達也、エリカ、レオ、そして真由美の嵐山探索は、警察の事情聴取で一日が終わってしまった。
襲撃者の傷は大したことはなかった。達也が無力化した七人は『再成』で無傷のまま引き渡したし、真由美たちの方も、彼ら自身が焼いた腕が一番の重傷という有様だった。
だが、達也たちの事情聴取を行った刑事は陰陽道系の古式魔法師で、十師族に対する反感がかなり見られた。七草の名前が悪い方へ作用してしまい、正当防衛こそ認められたものの、重箱の隅をつつくような取り調べが長時間続き、精神的にかなり消耗してしまった。
ようやく警察署から解放され、著しく下がったテンションで達也たちはホテルに戻る。光宣の様子を見にいくと、部屋には水波と藤林がいた。
「達也くんたち、何だか疲れた顔をしているわね」
軽くあいさつを交わした後の、藤林の実質最初のセリフがこれだった。
「警察に引き留められまして」
「警察? 一体何をしたの?」
「その件は後で詳しくお話しします。それよりも光宣の具合はどうなんですか?」
四人掛けの座卓には達也とエリカ、その対面に藤林と水波、レオと真由美は短辺のお誕生日席にそれぞれ座っていた。
光宣は眠っていた。その寝顔を見る限り、落ち着いているように見える。
「薬が効いて眠っているわ。さっきまでかなり苦しそうだったけど」
藤林が顔を曇らせて答えた。その表情からするに、「少し調子を崩した」程度ではなかったことが分かる。
「……ねえ、達也くん。一つお願いがあるんだけど」
「何でしょう」
達也が藤林に問い返す。彼女は微妙に目を背けたまま、中々答えようとしない。
藤林が「お願い」の具体的な内容を話したのは、時計の秒針が一回りした後だった。
「光宣くんの身体のことなんだけど、この子は、医学的には健康体なのよ。免疫系にも神経系にも、何の異常も無いの。何故こんなに病気に罹りやすいのか、原因が分からないってお医者様は言っているわ……私は、私だけでなく藤林家の抱えている研究者も同じ意見なんだけど、光宣くんが病気がちな原因は、
想子体。それは肉体の情報を記録したエイドスの様々な名称の内の一つであり、肉体と重なって存在している。
想子体は肉体と連動しており、その不調が原因で肉体に変調を来しているというのは、魔法師にとって違和感の無いアイデアだった。
「それで、俺は何をすれば良いんですか?」
「……光宣くんの想子体を『視て』欲しいのよ。貴方の『眼』で」
『
エリカだけならともかく、真由美やレオもいる前でこの話をするとは。今の藤林は明らかに余裕のない精神をしている。
「私の知る限り、想子情報体を分析することに掛けて……達也くん、貴方の右に出る者はいないわ。光宣くんの体質を治して欲しいなんて言うつもりは無いの。ただ、原因だけでも分からないかしら」
「藤林さん。俺にそこまで深く『視せる』ということが何を意味しているのか、ご理解なさっていますか?」
達也の眼は「それが何で出来ているのか」の情報を読み取る。
何が材料で、どうやって作られているのか。
何が原因で、今の結果があるのか。
彼の「眼」は構造情報を読み取る眼であり、因果を読み取る眼だ。その彼に「視」せるということは、九島光宣という人間そのものの「ルーツ」を見せるという意味に等しい。
「お願い。責任は、私が取ります」
「……分かりました」
そんな責任など、誰にも取りようはない。藤林もそんなことは分かっているはずだ。
それを理解した上で、達也は頷いた。
眠っている光宣に「眼」を向ける。薬の効果で眠っているため、向けられた「視線」に気づいて抵抗されることもない。光宣の想子体へのアクセスはスムーズに進んだ。
「達也くん!?」
時間にすれば一秒にも満たなかった。だが、エリカの声によって現実に引き戻された時、達也の額には脂汗が浮いていた。
「大丈夫だ。心配は要らない」
「よかった……これ使って」
そう言ってエリカに笑顔を向けると、エリカはほっと息をついてポケットからハンカチを取り出し、達也へ差し出した。
「ありがとう」
顔の汗を拭き終えた達也に藤林が訊ねる。
「……達也くん、どうだった?」
達也は藤林に、否、九島家に言いたいことが、今の一瞬で山のように出来ていた。光宣のルーツを見ることで、その出生の秘密を知ってしまっていた。
だがその全てを吞み込んで、達也は訊かれたことにだけ答えた。
「予想通りです。俺は光宣が病弱でありながら虚弱でないという話を聞いた上で彼の強大な魔法力を目にした時から、想子の圧力が強すぎて身体が耐えられないのではないかと考えていました」
