ幸いと店の中へ足を進めた。その語りたくないと主張する背中に、レオは何となく理由を察して曖昧な笑みを浮かべた。
なお、案内され席に着いたエリカは。
「達也くん、一個貸しね」
しっかりとそんな一言を残した。
店に入って注文したのは、達也と光宣が湯豆腐、エリカとレオが湯葉鍋だった。
エリカとレオによる「お前似合わないな」の掛け合いがありつつも、彼らはじっくり時間を掛けて和気藹々と昼食を楽しんだ。達也が心の中で今日のスケジュールを完全修正しなければならなかったくらい、じっくりと。
その原因は主に、湯葉鍋にあった。豆乳を温め、表面にできた膜を竹串で引き上げて食べる。単純に、その工程に時間が掛かるのだ。
食べ終えてから店の主人──あの探偵を雇った伝統派の
彼は冒頭に達也たちと敵対するつもりはないと宣言した後、呪い師の説明と、『九』の家とやりあわない理由、奈良の連中にはついて行けないと訴えた。その証明として、周公瑾の情報を達也たちへ伝えた。
周公瑾は京都市街区にはいないこと。最後に所在を確認したのは十月十二日の金曜日、天龍寺の北、『竹林の道』と呼ばれている遊歩道の近くにある元密教僧で構成された一派の拠点から立ち去ったこと。南に向かったようだが、宇治川を越えて南に出た形跡は無いこと。
そして最後に、大陸の魔法師にすっかり取り込まれてしまっている鞍馬と嵐山の一党には気をつけるよう、達也たちへ忠告したのだった。
◇◇◇
達也たち一行は清水寺で情報を得てから、念のため金閣寺へ向かった。だが案の定、何の成果も得られずにホテルへと戻ることとなった。
チェックインを済ませた所で別行動していた幹比古たちと合流したが、その中に意外な顔を見つけ達也は声を掛けた。
「将輝」
「達也」
それは相手も同じだったらしい。
「久しぶりだな。将輝も来週のコンペの下見か?」
「ああ。去年あんな事があって、下見を怠るわけにもいかない」
「そうだな。幹比古たちとは国際会議場で会ったのか?」
「ああ。強力な魔法の気配を感じて駆けつけてみたものの、既に戦闘は終わっていたがな」
「戦闘があったのか……幹比古、部屋で詳しい話を聞かせてもらえないか」
達也が将輝から幹比古へ視線を移して問う。
「いいよ、達也たちの方も収穫があったのか聞きたいし……それで、一条くんはどうする?」
この問い掛けは、将輝ではなく達也へ向けられたもの。将輝に今回の下見の目的、つまりは軍事機密を話してもいいのかという質問だ。
「……まあ、将輝ならいいか」
この達也の答えに対する解釈は三通り。
将輝は、一高の下見に三高の自分が『混ざってもいい』という解釈。
光宣は、周公瑾や伝統派について、将輝になら『話してもいい』という解釈。
そして残りのメンバーは、将輝なら『巻き込んでもいい』という解釈。達也が省略した意図を、付き合いの長い友人たちは正確に把握した。
達也たち三人が泊まる男子部屋に集まり、皆が座布団に腰を下ろす。達也は開口一番こう告げた。
「去年の横浜事変で大亜連合侵攻軍の手引きをした者が、京都付近で匿われていることが分かった。俺はそいつの捜索任務で京都に来ている」
「任務だって!? 司波、お前は……?」
「俺は国立魔法大学付属第一高校の生徒であると同時に、国防陸軍所属の特務士官だ」
「なん……だと」
将輝ほどの男、一条家の次期当主であっても驚愕を免れない事実。だが、彼に「噓だ」というセリフは許されなかった。光宣を除く、この場にいる全員の神妙な表情で、それが事実だと覚ってしまった。
「将輝。言う迄もないことだが、このことは他言無用だ」
ショックから脱しきれない顔で、将輝が頷く。
「その工作員は今回の論文コンペでも妨害行動を起こす可能性がある。幹比古たちには論文コンペの安全確保を兼ねて手伝ってもらっている」
「……侵攻軍の手引きをした者の名は分かっているのか?」
「周公瑾、と名乗っている。外見は二十代前半の男性。だが本当の年齢は分からない。髪が長く、写真で見る限り容姿は極めて整っている。鬼門遁甲の術を使うらしい」
「周公瑾だって!?」
「周公瑾を知っているのか?」
「あ、ああ……そうか、あいつが。あいつか!」
将輝の目に怒りの火が点る。先ほどまでのショックは、それ以上の激情で塗り潰されていた。
「何があった?」
これはただごとではない因縁だ。相当な煮え湯を飲まされたとしか思えない反応だった。
「……去年の横浜で、侵攻軍の一部が中華街に逃げ込んだ。俺は中華街の住民にそいつらの引き渡しを迫った。予想に反して、中華街の門はすぐに開いた。侵攻軍の兵士を拘束し俺たちに引き渡した住民の先頭にいた青年が名乗った名前が……」
将輝がギリッと歯を嚙み締める。達也は将輝の代わりにその名を口にした。
「周公瑾か」
「そうだ。ヤツは、本名だと言って、笑っていた……!」
将輝が口を閉ざす。その心中は何となく理解できたので、達也は声を掛けなかった。
「それで、奴が追っ手を振り切っている鬼門遁甲の術についてだが……」
その代わり、話題を変えて将輝の意識を別の、敵の使う魔法という必須の事項へ向けた。
この説明は一高メンバーには既にしていたこともあり、将輝の質問に達也と光宣が答えることでスムーズに進んだ。
その流れで幹比古たちの受けた襲撃についてや、達也たちの得た情報も交換する。加えて将輝や光宣へは、真由美がここにいる理由も説明し終えて、達也は会議をまとめに掛かった。
「幹比古、深雪、水波の三人は明日も引き続き新国際会議場周辺の警戒を頼む」
「「分かりました」」「…分かったよ」
三人が頷く。幹比古は完全には納得していない様子だったが、一高の風紀委員長として、生徒の安全確保を疎かにするわけにもいかず、渋々受け入れた。
「俺は敵が潜んでいる可能性がある嵐山付近の捜索をするのと、七草先輩の元ボディーガードの遺品を見せてもらう。七草先輩に光宣、エリカとレオも、明日はこちらが荒事になる可能性が高いから、気を引き締めてほしい」
「分かったわ」「分かりました」「りょーかい」「おう」
四人からは気合いの入った返事が返ってきた。
「俺はどうすればいい?」
「俺は将輝に指図する立場にない、好きにすればいいんじゃないか?」
「それもそうか……」
将輝はチラリと深雪を見たが、すぐに達也へ視線を戻した。
「なら明日は俺も鞍馬山に同行させてもらう」
「いいのか?」
「ああ」
達也の確認に将輝は即座に頷いた。
部屋にいる数人から、意外そうな反応が漏れた。将輝が深雪を好いているのは一目瞭然、本当は深雪と同行したいのも態度から明らかだった。
それでも達也たちと共に鞍馬山へ向かうと決めた将輝へ、周囲は馬鹿にするのではなく好意から唇を綻ばせるのだった。