「つまり、魔法力が強すぎてそれが身体に変調をもたらしているということ?」
「想子体はその人間が保有する想子の容器です。想子の圧力は、容器内の想子量とその活動量によって決まります。光宣の場合は、想子が魔法師としても桁違いに激しく活動していました」
「想子の圧力で、想子体が破損しているということ……?」
「少し想像しにくい部分なんですが、想子体は無数に分岐した細いパイプを束ね、折り曲げて、肉体と同じ情報の形を作っています。そのパイプの中を流れる想子の圧力でパイプの一部が破れ、その破損が肉体にフィードバックされているのではないかと思います」
藤林が悲鳴を上げ掛けた。だがそれより先に達也が言葉を重ねる。
「幸いと言って良いものかどうか、破れたパイプも、破れる原因となった想子と同じもので出来ています。想子が活発に活動しているということは、想子体の修復も活発に行われているということなんです。想子体の破損と修復が短いサイクルで行われている。それが光宣の体質の原因ではないかと思います」
「壊れたままじゃないのね……」
「修復力はむしろ平均的な魔法師よりも上だと思いますよ」
藤林の顔に安堵の色が浮かぶ。だがすぐに彼女の美貌は憂いに曇った。
「でも、どうすれば良いのかしら……」
「想子の活動を抑えるのが一番の解決方法でしょう。魔法力は制限されますが、こうして原因不明の体調不良に見舞われることは無くなります」
「そう……」
藤林が項垂れて表情を隠した。おそらく、面に浮かぶ葛藤を見られたくないのだろう。
光宣の健康を第一に考えるなら、魔法力を制限するのが確実だ。だが魔法は光宣の拠り所であり、優れた魔法師であることが彼のアイデンティティだ。魔法力を制限して健康な身体を手に入れて、それで光宣が幸せになれるとは藤林には思えなかった。
達也もそれは分かっていて、敢えてこんな言い方をした。光宣はもちろん、藤林に何の罪もないと頭では理解しても、九島家の仕出かした狂気へ苛立ちが抑えられなかった。
「達也くんは……」
項垂れていた藤林が、ふと気づいたように口を開いた。
「達也くんは、一番じゃない解決方法を知っているの?」
「応急処置ですが、理論上は」
「なら……!」
「ですが、できません」
「どうして!」
気がつけば藤林は正座から腰を上げ、身を乗り出していた。座卓により物理的に距離が離れていなければ、達也に詰め寄っていただろう。
「俺個人としては光宣のことを好ましく思っていますが、光宣は九島家の人間です。しかもおそらく、現時点でも九島閣下に次ぐ九島家第二位の魔法師。才能だけで見れば深雪にも匹敵する九島家のナンバー・ワン、『九』を冠する魔法師の最高峰です。理論上可能というだけで、実際の施術は手探りの…要は人体実験です。俺の一存でどうこうできる問題ではありません」
「それは、そうだけど……」
藤林と、そしてエリカは達也の言葉の裏の意図を読み取った。
『四葉』である達也が、『九島』である光宣を治療するわけにはいかない。少なくとも両家の間で何かしらの合意が取れるまでは。
「……分かりました。この事は祖父に伝えても?」
「構いません」
藤林の問いを達也は肯定した。それは、『四葉』と『九島』を説得できるなら、達也は治療を請け負うということだ。
藁にも縋る思いでいた藤林にとって、ようやく見えた光明だった。
◇◇◇
その後、達也たちは各自の部屋へ引き上げた。
同室のレオは彼らしくもなく、先程から沈黙を守っている。光宣のことを案じているだけではなさそうだが、詮索することはしない。
「なあ、達也」
だが、それはレオ本人によって破られた。
「どうした?」
達也がそう水を向けると、レオはなおも躊躇いながら、遂には逡巡を振り切った顔でこう訊ねた。
「光宣の体質の原因は何だったんだ?」
「さっき言った通りだ。光宣は魔法力が強すぎて、身体がそれに耐えられていない」
「そうじゃねえよ」
レオはその返答に少し苛立った様子を見せた。基本的にからっとした性格のレオには珍しいことだ。
「それは今の状態だろ。達也は……その原因を見たんじゃねえのか?」
「何故そう思う?」
「あん時の達也の様子は、普通じゃなかった。光宣の想子体を見て、普通じゃない何かを知ったんじゃねえのか?」
達也は沈黙を選んだ。レオの発言を認め、その上で話すことはないという意思表示だった。
レオはそれを受けて、達也の口を開かせるためこう問い掛けた。
「光宣が調整体だから、なのか……?」
意図せず、達也は絶句してしまう。それは「その通りだ」と白状しているようなものだった。
「なんとなく……なんとなくだ。生まれも育ちも才能も、何もかも違うのに、何故か親近感を覚える。何処か、
「…レオは調整体とは違うと思うが」
「その言い方は気付いてたんだろ。俺も遺伝子の四分の一は研究所由来……調整体のクォーターだ」
だから分かるんだよと、レオは同じ言葉を繰り返した。達也は一つため息をついてから、真っ直ぐレオを見据えた。
「そうだ、光宣は調整体だ」
達也はレオの問いを肯定した。レオに九島家の狂気を明かすことを決めた。──なお、光宣や九島家のプライバシーを侵害することには、達也はほとんど忌避感を懐いていない。
「かなりショッキングな話だから、心を強く持って聞いて欲しい」
レオが息を吞む。友人の態勢が整ったのを見て、達也はいきなり核心から入った。
「光宣と藤林さんは異父姉弟だ」
「は……?」
レオは口を開いたまま、しばらく反応を示さなかった。ようやく言葉の意味を理解したと同時に、達也が畳み掛けるように真実を告げる。
「藤林さんの母君は、光宣の父君の実の妹。おそらく人工授精だろうから厳密には近親相姦ではないが、実の兄妹の間に生まれた子供であることに違いはない」
レオの顔がショックに強張る。彼が言葉を発せるようになるまで、かなりの時間を要した。
「じゃあ……光宣の体質は、近親相姦の弊害だってことか……?」
「断定はできない。問題は想子体のアンバランスにあるのだし、肉体的には健康なんだ。調整の過程で不具合が出たのかもしれない。だが、近すぎる遺伝子が原因である可能性も否定できない。魔法師開発研究所でも親子間や兄弟姉妹間の遺伝子を使うことは避けられていた。遺伝子が想子体に、そして精神にどのような影響を与えるのか、分かっていることはまだ少ない」
達也は一度言葉を切って、レオが受け止めきったのを確認してからこう告げた。
「だからレオ、お前と光宣は違う」
「……分かんねえだろ、そんなん」
レオは強く、否定を返した。
「俺の爺さんは世界初の調整体シリーズ『ブルク・フォルゲ』、殆どの個体が自滅した失敗作。その唯一の生き残りなんだぜ?」
これには達也もポーカーフェイスを保てなかった。
驚愕を浮かべる達也へ、レオは淡々と、自分を押さえつけながら語り出した。
『ブルク・フォルゲ』
世界で最初の、遺伝子操作による調整体魔法師のシリーズ名。魔法技能の強化よりも肉体の強化に重点が置かれた強化人間。魔法技能を持つ超人兵士。
その遺伝子改造は、人間より遥かに頑強な大型哺乳類を参考に行われた。その無理な遺伝子改造の結果か、ブルク・フォルゲ第一世代の多くは幼少期に死亡し、成長した後も大半が発狂して、死んだ。
その唯一の生き残りが、レオの祖父だった。
「ゲオ爺さんは、日本に来た。それが亡命なのか脱走なのかは知らねえ。でも普通に、調整体としての突然死とは別に、寿命で死んでいった──だけどよ、俺はどうなる?」
レオの声は震えていた。
「調整体は突然、ふっと死ぬことがある。どれだけ健康でも、次の瞬間ぽっくり逝っちまうって……じゃあ俺は? 俺の中にある人じゃない因子が、人の因子を喰らって、心が壊れていかねえか? いつか俺も、狂っていかねえか?」
彼は今、怯えていた。
西城レオンハルトという人間を、外側から眺めている限り到底そうは見えないが、彼は精神の奥に恐怖を抱えていた。昨日まで健康そのものだった光宣の急変を目の当たりにした事により、その恐怖が表に出てきたのだ。
「分からない」
達也はこう答えるしかなかった。曖昧な慰めは逆効果であり、現時点で達也は調整体の諸問題へ明確な解決策を持っていないのだから。
「俺が一高に入学した目的は二つある」
「…それは?」
レオは突然の話題転換を訝しむが、一先ず続きを促した。
「一つは恒星炉──重力制御型熱核融合炉を実現すること。もう一つが、調整体魔法師の突然死を防ぐこと」
「……水波のためか?」
「やはり分かるのか」
「こっちもなんとなくだ。水波が気付いてるかは分かんねえな」
本当にレオの直感は侮れないと、達也はその評価を数段引き上げた。
「研究は進んでんのか?」
「目的の結果という意味では出ていないが、有用な副産物は幾つか見つかった。光宣への応急処置もその一つだ」
「なーる」
レオは間延びした相槌を打つと、ふっと息を吐いてしばし目を瞑る。
再度目を開いたレオは、いつも通りの彼に戻っていた。
「ま、解決策が見つかったら教えてくれや」
「ああ。約束するよ」
達也もそれに合わせた軽い調子で、だが間違いなく頷いた。